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廃嘘学  作者: 道端隆
二章
8/8

壁の息吹

蜻蛉とんぼはもう、一時間も瓦礫の上に座りっぱなしだった。

彼も廃墟のキオクとはいえ、体はまだ十かそこらの少年だ。こうも待ちぼうけを食らったのでは、いい加減に気疲れしてしまう。

「ねー、財前ざいぜん先生」

そう、宙に浮かせた足を所在無げにぱたぱたと動かしながら、至極つまらなさそうに、間延びさせた声で、あるじである財前渉ざいぜんあゆむの名を呼んでみた。

「いつまで道草食ってんのさ?_一番乗りしたのに、このままじゃあ、あのクロって子、他の奴らに取られちゃうよ」

こんな分かりきったこと。なんで僕の方が言わなければいけないのか。面白くないな、と、蜻蛉は頬杖をつきながら考える。


ここは、海沿いの街を突っ切った先の行き止まり、巨大な壁の根元だ。砂吹く地面に突如として現れ、見上げれば眩暈を起こしそうな高みまで伸び、すっぽりと空を覆い尽くす巨大な人工物。目の前にあるその片鱗に、財前先生が夢中になるのも、分からなくはない。僕だって勝手に冒険していいと言われれば、一番にここに飛んでくるだろう。

でも、蜻蛉たちは、そんな事のために、法学区から遠路はるばるやってきたわけでない。自分たちがすべきは、ひと月前に法学区より逃げ出した、クロと名付けられた一つのキオクの追跡、及びその捕縛である。

そんなこと、彼のあるじである財前だって分かっているはずなのだが、当の財前は、そんな当然の忠告に振り向きもしない。

「そうだな」

と生返事を返すだけで、相変わらず、書類の束を鷲塚んだまま、壁を舐めるように観察して、何かをぶつぶつとつぶやいている。

「……そうだなって」

蜻蛉は呆れて、次の言葉を失った。

蜻蛉の問いかけは、これから自分たちがすべきことの確認のはずなのに。それを、まるで催促するなとでも言いたげにあしらうとは。

もう彼は、誰になんと言われようが、ここから動く気はないのだ。長い付き合いの蜻蛉には、それが嫌という程分かった。

「はーあ、なんのためにこんなとこまで出てきたんだか」

知ーらない。もうどうにでもなれと、蜻蛉は捨て鉢になって、瓦礫の上に寝っ転がった。

「お前はどうだ?_蜻蛉」

だが、独り言のはずだった蜻蛉の言葉に、なぜか財前が反応してきた。蜻蛉は驚き上半身を起こす。

「えぇ?_僕?」

「そうだ。手段には目的が必要だ。お前はあのキオクを手に入れて、どうしたい?」

財前は、ここに来て初めて蜻蛉の方を振り返っていた。痩せぎすの体に、少し縁の黄ばんだ白装束。痩せこけ窪んだ面の皮に、飛び出そうな目玉をぎょろつかせ、蜻蛉の返答を待っている。

蜻蛉は、まるで試されるような質問返しに苛立って、前のめりに財前を睨みつけた。

「潮風に頭をやられましたか?_あの子が海に行けば大事になるって、大騒ぎしてたのはあんたら人間じゃん」

「私はしていない」

蜻蛉の言葉を遮るように、財前はぴしゃりと言い放つ。

「一つ間違えれば我々を滅ぼしかねん悪魔など、さっさと殺しておけば良かったのさ。後生大事に五年も牢にしまっておくから、こういう事になる」

「ーー怖いこと言うなぁ。そりゃ流石に無茶苦茶だよ」

財前は大人のくせに、こういう子供のような事を平気で口にする。蜻蛉はすっかり毒気を抜かれて、瓦礫の上に座りなおし、再び頬杖をついた。

「それでも、あの子の持ってる技術は失えない。だって、今も廃墟の中で眠ったままの、たくさんの技術の鍵になるんだ。僕だって、頭は良くないけど、それくらいは分かる」

蜻蛉は、暗に財前の物言いをたしなめたつもりだった。だがそれは、ただのやぶ蛇しかならなかった。

「その通りだ!」

なにが彼の琴線に触れたのか、財前は急に大声を張り上げる。

「よく分かっているじゃないか。奴らだってそうなのだよ!_海すら言い訳に使って、真っ先にあのキオクを取り戻そうとしているのだ。なぜか?_その手柄があれば、あのキオクに対する発言権が増すのは間違いないからだ。その先にあるのは、成果、名誉、地位。つまりは私利私欲だよ!_なにが世界平和だ。腹の探り合いの道具にしちゃあ綺麗な言葉じゃないか!」

