ジャガイモ7変化
新メンバー参入。
あと1人追加予定です。
平日の夕方、いや一般的にはもう夜といっても差し支えない暮れ時。
ぽつりぽつりどころか、電気がついていない家の方が少ない。
今年入社したばかりだというのに、すでに定時では帰れなくなっていた。
定時って何時だっけ?と思うこともしばしばだ。
現場を任せてもらっているので、やることは山積み。
かといって、給与が急増するわけでもなかった。
その現場が上司からの引き継ぎで、ほんの小さい物件だった。
現場1件に対してその分の歩合は基本給に上乗せされているのを明細書で確認した。
基本給だけでないと思うだけよしとしておいた方がいいのだろう。
教育担当の先輩から、まだ下積みの段階で上司の顧客を任されたのだから上出来だ、とお言葉をもらったので、そこそこの信頼を得ていると捉えていいだろう。
仕事を覚えるのは現場に入るのが一番早い、とひとりで放り出されてクレーム寸前までおこして謝罪に走ったのもいい思い出だ。
いつもの帰り道、疲れた足を引きずるように歩いた。
今日も高田先輩は遅いだろうな、と家に食料がないと悟り、コンビニを思い浮かべた。
明るい緑の看板のコンビニにしようか、緑とオレンジの看板のコンビニにしようか、それとも青の看板のコンビニにしようか。
コンビニ激戦区なのか、駅周辺だからかコンビニが多い。
500メートルも離れていない所にあったりもする。
ふと目に留まったところにチェーン店の弁当屋。
最近の弁当屋は使用している食品アレルギー表記はもちろん栄養価を明記してくれている上、美味くて安い日替わり弁当が出ている。
チンする弁当よりできたて弁当のがいいかも、と弁当屋に足を向けた。
その時だった、携帯が鳴ったのは。
会社から支給されたものではなく、個人で使用しているスマートフォンだ。
メールが1通届いている。
待機画面から届いたばかりのメールアイコンをタップし、パスワードを解除して中身を読む。
「げっ」
思わず声が漏れた。
いるはずのない人物からの簡潔なメッセージ。
『ドライ 買ってこい』
結局、弁当屋ではなくコンビニに入った。
弁当も、一人分では絶対に取られるので総菜を多めに買った。
注文のラベルのビール4本も忘れていない。
一応、最低限の買い物だ。
請求しても返金される可能性が低い。
過去何度踏み倒されたか……!
「ただいま帰りましたー」
「おっせーな」
玄関から伸びる廊下の先、居間から顔を出したのは3人目の同居人。
金子先輩と高田先輩の大学同期で自分にとっては先輩にあたる。
1年留年しているので、卒業したのは去年だ。
同居人で一番苦手な人だったりする。
苦手、というか、あからさまにパシリに使ってくるのでめんどくさい。
後輩はパシリ要員ではないと声を大にして言いたい。
「こんばんは、生丸さん」
なんとなくこの人を先輩と呼びたくない。
先輩らしいことは1つもしてもらったことないし、尊敬もしていない。
同居してからもずっと他人行儀に接してきたつもりだ。
子供っぽいことかもしれないが、わずかながらの反抗だった。
「こんな時間まで仕事してんのかよ」
「サラリーマンも大変なんですよ」
「あぁ?サラリーマンじゃねー俺は大変じゃねーっていうのか?」
「ドライバーも大変なお仕事だと思いますよー」
気が向いたら派遣で日雇いドライバーをやっているが、普段はほぼヒモ生活している人は大変じゃないと思うのは気のせいだろうか。
趣味で取ったという大型免許のおかげでそこそこの収入が得られているのだから、なんとなく癪に触る。
いつも複数の女の人の所へ入り浸り、一応部屋が用意されているこの家にあまり帰ってこない。
この家に来ている、ということは仕事をしてきた直後ということだ。
汗臭くて何をするわけでもなく寝るだけなら来るな、と言われたらしい。
