第12話 愛を捧げたフール
テレンティア様とお茶会をする事になった。本当は輿入れしてきた辺りにやらなければならなかったが、テレンティア様は深窓の令嬢だったらしく、クリストフォロス様のお渡りが毎日あるので昼まで起きてこれないし、私も体調が優れないからと先延ばしになっていただけだったが。
「ようこそおいで下さいました。テレンティア様」
「エレオノラ様、お招き頂きありがとうございます」
庭師が丹精込めて育てた庭園がよく見渡せる一角で、彼女と会うことになった。隣国の王女だった面影か、かつて見た義父である先王陛下の一側室とは比べ物にならない、いい服を着ている。
本当は私がいなければ王妃になれた女性だった。
彼女の立場を考えると、普通の一側室と同等には扱えないのだろう。
以前はあまりよく見ていなかったが、こことは違った異国の血が流れていると分かる私達よりも更に彫りの深い顔立ちで、出ている所は出て、引き締まっている所は細い身体付きをしている。
波打つたっぷりと量のある黒髪は、彼女の褐色がかった肌と紅色の猫目に似合っていた。
非常に妖艶な雰囲気の美女で、気怠そうにしている姿が益々彼女の魅力を掻き立てている。
私とは大違いだな、と自然と思った。
「テレンティア様。こちらの生活はどうですか?隣国とは文化が違うと耳にしましたわ。慣れないことが多いでしょう?」
「ええ……、最初は戸惑いましたが、クリストフォロス様もクリストフォロス様が付けて下さった侍女達も、とても良くしてくれているので過ごしやすいです」
妖艶な外見とは裏腹に初心な少女のような、はにかんだ笑みをテレンティア様はみせた。
みんながクリストフォロス様を陛下と呼んでいたから、テレンティア様が私と同じように彼をクリストフォロス様と呼ぶことにほんの少しだけ胸が痛んだ。
「それならば良かったです。クリストフォロス様はとてもお優しい方ですから、テレンティア様が異国で大変な思いをしないようにとお心を砕いて下さったのでしょう。私もテレンティア様と同じくクリストフォロス様の妻。何かあればいつでも相談に乗りますわ」
……なんて、私、本当にそう思ってるの?
貼り付けた笑顔の下で、自分に問いかける。
嫌だわ。嫌。私きっと、醜い女みたいになっている。
「ありがとうございます。エレオノラ様。侍女達も心を砕いてくれているのですけれど、やはり心細い時があって……、エレオノラ様がそう仰って下さるだけで感無量です」
「大袈裟ですよ、テレンティア様」
「ふふ。エレオノラ様、仲良くして下さると嬉しいです」
「こちらこそですわ」
純粋な笑みを浮かべるテレンティア様に私も微笑み返す。
口から出る言葉が、妙に滑るように私の頭の中に入ってこなかった。
出してある茶菓子にテレンティア様は手を伸ばす。
テレンティア様は一口そのお菓子を食べてから、顔を青くして口元を抑えた。
「テレンティア様?!」
「申し訳ございません。折角のエレオノラ様とのお茶会なのですけれど、少し疲れが溜まっていまして……」
「あら……、それはこちらこそ申し訳ないことを致しました。言って下さればよかったのに……」
「いえ、毎日の事ですから仕方ありません。あの……その、あまり声を大きくして出来ないお話なのですけれど、クリストフォロス様が夜遅くまで寝かせてくれなくて……」
頬を赤らめ、恥じらいながら話しだすテレンティア様の言葉にその場の空気がほんの少しだけ変わった。
テレンティア様が気付いているのかいないのかは分からない。純粋無垢な少女のように閨での話をしようとするテレンティア様に敵意を向け、空気の変化を起こしたのは私の侍女達だろう。
「そ、そうですか……」
「ええ、エレオノラ様。エレオノラ様は私が嫁いでくる前はどうだったのですか?毎晩お辛くは無かったのですか?」
身体を壊してしまってからそういう事はない。クリストフォロス様は壊れ物を扱うように、私に恐る恐る接するようになった。
私が傷付くのを怖がっているような顔をして。
「いえ……、私は毎晩ではないので……」
代わりに結婚当初の事をしどろもどろに話すと、テレンティア様はびっくりしたように目を丸くした。
「まあ!エレオノラ様は毎日求められることはなかったのですね!でもエレオノラ様はとても華奢でいらっしゃいますし、クリストフォロス様もきっと怖々だったのかもしれまさんね」
「さ、さあ……どうかしらね……」
「私にも手加減して下されれば嬉しいのですが……」
「それは……クリストフォロス様にお願いするしかないですわ」
「お願いしているのですけれど、クリストフォロス様が聞き入れてくださらないんですもの」
少し拗ねたように口を尖らせるテレンティア様を、直視する事が出来なかった。こんなに生々しくそんな話を聞かされることになるなんて。
彼女を睨んでしまいそうな自分が、怖かった。
「エレオノラ様、どうかなさいましたか?」
こてんと首を傾げたテレンティア様が不思議そうに私の名前を呼ぶ。
私は折れそうになる心に気付かなかったフリをして、微笑みを作った。
「何もありませんわ。そうですね……私からクリストフォロス様にも少し言っておきますわね」
「ありがとうございます!エレオノラ様」
嬉しそうにニコニコ笑うテレンティア様が懐妊したと聞かされたのは、それからすぐ後の事だった。
お茶会の時に予感はあったのだ。
テレンティア様が気怠そうにしていたのも、茶菓子に気分を悪くしていたのも。全部そのせいだろう。
日が高く登る前に、その知らせを持ってきてくれたイオアンナが、気を遣っていつも明るく振舞ってくれる筈なのに心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「エレオノラ様?大丈夫ですか?」
「……イオアンナ?どうしてそんなことを?クリストフォロス様に待望の御子が出来るのよ?女児でも男児でもとても喜ばしい事だわ」
「ええ……ですが、エレオノラ様……」
イオアンナはその青い瞳に心配そうな色を宿して私を見る。
「どうしたの?イオアンナ」
「エレオノラ様、お顔色がとても悪いです。今日は横になった方がよろしいかと」
「そう?まだ起きたばかりなのだけれど……」
「いいえ!寝た方がいいです!陛下にもお伝えしておきます」
「駄目よ」
握り拳を作って主張するイオアンナに、私はもう一度駄目よ、と言葉を重ねた。
「イオアンナの言う通り、横になるわ。でも、こんなおめでたい事のすぐにクリストフォロス様のお心を煩わせる訳にはいかないわ」
イオアンナにも多分分からないのだろう。政略結婚が当たり前のこの時代で、子供も産まずに王妃である私がおかしいのだ。それだけクリストフォロス様に愛されているという証なのである。
だから私は、王妃として堂々とおめでたいと祝うべきなのだ。
でも、クリストフォロス様の御子を宿したテレンティア様を見て、そんな事は到底言えそうになかった。
寝台に入った私はイオアンナが部屋から出ていく音を聞いて、自分を守るように丸まる。途端に訪れてくる微睡みに任せてゆっくりと瞳を閉じながら思った。
ああ、やっぱり少しだけ、疲れてしまったわ。