買い物と「兄」との再会
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「ヨル。今日は、買い物に行こうか。」
起きてから、朝ご飯を食べていると、父様がそう言った。
買い物?……何を買うの?
不思議そうな顔を浮かべていると、父様は言う。
「……そろそろ、着ている服の袖や丈が、短くなってきているだろう。新しく、買い替えないといけない。」
……そんなに短いかなあ。だって、これくらい、みんなは当たり前だったもん。
「あと、欲しいものがあれば言え、なんでも買ってやるから。」
うーん。欲しいものなんて、今のところないんだけどな。ご飯もお腹いっぱい食べられるし、綺麗な服を着られるし、ふかふかな寝床で眠れるし。
そう考えていると、父様は苦笑して言う。
「あー……、勉強ばかりでは、息が詰まるだろう?息抜きというわけだ。俺も少し、気分転換がしたくてな。いいか?」
父様がそう言うなら、そうしようかな。
私は、頷く。
「決まりだな。」
食事を終えて、着替えてから、外に出る。
「今日は、天気もいいし、歩いていこう。手を離してはいけないぞ。迷子になるかもしれないし、お前をさらおうとする人間も、いるかもしれないからな。」
そう言って、父様は手をつないでくれた。二人で、歩き出す。
「今、俺たちが暮らしているのは、上層と呼ばれている場所でな。今日行くのは、中層と呼ばれているんだ。そこは、商業区になっていてな、様々なものが売っている。服は、行きつけの店があるから、そこで買おう。」
しばらく行くと、そのお店に着いた。父様は、店の人と、何か話をしている。
「ヨル、自分の気に入ったものを選ぶといい。」
父様にそう言われたので、飾ってある服を眺める。
……どれも、いいものばかり。すごく高そう。
ちら、と父様を見ると、父様は言う。
「値段は気にしなくていい、好きなものを選んでいいんだ。」
……父様がそういうなら…………。
深い青色をして、背中に大きなリボンが付いている服を見つけた。
これ、かわいいなあ。
じーっと見ていると、父様が声をかけてくれた。
「……それがいいのか?」
その言葉に、頷く。
それから、真っ白で何も飾りがついていない、ワンピースと、父様の眼の色と同じ、綺麗な緑色の服も選んだ。
「……この色は……。そうか……。」
父様は、何かに気付いたみたいだけど、私はよくわからない。
「では、この三つをいただこう。服は、屋敷に届けてくれ。」
父様はそう言って、何かを払っている。
「じゃあ、行こうか、ヨル。まだ時間はある。せっかく外に出たんだ、あちこち見て回ろうか。」
そう言って、父様はまた、私の手を引いて、店から出る。
いろんなお店が並んでいる。見たことのないものばかりで、気になってしまう。そんな中で、あるお店に飾ってあるものが目に留まる。それは、たれ耳の犬の縫いぐるみだった。
これ、お兄ちゃんみたい。
思わず、駆け寄って、ガラスに手をくっつける。
「なんだ、ヨル。それが欲しいのか?」
その言葉に、頷いていた。
「じゃあ、入ろうか。」
そのお店に入ると、そこには、いろんな大きさの縫いぐるみが飾られていた。
すごいなあ。こんなにいっぱいあるんだ。
「ヨル、好きな物を選ぶといい。」
私は、お店の中を眺めて、さっき飾ってあった、犬の縫いぐるみを探す。
あ、あった!
それを、むぎゅう、と抱きしめる。ふわふわして、柔らかい。こうして、抱きしめるのにちょうどいいくらいの大きさだ。それに、抱きかかえても、邪魔にならない。
「それがいいのか?なら、それにしようか。」
いいの?本当に?
私の表情を見て、父様は言う。
「ああ。欲しいものがあれば、買ってやるといっただろう?」
やったぁ!父様、ありがとう。うれしいなー。
「……これをいただこう。」
父様は、お店の人と話している。
「ヨル、ほら、貸してくれないか。持って帰らないといけないから。」
むー。やだ。ずっと抱いていたいのー。
むくれていると、父様は笑って言う。
「仕方がないな。全く。……すまないが、このままでいい。娘はよっぽど、あの縫いぐるみが気に入ってしまったようで、抱いていたいようなんだ。」
「分かりました。まあ、あのくらいの年頃の子だと、そういうこともありますから。」
縫いぐるみを抱きかかえて、お店を出る。
「ご満悦だな、ヨル。気に入ったものがあって、よかった。」
そう言って、また、街を歩く。……ふと、路地の方に目を向けると、私がよく知ってる人がいた。
お兄ちゃんだ!
