米が食いたい! 《前編》
1話目
1日の勤めが終わり、ふと目に留まった屋台の焼き鳥店で焼きたての串を十数本買い込んだ。
冷めないように二重に包んで鞄へしまい、そういえばビールがなかったな、とコンビニで気に入りのラベルのビール缶とつまみにとサバ缶も買った。
どちらかといえば醤油味より味噌煮の方が好きだが、味付けを変えればいいかとただの水煮のものにする。
家に着くとすでに明かりが付いていたのでどうやら先着がいたらしい。
「ただいま帰りました」
ドアを開け、声をかけるとどこかから声が聞こえた。
靴を脱いで家の奥へ進む。
玄関から延びる廊下の突き当たりは居間。
居間に行き着く間に風呂場やトイレ、いくつもの部屋がある。
そして、最奥の居間のドアのすぐ手前にある引き戸を開ける。あるのは3畳ほどの台所だ。
「ただいまです」
「お帰り」
台所にいた同居人に声をかける。
コンロの前に立ち、ぐつぐつとお湯を沸かしている。片手に菜箸と網袋に入った生の枝豆。
ビールで正解、とひとりニヤつく。
いったん台所の戸を閉め、居間から入り直す。
カウンター式の台所とつながっていて、居間からでも調理中の姿が確認できる。
いわゆるダイニングキッチンなのだが、住人が揃って集まるのはこの部屋なので、家主は共有できるテレビもローテーブルもここに置いた。
冬になるとこたつに変わる。
着替えるべく自室に行く前に、買ったばかりのビールとつまみを4人掛けのダイニングテーブルに置いた。
肩の張るスーツを脱いで着慣れたスエットを身につけ、ぱたぱたと居間に戻る。
ちょうど茹で上がった枝豆がローテーブルに置かれた所だった。
「俺、焼き鳥買ってきたんスよ。あっためますか?」
さすがに冷めたであろう焼き鳥の袋を掲げてみせる。
「いや、いい」
「あとサバ缶」
「サバ……あ、キムチあったな」
「サバにキムチって合うんですか?」
水煮のサバ缶を皿にあけ、キムチをそのまま添えようとする同居人を慌てて止める。
ローテーブルにつまみとビールを並べて、ささやかな晩餐が始まった。
社会人になってまだ1年目。
新しい生活は学生時代とは全然違って、右も左もわからないことばかり。
緊張の連続で心も体もいろいろすり減っていく感覚があった。
実家暮らしならまだ半減されるかもしれない。
けれど一人暮らしをすることは学生時代から決めていた。
自分で働いて手に入れる給金で生活がしてみたかったという、自立心あふれた理由なのだが。
いかんせん、初任給がいくらか、生活費は、家賃はどれくらい必要なのか……まだ社会を知らない未熟者には計り知れない。
不安に駆られ、大学でお世話になった先輩に相談した所、
「一緒に住むか?」
という答えが返ってきた。
なんでも一軒家を買ったはいいが一人では広すぎる、らしい。
つっこみたいところはいろいろあったが、光熱費・水道代諸々込みで月5万円という魅力的すぎる家賃に二つ返事で了承した。
ルームシェア、というか下宿や居候に近い状態だがけっこう居心地がいい。
この家の大家の先輩は金子さんといって、真面目でいい人だ。
ちょっと変わっているけど。
「高田先輩は、まだですよね」
時計は7時を少し過ぎた所。
晩酌を進め、2人で缶ビールを1本ずつ空けていた。
「だろうな」
金子先輩がぐいっと缶のままビールをあおった。
高田先輩というのはもう1人の同居人。
金子先輩の同期でショップの店員をやっている。
責任者、とはいかないがバイトの監督をしていると言っていたのでそれなりに責任ある立場の社員さん。
閉店後もいろいろ事務仕事があるらしく帰宅はいつも遅い。
この先輩とも大学で知り合って、いろいろお世話になった。
彼との思い出は……あまり思い出したくないこともある。
金子先輩は普段あまり口数が多い方ではない。
テレビがついているので静かではないけれど、ぽつりぽつりと話しかけられる声は聞こえる。
独特の間と遠慮のない声は嫌ではなかった。
話といっても大したことではない。
今日あったこと、笑ったこと、失敗したことなど他愛ない。
それを聞いたり聞いてもらったり、何気ない時間を過ごしていると、一人暮らしではなくてよかったと思えてくる。
社会人1年生がそう頻繁に外食ができないのは給与の明細書でわかった。
気が置けない人たちとの宅飲みくらいがちょうどいい。
ジョッキで出される割高生ビールより、コンビニで買ってくる缶ビールでちょうどいいのだ。
ふたりで食べて山盛りになっている枝豆の殻を見ながらほっと息をついた。
とはいっても先輩なので、そこは目上の人として接している。
ふとテレビに意識を向けるとバラエティ番組が流れていた。
お笑い芸人と若手のタレントが地方を回り特産物を紹介している。
『うちの自慢はなんと言っても米!米が旨いんですよ』
画面に映るのは一面の金色、広大な土地でオリジナル米を栽培しているらしい。
米といえばコシヒカリくらいしか思い浮かばないが、昨今ではいろんな土地でいろんなオリジナルブランド米がつくられているそうだ。
ここもそれで、新しいブランド米だという。
収穫時期で芸人達が手伝いをするという企画だった。
といっても手に鎌を持って刈ることはなくコンバインでの収穫だ。
収穫仕立ての稲穂を精米機にかけて籾殻と精米にわけてから、一気に炊きたてご飯の映像になる。
ごくりと喉が鳴った。
日本人なら米を食え、という家庭育ちならではの反応だろう。
炊きたての、しかも新米は旨いだろ、絶対!