見栄か義理か当てつけかは知らないが、毎回律儀に土産を持ってくる意味もあるらしい。
それも途中で寄ったサービスエリアのものばかり。
3ヶ月前の干物は冷凍庫に入れっぱなしだったので、先日高田先輩が焼いて食卓に出していた。
月に2、3度しか顔を見せない人ではあるが、我が物顔で居間を陣取っているのだ。
家主である金子先輩とはどういうわけだか仲が良いので、後輩は口を噤むしかない。
居間に入ると、すでに空き缶が散らばり、テレビの前のローテーブルには空になったつまみが投げっぱなしになっていた。
この分では自分の分はすべて取られてしまいそうだ。
「はい、ビールです」
総菜と自分の分のビールを抜いて袋を手渡す。
「クリアじゃねーだろうな?」
「ちゃんとビールっス」
以前嫌がらせに同じ銘柄の発泡酒を買っていったら蹴られた。
以来そういったことはしていない。
「あとこれ差し入れでーす」
「助かった」
総菜は金子先輩に渡す。
用意した分では足りなかっただろう。
作り足すにしても金子先輩は先日、高田先輩から料理音痴認定を受けたばかりだ。
積極的に作る方ではなかったが前にも増して作らなくなった、と思う。
食材を無駄にしない分よかったと言うべきか。
「小石川」
「はい?」
やけに沈痛な面持ちの金子先輩に呼ばれた。
いつもが軽快というわけでもないけれど。
「これ、どうしようか」
これと言われ目をやると、床にはダンボールいっぱいのジャガイモがあった。
ゴロゴロゴロゴロ、ジャガイモオンリーだ。
「それ土産だ。好きに食っていいぜー」
すでに新しい缶を1本空けきった生丸さんが答えをくれた。
今回も素材か。
「…………とりあえず、着替えてきます」
スウェットに着替えて居間に戻る。
相変わらずビール片手にテレビを見ている生丸さんと金子先輩、
「あれ?」
は居間におらず、カウンターキッチンから中をのぞくと、難しい顔でジャガイモを睨んでいた。
改めてダンボールを覗くと掘るたて新鮮な土付きジャガイモがざっと80ほどある。
大量のジャガイモを前に息をつくしかなかった。
これをどうすればいいと言うのだ。
実家を出るまでほとんど料理をしたことがない者に何ができる。
「高田先輩が帰ってきてからにしましょうか」
料理上手な同居人ならきっと皮どころか土付きのこれらを見事に変貌させてくれるだろう。
「おいおいおい。せーっかく俺が買ってきてやったのに、さみしーじゃねーの」
背後からアルコールの臭いをまとわせた男が腕を伸ばしてのしかかってきた。
正直、肘鉄を喰らわせたいが、即倍になって返ってくるので頭の中だけで済ませてやる。
「つまみが足んねーんだよ、なんか作れ」
同じく生丸さんに肩を組まれる形で乗られている金子先輩と顔を見合わせた。
この人に期待はできない。だが、自分もできる気がしない。
「焼くくらいできんだろ?揚げるとかー。あー、それでいいじゃん。フライドポテト」
「フライドポテト、ですか」
簡単に言ってくれる。
すでに成形されて揚げるだけの冷凍物ではなく皮がついたままの生ジャガイモしかない。
切って揚げるだけで良いのか悪いのか、それすらわかっていないのだ。
「よしやろう」
「え!?」
声の主、金子先輩が返事をした。
しかも目が輝いている。
この目は見たことがあった。
テレビに感化され、米を炊こうと言い出した時と同じくフレンチトーストを作ろうと言い出した時と同じ輝きだ。
これは面倒くさい。
確実に巻き込まれる。
けれどフライドポテトだ、凝った味付けをするわけでもなくただ揚げるだけ。
…………最悪、火事にならないよう注意しよう。
まず土付きのジャガイモを洗った。
皮は剥くが、土が表面につくのが嫌なので、たわしでゴシゴシとこすって汚れを落とす。
同じく金子先輩も洗っていたはずなのだが、手が止まっていた。
何をしているのかと思えば洗剤を凝視している。