思わず、私は、父様の手を振りほどいて、そっちに走っていた。
「ヨル、どうしたんだ!?待ちなさい!」
そのまま走って、お兄ちゃんに抱きつく。
「お、なんだ?……ナナじゃないか!お前、あの時からいなくなったから、にーちゃん心配してたんだぞ?」
お兄ちゃんは、そう言って、頭をわしゃわしゃと撫でてくれる。
よく、こうして撫でてもらったなあ。
「ほら。」
お兄ちゃんは、いつもの白い石を差し出してくれる。私は、それを受け取って、ガリガリ、と地面に記号をかく。みんなで決めた、秘密の暗号。お兄ちゃんは、私の隣で屈んで、それを見つめている。
―お兄ちゃんたちは、元気だった?
「おー、にーちゃんたちは元気にしてるぞ。実はな、ナナがいなくなってから、何人か引き取ってくれる人がいてな、そいつらとはもう一緒には暮らしてないけど。そいつらも、元気でやってると思う。」
―よかった。お兄ちゃんは、どうしてここにいるの?
「あー。チビどもに、たまにはいいものを食わしてやりたくてさ。年長組と一緒に来たんだが、こっちは盗みにくくてさー。どうしようかと思ってるんだ。」
―そっか。あんまり、そのままお店に置いてないもんね。
「そーそー。場所が違うと、こんなにも違うんだなって実感したぜ。……ナナは、どうしてこんなところにいるんだ?それに、すげーいい服着て、変わったもの持ってるじゃん。」
―あのね、あの雪の日にね、私を拾ってくれた人がいたの。今は、その人のところで、暮らしてるの。これは……お兄ちゃんに、よく似てたから。
「そうか、ナナ、よかったじゃないか!お前が幸せそうに暮らしていて、にーちゃん嬉しいぞ。……えー、それそんなに似てるか?まあ、耳とか尻尾とかはおんなじだけどさー。おれそんな間抜けな顔じゃないぞ。」
「……ヨル。急に走り出すんじゃない。」
その声に振り向く。父様は息を切らしていた。
ごめんなさい……。
父様の傍に行って、足元に抱きつく。
「君は……?」
「ん、おれはナナのにーちゃんだぞ!王都の下層で、一緒に暮らしてたんだ。」
「そうか……、あの場所で、幼い子が一人で生きていけるはずがないからな……。……ナナとは、その子の名前なのか?」
父様はお兄ちゃんにそう聞いているみたい。
「あーいや、これは仲間内で呼び合うあだ名みたいなものなんだよ。親に売られたり、捨てられた子は、そんな親が付けた名前を使いたがらない子も多くてさ。だから、おれが付けてたんだ。んで、引き取ってくれる人がいたらその人に新しい名前を付けてもらうんだ。それで下層暮らしとはおさらば、ってわけ。……ヨル、か。いい名前じゃないか。よかったなー、ナナ。……あー、今はヨル、か。」
―うん。この人はいい人。前のお父さんとお母さんと違って、とっても優しい。
「よかったじゃないかー。いい人に巡り合えたんだな!」
お兄ちゃんは、また、私の頭をわしゃわしゃする。
「ところで、先ほどからヨルが地面に書いているのは、何なんだ?」
「これ、おれたちで決めた、大人には分からない暗号なんだー。ヨルはすげーんだぜ、おれが考えた暗号、一番最初に全部覚えたの、ヨルだったんだから!」
えっへん。すごいでしょー。
「なるほどな。道理で、捨てられていたのに物覚えがいいと思った。君が色々教えていたのか?」
「俺が知ってることだけだけどなー。でもヨル、全然しゃべんないから、分かってるかどうかよくわかんないんだよなー。楽しそうに聞いてはくれたけど。今もまだ、しゃべれないみたいだし。」
むー。ちゃんとわかってたもん。
私は頬を膨らませてむくれる。そんな私の頬を、お兄ちゃんは笑ってつついた。
「……ということは、かなり長い間、話していないのか?」
「んー、うん。俺たちと一緒に暮らし始めた時から、すでにあまり自分から話すことがなかったんだけどなー…………。ある日、ヨルは何かを見たのか、戻ってきて急に泣き出したんだ。それから、ずっとずっと泣き続けて、ある日急に泣かなくなったんだ。でもそれから、ヨルは一切、笑わなくなった。」
お兄ちゃんは悲しそうに言葉を続ける。
「んで、そのあとヨルの両親と弟?が殺された。なんかその時に、どっかに保護されてたみたいなんだけど、逃げ出してまた戻ってきたんだ。それからずっと、ヨルは一言もしゃべってない。」
……私、あの時、何を見たんだっけ。思い出せない。
「ああ、そうか……、君はあの時、この子に話を聞こうとしたときに無理やりついてきた少年か。」