しかし、この家に米はない。
ある時はあるが、このあとの締めはいつもインスタントラーメン。
朝は低血圧な人が多いのでそのまま食べられるパンが常備されている。
かといって米をまったく食べていない訳ではない。
昼食は会社の食堂か近くの和食ファーストフードがもっぱらなので、だいたい麺か米食になる。
なので別段恋しくなるものでもない。
が、
「米が食いたい」
テレビの炊きたて白飯に釘付けの金子先輩が発した。
芸人が茶碗山盛りのほかほかつやつや白米を豪快に頬張っている画は反則だ。
気持ちはわかる。
わかるが……
「炊きたての白飯がいい」
こうなった金子先輩はテコでも動かない。
目標達成するまでひたすら追い続ける。
炊飯器はあるが米はない。
今から炊くにしても1時間くらいかかるのではないか。
炊きあがりは9時近く……
「先輩、俺コンビニ行っておにぎり買ってきますよ!」
「ダメだ。炊きたての白飯でなければ満足は得られない」
うわぁ、面倒くさい……
妥協案はすぐさま却下。
これは『玄関開けたら2分でご飯』的レトルトもダメだろう。
こういう人だとは知っているが本当に面倒くさい。
「よし」
金子先輩は勢い良く立ち上がり、すたすたと玄関へ向かっていく。
「ちょっと、先輩!?」
「米屋行ってくる」
「はぁ!?」
引き止める間もなく出て行ってしまった。
「……まあ、いっか」
プロ野球中継にチャンネルを変え、焼き鳥に手を伸ばした。
7回の表にして3ー1、贔屓のチームが押しているようだ。
「これは今年の優勝は決まりだな」
40分後、金子先輩は肩を落としながら帰ってきた。
「米屋、開いてなかった」
そりゃそうだろう、もう8時を過ぎている。
ほとんどの商店は閉まっているだろう。
「スーパーも閉まっていた」
スーパーも行ったのか、どうりで少し遅いと思った。
「開いてたとしても財布忘れたから買えなかった」
「先輩……」
ソファに座り込み、俯いたまま動かなくなった。
こだわりが多い人ではあるが、そんなにショックが大きいものなのか。
目の前でわかりやすく落ち込まれると気になって仕方がない。
スーパーはやっていなくてもあそこならまだ営業している。
「先輩、俺が米を買ってきますから」
「……本当か?」
「任せて下さい」
一気に金子先輩のテンションが上昇する。
普段からあまり表情が変わることがないが、目に見えて喜んでいる。
「では、納豆とたくあんも頼む!」
「リョーカイです」
酒が少しまわった体を立ち上がらせ家を出た。
もちろん財布も忘れていない。
以前立ち寄った時に見かけた米袋を求めて、ドラッグストアへ向かう。
2人で食べる分……いや、もうすぐ高田先輩も帰ってくるから3人分。
今から炊く分と、別の日に食べるとしても1キロもいらない。
食品コーナーの飲み物売り場へ行く。
重量のあるものを固めているのか米もここにある。
棚に並んでいる一番小さな米袋は、3キロだった。
しかたなく3キロの米袋と金子先輩のリクエストの納豆とたくあんを買い物カゴに入れる。ついでにタマゴも1パックも。
ドラッグストアなのに酒も食材も調味料も豊富で、深夜も開いているこの店は重宝したい。
あの家の冷蔵庫には生活感のある食材は少ない。
おそらく金子先輩があれこれ欲しがると予想されるので買っておくに越したことはない。
予定より重くなった買い物袋を下げて店を出た瞬間、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。
身につけているなら着信音よりバイブレーションの方が気づきやすい。
というか、会社を出てからずっとマナーモードから切り替えてなかっただけだが。
震える携帯電話の表示を見て半目になった。
とりあえず出る。
無視すると再度かかってくるだろう、そういう人だ。
「はい」
『金子だ』
知ってます。画面に出てます。
「米買えたんで今から帰ります」
『礼を言う!』
一気にテンションが上がったのかトーンが高くなった。
『それで追加で買ってきてもらいたいものがある』
重い米持っているというのにさらに何が欲しいというのか。
『水を』
「みず?」
『米研ぎ用と炊飯用に。そうだな……2リットルのものを2本、いや1本でいい』
持っている買い物袋を投げたくなった。
両手を塞いでいる物以外に水まで買わせる気か。
水ならコンビニでも買える。だが、ドラッグストアのがおそらく安い。
「……わかりました」
お世話になっている先輩の頼みだ。
通話を切って渋々店内に戻る。
「あ、インスタントみそ汁買っておこう」
こうなったら定番を揃えてやろうかと自棄になりそうだ。
後編へ続く