「どうしたんスか?」
「これがな、食品も使えると書いてあるから、読んでた」
「そんなまさか」
裏面の商品説明を指差され読んでみると、確かに『野菜・果物も洗えます』書いてあった。
「マジっスわー」
「だろう」
金子先輩はジャガイモをひとつ手に取ると不敵に笑った。
「まさか!」
洗剤を傾け、泥付きのジャガイモに直掛けした。
水を足し、擦っていく。
徐々に泡立ち、シャボンがイモを覆った。
「知っているか、小石川。シャボンは油が化学反応を起こしてできるんだぞ」
「へぇー」
得意げにトリビアを披露しながら、また別のイモを泡まみれにしていく。
毎日の生活で唐突に始まる豆知識発表にちゃんと相槌をしなければ拗ねるのだ、この成人男性は。
ひとつ、ふたつと泡まみれのジャガイモが増えていく。
ちょっと怖くなり、タオルで手を拭いてスマートフォンを取り出した。
洗剤メーカーのホームページで詳細を確認する。
『野菜・果物の食品に使用することができます』と説明がある。
「ただし、誤って口に入れた場合は、すぐさま水で薄め、医師に診せて下さい。 ーーだそうです」
残らないようにしっかり濯いでから使用せよ、という意味だろう。
泡だって乾燥すれば固体になるし、時に洗剤は毒として扱われる。
キッチン用の類いは中性洗剤なのだけれど(記載有)。
「…………わかった」
金子先輩は洗剤をつけて洗ったジャガイモを丁寧に水で洗い落とした。
2桁をいくつか超えた個数を洗ったところで次の行程へ進む。
まな板にジャガイモを転がし包丁を構える、そう切るのだ。
「切り方は、どんな形がいいんですかね?」
「切り方……形か。うむ」
問いかけに金子先輩も一緒になって首を傾げた。
スタンダードなフライドポテトはやはり赤い入れ物と黄色Mのロゴのあのフライドポテトだろうか。
個人的には緑と赤色Mのロゴの看板が目印の所の皮付きポテトの方が好みだ。
お祭りの屋台で売られている太長いフライドポテトもたまに食べたくなる。
まあ、どれも味に大差はないのだけれど。
料理初心者に細かな作業は無駄に時間をくうだけという結論に至り、太長い形にすることにした。
ピューラーで皮を剥き、等間隔に切っていく。
さらに高さと横が同じくらいになる幅で切ると屋台のような太長い形になった。
次の行程は、揚げる。
揚げ物用の鍋などこの家にはないので、高田先輩がよく使っている底が深いフライパンで代用することにした。
「なあ、小石川」
油を用意をしている横で、ジャガイモ切断を金子先輩に任せていた。
「まな板に白く濁った水がたまるんだが」
「え?」
金子先輩が言った通り、まな板には白く濁った水たまりがあった。
「これって、デンプンじゃないですか?ジャガイモ切った時に出る」
小学生の頃、理科の授業でジャガイモからデンプンを取り出す実験をした、ような気がする。
デンプンは水に溶け、白く濁ると教わった、気がする。
なにぶん10年以上前のことなので記憶が曖昧だ。
それはさておき、フライパンになみなみと油を入れて火にかける。
揚げ物用の油があるかもしれない。けれどわからないので一番大きなボトルのサラダ油を使用する。
火の強さは強。時間がかかりすぎると生丸さんが突撃してきそうなので、温めている時間すら惜しい。
さて、イモの方は量産されているのだろうか。
「え?」
「うん?」
「ナニシテンスカ、金子センパイ……」
太長いイモを量産していたはずの金子先輩の手には、包丁ではなくスライサーが握られていた。
わけのわからない事態に思わず片言になってしまう。
「見てわからんか?」
「まったく」
「フライドポテトだけでは飽きるだろう。だからポテトチップスも作ろうと思ってな」
「ポテト……チップス……」
ジャガイモで作る菓子。薄くスライスしたジャガイモを揚げて作るものだ。