「んー、おじさん、どこかであったか?覚えてないなあ。」
「おじ……。お兄さんな。俺はまだ25だからな。」
父様は早口でそんなことを言っている。
……おじさんって言われたの、ショックだったのかな。
「……あんた25なのか、じゃあおれと同い年だな!」
「な……!?どう見ても少年にしか見えないんだが……!?」
お兄ちゃんの年齢を聞いて父様は驚いている。
私もお兄ちゃんの年齢、初めて知った。なんか、他の子たちとはやけに大人びているとは思ってたけど……、そんなに長い間、下層で生きてきてたんだ…………。
「あー、獣人ってさ、人間より長生きだろ?だからその分、年取るのもゆっくりなんだ。……幼い獣人や若い獣人は実際の年齢を半分か三分の一にすると、人間にとっての年齢に近くなるのかな?」
「……そうか。獣人は、秘密主義で人間に決して自分たちのことを語らないからな……、知らなかったよ。」
父様が納得したように頷いていると、お兄ちゃんは悩ましげにしている。
「んー、おれ、そういうのあんま好きじゃないんだよな。獣人も人間も、見た目違うだけじゃん?だから、別に秘密にすることでもないっていうかさー。」
「君は、柔軟な考えができる人物なんだな…………。」
「やめてくれよ、そんなんじゃない。……で、あんた結局誰なんだ?」
お兄ちゃんは、父様にそう聞いている。
「……俺はあの時、事件の捜査をしていた魔道士だよ。あの頃はまだ上がりたてでな、魔術が使われた事件の捜査を仕事として担当させられたんだ。」
「……あ!あの包帯ぐるぐる巻きの変な人と、男なのにすげー髪が長い人と一緒に居た人かー!……実を言うとあの二人の印象が強すぎてさ、あんたのことは覚えてなかったよ、悪いなー。」
お兄ちゃんは笑いながら言った。
「いや、仕方ないだろう。……あの二人は……、うん。良くも悪くも印象に残るからな。しかし、君は、あいつを変な人というのか……。見る目があるな。包帯ぐるぐる巻きのやつはな、ロクデナシの変人だからな。」
と、父様…………!?
「だって、包帯ぐるぐる巻きだけじゃなく、フードまで被ってたし。さらにそのフードには、なんだかよく分からない飾りもついてあったし。」
「やつはそれをかっこいいと思っているんだ。」
「うわー、趣味悪いなあ。おれそういうのよくわかんないや。」
「いや、わからなくていいぞ。」
「そっかー。」
二人はそんなやり取りをしている。
……父様、その人の扱い、なんだか悪いような……。
父様はお兄ちゃんの姿を見て言う。
「……なあ、君は……、その胸の焼き印と、両手足の枷、ということは……。」
「んー、ああこれ?おれんち、貧しくてさー。下に弟と妹がいて、そいつらが腹いっぱい食えるようになるなら、ってことで、親におれを売ってくれって頼んだんだよ。その証が、これ。」
そんな風に言ってお兄ちゃんは笑っている。
「まあ、売られた先でおれが一番ガキだったからさ、他の奴隷の獣人がおれにたくさん食べさせてくれたんだ。お前はまだ子供だからこんなところにいてはいけない、食い物を分けてやるから逃げ出す力をつけるんだ、って言われて逃がしてもらったんだ。」
何でもないことのようにお兄ちゃんは言う。
「……君を売った親を、恨んではないのか?」
父様はお兄ちゃんに対し、そう問いかけた。
「ま、生きていたら怨みごとの一つや二つ、言ってやりたいとは思うけどさ、おれの家族、死んじまったからなー。どうしようもないんだよ。仕方なかったのさ。両親は泣いてたよ、ごめんなさい、って何度も繰り返してた。」
そんな風に大切に思ってくれる家族がいるって、うらやましいな……。だって、私の家族だった■■■■■は…………。
「でも、そうするしか生きて行く方法がなかったんだ。おれたちは、北にある、獣人が集まる都に住めるほど、体が強靭じゃないから。でも、皮肉だよな。そんな風に、おれを売って得た金のせいで、おれの家族はみんな殺されてしまって、おれだけ生き残ってしまったんだから。」
からからと笑いながら、お兄ちゃんは言った。
……そんな風に、仕方がないと割り切れるようになるまで、どれくらいかかったんだろう……。
「それは……、すまなかったな。嫌なことを思い出させた。」
父様はお兄ちゃんにそう謝っている。けれど、お兄ちゃんは首を横に振る。
