サイアクな日のコース
その日はツイてなかった。
スマホにセットしたはずの目覚ましのアラームは鳴らなかった。
通勤中、信号で全部止まり、線路の踏切はなかなか開かなかった。
ギリギリ滑り込んだ事務所に本社勤務の上司が来ていた。
後輩との営業回りは雨が降り出した。
そして、ひとり電車で帰る駅のホームであいつに会う。
ホント、最悪な日だ。
午後の仕事は顧客回り。
空を見上げると曇天で、今にも雨が降りそうだった。
一応、主任という役職所なので自分の担当以外にも部下の指導というものが含まれる。
同じ担当区域の後輩、役職持ちになる前からの付き合いなので部下というより後輩という方がしっくりくるので後輩扱いな彼をつれて外回りに出た。
同じ場所に行くので社用車1台で行く。
白い軽自動車で、サイドに会社のロゴが入っているシンプルな社用車。
昔のモデルは支店の住所や電話番号、キャッチコピーがゴテゴテ入っていてクソダサかったのだから、あれに比べたら全然耐えられるデザインだった。
運転席に後輩、助手席に私が乗り込んだ。
予定は2件。市内の工務店への訪問。
本社が提携を取っているので、新製品の説明と売り込みのお願いがメインとなる。
それが終わると事務所に戻ってデスクワークだ。
今日の報告書と見積を出して、明日の訪問予定の提案書をつくって、新人の業務確認と……
スケジュール表とにらめっこをしていると後輩のスマホが鳴った。
路肩に停めて電話に出る。
相手は個人宅のお客様。漏れ聞こえる会話では今すぐ来てほしいとのこと。
ほぼ怒鳴り声で、内容からしてクレームだ。
後輩は眉を下げてこちらを見た。
「申し訳ございません。……はい……はい。……今から伺います。はい、では、のちほど」
通話を切った後輩は頭を下げた。
この短時間で憔悴しきったようで顔色が悪い。
「すみません、先に帰ってもらえますか」
あとは帰るだけなので付き合うつもりだったので驚いた。
後輩曰く、電話の主は昔ながらの古い考えを持った頭の固い老人、らしい。
女性が外で働く事に良い顔をせず、ましてや女装男子なんてありえないということを声高に言う性分らしい。
そんな人物の前に行くのは火に油を注ぐどころか、大火事起こして全焼レベルまでこじれそうだ。
クレーム対応は上司である自分の仕事でもあったけれど、仕方がない。
近くの駅で下ろしてもらって切符を買った。
車通勤で、移動はたいてい車なので交通系ICカードというものを持った事がなかった。
改札機にカードを近づけるだけでスタスタ通れるのはいいかもと思いつつ、必要でもない。
スマホのアプリにもなっているらしいけれど、他のキャッシュレスアプリがあるのに乗らない電車系アプリを入れるのもなと、結局ないまま過ごしている。
改札を抜け、階段を上ってホームに出る。
正直、最寄りの駅から事務所は近くないけれど3駅分歩くよりマシ。
バスという手段は逆に遠回りになるし、雨が降り出した現在、絶対乗りたくない。
傘は社用車に常備されているものを借りたので大丈夫だけれど、時短のために駅からタクシー拾おうか。
などと考えていたところ、隣に並んでいる男から強い視線を感じた。
正直、見た目には自信がある。
もともと中世的な外見に研究に研究を重ね、頭からつま先まで『美人』を作っている。
化粧は濃すぎずナチュラルを心がけている。元が長めだからつけまもしてない。
胸元まで伸びている髪は地毛だし、手入れを欠かさないし丁寧に巻いている。
何も知らない所見からは『スレンダーで長身な派手め美人』なはず。
目を奪われないわけがない。
声をかけられた所で関わりを持とうとは思わないけど。
ちらりとさりげなく横を盗み見る。
男の顔を確認して、つい「げっ」と声を出してしまった。
「…………ひ、さしぶり」
「そう、ね……」
同棲していた、元カレだった。
気まずい。ものすごく気まずい。
その場を離れたいけれど、足が動こうとしない。
プライドがこの場を逃げる事を拒否している。
せっかく電車待ちの列に並んでいるので他の列の最後尾に並ぶのも嫌だったし。