「ーー先生って、愚痴になるとよく喋るよね」

蜻蛉は、冷めた目をして、財前をわざとらしく見下して見せた。

「ふん」

それでやっと財前は、……といういうか結局、再び壁の方に注意を戻してしまう。

「心配するな。確かにあれが海に行くことは問題だが、俺たちまで馬鹿どもの尻拭いに付き合う必要はない。お前以外のキオクも来ているのだ。ここまで追い詰めれば、連中だけでどうとでもなる」

「……じゃ、先生は何が目的でここに来たのさ?」

「世界平和だ」

「ーーあはは」

笑うところだと思って、蜻蛉は乾いた笑で相槌をうった。だが、

「私は真面目だよ」

珍しい事もあるものだ。財前が拗ねたようにそう言ったのだ。世界平和なんて、全く掴みどころのない言葉を、彼は本気で口にしていた。蜻蛉はそれこそ変な顔をして、こっちに来いと手招きしている財前を見ていた。ものすごく嫌な予感がした。

だが、歩み寄った先、財前の陰に隠れていた壁の一部に、一目でわかる異常を見つけ、蜻蛉は言葉を失った。

「ーーこれって」

そこには、ぼんやりと淡い蛍光色の光を放ち、壁面から浮き出るように並ぶ文字列があった。まるで見るものを誘うように、生き物じみた不規則な明暗みゃくどうを繰り返している。なにを示しているかもわからないのに、思わず手を触れたくなるような、不思議な魅力で見るものを誘う。

蜻蛉の息を飲む音に、財前は満足げに頷いた。

「そうだ、生きている。話に聞いたとおりだ。ここはまだ、キオクの発掘がなされていない」

「でも、生きているって?_これって壁だろ?_それじゃまるで機械じゃないか」

蜻蛉だって見たことがある。機械とはひとりでに動く遺跡のことで、財前が言うように、生きている、とも評される。だが、それは、見た目に動くことを予感させる作り、大きさをしているものだ。こんな、どう見ても、ただの壁の、それもこれほどの巨大なものが、機械うごくものだというのか?

「確かに見た目は壁だ。何かから人を守るために作られたのは間違いない」

「じゃあどうして?」

蜻蛉の問いに、財前は、まるで自分の成果を誇示するかのように、壁を背後に大きく両手を広げて見せた。

「見ろ、蜻蛉、この有様を。人を守るという役割を、この壁は全うできたと思うか?」

蜻蛉は、財前の問いを図りかねて首を傾げた。だが、言われた通り再び壁の方を振り仰げば、そこには確かに、決して荘厳なだけではない現実がある。

抜け殻のように、随所が砕かれた球面。守るべきものを失った空っぽの中身。この地に建造されたというよりは、まるでどこかから飛んできて突き刺さったかのように、地平に対し斜めに走る継ぎ目。

そうだ、財前の言葉はきっと間違っていない。それらは潮風に蝕まれて起こる腐敗とは違う。かつてこの壁が受け止めたのは、想像もし難いほどの暴力だ。

「哀れな姿だ。結局人は敗れたのだよ。これだけのものを創造しても勝てなかった相手と、人は相対したのだ」

「ーーそれって海のこと?」

「さぁな、相手が何かということは、今は些末な問題でしかない」

言いながら、財前は砂埃にまみれた壁面を指先でなぞる。

「だが、これだけは確かなのだ。勝ち得ぬ敵から身を守るため、この殻に人は全力を注いだはずだ。それが、ただの壁であると思うか?」

蜻蛉は思案し、わずかの後、顔を苦虫を噛み潰したように歪ませる。その顔を見てか、財前は我が意を得たり、と、にやり、口角を釣り上げて見せた。

「そうだ、ここには人が全てを失う前の、粋が集めれているに違いない」

勝ち誇ったような財前の笑み。それを見て、蜻蛉の胸中に、濃い不信感が渦を巻く。

確かに財前の言う通りだ。人がなにに敗れたかを突き詰めても多分仕方がない。でも、どうして敗れたのか、そもそも、どうしてこんなことになったのか、偲ぶのは大切なことのはずだ。

きっと人は何かを間違ったのだ。でも財前は、そんな失敗の目を覚まさせようとしている。果たしてそれは正しいことか。

蜻蛉は再び壁を見上げた。これは、故人が最後に残してくれた教訓だ。今を生きる人だって、なにを知らずとも、それを察して生きてきたはずなのに。でも、その戒めも、この壁と同じように風化しはじめているのかもしれない。


その時だった。

(あれはーー?)

