米が食いたい! 《後編》
1話後編
「ただいま帰りまし…」
「おかえり!」
食い気味に出迎えてくれた金子先輩はそれはそれはウキウキとしている。
枝豆を茹でていた時はしなかったエプロンを着用する浮かれっぷりだ。
「悪かったないろいろ買わせて」
「イイエ」
「ん?頼んだものより多くないか?」
さっそく奪うように持っていった買い物袋を探っている。
金子先輩のリクエストは米と納豆とたくあんと水。
さらに必要になるかとインスタントみそ汁とたくあん以外の漬物、あと追加のビールも買った。
そのあたりはつっこみ不要なのでさくさくと台所へ向かう。
「では、まず米を研ぐぞ!」
「はい」
すでに用意されていた深めのボウルに米をあける。
「ザルは使わないんですか?」
1度目の研ぎは水が真っ白になるので水は全部捨てる。
なので水切りには目の細かいザルが楽だ。
「ザルで洗うと米の表面が傷ついてしまう。ボウルが正解だ」
「へぇー」
こだわるだけあって詳しいようだ。
なにげに居間に目をやると、テーブルの上に出かける前までなかったノートパソコンがあった。
調べたらしい。
米が入ったボウルに水を注ぐ。
わざわざ引き返して買いにいったペットボトルのミネラルウォーターを、だ。
1本しか買わなかったが、この調子ではまだ必要なのではないだろうか。
「1回目の研ぎが重要だ。2回3回目は水道水でいい」
精米した米は初回の研ぎでたっぷり水を含むためらしい。
これもネットの知識なのだろう。
それよりもまず、確かめたいことがある。
「先輩」
「なんだ?」
「………はかりました?」
ちゃっちゃと米を研いでいた手が止まった。
米が入っていた袋をじっと見つめ、自信満々に頷いた。
「全部炊けばいい!」
「3キロも食えるか!」
「高田ももうすぐ帰ってくるぞ」
「3人でも食える量じゃないっスよ!」
「………そうだな、炊きたてじゃないと旨くないものだものな」
「そういう問題でもない」
高田先輩、早く帰ってきて下さい。
金子先輩のフォローは1人では無理です。
研ぎ汁が半透明な白になったところでボウルから上げ、炊飯器に移す。
計ったら3合と少し余りがあったので、炊飯分のミネラルウォーターを3合のメモリより少し多めに入れる。
丼ならともかくだが、3人で3合強、いや、酒の締めに食べるので1人1合は多い。
当の金子先輩は、炊飯器の前でウキウキしながらスタンバイしている。
これ以上水を差すのもなんなので、付け合わせの用意をすることにした。
「ん?」
よく見るとまだ炊飯のスタートがされていない。
目の前にいるのにわからないのだろうか、と親切心で炊飯ボタンを押そうとしたら、ものすごい勢いで手を叩かれた。
「まだ早いっ!」
「は?」
「研いだら30分寝かせるのだ!」
「は……はぁ」
炊いてもないのに30分も待つつもりなのだろうか。
……待つんだろうな。
「じゃあお任せします」
「うむ」
とりあえずすることがないので新たなビールを開けることにした。
時刻は9時を迎える。
テレビ局はこぞってドラマを放映する時間帯だ。
連ドラには興味がないので社会派ドキュメンタリー番組にチャンネルを合わせる。
それもあまり興味のわかない話題だったが、ドラマよりいいかと流しっぱなしにしておく。
ローテーブルの上には空のビール缶とほとんどないつまみ。
「あ」
コンビニで買ったサバの水煮が皿にあけたまま丸々残っている。
やはり味がないと食べにくいか。
「先輩、パソコン借りますね」
「わかった」
聞くが早いか、インターネットでレシピサイトを呼び出す。
料理をしないのであまり見たことはないが、イマドキの若者はこれくらい扱えないと笑われる。
検索項目は『サバ缶』『アレンジ』。
「ちょうどいいものが……」
スクロールしてすぐに見つけた冷蔵庫にある食材とのコラボメニュー。
さっそくやってみようとサバの入った皿をキッチンへ運ぶ。
冷蔵庫を開けてキムチの残りと、野菜室にあった昨日の野菜炒めの残りのキャベツとモヤシを取り出す。
「これ使っていいっスか?」
「かまわん」
家主からの了承を得て、買ってきた張本人の高田先輩には心の中で謝罪しておく。
冷蔵庫の中身は、名前を明記していなければ共有物として認識されている。
たとえば「俺のビール知りませんか?」と言っても「名前を書いてないお前が悪い」で済まされてしまうというわけだ。
家主がいいと言っているのだから問題ない。
料理は普段からあまりする方ではない。
一応居候ではあるのでむやみに使うのは気が引ける。
それにそれほど器用な質でもない。炒飯や簡単な炒め物ならできるが手の込んだものは無理だ。
先ほど見たレシピは炒めるだけだったのでなんとかできるだろう。
「よし30分だ」
顔を上げると意気揚々と炊飯ボタンを押す金子先輩がいた。
タイマーも砂時計も使わず時計の針を正確に量っていたらしい。
先輩はおそらくきっと、いろんなことを平行してできないんだろうな、と思う。
……この人よりはできる方だと思いたい。
