お花見前線到来
『ーー公園では桜の見頃を迎え、花見を楽しむ人の姿が見られました』
コポコポと電気ケトルが音を立てるのを聞きながら、テレビに映し出された桜の映像を見る。
横でトースターがチンとパンが焼けたことを知らせてくれる。
朝は断然和食派だったが、シェアハウスを始めてからパンを食べることが習慣となった。
単に早く起きて朝食を作る、という行為が面倒なだけ。
それに、朝はパンかもしくは食べない人が多いので、一人分だけ米を炊くのも気が引ける。
同居人に料理上手がいるため、自分の腕がそんなに上がることもない。
みそ汁もインスタントがせいぜい。昨今のインスタント、生みそタイプもフリーズドライタイプも美味しいから全然良いけれど。
マグカップにインスタントコーヒーの粉を適当に入れ、湯を注ぐ。
ミルクも砂糖も入れないブラックコーヒーとマーガリンを落としたトーストで朝食ができあがり。
余裕があったら目玉焼きでもつけるけれど、生憎卵は品切れだった。
「桜か」
テーブルの対面で、同じくトーストを齧っていた金子先輩が呟く。
視線はテレビに釘付け。
次に来る言葉は容易く想像ができる。
こういう時の彼は非常に分かりやすい。
「花見をしないか?」
この時点で突っ込みどころが3つある。
「誰に言ってんだ?」
「お前たち以外いるのか?」
珍しく朝の時間が被った高田先輩が半目になっている。
「花見って、いつ行くつもり?」
「そうですねぇ、日曜はどうでしょう」
蝦名さんがコンビニサラダにドンと豆腐と納豆を乗せた特製モーニングを突きながら呆れている。
「先輩、マジで言ってンすか?」
「もちろん」
金子先輩は、この家に住む5人で今度の日曜に花見をしないか、と提案している。
もちろん答えは決まっている。
「「無理、仕事」」
ショップ店員とショールーム勤務者が口を揃える。
土日が定期休みなのは金子先輩と自分だけ。無理である。
「では小石川と生丸だけでも……」
「すンません。自分も仕事っす」
顧客さんの新築の立ち会いがあるのでどうしてもこの土日は出勤せねばならない。
翌々日の火曜に代休もらっているのでそこならいいけれど、金子先輩は普通に仕事だ。
この辺で花見と言えば、歩いて30分の駅から更に向こう側へ10分行くとある河川敷の桜並木。
定番のソメイヨシノや下垂桜が植えられている。
少ないが屋台が数件出ており、つい昨日も駅で花見帰りらしい人を見かけた。
開化のピークは見積もって今週から来週半ば。
この時期はテレビで多く特集を組んでいるからか、ずっと咲いている印象があるけれど、花の見頃は意外と短い。
まず5人揃って行くことは不可能。
最低2人、最高でも3人。
3人で行けるとしても来週末、ピークは終わっている。
「……そうか、仕方がない」
「じゃあ、夜桜はいかがでしょう?」
「決算期だぞ?」
「あ、はい。残業確定なンすね」
わかっていても無茶ぶりするくらい多忙を極めているらしい。
休日くらいしか癒されないようだ。
「うちもセール始まるから、別店のヘルプ行かされんだろうなあ。めんどくせぇ」
「新規のイベントの立案上がってるのよ。今日明日は遅くなるわ」
みんなお忙しいようだ。
定職に就いていない一人を除いて。
今年の花見はテレビ画面の中だけになりそうだ。
結局、花見の話題はあの朝だけだった。
いつもなら、やりたいことは何としてでも! と息巻く金子先輩も、さすがに仕事を蔑ろにしてまで無理強いはしない。
立ち会いも問題なく済み、無事受け渡しも終わった。
数日の残業も一段落。
日が傾く前には会社を出ることができた。もともと休日出勤だし。
最寄り駅の改札を抜けると、やけに人通りの多さを感じた。
しかも手荷物荷物が大きい、いや多いというべきか。
日曜だからか、学生や仕事仲間であろう団体さんがいくつかある。
ということは、これは花見客なのだろう。
彼らの大きな声がやけに耳につく。
さっさと通り過ぎようとつい早足になってしまう。
駅を出た途端、ビュ、っと強い風に煽られた。
反射で瞑った目を再び開いた。
ひらりと目の前に薄ピンクが通り過ぎた。
「……花びら」
駅一帯には桜はない。
近くの学校か河辺から風に流れてやってきたのだろう。
