表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

5(始末)


   *


 放課後の理科準備室は、なんだか虚ろで寂しかった。あたしはマッチでアルコールランプに火を点けて、三脚台の下に滑らせた。

 石綿金網の上に置いた200㍉㍑のビーカーでお湯を作って、ティーバッグを浸した。琥珀色が滲み出し、紅茶の香りがほわっとした。そしてふと、ムジナから貰った笛のことを思い出した。あれはどこ? 通学鞄のポケットに入ってた。口に咥えて吹いてみた。

 スカッと息が抜けた。やっぱ騙された。それとも化かされた?

「どうした」

 あたしはイスから転げ落ちた。

 ムジナは毛だらけの顔を、にやっと歪めて笑った。「話を聞こう」

 あたしは、シャベルで殴ったこと、金平糖をお腹に乗せたこと、半分に千切れた身体を埋めたことを、すっかり全部、話していた。

 ムジナはお行儀よく、ふんふんと相づちを打ちながら聞いていた。「で?」

 あたしは肩をすくめ、「さぁ」

 ムジナはケッケッケと、変な笑い声を立て、「じゃ、またな」去ろうとした。

「ちょっと待って」あたしは引き止めた。「どうにかしてくれるんじゃないの?」

「どうにかして欲しいのか」

「うん」あたしは頷いた。

 ムジナはまたケッケッケと笑った。「それはちょっと高くつくなぁ」ケッケッケ。

 いやいやいや。「助けてあげたでしょ?」

「ああ」そんなこともあったかな、とムジナはしらばっくれて、ケッケッケと笑う。

 あたしはムカッ腹が立った。「役立たず!」

「五月蝿い、小娘」

 ムジナは爪の長い指をさっと振った。ぽっと火が走って、アルコールランプが吹き上がった。熱風と光輝が躍り掛かった。視界が真っ白になって弾けた。炎が顔を焼き──あたしは闇にとっぷり落ちる。

「起きた?」

 保健室の池上先生の声だった。返事をしようとしたが、無理だった。のどが狭くて、息が苦しい。顔が熱くてピリピリ痛い。

 手を動かそうとして、上からそっとやさしく押さえられた。「無理はしないように」

 目は開かないけれども、なんとなく明るいのは分かった。先生が間近にいるのが、ぼんやり分かる。

「だいぶ酷い悪戯をされたみたいだね」

 そんなかわいいモンじゃない。

 池上先生はうーん、うーんと唸り、「ガマの油で手当てはしてるんだけどねぇ」歯切れ悪い。「退院予定は読めないみたいよ」

 あたしはやっとの思いで声を振り絞った。「オトーサンが、」

 ああ、とか、うん、とか、やっぱり池上先生は歯切れ悪かった。「また来るね」

 また来た。

「知り合い」そっけない紹介。

 あたしの顔は包帯グルグルなのである。挨拶代わりに、手をゆるく握られたので、握り返した。池上先生の知り合いは、包帯の上からあたしの顔の寸法を計った。

「また来るね」

 また来た。

「できたよ」

 プラスチックのお面を貰った。あたしは新しい顔になった。

「また来るね」

 来なかった。

 あたしは新しい顔を掻いた。カリカリって硬い音がした。新しい顔の下はジクジクしてる。軟膏を繰り返し塗られた。ピリピリした痛みは減ったけれども、ビキビキと引きつった。何錠ものお薬を飲み、何回も腕に針を刺された。あたしの時間は止まっていた。

 おー、すごい顔になったなあ。

 オトーサンがやって来た。びっくりした。

 どうしたの? 耳は聞こえても、目は見えないし、鼻もきかない。でも、お父さんは帰ってきた。

 ああ、なるほど。そういうことか。あたしは合点が行った。先生がやってくれたのだ。学校で起きたことだから、先生がやってくれたのだ。そして、オトーサンはもういない。

 あたしは泣いた。次は、あたしが始末をつけなきゃいけないんだ。

 退院したら海に行く。キリコを埋めた浜に行く。砂の上に寝そべって、砂糖菓子をおヘソに乗せて。キリコがやって来るのを待つ。

 お面の下で、あたしは泣いた。世界って、ちっとも全然、甘くない。なんか酸っぱい。そして苦い。


 ─了─


   覚書

 作中の登場人物またはそれに類するもので、明瞭でないものはカナ表記とした。

 現在では特に不適切とされる箇所(未成年が教育施設内で酒造・飲酒と思われる行動)は、本筋と特に関係が薄いので削除した。併せて表題の「月輝(moonshine)」も「月影」に改めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