第17話 愛を乞うフール
国王になる為に必要なものは、賢明であるよりも何よりも野望なのだろうと僕は思う。
この国の第一王子ファウストとして生まれる前、古代の王国の1つであるアルガイオを最期に導いた国王であった僕は思う。
幼い頃から賢明な国王であれと、そう教育されていた僕は常に誰かに傅かれていた僕は誰から見ても誇れるような、期待に沿った王子であった。
両親は勿論、臣下も他国の外交官にも僕は褒め称えられた。はじめは、そんな自分を本当に誇らしいと思ったのだ。
当たり前だ。その為に血の滲むような努力し続けて、それが認められていたのだから。嬉しくないはずがない。
いつからそれが、苦痛になったのだろうか。
ほんと些細な事だった。
ーー本当にクリストフォロス様は賢明な王子ですな。これならアルガイオ王国の未来は安泰でしょう。
ーーそうですな。本当に完璧な王子様だ。
たまたま聞いてしまった貴族同士の会話。もう何度も聞いていた僕への賛辞の言葉。
でも気付かなかった方が幸せだったのに、愕然とした。
それ、賢明な王子が僕じゃなくても良いんじゃないか?
両親も、貴族も、国民も、“完璧な王子様”を欲している。だけれど、そこに“クリストフォロス”という個人の存在の介入する余地はない。
今まで信じきっていた何かが、全部ボロボロと崩れていくような気がした。
だから、エレオノラにとても惹かれた。
僕だけに見せる幼い純粋な微笑みが、“完璧な王子様”だけじゃなくて、僕自身に対しても向けてくれている気がして。
僕の薄暗くて醜い、僕自身の存在を認めてほしいという承認欲求を満たしてくれて。
僕の、たった1つの居場所だった。
ずっと大事に大事にし続けるつもりだった。友人であった彼女の兄に恨まれてしまっても、彼女を手放す事など到底不可能だった。
エレオノラ1人に縛られず、皆を平等に愛せさえすれば、僕は国王として幸せになれたのにそうは出来なかったのだ。
「……馬鹿だなあ。僕も」
前世も、今世も縛られている。彼女への愛に。
でも、それが酷く心地いいのだ。
それがどんなに茨の道でも、彼女と離れる方が辛かった。
かつて彼女へ乞うた愛は、確かに今も僕の元にある。
「ファウスト様?」
僕の呟きを拾ったらしいラウルが、不思議そうに僕に問いかける。
「何でもないよ。ちょっとした独り言。……なんだっけ、これからの予定は」
「ご婚約者のアウレリウス公爵令嬢オリアーナ様が来られるの予定ですよ」
「……ああ、そうだったね」
窓の外をぼんやりと眺めていたが、ゆっくりと執務室内のラウルとシストへ視線を向ける。
「シスト、ラウル。そろそろ隠れておいてね」
「はーい!オリアーナ様は僕達の事見分けてしまいそうだもんね」
僕の言葉に大人しく従ったラウルは、執務室と繋がっている自室へと引っ込んでいった。勿論、ラウルもだ。
今世で宛てがわれた婚約者は、オリアーナ・アウレリウス。王太子派中心であるアウレリウス公爵令嬢だ。
彼女の父親であるアウレリウス公爵はかなり厳格で苛烈な性格だが、オリアーナ嬢は金髪に紅色の丸い瞳の温和な性格の美少女だ。
外見ばかり美しいだけでなく、内面も幼い頃から王妃になる為に教育されてきただけあって、政治や外交の会話が出来るほど聡明である。昔も今も、女性に教育は必要ないと言われているだけに、周りにはいないような区分の女性だ。
そして、彼女の一番の長所と言うべきは、その観察眼だろう。
外見だけでなく、声も僕に似せているシストと僕を見抜きそうになったのだから。
一度だけシストと入れ替わって見抜かれそうになってから、オリアーナ嬢と会う時は基本僕自身が行くことにしている。
まだ約束の時間まで少しの猶予があったが、部屋をノックする音に入室を許可すると、金髪に大きくて元気そうな紅色の瞳の美少女が姿を現した。
「いらっしゃい。オリアーナ嬢」