「いいや。もう済んだことだから。それにおれは家族を失ったけど、今は家族と同じくらい大切な仲間がいるから。最初は俺一人だったんだけど、捨てられた子を見つけたり、奴隷として売られそうになって逃げだした子をかくまったりして、次第に人数が増えていったんだ。王都の下層は、子供同士が身を寄せ合わなければ生きてはいけない。だからその時、おれは自分の役割に気が付いたんだ。」
そして、彼は決意したように言う。
「……いつか、もっと大きくなったら、おれは同じように奴隷にされている人たちや、奴隷として売られる人たちを救い出してやりたいと思うんだ。今はまだ、子供だけなんだけどな。奴隷商人もさ、そういう風に売り物を減らしていけば、いつかはいなくなると思うんだよなー。」
「……だが、それは、とてつもない時間がかかるだろう?君が生きている間に、終わるかどうかすら怪しい。」
そう言った父様に、お兄ちゃんは苦笑している。
「んーでも、何もしないよりかはましだと思うんだー。お国はなんもしてくれないしさー。幸い、おれは獣人で、他の人間より寿命が長いし。もしおれが途中で死んでも、おれの遺志を引き継いでくれる仲間もいる。……奴隷階級って、廃止されたんだろ?なのに、なんで今も奴隷商人がいるんだ。おかしいじゃないか。」
お兄ちゃんは、首をかしげながら言った。
「……国の連中はな、奴隷商人を悪だというが、身を売る人間もまた、悪だといって、取り締まらないのさ。奴隷商人から、賄賂を受け取っている連中もいる。そして、なにより、奴隷商人が売る『商品』は、安価で手に入る労働力として、この国を支えているからだ。」
けれど、それを言う父様の言葉には、何の感情もこもっていなかった。
それを聞いたお兄ちゃんは、怒ったように言う。
「なんだよそれ。ふざけるなよ。みんな、売りたくて売ってるわけじゃない!もともと、おれたちは物々交換で暮らしてきたのに、それをやめさせて、金を使うように強制しておいて。今までそうして暮らしてきて、いきなり金なんて使えって言われても、手に入るわけなんかないじゃないか!それだけじゃない、おれたちは差別の対象で、いくら働いても、普通の人間と比べて遥かに少ない金しかもらえないのに!」
お兄ちゃんはそのまま、悔しそうにこぶしを握りしめる。
「父さんも、母さんも、朝から晩まで鞭を打たれるようなひどい環境で働かされて、二人で合わせてもパンを数個買えるくらいの金しかもらえなかったんだ!なのに、王都の人間は……、それが当然だと言わんばかりにおれたちを侮蔑と嘲笑の眼で見つめて……!」
お兄ちゃん……。いつも、ニコニコと笑っていて、怒ったことなんてなかったのに。
「……君も、今の王国に憤りを感じているようだな。俺も同じだよ。無能な『人間』どもがのさばり、王は大臣どもの傀儡だ。本人は、それについて悩んでいるが、どうしようもない。……本来、獣人も人間も平等なんだ。それなのに王都に住む人間はそれを理解せず、のうのうと生きている。自分たちの下に、屍を積み上げながらな……。」
父様は、腕組をして考え込むようにしながら言う。
「なあ、あんたは何者だ。その身なり、貴族なんだろ?それなのに、そんな考えを持ってるなんて。」
「……俺はかつて、この国にすべてを奪われた人間だ。そして……この国に復讐するために、今まで生きながらえてきた。……すべてを奪われた俺を、獣人や樹海に住む人々は助けてくれた。その時から獣人も人間も、平等だと思うようになった。……いつか俺はこの国に復讐する。その時は、手を貸してはくれないか?」
父様はそう言って、お兄ちゃんに手を差し出す。
「おれはさー、奴隷商人がなくなるなら、なんだってやるつもりだ。そのために、この国が滅びるのだとしても。こんな国、なくなってしまえばいいんだ。だってそうしたらもう、おれたちみたいな存在が生まれなくなるんだろ?やっぱり、さ、家族は一緒に暮らした方が一番幸せだから。」
お兄ちゃんはそう言って頷いた後、言葉を続ける。
「……おれは子供を売ったり、捨てたりする親をいっぱい見てきた。ほとんどの親は、泣きながら、ただただ謝って、子供も泣くんだ。暴力を振るって、自分の子供をいらないかのように捨てる親なんてほとんどいない。そんな家族がいなくなるというなら、おれはあんたに手を貸すよ。」
お兄ちゃんはそう言って、父様の手を握った。
お兄ちゃん…………。