手順が同じなら作ってもさほど手間にはならない。
というか、すでに2つ分のジャガイモがスライスされているので作るしかない。
油の温まり状態を見るためにジャガイモの切れ端を1つフライパンに落とした。
表面でパチッと爆ぜて、沈んでいった。小さな気泡をまとわせるだけでほとんど動かない。
まだ温度が低いようだ。
合間に、さらにフライドポテト用のイモを切っておく。
「おい、まだかよぉ」
居間のテレビ前のローテーブルを陣取っている生丸さんが、ビール缶片手に仰け反ってこちらを見ている。
なんてだらしのない威圧だろうか。
「もう少し待ってください」
あとは揚げるだけなので、さほど時間もかからないだろう。
フライパンの中では、先程入れた端切れがジュワジュワと音を立てて浮かんでいる。
この様子は、充分温まったと見ていいだろう。
まずはフライドポテトから。
まな板の上からがっつりとひと掴み、切ったジャガイモを持ち上げて、そのまま投入した。
「ぅアっちっ!」
高温の油が盛大に跳ねた。
念のため、跳ねた油がかかった手を流水でさらす。
ぽつぽつと赤くなっているが、痕となって残ってしまわないか少し心配だ。
営業は身だしなみが大事と上司に教えられた。見た目と印象はイコールで、印象が悪いと契約が取れない、と。
「大丈夫か?」
「はい。あ、金子先輩、イモ見てもらえます?」
「わかった」
片手に菜箸を構え、フライパンを凝視した。
「あの、箸で、中身かき回して」
同じ面ばかり油に浸かっていては焦げる。
「そうか。わかった」
金子先輩は言われた通り、箸でぐるぐるとフライパンの中身をかき回した。
かき回しているだけなので、全面に火が通っているかは疑問だ。
「網とかあったかな」
料理道具の大半は高田先輩の自前なのだが、彼が必要ないとしているものは当然ない。
一応、確認で探す。
「あったあった」
あまり使用頻度の高くない調理器具がしまってある引き出しにまとめられていた。
金属製の揚げ物用の網だ。
他にはゆで卵のスライサーとかすりこぎや凧糸などがある。
めんどくさがり屋なのに好きなことにはけっこうまめだなぁと思う。
料理は手をかけるのに、異性はめんどくさいって………
「はぁ」
残りのジャガイモは高田先輩に任せよう。
それに食材で遊んだらまた怒られること必至だ。
そろそろ第1弾目のポテトが揚げ上がるので別の平たいフライパンにキッチンペーパーを敷いて、火のついているフライパンの横にセットする。
適当にかき回しているだけなので所々ムラがあるが、ほんのり焼き色がついている。
試しに焼き色のついた小さめの物を2、3本網で掬いあげ、キッチンペーパーの上に落とした。
あつあつのうちに塩をふりかけて食べてみる。
「つまみ食いか」
「味見です」
火はちゃんと通ってフライドポテトの味がする。
しかし、ファーストフード店の物に近くはあるが、なんとなく「これじゃない感」がある。
しっとり感が強くて、ほくほく感がない。
自分も味見といって横からつまんでいった金子先輩も同じ感想らしく首を傾げている。
「うまいが、想像と違う、気がする」
「なんでしょうね」
家庭で作るものだからこんなものか、と残りもすべて油から上げ、皿に盛って塩をふる。
念のため、一番大きなものを割って火の通りを確認した。
ちゃんと揚がっている。
「ほら、できたぞ」
「おっせーよ」
金子先輩が皿を持って居間に戻り、自分は作業を続けた。
なんせ10個分以上のジャガイモを揚げなくてはいけない。
「全部食べたら胃もたれするよなぁ」
短針が11の数字を過ぎる頃、高田先輩が帰ってきた。
帰宅時間はいつもこのくらい。
遅いには変わりないが、この家に引っ越してくる前はもっと遅かったらしい。
そのかわり、朝は一番ゆっくりしている。
そんな疲れて帰ってきた高田先輩は、居間の状態を見てさらにぐったりとしてしまった。