蜻蛉は、壁の一部に見つけた異変に目を細めた。まさかと思ったが、やがてその違和感は確信に変わる。どんな運命のいたずだろう。蜻蛉はわずかの間考えて、再び財前の方に視線を戻した。

「ーーこの壁、どんな風に動くんだろうね」

蜻蛉は不意に聴きたくなった。

財前が、彼の言う世界平和なんてもののために、どんなふうにこの壁を使うつもりなのか。だが、その問いかけに、一瞬、財前の動きが止まった。

「どうしたの?_この壁を使うために、クロをほっぽってここに来たんでしょ?」

「……すぐには無理だ」

「なんで?」

珍しく歯切れが悪い。蜻蛉は不審に思って、財前と一緒になって、浮かび上がる文字の方をまじまじと観察してみる。

「……なんだよこれ、なにも出来てないじゃん。一時間もなにやってたわけ?」

そう、わざとらしく呆れてみせると、財前は秒速で反応した。

「お前、これが分かるのか!?」

やっぱりか。

蜻蛉は、質問には答えず、財前の方をじとっと見上げた。

財前は、一瞬怪訝そうに眉を顰めたあと、すぐに、はっ、と口をつぐんだ。どうやら、鎌をかけられたことに気づいたらしい。予感的中だ。

「ーーなるほど、先生もわからないんだ?」

蜻蛉は呆れてため息をつく。

そうだ、今の人間がぶつかっている最大の問題点が、まさにそれなのだ。手が届く、すぐそばにある、過去の人々の作り上げた遺跡の山。それらが、想像もつかない可能性を秘めていることは容易に想像できるのだが、なにせ、その直し方や、そもそも使い方が分からなければどうしようものない。今やどの学区も夢中になっているのが、この遺産からの技術の発掘である。

そして、かのクロという存在こそが、彼女の持つキオクとしての技術のゆえに、発掘の万能の鍵として期待されているのだ。

「なんだよ、結局、あの子がいなきゃだめなんじゃないか。殺してしまえなんて、よく言うよ」

財前を睨み上げてやると、彼はふい、と目を背けた。

「物事には優先順位というものがあるのだ。私の目的はこの壁だ。_それに対して、あのキオクはあくまで手段。手段を手に入れるのは、目的を確認した後だ」

「……あー、はいはい。わかりましたよ」

これ以上やったら喧嘩になるかな。蜻蛉は降参、と小さく両手をあげてみせる。

まぁ、いっか。最終的には、先生を、『法学の学者としてやるべき方向』へ修正できたわけだし。

そして何より、財前先生だって、ちゃんとクロが必要なのだということがわかったのだ。

それならもう、迷うこともなくていい。

蜻蛉は、もやもやした頭の中のものを溶かし流すように、ふぅと深呼吸、息を吐き出してから、再び壁を見上げた。

「ねぇ、先生はさ、神様って信じる?」

「……急にどうした?」

「僕はさぁ、信じてるんだ。お日様も、この世界も、人間も、……海だって、神様が作ってくれたものならいいのにって思ってる」

蜻蛉の言葉に、財前はぽかんと口を開けていた。

「かわいいところがあるじゃないか」

「ーー馬鹿にしてるよね?」

「当たり前だ。現実逃避を褒める気にはならん。大体、目に見えないものをなぜ信じる?_お前の言う、神とはなんだ?」

「うーん。……運命かな。_ほら、人ってよく間違えるから、いつも失敗したり、壁にぶつかったりするんだよ。でも、正しいことをしているとき、物事はきっと面白いように上手く運ぶんだ。まるで手を差し伸べられてるみたいに。それが、僕の信じる神様だよ」

蜻蛉は、そう、夢を語るにはふさわしくない、困ったような笑みを浮かべながら、背中に背負っていた麻袋を手に取った。その中から取り出されたのは、二対の得物。少年はそれを、曲芸のように二振りする。その所作で、二本はからくり細工のように、一振りの薙に組み上がった。間際、こぉん、と静寂を裂く水音のような、澄んだ音がした。

「ごめんね、先生。僕には先生がやろうとしていることが、正しいことなのか、わからないんだ」

「……けしからん話だ」

「そうだね。でも、信じることにするよ。だって、神様がそこにいるんだ」

蜻蛉の目に、もう迷いの色はない。

「ーーそうだ、クロがそこにいる。先生、どうしようか?」

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