「そうか、ありがとう。ただ、このことは俺たちだけの秘密だ。他の人間が知れば、反逆罪にされてしまうからな。」
「ん。わかった。」
「……君の、名前は?」
そう問いかける父様に対し、お兄ちゃんはこう言った。
「……さあな。忘れちまった。ずっと、自分のこと、兄貴って言って、周りからはにーちゃんやあんちゃんって呼ばれてきたから。……おれには、名前なんていらないんだ。誰でもない、親に売られたり、捨てられたりした子供たちの中の、『誰か』。それで、いいんだ。」
お兄ちゃんは、悲しげに笑っている。
「そう、か。君がそういうなら、俺も従おう。」
「…………なあ、あんた、ヨルとはどういう関係なんだ?」
「ヨルは……、俺の大切な娘だよ。」
そう言って父様は私の頭を撫でてくれた。ちょっとくすぐったい。
「そっか、ということはヨルの父ちゃんかー。……ヨルのこと、大切にしてくれよな。おれの可愛い妹なんだ。女の子は、ヨルだけだったから。……女の子は、さ、奴隷商人に売られてもすぐに買い手がつく。ほとんどは、そういうところで働かせるため。そして貴族が愛玩用奴隷として買っていくんだ。だから、おれはそんな子たちを救えなかった。」
その後悲しそうに、うつむいている。
「反吐が出るな。愚かな連中だ。金でなんでも解決できると思っているんだろう。」
父様は吐き捨てるように言った。それに対し、お兄ちゃんは言葉に怒りを含ませながら言う。
「そんなの、間違ってる。奴隷の身分はなくなった、だからおれたちは平等のはずだ。」
「その通りだよ。だが、それを理解していない連中があまりにも多すぎる。」
父様は、そう言ってため息をついた。少しの間、沈黙が下りる。
「……ヨルは、どうして売られなかったんだろうな。ヨルの髪と瞳は、珍しい色をしているし、魔術だって使えたのに。王国人であっても、そういうやつらは、高値が付くんだ。おれは……、奴隷として売られた子を助けるために、奴隷商人のところに忍び込んだ時に、値札を見たから知っているんだ……。」
その沈黙を破るように、お兄ちゃんは言う。
…………「あれら」は、そんなこと、考えもしてなかった。私を、■■■、■■■、■■■■、最後は、動かなくなったからと言って、置き去りにした。死んだと思っていたんだろうなあ。あの時、とても驚いた顔をしていたから。
「……俺の友人には、樹海で生きてきたやつがいてな。そいつも、同じようなことを言っていたよ。もしかしたら、この子の親にとって、この子は、そんなことを考えたくもないほど、気味の悪い子だったのかもしれない。魔術を使えない人間にとって、魔術を使える人間というのは、時に恐怖の対象になるものなんだ。悲しいことにな。」
父様はどこか悲しそうにしてる。そんな父様の表情を見て、お兄ちゃんは言う。
「たぶん、そうだと思う。……おれたちが見つけた時、ヨルの身体、痣だらけだったんだ。顔にまで、痣があった。女の子なのにな。」
……そうだったんだ。よく覚えていない。覚えているのは、ただひたすら、痛かったこと。そして……、真っ赤な色。
「ま、親が死んだのは自業自得ということだ。自分のやったことはめぐりめぐって、自分に返ってくるのさ。……そしてこの王国はな、罪のない人々の屍の上に成り立っている。無知もまた罪だ。けれど、王都の人間たちには自分のやったことが返ってきていない。だから誰かが、それを返してやらないといけないと俺は考えている。」
「あんたは……、変わった人だな。貴族ってのは、自分の地位にふんぞり返って、何もしない連中だと思ってた。」
お兄ちゃんは腕組をしながら、父様にそう告げている。
「俺以外の貴族はみんなそうだ。だが俺は……何もしない親に反発して、家を飛び出したことがあってな。今の価値観はその時に身に着けたものだ。」
「そっか。……あんたに会えてよかったよ。」
お兄ちゃんはどこか嬉しそうだ。
「……すまないが、復讐はまだ先のことだ、いつになるか分からん。まだ、協力者が少ないからな。」
「……なら、おれはそれまでの間も、王都の下層で子供たちの面倒を見るし、奴隷にされている人を救い出し続けるよ。」
「好きにすればいい。……ではな。ヨル、行こうか。……誰でもない、『誰か』。いずれまた、会うことになるだろう。」
「ああ。また、いつか、な。」
父様は、私の手を引いて、歩き出す。
私は、振り返って、お兄ちゃんに大きく手を振った。お兄ちゃんもまた、手を振り返してくれた。