「おっかえりー」
「健吾……」
「お、おかえりなさい」
散乱した空き缶、途中で飽きたと言って一向に減らなかった揚げたイモはローテーブルはもちろん床にも落ちてそこら中油まみれになっている。惣菜が入っていた空き皿も放置されている。
金子先輩は途中で離脱し、ソファを占拠して寝息を立てている。
なので生丸さんの相手をひとりでしなければならなかった。
以上の目視情報で、面倒な事態だと悟ったようだ。
めんどくせぇという呟きと共にため息が出ている。
「健吾。おまえ、もう寝ろ」
「えー、夜はまだまだこれからじゃん」
「俺らは日中働いてンだよ」
「それはゴクロウサンなことで」
「とりあえず小石川を離してやれ」
肩にのしかかっていた腕が外れ、やっと生丸さんから解放された。
凝り固まった首を回すとコキコキ鳴った。
「金子。こんな所で寝るな。起きろ」
金子先輩の足を蹴って起こす。
「んぁ、おー高田、おかえり…ぃ……」
「ただいま。て、コラ、二度寝すンな!自分の部屋で寝ろ!その前にここ片付けろ!」
生丸さんがここに帰ってきた夜はたいていこのような状況になる。
「ったく。なんでポテトがこんなに散らかってんだよ」
ビールはいつものこととして、ローテーブルの上に山盛りになっているフライドポテトに嘆息したようだ。
「俺の土産だよ」
「北海道にでも行ったのか」
「うんにゃ、千葉」
「買ってくるのはいいが、量を考えろバカ」
「作ったのはこいつらだぜ?俺は無罪」
「両方だ。ジャガイモは芽が生えて変色したら食えなくなるんだぞ」
人に配るか、とブツブツ言いながら空き缶を集め始めたので、倣って缶とイモを拾い集めた。
一人暮らしが長いと母親っぽくなるものだろうか。はたまた性格の問題か、悩む所である。
「まさか、飯はこれとかいわねーよな?」
「あー、ははは。飯は食ったけど、これしか作ってないっすわ」
酒もつまみも弁当も売っているコンビニは偉大だと思った。
片付けと生丸さんに解放され、風呂に入り、やっと就寝前まで辿り着けた。
生丸さんが帰ってくると夜は長く感じる。今日も長かった。いまかいまかと高田先輩の帰りを待っていた。
自分では生丸さんを止められないので、いつも高田先輩にストッパーを任せていた。
金子先輩では抑えられないからだが。
生丸さんと高田先輩はそこそこ仲がいい。
生丸さんがこの家をホテル代わりにしている経緯も、高田先輩がうっかり口を滑らせたのがはじまりだ。
そもそも大学のゼミつながりの4人だ、生丸さんはさぼりまくっていたけど。
皆が皆、同居前からの顔見知り。
そうでなければ簡単にルームシェアなどできるはずがなかった。
寝る前に水でも飲もうと台所へ行くと、高田先輩が何かを作っていた。
「今から飯っスか?」
帰りが遅くなり日付を超えると食事もとらずにそのまま寝てしまう高田先輩が、もう数分で日付が変わろうとする今時分に料理をするのは珍しい。
大鍋にたっぷり入った水にジャガイモが皮のまま段になって沈んでいる。
水から火にかけ、茹で始める。
「これは明日用の下ごしらえ」
本当に、料理に関してはまめな人だ。
冷蔵庫からひき肉とタマネギをとりだし、タマネギをみじん切りにし、ひき肉と炒め始めた。
「明日からしばらくイモづくしになるからな。楽しみにしてろ」
にやりと笑ってみせるが、目は笑っていなかった。
おそらく作りがいがある、というより面倒なことになった、または腐らせるわけにはいかない、といった意味合いが強いだろう。
高田先輩の覚悟は鍋の中のジャガイモの数が雄弁に物語っていた。
生丸さん来襲2日目。
高田先輩が早番だったので、帰宅したらテーブルにはすでに料理が並んでいた。
ドアを開けた瞬間に鼻をくすぐる家庭的な匂い。
たった数ヶ月前なのに、懐かしさを感じた。
朝から張り切った高田先輩の料理で胃を満たして出社し、昨晩から準備をしていた夕食を楽しみに帰宅。
