第13話 愛を捧げたフール
本日2話投稿しています。
「エレオノラ……エレオノラ?」
「……ん、クリストフォロスさ、ま?」
「エレオノラ、どうしたんだい?最近やけによく眠るね」
テレンティア様が懐妊してから、クリストフォロス様はびっくりする位にテレンティア様の元に通わなくなった。時々昼間に顔は見せているらしいが、ほんの僅かの間だと風の噂で聞いたらしいイオアンナが教えてくれた。
クリストフォロス様とは前のように私の元へ来て、隣で一緒に眠って朝を過ごすという状態が続いている。本当にただ添い寝をするだけだ。
いつもは朝の弱いクリストフォロス様を私の方が起こしていたが、最近私の方が朝に弱くなってしまったらしい。クリストフォロス様が心配そうに私を起こす朝が続いていた。
未だに寝起きでぼんやりする私の頬や額にペタペタと触れていたが、クリストフォロス様は眉間に皺を寄せる。
「エレオノラ、今日はゆっくり休んで。今日は時々見舞いに来るよ」
「でも、今日は公務の予定が……」
「大丈夫。だから、君は今日はゆっくり休んでまた明日元気な姿を見せておくれ」
ただでさえ、減らされていた公務がほとんど無くなっていった。重い身体を寝台から起こすので精一杯な日が増えてたからだ。
「…………はい」
「エレオノラ……」
ゆっくりとクリストフォロス様の指が私の頬を滑る。物言いたげな薄氷色の瞳は迷うように揺れたが、やがてゆっくり身を離して行ってくると切なそうに微笑んだ。
もう彼はどこかで予感していたんだろう。
私の身体を少しでもよくしようと、既にもう何十人という医者に見せていた。
医者が変わる度に、ああ、またクリストフォロス様の期待に添えるような内容ではなかったんだなって理解する。
流行病を患ってから、軽い風邪を引くだけで生死をさ迷うようになった。
その度にクリストフォロス様は自分が痛そうな顔をする。風の私を看病したり、会える立場にいないから、風邪が快方に向かうとクリストフォロス様は私の存在を確認するように私を抱き締めて、無事を喜ぶのだ。
午後から調子が良くなったので、部屋から出てゆっくり外を回ろうとイオアンナに提案した。
イオアンナもその方がいいと快く同意して、数人の侍女と共に庭園へと向かう。
宮殿の広い庭園の隅に設置された椅子に腰掛けていると、少し離れた所から賑やかな声が聞こえた。
今日の公務は、庭園でのお茶会だったなと思い出す。
流石にもう子供の産めない事は広まっていないが、私の身体が弱い事は広まっているだろう。隠し通せない程、私の臥せったり公務の取り止めが多すぎる。
落ち込んでいく気分とは裏腹に、空はとても晴れやかな日だった。
遠くの方で聞こえた筈の一部の数人の男女の声がこちらに向かってくる。ここは隠れた場所なので、お茶会に疲れた人が利用しようとしたりする。
思わず私はやつれた姿を誰かに見せたくなくて、ゆっくりと侍女を連れて庭園の方へと移動した。代わりに私達がいた場所に数人の男女が談笑しながら現れ、椅子に腰掛ける。
盗み聞きするつもりはなかった。けれど、その場に縫い止められるように足が動かなかった。
そのうちの1人が、貴族議会で見た者だったからだ。
「ペルディッカス……」
クリストフォロス様に隣国の王女様との婚姻を持ってきた、人だった。
ポツリと呟いた声は掠れていたけど仄暗くて、近くにいて耳に拾ったらしいイオアンナがびっくりした顔で私を見る。
「いやぁ、陛下のご側室様が懐妊されたのはおめでたい。これで婚姻のお話を持ち掛けたペルディッカス殿の地位も安泰ですな」
ペルディッカスとほぼ年は変わらない位の輪の中の1人の男が、ペルディッカスを褒め称える。ペルディッカスも嬉しそうに頷いた。
「そうだな。エレオノラ王妃様の実家の勢力もこれで削がれるであろうよ」
「ははっ。流石にかの家は力を持ち過ぎておりましたからね。面白くない者も多かったと思われますな」
「ああ。私がこの話を持ってきた時陛下は反対されたが、貴族議会の面々はほとんど賛成していたからな」
ふふっ、と野望に満ちた笑みでペルディッカスは微笑む。クリストフォロス様とほとんど年の変わらない彼は、かなり有能な人間だった。
「陛下はエレオノラ王妃様をご寵愛していらっしゃいますが、エレオノラ王妃様に御子が出来なくてよかったよかった」
「そうだな。エレオノラ王妃様に感謝するしかないな。子供を作らないでくれてありがとうございます、とな」
「最近エレオノラ王妃様も表に出てきていませんからなあ」
「陛下がエレオノラ王妃様を格下げするのを渋らなければ……と思ったが、先にテレンティア様が懐妊されて本当によかった。流石に陛下もエレオノラ王妃様を格下げにするであろうよ」
無意識に握り締めた拳が震えた。
イオアンナも他の侍女も聞こえてきた言葉に怒りの表情を隠そうとしないまま、今にも飛びかかりそうな勢いでペルディッカス達を見ていた。
私が冷静にならなくてどうする。私は王妃なのに。
無言で何も聞かなかったフリをして、私はその場からこっそりと離れる。侍女達も私の意図を察してか、静かに着いてきてくれた。
だけれど、その場を離れる事しか考えていなかったせいか、思ったよりお茶会の開催されている場所の近くまで来てしまったらしい。様子が少しだけ植木の隙間から見えた。
若々しい力に満ちたこの国の国王、クリストフォロス様。彼は緩くウェーブのかかった銀髪を一括りにし、国王に相応しい衣装を身につけて、堂々とその場に立っていた。
そして、傍らには艶のある波打つ黒髪の褐色の美女。
談笑しているのか、他にも和やかな様子でみんな微笑みあっている。
招待客が祝福か何かしたのだろう、テレンティア様はほんの少し頬を赤らめて、まだ膨らんでいないお腹を愛おしそうに撫でた。
私の手に入れられなかった、幸せがそこにはあった。
ーーああ、実際に見てしまうなんて。
息がつまる。鉛の埋まったような重い胸が苦しい。
胸を抑えた手が、酷く冷たくなっていた。
今まで私、どうやってクリストフォロス様の隣にいれたの?どうやってクリストフォロス様の隣で息をしていたの?
そこは、私の場所だった筈なのにーー。
いつの間に部屋に戻ってきたのかは分からない。
様子のおかしい私を、イオアンナも他の侍女達も心配しているのが分かる。顔を覗き込まれ、何か言われているのも分かる。労わるように優しく身体に触れる彼女達の手も分かる。
でも何を言っているか、全く頭に入ってこない。
視界が霞んで揺れる。
ああ、疲れて、しまった。
「エレオノラ様っっ!!」
イオアンナの声が聞こえた気がしたけれど、私は襲ってくる闇にそのまま身を任せた。
流行病の後に風邪を数度かかった。だけれど、治っても体力がどんどん衰えていっていくのを感じる。
分かっている。私もクリストフォロス様も。
私がもうこの先長くない事は。
だから、クリストフォロス様は昼間でも沢山時間を作って私に会いに来てくれるようになった。どんな些細な事も沢山話してくれた。
クリストフォロス様は本当に私を大事にしてくれている。
私もずっと、クリストフォロス様を愛している。愛し続けている。これからも。
それは緩やかに私の首を締め上げる。息をするのも段々と苦しくなってくる、私の身体を蝕むもの。
それでも愛しているのだ。彼以外の人が目に入らない程に。