隣からか細い声がした。
「今……」
「なに?」
「今、大学の後輩の家に住んでるんだっけ……」
「そうだけど」
彼との最後は喧嘩だった。
仕事の事でぐじぐじぐじぐじ愚痴をこぼすからウザくて一喝した。
愚痴る暇があったら、その問題点を解決しようとすればいい、と。
私だって客からクレームもらうし謂れもない批難だって受ける。
傷があっても見せていないだけだ。
誰だって他人に情けない姿を見せたくない。
とりわけ私はハンデを背負っている。女装が社会に受け入れられないことだって知っている。
彼がメンタル弱い質なので外での愚痴を吐かなかった。
強くなろうとした。
結末は別れ。良い最後ではない。
だけど、後悔はない。
「大変じゃないのか?相手男だろ?」
何を心配しているのか。
「いい子たちよ。失礼な事言わないで」
「たち、って。2人暮らしじゃないのか!?」
「私を入れて5人よ。なに」
「てっきり他に男作ったのかと……」
確かに、大学の後輩、としか伝えていない。
私が浮気しているとずっと想像していたのだろうか。
まだ私を自分の所有物だと思っているのか。
離れて冷静になったはずなのに、またフツフツ沸き立つものがある。
どれだけ苛立たせれば気が済むのか。
「そっちはどうなのよ」
「俺は……」
突然住む場所をなくしたんだ。
頼るとしたら友人か職場の同僚。
「カノジョと一緒に。えっと、ほら……同じ店のアシスタントの……」
わかったわかった、あの子だろ。
おっとりした感じの小柄なかわいい子。
って私と真逆のタイプじゃん!
なにコイツ!マジなんなのよっ!
当てつけかっ!?
彼、いやもうコイツでいい。コイツは私が通っていたヘアサロンの担当だった。
コイツのアシスタントでいつもついていた女の子がいた。
たぶんその子のことだろう。
たびたび話に上がって「いい子」と言っていたのでたぶんどころか間違いない。
別れて半年も経ってないのにもう同棲してるのか。
人の浮気を気にしておいて、自分を棚に上げてんじゃねーか。ふざけんな。
「カノジョと、結婚を考えててさ。それで……」
どこまで人を馬鹿にしてくれるんだろう。
人は怒りが沸点を超えると逆に冷静になると聞いた事がある。
正にその通りだ。
スッと思考が冷えていく。
「おめでとう。私は祝わないわ。私の知らないところで幸せになって下さい」
にっこり笑って別れた。
「あーーーーーーーーーーー ムカつくっっ!!!」
只今、蝦名真澄は禁酒している。
だけど飲まずにはやっていられない。
冷蔵庫から誰かのビールを1本拝借して一気に飲み干した。
ことりと小鉢が目の前に置かれる。キュウリとタコのもずく酢だ。
顔を上げるとゼンくんが呆れた顔を浮かべていた。
今日はお休みらしく、ゼンくんお手製の料理がテーブルに並べられている。
いろんな事がずれ込んで残業の上、更に自主残業を重ねた。
夕食など頭になくまっすぐ帰ったのだが、温かく迎えてくれたのがゼンくんのご飯だった。
みんなが食べたメニューは、私の分だけラップしてテーブルにある。
もずく酢は、今ゼンくんがちゃちゃっと作ってくれたのだ。
学生時代の飲み会で私がよく好んで食べていた。
ありがたい。
顔だけじゃなく性格もイケメンだ。
「ゼンくん結婚して」
「遠慮します」
何度もしているやりとりなのでテンポもいい。
このやりとりも楽しいけれどフラれてばかりなのもつまらない。
冗談でプロポーズしているけどOKもらったらもらったで困ってしまう。
今はまだみんなのゼンくんでいてほしい。ご飯大事。
「じゃあデートして」
「…………めんどくさい」
「ちょっとぉ。女性の誘いにめんどくさいはアウト発言よ!」
「先輩は女じゃないでしょう」
「そういうのがよくないのよ!」
つれなさすぎて心が折れそう。
けれど、今日は引き下がらない。
「ねぇ~え~、デートしましょ。デート」
「今日は食い下がりますね。何かありました?」
「あのバカに思い知らせたい」
アイツにぎゃふんと言わせたい!
