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救済窓口、こちらです

「大丈夫? おかあさん」

「だ、大丈夫。私は大丈夫だけど」


 私のカモが無事でない。

 八重子は足元に転がる冒険者に視線を落とした。

 

「クロウ、突然どうしたの。この人が、何か危ないことをしそうだった?」


 あっという間の出来事だった。

 彼が八重子の手を取ると、背後にクロウが現れて、首にすとんと手刀を落とした。

 体を損ねるような重い音はしなかったが、一瞬にして男の意識は刈り取られた。前のめりに倒れる男はそのまま床に転がされ、彼がいた場所にちょこんとクロウが座った。


 大きな目を潤ませて、可愛い子供は心配そうに八重子を見上げている。華奢な腕を揃えて膝の上に置く姿は天使のように愛らしい。


 スマホがあれば! と嘆く八重子に、クロウはさらりと言った。


「おかあさんの手を触ったから」

「んん?」

「おかあさんの手を触る男がいたら、悪いやつかもしれないって、エドガーが」

「いやいや、坊ちゃん、違うでしょ。俺は『腕を掴んで連れて行こうとしている奴がいたら』って言ったでしょ」


 顔の前でぶんぶんと手を振りながら男が現れる。

 慌てて弁明しているように見えるが、見えるだけだ。そういう男だ。

 

「エドガー、クロウに変なことを教えないで」

「冒険者を一瞬で仕留める実力があるんだから、有効に使った方が良いと思って」


 エドガーはクロウが倒した冒険者の体を起こし、顔を見て「うっわ」と子供のような声を上げた。


「この男、知ってる。Cランクの冒険者だよ。油断していたんだろうけど、このレベルの冒険者をあっさり倒すってさぁ」

「Cランク!?」


 商談を持ちかけておいて何だが、八重子はかなり怪しかった。

 にも関わらず、男はずっしりと重い財布をポンと渡してきたのだ。

 何でも良いから早く話を教えて、と言わんばかりの姿は、好奇心いっぱいの子供そのもの。寝物語をねだるクロウよりも子供っぽかった。


 肝心の話は、どちらも途中である。


 救済窓口の話。

 それから、神官達が命を削る大魔法の話。


「人気の冒険者だよ。彼の腕前に惚れ込んで、家宝の剣を贈った貴族がいる。魔法の腕前も、剣士にしたら悪くない。人当たりも良いし、見た目も良い」


 男の髪を一房掴んで、エドガーが言う。

 陽光を受けて輝く金髪と、雲ひとつない青空の瞳は、精霊に愛される色彩だ。

 そういう、エドガーも似たような見た目をしている。もっとも、彼は自身の手入れに余念がなく、男よりも大分毛並みが良い。


「それから、困ってる人を放っておけない性質みたいでね。無償で依頼を受けることもあるらしい」


 上品に、皮肉げにエドガーは笑った。


「助けて貰った方は言うんだ。もしも勇者様がおわすなら、こんな方じゃないかしら、とね」

「その人をこっちに寄越して」


 八重子はエドガーから男を奪い取った。

 男の体はずっしりと重いが、エドガーに持たせたままだと、何をするか分からない。


 ――これだから、神殿の人間は!


「どう思います、勇者様?」

「人助けは良いことでしょ」


 救済窓口の情報を売って、さっさと別れるべきだった。男の食いつきが良くて、ついつい欲をかいてしまった。


 言ってしまえば、簡単な話なのだ。


 未だ姿を見せない魔王に、早く来てもらって、倒されて欲しい。

 魔法の続いている内であれば、絶対勝てる自信がある。

 だから神殿は、魔王が現れたらすぐに分かるよう、幾重にも網を張っている。魔法使いが探知を、占術師が予知を、絶え間なく行っている。


 けれど魔王は現れない。


 ――もしかしたら、予兆はもっと、有象無象に紛れているのではないか? 


 そう考えた神殿のお偉方によって作られたのが、救済窓口だった。


 探知にも予知にもかかない、人々が思う魔王らしさが欠片もない、けれど何だかそれっぽい問題に対応するのが救済窓口の仕事である。

 

 一応、魔王に関わる仕事なので、重職が充てられている。例えば、そう、勇者とか。 


「私の仕事よりよっぽど人の助けになってると思うけど」

「勇者の働きは世界を救う光だよ。冒険者風情の偽善と比べられるものじゃない。……とはいえ、仕事は選んで欲しいんですけど? 今日は何してたのかなぁ、もう。小遣い稼ぎなんてしなくても」

「お金は大事」


 勇者は魔王を倒し、邪悪を退け、大地に喜びを取り戻すもの。

 神殿にとって、世界を救う運命にある勇者は、創世神のもたらした光の化身だ。

 これより尊い人はいない。そう、決まっている。


 この世界に喚ばれるまで、八重子は日本でのんびりと学生をしていたのに。


(貯めるでしょ、お金)


 八重子は勇者なんて大層なものではないのだから。

 いざというとき、困らないように。


「私のいた国で、貯金は美徳だったの。一億円を手に入れても、真っ先に貯金を考えるのが日本人だよ」

「変わってるって言われない?」

「日本人なら普通」

 

