第1話~無知と全知~「夢芝居」
家庭科室の扉を、祷がノックする。
あたしはその間に、刹那迷いが生じるも、
念の為にフルドライヴをさせる決意をした。
……“実、行”!i……
もうあたしはフルドライヴに対して全く恐れの感情はなくなっている。
オーバードライヴとはまだ満足な親和が行えているとは言い難いですが、
フルドライヴは、
心身共にお互いの受け入れが上手く行えている実感が湧いています。
ノックからフルドライヴまでの経過時間は、
およそ0.5秒足らずといったところかしら。
扉の向こう側から返事はないけれど、喧騒がやや静まった事から、
祷は扉を開ける判断をした。
そして、扉の向こうには……、
………………
…………
……
意外、というのはおかしいかもしれないですが、
ちょうど扉の前方に、風月先生がいらっしゃった。
どうやら扉を開けようとして下さっていたらしい。
あたしは昨日の事もありますから、
「風月先生、お早う御座居ます! 昨日は有難う御座居ました!」
そうあたしなりにきちんとご挨拶を致しました。
「早水さん、常世さん、七ト聖さん、お早う御座居ます。
皆さん集まってますよ。
歌坂さんと一途尾さんのひと仕事の後は、今日は『プール』ですね。
風が担任のGクラスと、花鳥先生のmクラスはもう済ませましたが、
どうぞ貴女達も落ち着いて処理して下さいね。
特に早水さんは身体に無理のないように」
プール……? って水泳をするの? あたし泳いだ事ないっ!?
ぅ……、だけど今のフルドライヴの状態であれば、
他の人達の泳ぎをみればそれ程動揺する事でもないか……。
すぐに覚えられるでしょう。
それよりもまず今は空間認識です。
……家庭科室内に居るのは、あたしを含めて30人。
杏莉子曰く、あたしの視覚情報からの「組立」。
男性14名……、女性14名……、2名がアンノウン。
2名――……!?
一人は分かっている、先程まであたしを悩ませていた一途尾くんです。
これ程集中して空間認識を行ったのは初めてですから、色々な事に気付く。
あたしの「組立」が確かなら、
男女28名の性器のぼんやりとした輪郭の流れは分かる。
一途尾くんには男性器とも女性器とも呼びづらい輪郭を覚える。
しかし、もう一人のアンノウンには、男性器と女性器が同時に存在している。
それにその人の骨格も、今まで出会った事のない形容し難いものを感じる。
この人は、本当に人間なのでしょうか……。
いえ……、そんな疑問はとても失礼です。あたしはあたしを戒める。
「早水さん? どうかなさいましたか?」
あたしの内心の動揺を、風月先生には気付かれてしまった……。
風月先生が、ふ・りぃだむさんなら、空気のなせる業なのでしょう……。
昨日から今日までで、ある疑問と違和感がある。
それは、風月先生のこのお姿は、3Dアヴァターなのではないのかという事。
そして、その疑問は現在確信に変わりつつある。
なぜなら、
この家庭科室内にもう一人風月先生と同様の小さな違和感を纏う女性がいるから。
杏莉子は「組立」を褒めてくれたけれど、
あまり過信してはいけない能力かもしれませんね。
「いえ、こんなに人が多いと思っておりませんでしたから、
少しびっくりしてしまっただけです」
あたしは風月先生をごまかす。
そして、自然とその正体不明の人物に、両眼が惹き付けられ感覚も鋭さを増す。
その人は、家庭科室内にある、西側の窓辺にもたれかかり欠伸をしていた。
フルドライヴで聴覚をその人へ先鋭させると、
「くぁ……、退屈だな」
そうひとりごちた声音が微かに拾えました。
あたしには関心がなさそうで、逆に安堵さえしましたが、
そう瞬く間に、
「初めまして、久し振り。
早水 捧華さん。ボクは『青兎 遥』と言います。
君は、人生が楽しいかい?」
あたしへ視線を合わせもせず呟かれるさらに微かな声音に対して、
あたしは即座に戦慄いた!
彼? 彼女? があたしを認識しているのは明白ですが、
あたしはあまりの動揺に、
青兎 遥という人物に対して、何も返す言葉が思い浮かばず、
強張って沈黙する。
家庭科室の扉を開いてから、
一分足らずであたしは麻の言葉を実感する。
今日は大変な一日になる。
いくたびでも
たちあがれ
であればじんせいにはいぼくはない
歌 梅沢富美男 作詞・作曲 小椋佳