超絶イケメンのゼンくんと幸せなカップルになってラブラブデートを見せつけたい!
アンタなんかとっくにお呼びじゃない!と言ってやりたい!
そういう下心があるデートのお誘いだ。
「それ、虚しくないっすか?」
「いいの!アイツの悔しそうな顔を見るのはついで。ゼンくんとのデートそのものが本命だから」
「つーか、都合つかないでしょ」
「合わせるわ!」
「無理でしょ」
「……そう、ねぇ」
冷静になると分かっていた事実に思い当たる。
私とゼンくん、私とアイツ。
ショールーム勤務の営業とアパレル販売員とヘアスタイリスト(全員雇われ)。
職業がバラバラで、休みが合うわけがない。
有給取るにしても、理由が……
「あ、健吾ならいつでも暇なので連れ回せば?」
「ケンくぅ~ん?嫌よ、優しくないもの」
ケンくんは本当に私のことを女扱いしない。
男同士の付き合いにしかならない。
その遠慮のない距離感がいいんだけど。
大きなため息がつい出てしまう。
雨で髪が纏まらないし、アイツに会っちゃうし、サービス残業したし、最悪な1日だった。
癒しが欲しい。
例えばゼンくんが作る美味しいご飯。
例えばジュンくんと微妙に噛み合わない面白い会話。
例えばイチローくんの素直なリアクション。
ケンくんは、まあ、一緒にいて楽しいけれど、癒しになるかは別。
「イケメンに癒されたい……」
「人のことイケメンイケメンって、他にないんですか」
「イメケンシェフ、今日のディナーも美味しそうね」
「はぁ……いっぱい食べてくださいね」
温め直された味噌汁が置かれる。
心が荒んでいる時の温かい味噌汁は染みる。
そんなやりとりをしてからしばらく経った。
時間が怒りを薄れさせ、忙しさがアイツの存在感を消した。
アイツと別れてからヘアサロンを変えた。
今の家にほど近い、オーナーがスタイリストでアルバイトのアシスタントが2人いる、小さいけれどおしゃれな店舗を構えたサロンだ。
定期的にストレートパーマをかけているのだけれど、あまり納得のいく仕上がりではない。
悔しいけれどアイツの腕は良かった。
仕事中、髪は下ろすようにしている。
やはり首回りは男性であることを浮き出させてしまう。
少しでも目立たなくするためだ。
パッと見では気づかない人も多いけれど、何度か顔を合わせると当然気づかれる。
気づかないフリをしてくれる人と、ずばり言ってくる人が半々。
言ってくる人でも好意的に受け取ってくれる人は2割くらいと少ない。
すぐに担当を変えろと言ってくる人も中に入るので、ありがたいと思う。
その2割の中でもとりわけ親しく付き合ってくれる顧客がこちら。
「ありがとうございます。さすが蝦名さん」
「いえいえ。私でお役に立てたなら光栄です」
とある結婚式場が今日の仕事現場。
披露宴会場の内装の相談を持ちかけられお邪魔している。
この式場の会場に使われているのは我が社のメーカー品で、私の成功もこの式場のおかげだ。
「蝦名さんはセンスいいし、お洒落だし、それに美人じゃないですか」
「私を煽てても見積の数字は変わりませんよ?」
「本心ですよ」
私自身を評価してくれるブライダルプランナーさんは若くして責任者に抜擢され、テンパった末、たまたま営業で声をかけた私と企画を打ち立て、二人三脚で成功を掴んできた。
おかげでお互いが会社から評価された。
「そうだ。これ差し上げます」
「なんです?」
渡されたのは白い封筒。中にはチケットが入っていた。
「うちのブライダルフェアの招待状です」
え…………困る。
私はこんななので結婚する予定は皆無だ。
結婚式やウェディングドレスに憧れがないわけではない。
しかし、女性と結婚できるとは思えない。
女性と結婚するなら私がドレス着れないし。
