さくらんぼ
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春日野市晴海桜ヶ丘中央公園の特設ステージは、まるで季節を先取りしたような熱気に包まれていた。対峙するのはこの二人。
公園西側、市内随一の大通り、萌木通りに面して店を構え、「料理は爆発よっ」が口癖の、その美貌と個性的な創作料理で大人気、リストランテフタバのオーナーシェフ、栴檀双葉。そして、萌木通りから公園沿いに東に伸びる商店街、その背後にひっそりと店を開きながら、涼やかな表情と「料理は芸術だ」という信条がそのまま表れたような繊細な盛り付けで、女性客の人気を一身に集める料理人、さくら食堂の椿大樹。
この町で生まれ育ち、そして互いに研鑽しつつついに己の店まで持つようになった二人。彼らがいまや憎しみの光さえ瞳に宿し、にらみ合っているその発端は、彼らの恩師でもあり、二人が敬愛してやまない皐五月の、ほんの何気ない一言だった。
「どっちの料理がおいしいかしらね」
それが二人の料理人魂に火をつけた。
大都市圏に隣接して大きく発展してきたベッドタウンとはいえ、この桜ヶ丘はすでに人口増加のピークを過ぎ、外食産業全体が斜陽の時代を迎えていた。特に二人の店は歩いてわずか数分の距離に位置し、少ないパイを奪い合っているのだ。ここで相手の下に立つということは、店の存続すら危うくなる。その危機感と、決して誰にも劣るものではないという料理人としての自負が、二人を突き動かした。
まず動いたのは、そのエキセントリックな言動が魅力の一端にもなっている、栴檀双葉。店の看板に桜ヶ丘で一番おいしいと掲げたのだ。それを皮切りに今度はさくら食堂が春日野で一番うまい店の看板をあげ。それから県内一、日本一、地球一、太陽系一、宇宙一。
とうとうフタバの前では「四聖六道で一番おいしい店」、さくら食堂では「無限に広がる平行宇宙で最も安くて美味い店」などという、お客様置いてけぼりのキャッチフレーズが叫ばれる始末。
そして「さくら食堂? ああ、不味いとは言わないけれどね。うちのほうがちょっとだけ美味しいんじゃない?」などと双葉が常連客に漏らした一言が、更なる混沌をもたらした。
それを伝え聞いたさくら食堂の女性客たちが、自慢のネットワークを駆使してリストランテフタバの誹謗中傷を広め始める。それに危機感を覚えたフタバの男性常連客たちがさくら食堂に乗り込んで、まるでヤのつく自由業の方々のように振る舞い、「なんだコリャ、残飯か」などとわめき散らす。
際限なくエスカレートしてゆく争いに危惧を抱いた町内会長が料理勝負を提案する頃には、二つの店はこの十三次元宇宙で一・二を争うほどに不味くてひどい店、という風評が定着しつつあった。
「さあ、時間となりました。どちらも料理を運んでください」
常連客たちが固唾を呑んで見守る中、ついに料理が運ばれてきた。中央のテーブルには、少し困ったような顔をして皐五月が座っていた。優しそうな口元にあいまいな笑みを浮かべたまま、トレイを持って目の前で睨み合っている二人に、交互に目をやる。
「ね、ねえ――」
「何だよ、その泥団子は。なってないな。料理はまず目で食うもんだろ」
「ふんっ。だったらその節穴に、そのねんど細工を詰め込んどいたらいいわ。一口食べて美味いって叫ぶ。そのインパクトが料理の醍醐味でしょう!」
「ねえ、だから先生、二人に仲良くして欲しいんだけど」
そう、弱々しく主張する五月を、二人がきっと睨みつける。
「何言ってるんですかっ。どっちが美味しいのかって聞いたのは、先生のほうじゃないですか」
「そうよ。さっさと判定してください。まあ、食べるまでもないですけど」
「それはこっちのセリフだ」
「だから、大樹ちゃん、双葉ちゃん……」
『さあ、食べてっ』
目の前に「料理」を突き出されて、五月がさらに困ったように身を引いた。
「うーん。じゃあ、いただきます。大樹ちゃんのほうから……もぐもぐ。ああおいしい」
それだけ? 不満そうにそうつぶやいた大樹を鼻で笑って、今度は双葉がトレイを差し出す。
「はい、先生」
「はぁい、いただきます……もぐもぐ、ああおいしい」
えーっ。そう声を挙げた双葉を押しのけて、大樹が訊いた。
「さあ、どっちが美味しかったですか? もちろん」
「あたしのよねっ」
「どっちも美味し――」
『どっち!?』
詰め寄る二人の迫力に、ベンチから落ちそうになる五月。そのとき、公園の入り口から、二人の女が駆け込んできた。
「こらっ。大樹っ。あんたなに先生に迷惑かけてんのっ!」
その声に、大樹の動きが止まった。げ、かーちゃん。
「ふーちゃん。あなた、またそんなに泥だらけになって」
双葉も泣きそうな顔になる。ママァ。
「今日は、晩御飯抜きだからねっ」
「おままごとぐらいで、どうしてあんたはっ」
ごん。大樹の頭に、げんこつが落ちた。
「ねえ、大樹。起きてよ」
身体を揺すられて、大樹は目を開いた。目を開くと真新しいコックコートをまとった双葉がいた。
「あ、ああ。寝ちまったか」
「開店準備で忙しかったからね。でも、もう時間。お客さんが入ったよ」
慌てて大樹は壁の時計を見た。午前十一時。開店は午後二時の予定なのに。
「来てくれてる。先生」
「そうか」
大樹は勢いよく立ち上がると、コック帽を直しながら、双葉に続いて厨房を出た。まだ少し建材の匂いが残る客席には、一人の中年女が腰掛けていた。
「五月先生」
大樹に呼ばれる前から、変わらぬ優しげな表情を浮かべていた女は、さらに相好を崩して立ち上がった。
「開店おめでとう。でも、まさかあなたたちが一緒にお店を開くとは思わなかった」
そう言われて、二人は互いに顔を見合わせた。そして微笑みあう。
「今日は、ちゃんとしたものを食べさせてくれるんでしょうね?」
きついなぁ。そう言って、大樹は顔をおさえてうずくまる。双葉は一瞬顔を赤く染め、それでもはっきりと言い切った。
「もちろん。今度こそ、一口食べて美味しいって叫ばせてみせますから。なんと言っても、料理は――」
「芸術ですから」
立ち上がった大樹がセリフを途中で奪い取り、もう、と双葉に小突かれる。
「はいはい、期待してるわ」
「まかせといて」
「それでは、ビストロ デ シェヌ(さくらんぼ)」
『開店です』