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米が食いたい!  作者: 月湖畔
3 シーズン
26/28

冷やし中華、はじまってました

信号が赤に変わった。

徐々にブレーキを踏み、停止線の上で止まる。

大通りではないので停止時間は長くない。30秒もすれば青に変わる。

フロントガラスからすぐ横の歩行者専用道に目をやる。

学生、おそらく高校生が歩いていた。

こちらが通勤途中なのだから、彼らは登校中だ。

すっかり衣替えが完了して、厚いブレザーから薄手のシャツにチェンジしていた。

つい先日まで冬服だったのに、もう夏の装い。

気温を考えれば、いつまでも冬服はつらい。

今日は晴れているが、つい先日に梅雨入りし、週間天気予想は雨マークが並んでいた。

雨の日が続けば肌寒いと言ってカーディガンやらサマーセーターを引っ張り出すのだ。

鬱陶しい梅雨が明ければ太陽がカンカンと照り出す。

それはそれで好ましくない季節だったりもする。

日に焼けるし汗で化粧が流れるしで散々だ。

寒くて乾燥している冬と暑くて汗だくになる夏どちらが好きかと聞かれたら、どっちもどっちと答えるだろう。

だが、この時期だから食べられるご飯は好きだ。

寒くなった頃にゼンくんが具沢山のお鍋を作ってくれた。

大勢で鍋を囲んでわいわい騒いで、全部含めて美味しかった。

夏ならそうめん、スイカ、かき氷、キンキンに冷えたビールに枝豆……

おっと、違う方向に行きそうだった。

信号が青に変わる。

ゆっくりアクセルを踏んで出発する。

さっきの子と違う制服を着た子とすれ違う。やっぱり夏服だ。

季節は春から夏に移っていく。

そうなると見かける様になる夏料理は、




「冷やし中華? 今頃?」




アパレルショップの副店長であるゼンくんの休日は基本平日。

しかもショッピングビルのテナントだからお店はビルに合わせての休業、ほぼ年中無休。何ヶ月かに1度ある棚卸しとか一生清掃とか、やむを得ず……とか、年に数える程しかテナント自体が閉まる日がない。

副とはいえ、責任ある立場なので、休日であろうとスマホは手元から離せない。

電話1つで呼び出されてしまう。

そんなゼンくんも今日は完全休み。

多店舗を任されている店長が1日ショッピングビルに待機しているので呼び出されることもないそうで、いつもより眉間の皺が少ない。

ゆったりとしたTシャツにジャージという、ザ・休日スタイル+エプロンでキッチンに立っていた。

この家の誰より先に衣替えを終え、暑ければ薄着、涼しい日はカーディガンを羽織る。

スタイルバツグンのイケメンは、ありふれたジャージすら着こなしてしまうのだ。


1日何をしていたかと聞けば、昼まで寝て、午後から食材の買い出しと言うではないか。

この家に来る前まで付き合っていた彼女と半同棲をしていたらしいので、引越した時点では恋人はいなかった。すでに2年も経っているのだから、彼女のひとり、ふたりはいてもいい。

休日デートが面倒、とかさすがに言わないだろう。平日だし、日程が合わないというのはあるだろうけれど。

え、まさか……私たちの世話の所為で彼女作れないとか、じゃないわよね?