食事が用意されている家、万々歳だ。
ちなみに朝食は、ベーコンとジャーマンポテト入りオムレツ、フライドポテト改(多い)、ジャガイモのみそ汁、白米、ととっても穀物過多でボリューム満点なものだった。
フライドポテトは皮付きで、とてもほくほくしていた。
理由を聞いたら、水気を取って表面に粉をつけて素揚げした後トースターで焼いた、だそうだ。
昨夜のフライドポテトに衝撃を受け、調べたらしい。
たかが揚げイモでも、美味しいを求めると手間が必要なようだ。
めんどくさいが口癖の高田先輩渾身のジャガイモ消費レシピがどんなものか、匂いだけでもわくわくする。
「おかえり小石川」
「ただいまです。豪勢ですね」
「ああ。高田が無心で作ってるから、台所に近づかない方がいいぞ」
「了解です」
ダンボールいっぱいのジャガイモたちの半数は、お裾分けで会社の先輩たちに配った。
それを除いても1週間はイモ料理が続くであろうには残っている。
美味い料理が食べられるのは歓迎だが、正直、朝のイモ感が腹にまだ残っている。
1週間続けては勘弁してほしい。
テーブルには家庭料理の定番、肉じゃがとコロッケ。
カウンターテーブルに置かれた鍋にはポタージュスープ。
どれもできたてで湯気をたてている。
「すぐに着替えてきます」
「ついでに健吾起こしてきて」
「あの人まだいるんスか」
つい声が低くなってしまう。
いつもこちらに帰ってきたら2、3日は居間や自室でゴロゴロしているかパチンコに行っている。
前に一度、無断で荒らされていたことがあり(本人曰くお宝探しをしていた、らしい)、鍵を取り付け、生丸さんがいる日は施錠している。
「飯食ったら出かけるって」
高田先輩はテーブルに山盛りになっていてなお、まだコロッケを揚げ続けている。
1人5個とか、さすがに食べれそうにない。
居間を出てすぐに右に折れると風呂場と階段の上り口がある。
階段を上り、手前から2つ目、3つ並んだ真ん中の部屋が借りている部屋。
どの部屋も間取りは同じようなもので押し入れ付きの6畳間、フローリング仕立てだ。
仕立て、というのは、以前は畳の和室で、前の持ち主が改装したのだろうとわかる痕跡があるからだ。
広さが広さだけに必要最低限のものしか置いていない。
なので、目に飛び込むのはシングルベッドと3段式のスチールラック、そのラックとは別にハンガーラック、ナイトテーブル代わりの小さな組み立て式テーブル。
今後、仕事で必要になるだろうからパソコンも欲しい。
簡単な検索ならスマホでできるけれど、書類作成はやはりあると便利だ。
施錠を解除し、荒らされていないかさっと目視確認する。
大丈夫なようだ。
ベッドの上に放り出していたスエットに着替え、部屋を出る。
階段口の目の前の部屋の扉をノックする。
生丸さんの部屋だ。
「生丸さん。飯できましたよ」
向こうからの返答はない。
「生丸さーーん」
今度は拳でドアを叩く。
それでも返事はしない。
意を決してドアを開ける。
どの部屋にも鍵はついていない。
部屋の管理は自己責任、ということで鍵の取り付けも模様替えも自由だった。
すんなりと開く扉の向こうは薄暗い。
「生丸さーん。おはようございますー」
恐る恐る中を伺う。
隣の部屋以上に何もない部屋の真ん中にマット式の布団を敷き、大の字になって寝ていた。
そっと声をかけると目の前の男はやっと反応をした。
「んあーーー………おぉ、めし?」
とりあえずほっと息をついた。
この男は寝起きが最悪で、機嫌が悪いと蹴ってきたり、寝ぼけていると抱き枕にされる。
正気でいるようで何よりだ。
「そうっスよ。飯冷めるんで二度寝しないで下さいね」
絡まれても厄介なので部屋に入らずさっさと階段をおりる。
再び居間に続くドアを開けると油が跳ねる音がまだしていた。