ピーっという電子音がダイニングキッチンに響いた。
続き部屋である居間にももちろん聞こえる。
「炊けたっ!」
待ちきれないと言わんばかりに金子先輩が炊飯器に飛びつく。
だが、炊飯器の蓋を開けようとしない。
「どうしたんスか?」
「……………あと10分」
「まだこだわりがあるんスか」
「蒸らしが必要だ」
こだわるならとことんこだわる、それが金子先輩だ。
すでにテーブルにセットされている茶碗。
あと必要なのは……
「たくあんと納豆を冷蔵庫から出して、インスタントみそ汁を作る、かな」
そういえばと、大学の学食を利用していた頃のことを思い出す。
貧乏学生で研究オタクと言われていた金子先輩は、ゼミの研究室で寝泊まりすることも少なくなかった。
変人とまわりから言われていたのも、ゼミに入ったばかりの新人でも一目で理解できた。
そして、一限目の講義を受けるため、食堂を通って近道することもままあり、そこで目撃した金子先輩は、食堂の朝食メニューを利用していた。
自宅や下宿寮から通う学生が朝食メニューを利用することはあまりない。
ああいうものは、合宿していたゼミ勢や夜勤講師のためのものが暗黙の了解だった。
徹夜で研究に明け暮れ時間を忘れた結果、研究室にお泊まり、なんて院生でもないのにやる者はおそらく金子先輩だけだったのだろう。
その時は決まって白飯に納豆とお味噌汁の一番安いセットを食べていた。
見ているとなんだか学生時代を思い出しそうだ。
「……できた」
チッチッと規則的なリズムを刻む時計の針が600回、1周60回を10周巡った所で炊飯器の前で微動だにしなかった金子先輩が起動した。
その頃にはテーブルの上に茶碗の他、湯気がたちのぼるインスタントみそ汁とパックのままの納豆と小皿にあけたたくあんや他の漬け物の用意ができていた。
「おぉ、懐かしいな」
「でしょう?」
そそくさと席についた金子先輩はさっそく箸を手にした。
………酔ってんのか?酔ってんだな。そういえば酔ってたなけっこう前から。
はぁ、とため息をついて調理棚からしゃもじを持ってくる。
「あ、失念していた。すまん」
「イイエ」
めったに炊飯などしない上、ラーメン締めが常だったのでしゃもじがないとご飯が食べられないなど考えつかなかったのだろう。
それに酔っている、絶対。
ついでに炊飯器からご飯をよそってやる、山盛りで。
真っ白でもっちりとした白米がもこもこと湯気を立てている。
ほのかに甘い匂いが鼻をくすぐり食慾をかき立てる。
これはテレビで見ていたものといい勝負だ。
いや、実際に食べられるのでこちらが圧勝か。
「先輩、茶碗……」
「待て!炊きたてご飯はしっかり底からふんわりと混ぜるんだ!」
「は?」
「全体をムラなく美味しく食べるには必要な行程だ。練ってはいかんぞ、切るように、粒を崩さないように混ぜるんだ」
「はぁ……」
とりあえず言う通りに炊きたて白米にしゃもじを入れて底から混ぜた。
もあ、っと底にたまった水分が大きな湯気となって霧散していく。
さっくり切るように混ぜていくと米粒のひとつひとつがつやつやと立っているのがわかる。
「よし、これくらいでいいぞ」
待ったを掛けると同時に茶碗を寄越してくる。
「はいはい」
混ぜるのと同じ要領で米粒を潰さないように釜から茶碗に一盛り移していく。
「どれくらい食べます?」
「ふつうで」
“ふつう”とは……?
一瞬の逡巡の後、少しだけ茶碗の縁から小山ができる程度に盛りつけた。
金子先輩の前に茶碗を置く。
先輩はキラキラした眼(当社比)で茶碗を持ち上げて箸をいれる。
ひとすくい、箸の先に乗せられたふっくらとした米粒たちを口に含む。
数回咀嚼して、飲み込んだ。
「――――うまいっ」
「よかったっス」
これで「うまくない」と言うようならこの2時間半を返せ、と叫んで胸倉を掴むとことだ。
自分の茶碗にもご飯をよそう。
水分を多く含んだ米粒がライトに反射してテカテカと光っている。
無性にこの真白な小山を口の中へ掻きこみたい衝動に駆られた。
日本人だな、と実感する。
そういえば、とフライパンに放置したままのサバを思い出し、皿に移してテーブルの真ん中に置く。
「口に合うかわかりませんが」
「ん………まあ、うまい」
「ども」
“まあ”という差分が正直なところだろう、うん、まずくない、ってかふつうにうまい。
炊きたて白米、インスタントだけどちゃんとしたみそ汁、おかずに香の物。
実家で食べていたいつもの食卓風景だ。
今度の休みに実家帰ろうかな、なんて思ってみたりもする。
実家の味はいつも食べていたものなので、不足すると物足りなさを感じてしまうもの。
うん、帰って母の味を補充しよう。
しかし、最近のインスタントも旨いものだな。
ずずっとみそ汁を啜る。
「あ、タマゴありますよ」
「TKGもいいな!」
さて、金子先輩も満足していることなので、めでたしめでたし、で今夜は締めよう。
時計の針がそろそろ11時を指そうとしているけれども。
1話おわり ありがとうございました。