私たちの胃袋はがっつりゼンくんに握られている。

出て行かれては困るが、お荷物になるのも気が引けた。


今日の夕飯はトンカツ。豚肉が安かったらしい。

夕方にグループメッセージに、夕食要るか要らないか窺いが来て、全員即レスした。

要る、と。

揚げたてが食べたい私はさっさと仕事を終わらせ、キッチンに立っているイケメンを堪能している。

カウンターキッチン越しの写真を撮ってSNSにハッシュタグつけて投稿したら、めちゃくちゃ稼げそう。やらないけど。

ただ見ているのも寂しいので、夏に食べたい物リクエストしたのだ。

そうしたらこの反応。


「いいじゃない。夏、って感じで」

「まあ、ぽいですけど」

「冷やし中華っていつ頃からお店で食べれるのかしら。7月? 8月?」

「4月か5月頭が多いんじゃねぇっすか。うちのビル内のとこは4月中旬には出てましたよ」

「えぇ!? マジで!!?」


確かに今頃だ。

すでに2ヶ月近く経っている。


「コンビニでもとっくに売ってますよ。見ません?」

「あったかも。いつもサンドイッチとサラダくらいしかチルド棚みないし」

「パスタとか食べないんすね」

「パスタのカロリーどんだけあると思ってんの!?」


特にゼンくんのご飯がある日はスルーだ。

1日のカロリー計算が狂ってしまう。

オネエはスタイル維持が大変なのだ。


「うちでは食べるくせに」

「それはそれ、これはこれ。ゼンくんのご飯がおいしいのが悪いの!」

「誉められてるととっていいんすかねぇ」

「誉めてる誉めてる」


話しながらもゼンくんの手は止まらない。

たまご液を潜らせた生肉にパン粉をまぶしていく。

横にはたっぷりの油が入った揚げ物用の鍋。

ゼンくんが鍋にぱらりとパン粉を落とす。

一度沈んだパン粉はじゅわっと音を立てて表面に浮いた。白かったパン粉がほんのり色づいている。

十分熱された鍋にひとつずつ手のひら大の肉を投入していく。

じゅうじゅうパチパチと派手な音がキッチンから響く。

油っこいものは好きではないけれど、今はこの匂いでビールが飲めそう。

できたて熱々のカツにビールとか最高の組み合わせだ。


「冷やし中華、食べたいんですか?」

「今は麺よりカツにビールかな」

「プリン体」

「うっ! 今はカロリー控えめのビールも発泡酒もあるのよ」

「飲むことは決定なんすね」

「揚げたてを前にお預けはツライわ。どうせあんたたち私の目の前で飲むんでしょ」

「俺は飲まないけど、奴らは飲むでしょうね」

「でしょ!」


このカツの為に自分用のビールをコンビニで購入した。CMでやっていたプリン体オフのやつ。


「あーあぁ。なんで美味しいものってカロリーが高いんだろう」

「カロリー=うま味、なところはある」

「そう、それ!」


ローカロリーでも美味しいものがあるのはわかっているが、やっぱり求める味は軒並みハイカロリー。

サラダにかけるのはドレッシングだが、たまにマヨネーズで行きたい時がある。

マヨネーズのエネルギー表を見るとえげつない数字が書かれているのだ。

少しお高いカロリーハーフなやつを買うのだが、マヨネーズはマヨネーズ。味はそれなり。


「ゼンくんが冷やし中華をつくったら、具は? マヨネーズは添える?」

「具? キュウリ、ハムかチャーシュー、錦糸卵、ミョウガ、あったらキクラゲ」

「キクラゲいれるの?」

「割と好きなんで。食感とか」

「トマトは?」

「あえては入れないかな。嫌いな奴いるし」

「え、だれ?」

「金子。あと、たぶん小石川も好きじゃないと思う」

「へー、そうなんだぁ」


さすがこの家の台所を預かる主夫……もとい、シェフ。住人の好みを把握している。

ケチャップやトマトソースは好きだけど、生はダメという人は多い。

トマト好きとしては共有できなくて寂しいところ。


「てか、冷やし中華にマヨネーズ? かけます?」

「ゼンくんちはナシ派なのね」

「見たことないけど。地方にもよるんじゃないすか?」