木もなく、散った花弁が数枚目に留まっただけ。
せっかくなのだから桜を堪能したい。
回れ右をして構内を通って逆の出口へ向かう。
歩いて10分、たった10分で桜が見れる。
せっかく気が向いたのだ。数日で終わってしまう季節ものを見ない手はない。
繁華街を抜け、人の流れに任せてとことこと歩く。
家族連れ、友人と恋人と、仕事仲間と、河川敷へ向かう人が多い。
花見の友が必要だとコンビニへ向かう。
河川に近いコンビニだけあり、飲み物食べ物が品薄状態だ。
いつもの銘柄ビールが入れたてで温い。
仕方なく唯一冷えている缶ハイボールレモンと、できたてのジャンボフランクを買う。本命の焼き鳥は切れていた。
ゴミをきちんと持ち帰る為に有料ビニール袋はちゃんと買う。
外に設置されている荒れたゴミ箱を見ると申し訳なくなる性分なのだ。
コンビニから1本道をまたぐと、建物の裏はすぐ川原。
道に沿って何本か桜が植わっている。
ちょうど見頃で、枝には薄ピンクの花がいくつもついている。
近くで見るとつぼみがいくつかあるけれど、遠目から見れば満開状態。
「良い時に来たな」
河川敷には、大きなシートを引いて騒いでいる団体がいる。
笑い声から楽しさが伝わってくる。
缶のプルタブを起こし、一気に半分ほどあおる。
日が傾きかけているのに陽気で暖かいので喉が渇いていた。
シュワシュワと炭酸が喉で暴れながら渇きを癒す。
冷たいのに喉を通過した後にくる焼ける熱さはくせになる。
すっきりとしたレモン風味に加え、嫌な甘みがない分ずっと飲んでいられそう。
初めて飲んだけれど、これは当たりだ。購入リストに加えておこう。
空きっ腹にハイボールだけだと酔いそうなので、熱々のジャンボフランクを齧る。
付属で貰ったケチャップとマスタードのパキッてするやつをたっぷりつける。
マスタードは絶対いる派だ。おでんにもいる。
「んま」
齧った切り口からじゅわっと油が漏れ出す。
冷めると不快な白い塊だけれど、熱で溶けているなら大歓迎。
フランクの油が口に残っているうちに、再びハイボールをぐいっといく。
フランク、ハイボール、フランク、ハイボール、と交互に口に入れ、あっという間に食べきった。
貰ったビニールに串を入れ、缶を片手に堤防を歩く。
桜と、楽しそうな団体を見ながら「これぞ花見」という気分を味わった。
堤防沿いを歩くだけのひとり花見。
来年はちゃんと計画して来れたらいいな。
スマートフォンを取り出し写真を撮る。
桜のアップと川が写る引きのもの何枚か。
ピンクの配色が多い1枚を待ち受け画面に設定する。
これだけでなんだか春っぽくて気分が上がった。
缶が空になった所で花見は終了。
これだけでは足りないので夕飯用に弁当を買うとして、何か花見らしいものが欲しい。
ビニールの口をしっかり縛って鞄に詰める。
来た道を戻って家へ帰る。
花見らしいものとは。
らしい、かわからないけれど、妹は祭りにいくと必ずベビーカステラを買ってくる。
甘くてふわふわしているのでつい手が伸びいくつでも食べてしまうやつだ。
けれど、買わない方が懸命だ。
勝手に罪悪感覚えるだけだけれども。
考えながらも足は進む。
体が帰宅道を覚えているので別のことを考えていても足に迷いはない。
駅を抜け、いつもの商店街を通る。
八百屋に肉屋、薬局、カフェ、お茶屋……店の看板を目で追い、ある店の前で足が止まった。
硝子の壁にドンと大きく商品名が書かれている。
これは花見っぽい。
意気揚々と和菓子屋の暖簾を潜った。
「ただいま」
「おかえり、お疲れ」
「休みの日までお仕事とは大変でちゅねー」
予想済みだったが、金子先輩と生丸さんがビール片手にテレビ番していた。
すでに結構な量飲んでいる。
あと言い方にイラっときた。
「あ、ちょっと! 俺のビールっすよね!?」
冷蔵庫にストックしていたいつものビール。
毎回取られるから名前書いておいたのにまた生丸さんに飲まれていた。
あると思って買ってないのに。
「おう。借りといたわ」
「返してから言ってください!」
そう言って返ってきた試しがない。
過去に1度だけ返してくれたが、銘柄は違うし、ビールより安い発泡酒だった。
ふざけんなと思った。というか、今も思ってる。
