#ED-1.皆が望んだ世界
「――ィっ、ミリィ、朝だよーっ」
朝になると、目が覚める。
そんな当たり前の日常が、今日もまた訪れる。
呼ばれるままに意識が引き寄せられ、まだ眠い眼を開くと、そこには当たり前のように、彼女の姉が居た。
「ん……ねえ、さん?」
「おはようミリィ! さ、早く起きて。ご飯、冷めちゃうよ?」
満面の笑みで見下ろしてくる姉に、「ああそうか」と、ようやく意識がはっきりし。
彼女――ミルフィーユは起き上がる。
「おはよう……姉さん、ご飯って?」
「ママが作ってくれたの。ほら、早く! 今日はパパも帰ってくるっていう話だし、早くご飯食べて迎えに行かないと!」
「……ああ、そうだったね」
時計を見て、「まだ起きるには早いかな」と思っていたミリィだが、姉に促され、「そういえばそうだった」と思い出す。
今日は、久しぶりに……本当に久しぶりに、父親と会える日なのだ。
今までずっと仕事で忙しかった彼女たちの父親は、ようやく休暇が貰えたらしく、家に帰ってこれる。
きっと姉は、そんな父に一刻も早く会いたいのだと理解し、「仕方ないなあ」と笑ってしまった。
「それじゃ、早く食べないとね」
「そうそう! ほら、早く顔洗っちゃって! ご飯食べたらシャワーも浴びてね!!」
「はいはい……急かさないでったら」
当たり前の日常。
だけれどちょっとだけ変わった日常。
母親が当たり前のように家に居て、姉が以前より明るくなり、そして父が帰ってくる。
たったそれだけの変化。だけれど、その些細な変化が、何より少女には嬉しくて。
焦れる姉に急かされるまま、少女はベッドから降りた。
「――最近、ゲーム世界の『彼』との関係が進展しまして……」
「おおー、おめでとうございますヒョウカさん」
「えへへ~……お父様もお家に帰ってくるとかで、なんだか私順風満帆ですわ♪」
「私の家もお父さんが帰ってきたから、姉さんが大はしゃぎでした」
昼休み。
中庭での昼食の時間を親友たちと過ごすミルフィーユは、ヒョウカからの経過報告ににっこりと愛らしい笑みを浮かべていた。
「あー……いいねえ二人は楽しそうで」
対して、イズミはというと……どこか疲れた様な、そんな顔である。
「どうしたのナチ?」
「ナチバラさんもご両親が帰られたのでは? 嬉しくないのですか?」
「……増えた」
「増え……た?」
「何が?」
「兄弟が……増えてた」
深い深いため息の末、イズミの口から出たのは……そんな一言だった。
「……あー」
「なるほど」
そういうこともあるよねえ、と、二人して顔を見合わせながら眉を下げる。
「また男だよ……絶対苦労押し付けられる……家事とかすごく大変なのに」
「まあまあ」
「とりあえずはおめでたいのでは? 弟さん、可愛いでしょう?」
「そりゃ可愛いは可愛いけどさ……兄貴が変な事吹き込もうとしてるからそれ阻止するだけですごく大変なの!!」
「うわあ……」
「サンリンさん、相変わらずのキャラクターですのね……」
頭を押さえ嘆く親友に、二人は苦笑いしながら「でもまあ」と続ける。
「ナチは彼氏君いるし」
「そうですわ。優しい彼氏さんがいるんですから、それだけでもう勝ち組でしょう?」
リアルで充実しているのだから。
割と優秀な彼氏がいるのだから。
それだけでもう、イズミは勝ち組も同然なのだ。
「いや、それは……まあ」
「ナチ的には学生結婚もありなの?」
「ちょっ、サクラ、何言って……!」
「ナチバラさんの事だからどうせその辺は計画的なのでしょう? ああ怖い怖い天才様は怖いですわぁ」
「オガワラァっ!!」
魂の叫びが中庭にこだました。
「――という事があったんですよ。昨日」
翌日。
病院の中庭では、ミルフィーユとオオイが並んでベンチに座っていた。
週末という事もあってか、院内では多くの人が行き交い、以前と比べ賑わいに満ちている。
「女子はほんとに恋愛話が好きだな」
「えへへ。そういうお話には敏感になっちゃうんです。皆自分の恋愛に活かしたいですからね」
「なるほどな」
友人二人の恋愛模様がどれほどこの少女の恋愛に活かせるのだろうか、と、疑問に思わないでもなかったが、オオイはそれは口に出さず、静かに頷いて見せる。
「高校に入ってから、君は本当によく笑うようになったと思うが……最近は特に、楽しいことが増えたようだな」
「はい、そうなんです! 最近はプリンさんもよく顔を出しますし……お仕事も順調で!」
「例の、手芸店のバイトか?」