「そうなの? コンビニの冷やし中華にはついてるから全国区だと思ってた」


話している間にもトンカツが揚がっていく。

こんがりきつね色で、見ただけで美味しいのがわかる。

食べやすい様に短冊に切って皿に盛りつけられると、お店で出しているようだ。

添えられたキャベツとも色の相性がいい。

揚げ物とキャベツ。なくてはならないコンビだ。


「そうだ。卵でとじてカツ丼、ってのもできますけど」

「新たな選択肢を作らないでちょうだい!」






週の半ばから雨の日が続いた。

さすが梅雨。朝から1日中降っている日もあれば、雲が多いだけと思いきやたまにパラパラと疎らに降る日もあり、なんやかんや傘が手放せない。

湿った空気が肌にまとわりつき、不快度数がじわじわ上昇する。

日が射さないため、気温が上がりにくくぞわっと肌寒ささえ感じる。

それでいて、晴れ間を覗かせると一気に気温が上がるので、湿気+熱で暴れたい衝動が沸き上がる。

初夏の風物詩とは言え、ストレスがかかってたまらない。

ただでさえ、湿気を吸って膨張気味のねこっ毛のせいで上手くまとまらない。

気を使って手入れをして、ストレートパーマを当てたり高いトリートメントを使っていたりしてもこれだ。

イライラする。


「あの!」


道ばたで呼び止められた。

今は外回り中。

駅前の店から店へ渡り歩いているので、車ではなく徒歩。

本日の天気は雨。空は薄暗く、雲が太陽を何重にも隠している。

行き交う人みんな傘をさしていて、すれ違い様に傘同士がぶつかること数回。蹴った水が跳ねてストッキングが濡れた。スーツの裾も染みが出来ている。

よって非常に機嫌が悪い。お客さんの前では隠しているけれど。


「よろしくお願いします」


渡されたのは1枚のチラシ。ラーメンの写真と大きな文字が踊っている。

見れば目の前はラーメン専門店だった。

チラシを配っていたのはここの店員さん。若いからアルバイトだろう。

初々しい。入ったばかりの新人さんっぽい。

屋根があるとはいえ、雨の日にチラシ配りは大変だ。

ラーメンか。

嫌いではないが、あえて食べない類いのメニューだ。

ジュンくんが好きで、有名チェーン店やらカップ麺の工場やらを紹介しているテレビ番組がよく流れている。

そこで知ったのだが、ラーメンのカロリーはすごい。

ラーメンが割とハイカロリーな食べ物なのは知っていた。

だが、一番低いと思っていた塩ラーメンが、醤油よりも味噌よりも高かったのは知らなかった。

ショックで以来ラーメン全般食べていない。

ラーメンは断然塩派なだけに封印するしかなかった。

食べないチラシをもらってもゴミになるだけだと、店員さんに返そうとした。


「ここには載ってないけど、冷やし中華もありますんで!」


笑顔で宣伝されてしまった。

チラシ配りと一緒に喧伝するマニュアルだとしても、なんと無邪気なことか。

ほだされて、返しそびれてしまった。

いいか。家に帰ればラーメン好きな成人男性がゴロゴロいる。

お礼を言って仕事に戻った。

チラシを貰ったからといって、お店に入ったりはしない。

昼休み前っていうのもあるけれど。


「別に、冷やし中華が絶対食べたいってわけじゃないわよ」


チラシを鞄のサイドポケットに入れた。




「……て、ことを思い出したわ」


ぴらりと何日か前に貰ったラーメン店のチラシをテーブルに置く。

珍しく時間が合い、みんな揃っての夕食。

思い出したのも夕食のメニューが冷やし中華だったからだ。

ゼンくんが早番の日は、ゼンくんお手製の食事が提供される。

本人は茹でただけ、切っただけ、と言うが、料理が苦手な私から見ると、崇めたくなる所行だ。

ただの冷やし中華ではない。

具とタレを自分でカスタマイズできるスタイルである。

具はキュウリ、ハム、錦糸卵、サラダチキン、キクラゲ、トマト、モヤシとホウレンソウのナムル、キムチ、紅ショウガにミョウガ。

タレは醤油ベースとごまベース、マヨネーズもある。