「いいんですよ、相談会に参加しなくてもいいし。内容は、ドレスの試着とか式場の見学とかなんですけど、この招待状持ってきた人は披露宴のお料理にケーキつけられるんですよ」
「でも、一緒に行く人もいないし」
「大丈夫です。カップルも多いんですけど、お1人や親とみえる人も多いんですよ」
「そうなんですね」
「ブライダルフェアという名の豪華なランチだと思っていただければ」
「なるほど。ぜひ来させていただきます」
せっかくもらったチケットだったけれど、開催されるのは来週の週末の土・日と月曜。
土・日は仕事があるので行けるとしたら月曜。
本来、日曜は休みなのだけれど、この週は変則で日曜に出勤して代休をとることになっている。
それに土・日は休日な行政や企業が多いので予約数が平日の倍以上。
月曜、平日だ。仕事があるけれど、代休で行けないこともない。
最悪、仕事にかこつけてランチタイムだけ参加、できないだろうか。
ひとりでも大丈夫だけれど、すごく浮く。
普段は人目を気にしない方だけれど、場所による。
仕事で行くならまだしも、プライベートで行く結婚式場はアウェー中のアウェー。
誰かと一緒なら心強いけれど、一緒に行ってくれる人なんていない。
「ねえ、ケンくん。来週ひま?」
「はぁ?」
ダメ元で一番暇そうな後輩に声をかけた。
ご飯奢り、って言ったらついてきてくれるだろう。
「来週はダメっすね。仕事入れてる」
「いつ?」
「んー……火・水がこっちで金曜出発で火曜の午前まで県外回り、かな」
丸被りだ。しかも帰ってこない。
いつも家にいないからどこで何してるか知らないけど、はっきり仕事と口にしたから実は裏で何かやっているのかもしれない。
何の仕事か知らないけど。
「ジュンくんとイチローくんは、月曜は仕事よね?」
「まあ、平日ですから」
「行きたくないですけどね」
気持ちはスゴくわかる。
でも行かなければいけない。企業戦士だから。
「ただいま」
ゼンくんが帰ってきた。
珍しくリビングにみんないるものだから少し驚いているみたいだった。
とりあえずゼンくんを誘って、断られるから一人で行こう。断られることが前提なのが悲しいところ。
「…………いいっすよ?」
「そうだよね…………っていいの!?」
「シフトは休みになってるし。式場の飯食べてみたかったんで」
まさかのOKがきた。
あの面倒がりなゼンくんが!
まずタダで、という点と、結婚式の料理、という点がポイントらしい。
確かに、高級レストランにほいほい行けるわけではないからお得感はある。
結婚式なんてそうそう呼ばれることはない。
私だって会社関係の人の、片手で数えるくらいしかない。
意外にもゼンくんは、二次会はあるけど式と披露宴は一度も招待されたことがないらしい。
なので興味があったという。
式そのものは堅苦しいので出たくない、というのがゼンくんらしい。
待ちに待った月曜日。
ゼンくんに承諾してもらった翌日に、ブライダルプランナーさんに連絡して予約を入れてもらった。
2人って伝えたら、彼氏ですか?彼女ですか?と聞かれたのでノーコメントとしておいた。会えばわかることだし。
前日の多忙さで貯めたストレスは今日晴らす!
わかっていたとはいえ、子供が素直すぎてこわい……いや忘れよう。
ブライダルフェアは結婚式の下見のようなもの。
せっかくのお式だから素敵なものにしたいというのは、どのカップルも望むもの。
結婚式だって人生で何度もするものではないから勝手が分からないのが当然。
納得できる式にする為に式場が実際に雰囲気を体験させてくれるのがブライダルフェアだ。
私達は、特にゼンくんは、ご飯目当て来ているので式場見学もドレス試着も適当だった。
私はちょっとテンション上がったけどね!