「もー。せっかく土産買ってきたのにやらねえぞ」
「なによ?」
どれどれと生丸さんが手元を覗き込む。
色紙に包まれた土産を広げる。
ピンク、白、緑の三色団子、通称『花見団子』。
ほんのり甘くてもちもちのこれを好きな輩は多いだろう。
みたらし団子と人気を二分する団子の花形。花見団子だけに。
ちゃんと5人分買ってきた。
「さっきちょっと桜見てきたんで、花見っぽいものを……」
「抜け駆けか!?」
突然横から大きな声を出されて驚いた。
黙って行ったのだから抜け駆けかもしれないが。
「帰りがけにちょっと寄っただけですよ」
「俺が行こうって言ったのに!?」
「…………誘ったらよかったっすね」
「そうだぞ!」
本当にめんどくさい人だな。
真面目で良い人なんだけど、こだわりが突き抜けてて時々暴走する。
「花見なんて人が多くてめんどうじゃね?」
「そこが醍醐味だろう」
「わざわざ行ってなにするよ? 酒飲んで騒ぐんだったら、花があろうがなかろうが一緒だろ」
「そこに桜があるとないとでは雲泥の差だ。生丸には情緒がないのか」
「毎年咲くもんだし、特に気にしたことねえな」
「人生損してるぞ」
「めっちゃ謳歌してるわ」
生丸さんは団子を握り込む勢いで奪っていく。
自分が食べる分だからいいけど。
「俺も1本もらうぞ」
「どーぞ」
商店街の和菓子屋で購入した花見団子は杵付き餅。
ピンクはわからないけど、緑のは多分ヨモギ(和菓子だから)が練り込まれていて甘さ控えめ。
これもこの時期実家でよく母が買ってきた。
桜は見なくても団子は食べていたな。
「ただいまぁーーあ、いいもの食べてるじゃない」
「おかえりなさい。1つどうぞ」
「ありがとー」
帰ってきた蝦名さんにも1本渡す。
さっそく包みを解いてかじりつく。
「おいしー」
「優しい甘みで美味い」
「ビールには合わねえけどな」
なら食うな、と言いたいがぐっと堪える。
負担がでかいのはこちらだ。
甘いものが苦手な金子先輩でも食べられるならよかった。
餡子入りは絶対食べないし。
「子供の頃から好きだったのよね、花見団子」
「買ってきてよかったです」
「うふふ。実家の近くに花見スポットがあって毎年お祭りが開かれてね。花祭りで売ってたのよ花見団子」
「へぇ」
「小さい頃から行っててね、せがんで買ってもらってたの」
蝦名さんの目が遠くを見ている。
今は縁を切られていて何年も帰っていないらしい。
昔を懐かしんでも今の自分を捨てられないのだから、強い人なんだと思う。
「その店に大きな花見団子売ってて、通常の10倍のやつ。親は食べきれないからダメって買ってもらえなかったんだけど、小学生3・4年くらいかな、お小遣い持って一人で買いに行ったのよ」
「念願叶ったんですね」
「まあね。結局3分の1しか食べれなくて、怒られたわ。姉にも手伝ってもらったけど食べきれなくて、夕飯後に家族総出で食べたのよね」
「いい、思い出なんですね」
「えぇ? 失敗した思い出よ。団子の所為で夕飯食べれなくて怒られたし」
「それって自業自得じゃん?」
「そうよ! だから失敗って言ったでしょ」
マジで失敗談だったのか。
いい話し風だったのに。
「ああいうのはダメね。大きいから一杯食べれるって単純に思ったけど、多い分味も一緒で飽きるし、時間が経つと固くなるし。適度が一番よ」
「そうですね」
1月の餅事件がいい例だ。
はじめはよかったけれど、2週間後はパンが恋しくなった。
米は毎日食べれるのに餅は飽きるんだよな。
あり過ぎても対処に困る。
保存がきくからまだ棚に2袋あったりする。
今年中には食べなくては。
「こんなものを食べていると、ますます花見に行きたくなる……」
「えー、めんどうじゃん」
「私も桜は帰る時に車から見てるし、わざわざ行かなくていいかな」
「そんな!」
金子先輩が打ちひしがれる。
そんなにショックを受けるほどではないことなのに。
感情の起伏が激しい人だ。
「来年! 来年は計画立てて行きましょう、ね!」
「もちろん行くが、今年も行きたい」
「そこは個人で行ってきなさいよ」
「けっこうよかったですよ、ひとり花見」
嫌だと駄々をこねる金子先輩を宥める。
同じやり取りを来年もやるのだろうな、きっと。