海沿いの町
馬車の荷台から降り立つと、そこはついに、少女の目指した街のただ中だった
「わぁ」
目に飛び込んできた、鮮やかな色たちに、思わず、感嘆の吐息が漏れた
広場を行き交う人々の身なり、様々な布地に飾られた遺跡の窓、周囲を取り囲む露天商の賑やかな声
ここは辺境、海沿いの街、さまざまな学区から流れてきた人が集うのだという
文化の混ざり合った、統一感のない、ある意味では混沌としたさま
だが、少女にはその自由さが、なによりも眩しく映ったのだ
体が芯から軽く、宙を浮くような、不思議な感じがする
視界の上半分を覆う、砂埃にまみれた外套が野暮ったい
直ぐにでも取っ払って、この不思議で鮮やかな空気を、胸いっぱいに吸い込みたい衝動に駆られたが、
「嬢ちゃん、お金」
とんとんと、肩を叩かれ、少女は、はっと我に帰った
「あっ、ごめんなさい」
なにかに夢中になると、すぐ他事を忘れてしまう。悪い癖だ
ごそごそと外套の中に手を突っ込むと、麻袋から準備していた硬貨を取り出し
馬主の差し出した大きな手のひらに、それを渡す
「ありがとうございました」
「……おう」
男は受け取った枚数を確かめると、それを仕舞いながら尋ねる
「しかし、本当にここで良かったのか?_これから工学区にだっていくんだぜ」
「はい、3日間、お世話になりました」
そういって、深々と頭を下げる
とたん、背負っていた鞄が逆さをむいて、中身がばらばらと地面に落ちる
「あああー」
またやってしまった
少女は、散らばった本やら、鉛筆やらを慌ててかき集める
男は、酒場で出会ったときと全く同じ失敗をやってのけた少女に大笑いした
「そうか、ま、深くは聞かんさ。ここは柄の悪い連中も多い、気をつけなよ」
そういうと、男は馬車の方に戻り、手綱を引いた
「三日後またここを通る。足が必要なら、またその芸をやってくれたらいいさ」
そうして、がらがらと、いつのまにか聞きなれてしまった車輪の音が遠ざかっていく
少女はそれを、どうしても寂しく感じながら
それでも、断ち切るように、もう一度深くお辞儀をすると、
鞄を背負いなおして、きょろきょろと目配せする
「……なに食べよっかなぁ」
別ればな、もうすっかり注意が露店の方に向かっているのは、我ながら残念な性格だとは思う
言い訳をするなら、ここ暫く、食べていたのはごく僅かの糒程度
途中、馬車の主が、暖かい食べ物を勧めてくれたこともあったが
余計な親切を貰ってはと、意地を張って、断っていたのだ
少女は、雑踏の隙間に見え隠れする品揃えを、
背伸びしたり、時々ぴょんぴょんと飛び上がりながら、
好きな橙色を見つけて近寄ってみたり、
あ、かわいい、と何に使うかも分からないような小物にふらふら目移りをして、
でも結局のところは、匂いにつられて一つの露店にたどり着く
暖かそうに立ち上る蒸気に包まれて、気もそぞろだ
いつもなら躊躇する値札も、今の彼女にとっては大した障壁ではない
「おいひいー」
受け取って、抜け出た列のすぐ脇で、
ほかほかと甘い香りの立ちのぼる口元をうずめ、幸せにいっぱいほほを緩ませる
白のふんわりと蒸し上げられた生地の中に、甘く味付けされたとうもろこしが入っていた
牢の中で読んだ本の中に書かれていた饅頭を思い出しながら、ぺろりと平らげてしまう
最後の一口をじっくり咀嚼しながら、
それでも名残惜しく、ひとさし指についた油を舐めとろうとして
「んぐ」
少女は不意の驚愕にのどをつかえさせた
視界の端に、白装束の人影がうつった気がしたのだ
反射的に身を隠した露天の脇から、こっそりと伺い見ると、
やはり、見慣れた格好をした男達数人が、広場の中で立ち話をしている
時々あたりを見渡しており、その内の一人と目が合いそうになって、少女は慌てて頭を引っ込ませた
「……ここに来るって知ってたんだ」
背後の壁で頭を小突き、言い聞かせるようにつぶやく
少女は、思い出したように早打ちはじめた心臓を、外套ごとぎゅっと握りつぶしながら、
再び外套を目深に被りなおし、人ごみの中に溶け込んでいく
ここから先は、誰も足を踏み入れない領域に入っていくのだ
頼れるのは自分の意思だけ。もう、全てが言い訳にしかならない
やっと、ここまで来れたんだ
――海に行くんだ
唇を噛み、人の流れに逆らって歩みを進める先
この街を空ごと覆いつくすように立ちはだかる、半球対の巨大な壁に、少女はまだ気づいていない