ダイニングテーブルの真ん中にそびえ立つ、大皿の上に積み重ねられたコロッケの塔。
先ほどより高くなっている。
「どんどん食えよ。まだあるからな」
拳大のコロッケなどそう多く食べれるものではない。
無茶ぶりにもほどがある。
「くぁ〜、腹減ったあ」
うしろからついてきていた生丸さんがあくびまじりで空いている椅子に座る。
遅い朝食をとってからずっと寝ていたらしい。
「おっ、ゴーセーじゃぁん」
テーブルのラインナップに目を輝かせ、箸を片手に皿を引き寄せた。
スープ皿など洒落たものはこの家にはないので、黒塗りのお椀に白いポタージュスープが盛られている。
お椀にスプーンなど!という意見もありお椀から啜るという斬新な食べ方を推奨されていた。
「待つんだ生丸。高田がまだ作っているだろう」
食卓は出来上がりを家族で囲むものと昔のホームドラマさながらの家主の主張に生丸さんは眉根を寄せた。
「俺はいいから、先に食ってろ」
台所からの声に我先にと生丸さんがコロッケにかぶりつく。
「いただきます」
続いてコロッケに箸を入れる。
揚げたてのコロッケはさくっと音をたてて形を崩した。
熱を帯びたジャガイモは時々潰れていない形が残ったイモがあったりしてホクホクしている。
炒めたタマネギとひき肉はしっかり味付けされ、イモと混ざり合って調和をとっている。
衣の粒は荒めでサクサク感がアップしている。
「うっま!」
一口食べたところで生丸さんが雄叫びをあげた。
片手に構えていたビールを一気に流し込む。
揚げたてコロッケにキンキンに冷えたビール、最高の組み合わせだ。
「うん。うまい!」
金子先輩も絶賛した。
時々スーパーの総菜屋のコロッケを買うが、あれであれは美味いけれど、家庭的で高田先輩作のこのコロッケかなり好きだ。
ノルマ6つぺろっといけそうな気がする。
いけそうな気がした、んだ。
3つまでは美味しく頂いた。
ソース、ソース、飽きてきたので生丸さんおすすめのケチャップに七味ちょい混ぜ、で完食できた。
正直、生丸さんおすすめは、もうしない。
他にも、肉じゃがもしっかり味が染みていて、しっとりしているのにホクホク感は失っていない絶妙さ。
ポタージュも滑らかで、インスタントのスープにジャガイモを入れただけとは思えない完成度。
作り方は知らないけれど。
とにかくどれも美味かった。
しかし、腹には限界がある。
コロッケも、4つめはキツいかもと思いつつ食べた。
さすがに5つめは、取り皿に置いたものの食べる気になれずしばらく放置した。
黙々と食べている金子先輩もそろそろ限界と言わんばかりの遠い目をしていたのを横目で確認した。
肉じゃがもイモではなくしんなりしたタマネギやニンジンを中心に箸を付けてしまうのも仕方ないと思う。
美味いのに、残念だ。
それは生丸さんも同意見だったらしく、つまみコロッケのビールは進みがいまいち。
昨夜の半分も空けていない。
そんな中、こんな状況を作った作り主は箸を置いた。
「飽きたな」
誰もが言わなかった、いつも空気を読まない生丸さんさえも口にしなかったことをさらっと言った。
さらにため息も吐いた。
「これは明日、残りと食うか」
「え?」
高田先輩の言葉に金子先輩も生丸さんも自分も、目が点になった。
「まだ揚げてない分がある。半分くらいしか揚げてないからな。今日よりはセーブして……」
「ちょっと待て!」
「ん?」
「明日もコロッケ?」
「そうだな」
「まだ半分?」
「うん。あ、残りにチーズとかハムとか挟むか?」
味は変わってもコロッケはコロッケに変わりない。
つまり最低3食はコロッケが出るということだ。
いくら美味しくても、もう少し間を空けたい。
朝食、いや昨夜からのイモ攻撃は米文化で育った自分には辛いことを実感した。
「あ。明日弁当作るから持っていくか?」
「……ちなみに中身は?」
「コロッケだな」