好きなだけ麺を皿に盛り、麺の上に好きな具を並べていくセルフスタイル冷やし中華だ。

ゼンくんのおうちではよくあるらしい。主に具の争奪戦で。


「今、飯食ってんだけどさー」

「今から食べにいけとは言ってないわよ。かわいい子がチラシを配ってたからよかったら行ってね、って言いたかったの」

「どこです?」

「隣の市の総合駅の近くよ」

「そっちに行く機会ないけど、思い出したら」

「俺も逆方向」

「隣の市まで打ちにいく予定はねーなぁ」

「だから! よかったら、って言ってるでしょ」


からかわれているのはわかっているが、どうしても反論したくなってしまう。

性分だ。

子供っぽく頬を膨らませながら麺が盛られた皿に具材を飾る。

定番風にキュウリと錦糸卵、ハムとサラダチキンと迷ってハムを乗せる。ゼンくんおすすめのキクラゲ、サイドにトマトを2切れ。

タレはシンプルに中華風の醤油ベース。上からぐるっと円を描く様にまわしかけて完成だ。

テーブルに並ぶ具材で気づいてしまった。


「ねえ、これバンバンジーできるんじゃない?」


サラダチキンを裂いて、キュウリ添えて、ごまダレをかけたらそれっぽく見える。


「ササミだけど。やりたかったらどうぞ」

「やったー」


別皿にチキンとキュウリをとってごまダレをかけた。

トマトを添えたらよりお店っぽくていい感じ。

私の皿を見たジュンくんたちも真似してバンバンジーをつくる。

おかげでキュウリとチキンは完売した。

トマトは私が取っただけで減らない。

ジュンくんといっくんが苦手と言っていたが、さてはゼンくんとケンくんもだな。


「トマト、全部貰うわよ」

「どうぞどうぞ」


皿ごと寄越してくれた。

夏野菜は体を冷やす効果があるので、1つ丸ごと食べたらお腹を壊しそうだ。


「む。味玉はないのか」

「欲しかったら自分で買ってこい」

「市販の味玉は半熟ではないからな。次は用意してくれ」

「小石川にでも作ってもらえ」

「なんで俺!?」


錦糸卵は定番中の定番だけど、黄身がとろっとした味玉も美味しい。

たまごだけぱくっといってもいいし、黄身を麺と絡めてもいい。

ジュンくんの気持ちがわかる。

だが、ジュンくんも私も作れない。

失敗する確率が高いし、汚さないよう監視の目が厳しい。

たかがゆでたまご、されどゆでたまご。

過去ジュンくんはゆでたまごを作ろうとして電子レンジで爆発を起こし、買い替えさせられたらしい。

半熟にしようとしても、茹で過ぎてしっかり黄身まで火を通したこと数知れず。

私の場合、茹で時間が短くて白身がちょっと固まっているけどほとんど生、って方が多い。

水から茹でることを知らなくて、ぐつぐつと沸騰した湯に冷蔵庫から出したばかりのたまごを入れちゃって……なこともあった。

ゆでたまごって難しい。


「あれあんじゃん。百均にさ、ゆでたまごつくるやつ」

「一緒に茹でて時間計る便利グッズとかありますねー」

「普通にタイマーかけりゃいいだろ」


物を増やすなとゼンくんが嗜める。

料理ができる人とは違う。不器用を舐めないでほしい。


「小石川……」

「いやです。我慢してください。どうしても食べたいなら自分でどうぞ」

「てめーが作るってんなら出て行く」

「うん。我慢しよう」


あのジュンくんに我慢をさせられるとは、ゼンくん強い。

冗談だとしてもゼンくんに出て行かれるのはキツい。温かい美味しいご飯は食べたいもの。

5人もいてまともに料理できる人がゼンくんだけってよくないな。

ゼンくんに負担が全部いっている。

冷やし中華みたいに、麺を茹でるだけ、具材を切るだけなら、包丁に気をつければできる気がする。

基本を身につけて、レパートリーを増やす。

うん、できる気がしてきた。


「私、料理習おうかしら」

「…………炭は食べられませんよ?」


全員が憐れみの目でこちらを見ていた。

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