 八重子は先に受け取った銀貨30枚を男の財布にしまい、彼の懐に押し込んだ。


「どうして戻すの?」


 クロウが不思議そうに尋ねてくる。


「情報をちゃんと売る前に、気絶しちゃったからだよ、クロウ。この人は私のお客さんで、悪い人じゃなかったの。エドガーの言うことを真に受けちゃだめ」

「エドガーの言うことは守らない方が良い? 全部?」


 その一言で気付く。エドガーはクロウの教師役だ。


「あー、勉強教えて貰ってるんだもんね。そうだった。えっと、今回のことはナシってことにしよ?」

「おかあさんの手を取っても良いの?」

「良いよ。駄目なときは、クロウにも分かりやすいように、私が駄目って言う」

「ん」


 こくりと頷き、クロウは「ごめんなさい」と謝った。


「おかあさんのお仕事の邪魔をしちゃった」

「私のことは良いよ。お金はまた稼げば良いからね。それより、危ないことはしないようにしようね」

「あぶない……?」


 何が危ないのか全く分かっていない口調だ。

 ほら見たことかと笑うエドガーを睨み付け、八重子は言葉を選ぶ。


「クロウも、相手も、痛い思いをしないようにしよう」

「うん」


 クロウは素直な子供だ。

 素直すぎて、疑うことを知らない。


「エドガー、他に妙なことを教えてないよね」

「妙なことって?」


 八重子は少し悩んだ。エドガーがこっそりと、クロウに教え込んでいそうなことといえば。


「……王族よりも神官を尊ぶべきだ、とか」

「それは常識の範囲でしょ」

「教えたの!?」

「俺にとっては当然のことだけど、勇者様は神殿を嫌ってるから、教えてない。教義を教えても良い?」

「絶対に駄目。エドガーじゃなくて、世間一般の常識を教えて」


 八重子が教えてやることができれば一番良いのだが、彼女は異世界から喚ばれた日本人だ。こちらの世界について、知らないことの方が多い。

 それに比べてエドガーは博識だった。


「クロウは目立つから、面倒に巻き込まれた時の逃げ方も教えてね」

「逃げ方ねぇ。……あっ」

「エドガー? なに、その反応」

「いや、えーっと。あの、坊ちゃんには冗談のつもりで教えたの。悪気はなかったのよ」

「うちの子に何を教えたの」

「こわい」

 

 やはり、教師は変えた方が良いのかもしれない。

 エドガーはクロウに、ろくでもないことを教えていた。


「女性に迫られた時の、かわし方」

「あると思うよ、あの見た目だもの」


 出会った時は痩せ衰え、幽鬼のようだった。水気のない肌は触ると指の腹に引っかかり、ざらざらとしていた。

 それが今や、年相応に瑞々しく、透き通って美しい。つんと通った少年らしい鼻筋に、赤い唇。大きな金色の目でひたむきに見つめられると、何でもしてやりたくなる。


 保護者の欲目を抜きにしても、絵に描かれたような美少年である。


「だからって、それはないでしょ。キスをしたら相手はうっとりするから、その隙に逃げろって?」

「俺はこれで大体どうにかなったけどなぁ」

「クロウ、今度からは別の人に先生をお願いするから」

「うん、いいよ」

 

 エドガー以外に教師を頼むとなると出費だが、可愛いクロウの健やかな成長のためだ。仕方ない。


「あと、キスのことも忘れて。それはね、女性に迫られたからって、ほいほいするものじゃないから」

「そうなの? じゃあ、どんなときにするの」

「クロウに好きな人ができたら、その人とするの」

「じゃあ、おかあさんだ」


 言うと、クロウは体を伸ばした。

 天使のような顔が近付いて、あっという間に、つやつやの唇と八重子のそれがくっついてしまう。


「……あ、あの、あの、くろ、クロウ」


 ちゅ、ちゅ、と柔らかな唇が触れて、離れる。

 色気など欠片もない、邪心もない、好意を伝えるための純粋な触れ合いだ。

 それが分かっていても、唇という特別な場所への接触に、顔が赤らんでいく。

 頬が熱くなり、上手く息を吸えない。


 ――はじめての、


 ちゅ、とさらにもうひとつ。


「すと、ストーップ! 待って! おかあさん説明が足りなかった! ごめん、聞いて!!」

「ん」

「唇のキスは! 恋人用なの!! 親子のキスは頬とか、ね!? く、唇以外にするんだよ」

「こいびと?」

「恋人ぉ…恋人、そ、その説明はまた今度にしよう。クロウにはまだ早いよ」


 クロウくらいの年齢には既に、恋人が何を指すのか八重子は知っていたが、上手く説明するには経験が足りない。


 火照った頬をおさえて唸る。

 笑い転げるエドガーが、殴りたいほど忌々しい。


(こんなことも教えないと駄目なんだ)

 

 日本なら、恋も、愛もありふれていた。それがどんなものか人に聞くまでもなく、映像で、書面で知ることが出来た。たくさんある中から、どうやらこれがそうらしい、と決めることが容易にできた。


 お気に入りの漫画に、小説。見たいと思っていた映画。

 ちょっとしたことを呼び水にして、残してきたものが次々と思い出される。


 お父さん、お母さん。生意気だけど、可愛かった兄弟たち。

 今頃はどうしているだろう?


「魔王が出たの、どうしよう!」


 どこまでも沈んでいきそうな八重子の意識を引き上げたのは、幼い子供の声だった。


「魔王?」


 大人の合間を縫って真っ直ぐに、ギルドの掲示板へと向かっていく。

 レースのたっぷり使われた、上等な子供服は、冒険者の集まるギルドで一際目立った。

 けれどそれよりも、女の子の口にした単語がエドガーの注意を引く。



「聞きましたか、勇者様。魔王が出たと」



 エドガーは気絶した冒険者に魔法をかけて椅子に座らせ、八重子の張った結界を消した。

 満面の笑みだ。小さな子供の言うことを真に受けて、疑いもしない。いや、どんな内容であっても、勇者が関われば巡り巡って素晴らしい結果に繋がると信じている。

 

 八重子は苦々しく思いながらも立ち上がり、右往左往する少女の元へと向かう。

 



「救済窓口の者ですけど、何かお困りですか?」


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