神聖な雰囲気の教会はガラス面から差し込む光が神父台の前に伸び、まるでスポットライトのようで素敵だった。近くの席で見て、ほわっと息を吐いた。
純白な豪華なドレスは見るだけでも充分楽しい。
担当者さんは試着を勧めてくれたけど、着る気になれなかったので断った。
なんとなくアイツがちらつくから。
「次は披露宴会場にご案内します」
実際に使用する会場を順に回っていっている。
月曜でも何組か予約が入っているらしく、他の組と被らないように案内してくれているようだ。
「こちらではお食事を召し上がれます。今日のいらっしゃってる他の方々も一緒になります」
厨房が見えるタイプの会場だ。
ここは私が担当した。何度も訪れているのでちょっとほっとする。
実際に張り出した厨房でステーキを焼いてフランベを見せるショーだったり、ケーキのデコレーションを生で実演とか、結婚式以外のパーティーでも使えると好評頂いている。
実際、パティシエの新郎さんがこの厨房でデコレーションをして花嫁さんに食べさせたというパフォーマンスもあったそうだ。
今日もシェフが見える厨房でお料理を作ってくれていた。
案内されたテーブルはすでにカラトリーがセットされており、どのテーブルも2人掛けだった。
テーブルの中央に小振りな生花のブーケが生けられている。白でまとめられてちょこんと指し色が1本混じっている。他のテーブルも同じ感じだけれど、1本の花は違うものだった。
細部までこだわっているのが窺える。
カラトリーの手前におしながきが置かれていた
メニューはざっくり、前菜、スープ、メイン(肉と魚が選べる)、デザート。それにパンとドリンクがつく。
試食会用の省略メニューだからそんなに多く食べれないけれど、期待できそう。
メインは、私が魚でゼンくんが肉を頼んだ。
会場の扉が開き、他の組が入ってくる。若い男女の声、カップルだろう。
他の席に背中を向けているので声だけで判断している。
この会場に着くのがお昼に近い時間になるよう、他の組も調整されているようだった。
さらに2組案内されてきて、全部で4組になった。
まずは前菜が運ばれてくる。
半透明な円皿に盛られているのは、鯛とホタテのカルパッチョ~イクラを添えて~、旬の彩り野菜のゼリー寄せの2品。
どちらも1枚の皿に調和していてキレイだ。
ナイフとフォークが揃えられているけれど、手前に置かれた箸で頂く。
「食べるのが勿体ないわ」
キラキラ輝いているのはおそらくドレッシングの類いのジュレ。カルパッチョ自体にも味付けされているけれど、ジュレを乗せて食べるとまた味が変わる。すごく美味しい。
ゼリー寄せもしっかり味付けされている。コンソメベースだけれど、旨味が深い。野菜もカラフルで彩りも良く目にも美味しい。
「ゼンくん。これ作れる?」
「……似たようなものなら。いけなくも、ない、かもだけど……」
「どっちよ」
「無理。似てても絶対味が違う」
「そっかー」
ゼンくんがお料理上手でも1回食べただけじゃ難しいか。
プロの仕事、素晴らしい。
主催も招待客も満足するお式は料理で決まると聞く。
見た目が良くても味が微妙だと式自体の印象も微妙になる。
この料理が出てきたら満足だ。
スープはコンソメ。透き通っていて雑味がない。文句なく美味しい。
次はメインなのだが、全員分一緒に仕上げる為少し時間が空いた。
肉と魚、調理法が違うので仕方がない。
本来は別々に出すものだしね。
ドリンク片手に料理について話していたらメインが配膳されてた。
やっぱりメインが一番食べたいものだ。
魚料理は、白身魚のムニエル。
肉料理は、小振りなステーキだった。箸でも食べやすいようカットされている。
どっちも美味しそう。
不意に既視感を覚えた。
つい先日も同じ感覚を味わった。この刺すような痛い視線。
振り返るとヤツがいた。
まさかこんなところでコイツと会うとは。
「真澄……?」
「……う、わぁ」
元カレだった。
あっちからしたら私がここにいることの方が不思議だろう。
場所が場所で催し物が催し物だけに。
でも、ここは私のお得意様。しかもあちらから招待されている。
せっかく美味しい料理で気分が上がっていたのに一瞬で奈落に落とされた気分になった。
もちろん、アイツには同棲相手のかわいいカノジョが一緒にいる。
うん、見覚えがある。やっぱりあのアシスタントの子だ。
「なんでここに……てか、そっちは?」
目線でゼンくんを差す。
自分が失礼なことをしてるって気づいているんだろうか。
差された当人は我関せずと料理に舌鼓を打っている。