「御機嫌よう、ファウスト殿下。わざわざ時間を作って下さり、ありがとうございます」
優雅にお辞儀をするオリアーナ嬢は、間違いなくこの国で一番と言ってもいい程才色兼備のご令嬢だ。流石は王太子の婚約者……と言うべきか。
僕が王太子でなければ、彼女は夫になるであろう男を虜にし、それなりに幸福な結婚生活を送れただろうな、等と考えながら彼女に席をすすめる。
未婚の令嬢らしく、オリアーナ嬢の後ろに付いてきた侍女は静かに部屋の隅に控えた。
僕も侍女を呼んで、お茶と茶菓子を用意させる。
紙とインクの匂いばかりだった執務室に甘い香りが広がった。
「ファウスト殿下。お仕事の方は大丈夫ですか?王太子という立場は大層大変だと耳にしました」
「大丈夫だよ。僕には優秀な弟のアルフィオがいるんだからね」
アルフィオに手伝わせているのは本当だ。使える人材は上手く使うのが上に立つ者の役目。一から十まで上の人間がする必要はない。
……なんて、王太子位の仕事で僕が参る訳がない。一度は一国を背負っていたのだから、あっさりと終わらせてしまう。
正直、それが僕が優秀だという噂になってしまうらしく、加減が難しかったりする。前世から慣れ親しんだ事……というか、出来て当たり前だった事を褒め称えるとは思わなかった。
「いいえ!ファウスト様も頑張ってます!私、知ってますから!」
握り拳を作って力説するオリアーナ嬢に、僕は余所行きの微笑みを浮かべた。
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ」
「ファウスト様は謙虚すぎます……」
「そうかな?」
「ええ!」
これがクラリーチェだったら、僕は舞い上がっていたのだろうか?舞い上がりまではしないかもしれないが、喜ぶ事には間違いないだろう。
しかし、オリアーナ嬢には全くそんな気は起きなかった。
ありがとう、と微笑むとオリアーナ嬢はほんのり頬を染めて嬉しそうに微笑み返す。
オリアーナ嬢が僕に色恋の類かどうかは分からないが、好意を持ってくれているのは知っている。けれど、僕がこの先それに想いを返す事はない。絶対に。
本当に哀れな令嬢だ。僕と婚約したばっかりに。
クラリーチェーーエレオノラと出会う前であれば、少しは心動かされたかもしれないが。
「そういえばオリアーナ嬢は本は読むかい?」
「ええ。それなりには……。どうされたのですか?」
「この前ね、昔に読んだ懐かしい本のタイトルを目にしてね……」
「そうなんですか!どんな本なんですか?」
顔と紅色の瞳を輝かせたオリアーナ嬢に、その本の名前を告げた。
「『可哀想な王妃様』だよ」
先程の喜色から目で見えるほどに血の気が引いていき、オリアーナ嬢は真っ青になった。
たかが、この国に古くからあるおとぎ話だ。それにここまで真っ青になる事があるのだろうか。
「オリアーナ嬢?」
「す、すみません……。ちょっと……、目眩が……」
「それはいけない」
部屋の隅に控える侍女に目配せをする。僕の意図を正しく汲み取った侍女は、オリアーナ嬢に駆け寄った。
「一度救護室に連れて行ってくれ。オリアーナ嬢、今日はもう屋敷に帰って休むといい。無理してはいけないよ」
「ありがとうございます。ファウスト殿下、すみません」
「謝ることはないよ。お大事にね」
侍女に手を取られながら執務室を出ていくオリアーナ嬢を見て、確かではないが可能性を感じた。
クラリーチェも僕とシストを見抜きそうになったのだ。そして、クラリーチェと僕、サヴェリオがこの時代に同時に記憶を持って、転生している。
だったら、他にも転生している前世の人間はいるのではないか?
オリアーナ嬢が一体誰なのか。
分からないが、アルガイオ時代の人間であった可能性は非常に高いな、と僕は自分の婚約者を要注意人物として頭の片隅に留めておく事にした。