電車
ふと、電車に乗り、空いている座席に腰を下ろしてぼうっとしていると、隣に小学生の男の子が座って本を読み始めた。
その男の子の父親がつり革に手をかけて、本を読む息子の前に立っている。
私は、小学生の男の子がどんな本を読んでいるのか気になり、ちょっと隣に目をやってみた。男の子が読んでいるページには、「テコの原理」とある。私は思わずそのページを凝視してしまった。
好き好んでテコの原理を勉強する小学生など、この世にいるのだろうか。小学生なんて、世界で一番勉強が嫌いな生き物ではないのか。
しかし、男の子は、嫌々という感じではなく、むしろ貪るようにその本、おそらくは、物理の参考書を読んでいる。
もしや、かなり厳しく躾けられていて、目の前に父親がいるから良い子のふりをしなくてはならないのではないか。
私は、そんなことを勘ぐった。
眼鏡をかけた大学病院の院長のような男性が頭の中に浮かんだ。
かわいそうな男の子。
きっと本当は、漫画を読みたいに違いない。けれど、大学教授の息子ともなれば、良い学校に通うのは当然のこと。小学生のうちから名門中学に入るための試験勉強に明け暮れ、喉から手が出るほどやりたいゲームや、塾の時間が来ても本当はやめたくない友達とのサッカー、買うと怒られるのでコンビニで立ち読みする漫画、その他諸々の子供らしい欲求を我慢させられているのだろう。そう思うと、子供もなかなか楽な身分ではない。
しかし、その親の元に生まれたこの子の将来は約束されたも同然である。裕福な家庭の別次元の子供が、そういう星の下に生まれてこなかった私の目には奇妙に映るだけかもしれない。
そんな子供が電車の中で熱心に参考書を読む姿は、私の中に一種の諦めと劣等感を生じさせた。
とはいえ、やはりこの少年が哀れに思われることに違いはない。
せめて、漫画で学ぶ日本史などの面白味のある本を読ませてやれば良いのに。
子供がのびのびと育つことを望まず、楽しみを奪う親とはどんな親だろう。
私は、顔を上げてその大学教授の顔をそれとなく盗み見た。
えっ
私は、心の中で声を上げた。
その人は、眼鏡をかけた気難しそうな大学教授ではなく、ただの優しそうな父親だった。
想像とはまるで違っていた。
ジーンズにTシャツ、スニーカーという出立ちで、息子のキャップ帽を鞄の紐にくくりつけている。走り回る小学生の息子について行くために身軽な格好をしているのだろう。
彼の視線は、ほとんど息子越しの窓外の景色に向けられていて、たまにチラリと息子へと移ったりした。何か考えているというよりは、何も考えずに、時々何か、おそらくは仕事のことか何かを思い出しているようだ。
しかし、息子を見るときのその眼差しの柔らかさは、彼以外のものがその子の親であることはあり得ないと、周囲の人間に伝えていた。
少なくとも、教科書を読むことを強制したり、漫画を禁止したりするような父親ではなく、公園で息子と野球をして、帰りにジュースを買ってあげるような、そんな父親に、私には見えた。
視線を父親の足下に移しながら、悟った。
男の子は、「テコの原理」を学ばされていたのではない。
自ら好んで学んでいたのだ。
その時、私の中になんとも言えない嫉妬のような、悔しさのような、敗北感にも似た感情が渦巻いた。
さっきまで彼のことを哀れんでいた自分を思うと、顔から火が出る思いがする。
少年のそれは、フリではなく、それこそ子供らしい純粋な好奇心だったのだ。
自分自身の不甲斐なさと醜さである。
虚しかった。
男の子の本のページは、「おもりの仕組み」に変わった。本に入り込みそうなほど、食い入るように文章を読んでいる。
「ユウタ」
父親が小さな声で囁いた。
「うん」
男の子は、参考書から顔を上げずに、もう分かっている、というように声だけを出した。
「あと二駅だよ」
父親は、息子の読者を邪魔しないよう、あと少しで降りることをそれとなく伝える。
「うん、二駅」
男の子は自分に言い聞かせるようにそう言うと、一瞬停車駅の書かれたパネルの方に目を向けたが、すぐにまた「おもりの仕組み」のページへと視線を戻した。
父親は、そんな息子の様子を当然のように眺めていた。