無視しておいた方がいいかもしれない。
こちらの心情に構わずまだ話しかけてくる。
「こんなところ、お前に縁なんてないだろう。そっちの男は知ってるのか?」
「あの、蝦名さん。彼心配してたんですよ?」
なんのつもりだ。女の方まで応戦してきた。
突然家を追い出した悪人とでも思っているんだろうか。
苛々する。
おかげで味がわからない。
美味しいはずなのに。楽しみにしてたのに。
来るんじゃなかっ……
「真澄さん」
名前を呼ばれ、弾かれたように顔を上げると目の前にゼンくんの箸があった。
「これ、美味いっすよ」
ステーキが一切れ差し出されている。
これはまさか「あーん」という状況だろうか。
少し躊躇って口を開けるとステーキを放り込まれた。
柔らかいのに存在感が半端ない。噛むごとに極上の肉汁が溢れる。絡められたソースが少しスパイシーで、肉汁と合わさりすっきりとした後味を残している。
「美味しい……」
「ね。美味いもんが冷めたらもったいないっすよ」
確かに。
コイツら相手にしていたらもったいない。
ムニエルも口にする。
濃厚なバターにハーブの風味が利いている。淡白になりがちな白身魚がバターを纏ってまろやかな甘さを引き立てていた。
どちらも上品で美味しい。
「そうね。うちでも食べたいわ」
「ボーナス出たら考えます」
「私が奢るわよ」
「5人分ですか?」
「もちろん」
「あぁ……どうせいい肉買うならあれ作りたいかも、ローストビーフ」
「ローストビーフって作れるの?」
「作ったことないけど、作り方は知ってます」
「食べたい、ローストビーフ!」
「先輩のボーナスで食べましょう」
横目で向こうのテーブルを見た。
信じられないと言いたげな表情を浮かべている。
ぎゃふん、と言わせたかったのに、なんだか無性に腹が立った。
帰り際に、式場の担当者にお礼と騒いだ謝罪を言って出た。
車に向かう駐車場でアイツに呼び止められた。
「……さっきは悪かったな」
「私より式場の方に謝ってくれない?」
「あぁ、お前の取引先だっけ。謝っておいてくれ」
「ーーーー……自分で行きなさい」
言葉だけの悪びれる様子のない顔に苛立ちだけが積もる。
このまま平行線になる未来しか見えない。
あの時と一緒。
自分の責任を他人に任せようとする。
甘ったれでヘタレで、自分のプライドだけ高い男。
こんな男と一時でも付き合っていたなんて黒歴史もいい所だ。
「今日は、仕事じゃないのか?」
「ランチに招待されたから来ただけよ」
「そうか。だよな。お前に付き合う奴なんて……」
またそれか。
別れたことを後悔しろって言いたいのか?
かわいいカノジョの前で自分はいい男だと言ってほしいのか。
なんて矮小な奴。
冷静に対処すべきなんだろうけれど、積もり積もった苛立ちがそうさせてくれない。
今にも爆発しそうな感情を抑えるため、ぎゅっと下唇を噛む。
「そんなにおかしいんですか?」
先に車に行っていたはずのゼンくんが、私のすぐ後ろに来ていた。
「……あんたは?」
「大学の後輩だけど」
「ああ。一緒に暮らしてるっていう」
ヤバイ。ゼンくんが標的になる。
アイツと私の問題に巻き込めない。
「真澄先輩が美人だからかまいたくなるんだろうけど」
「……は?」
「別れてんのに構ってくるなんて、子供ですか?」
「は?」
「そっちが浮気して別れたのに、先輩がいいオンナだから惜しくなっちゃったんすね」
「はあ!?」
ちょっと、ゼンくん、コイツに喧嘩売ってる?
もしかしてずっと怒ってたの?
ゼンくんの毒のある言葉に目を白黒させてるコイツの顔も面白くて。
「……あっはっはっははー」
バカみたい。
いちいちコイツの言うこと真に受けて、傷ついてた。
『事実だから仕方ない』
好きな格好をする代償だなんて、私が勝手につけただけの枷だった。
枷も罰も負う必要ないのに。
「もう、ゼンくんったら」
「事実でしょ」
「さあ?」
付き合う必要ないので元カレたちに背を向けた。
何かわめいてたけど無視して車に乗った。
「……すんません」
「なにが?」
「出しゃばりました」
「私がお礼を言いたいくらいよ」
嫌な思いさせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
何かお返しできればいいんだけど。
運転する横顔をじっと見た。
表情筋が動かないけどイケメンだ。
優しいし料理上手いしイケメンすぎの後輩。
「惚れそう」
「キツいんで勘弁してください」
いつもどおりの答えが返ってきて、なんとなく安心した。