「そうですそうです。お店で自作のぬいぐるみを作って売るっていうワークスがあって。やってみたら意外と売れ行きがよくって!」
「自分の作品が売れるのっていいな」
「本当、そうなんです! 小さい女の子とかが『これ欲しい』ってママにねだるのを見て……なんだか、自分の天職を見つけちゃった気がしました!」
嬉しそうにはしゃぐこの彼女候補生。
この無邪気な笑顔が、何よりも大切な宝のように思えて、オオイも思わず頬を緩めてしまう。
「……しかし」
最近のミルフィーユを見るにあたって、オオイはある変化に気づいていた。
それは、彼女の身体的変化。
些細な違いだが、医者志望である彼はその些細な変化に敏感に気づいてしまっていた。
「大きくなった……」
「……?」
一瞬だけ胸元を見て、しかしすぐに視線を逸らし。
不思議そうに首を傾げるミルフィーユと視線を合わせるようにしながら「いや」と、口元を歪める。
「背丈が、な。ちょっと伸びたんじゃないか?」
「あ……はい! 解りますか!?」
一瞬キョトンとしていたミルフィーユだが、すぐに「そうなんです!」と嬉しそうに笑う。
「伸びたんです! 3ミリ!!」
「さ、3ミリか」
「はい! 3ミリも! 今まで一年通してもほとんど伸びなかったのに! この短期間に!!」
それは、長い間背の伸びなかった彼女にとってこの上ない幸福らしかったが、オオイにとってはあまりにも些細な変化だった。
なんとなしに口から出まかせで言っただけだったのだ。
視線の先に気づかれない為のブラフが、まさかこんなクリティカルヒットするとは、と、オオイは苦笑いを隠せない。
ニコニコ顔で興奮気味に語る金髪少女を見て、何故そんな事が言えようか。
(……胸は10センチ以上でかくなってるように見えるのに。背丈は3ミリか……)
恐らくは強烈なストレスから解放されたが故の成長なのだろう。
オオイはその可能性に気づいたが、本人の一番望む背丈の伸びは微妙な辺りに哀愁が漂っていた。
(アレだな……エリーがあの体型って事は、本来はストレス少ない環境ならあれくらいに育ってたって事か)
酷くもったいない気持ちになりながら、それでも嬉しそうに、幸せそうに微笑むこの少女を見て、「本当の事は言えんな」と、にじみ出る涙を誤魔化すようにメガネのズレを直し、「よかったな」と、上ずった声でつぶやいた。
「あっ、お待たせしましたタカシさん! ミルフィーユさん!!」
そうして、二人が話している所へとやってきたのは、銀髪碧眼のホムンクルス少女。
「イオリ。起きて来たか」
「こんにちは、イオリちゃん」
「はい! こんにちは!! 今日はお二人だけなんです?」
ちょこちょこと二人の前に歩いてきて、ぺこりとお辞儀をして。
そしてニコリと愛らしく笑って、首をかしげて、そんな事を問う。
「後からミズホが来るって言ってたぜ」
「姉さんたちも一緒に来るはずだから、今日は結構賑やかになると思うよ」
「わあ、楽しみ!!」
二人からの返答を聞いて、興奮気味にはしゃぎだす。
外見相応に子供っぽいが、だからこそ二人ともが頬を緩めずにはいられない、そんな愛らしさ。
ホムンクルス少女は、幸せそうであった。
「なんだ、もう集まっていたのか」
イオリのすぐ後に、教頭であるサカザキも現れる。
「教頭。イオリと一緒だったんですね」
「こんにちは教頭先生」
「おおサクラ君こんにちは。イオリに、何か不便でもあるといけないからね……しかし、随分と元気になったものだ」
ニコニコ顔でミルフィーユとオオイの間に座り込んで両者の腕を取るイオリを見て、サカザキは厳めしい顔を和らげ、「いいことだ」と頷いた。
「そういえばタカシさん。今日はカエデさんは来ないんです?」
「あいつは……なんか、別の予定が入っちまったらしいからな」
「そうですか……残念です」
彼女にとってはタカシと同じくらいに大好きな人が来れないのだ。
しょんぼりとしてしまうのも無理はないが、「でもな」と、オオイはイオリの頭を撫でてやりながら、しょぼくれたイオリに語り掛ける。
「今日は来れないが、あいつ、今度イオリとデートするとか言ってたからな。遊園地だってよ」
「ゆーえんち! あの、夢の世界の!?」
「おう、そうだ。ドリームワールドだぞ」
「わあ! やっぱりカエデさん素敵です!! 私、今から楽しみになっちゃいましたよ!?」
すぐに再び満面の笑みになったイオリに、三人ともがほっこりとした気持ちになっていた。
「この病院も、すっかり変わったようだ。昔の無機質な感じじゃなくなってる」
「多目的施設として開放するようになったんでしたっけ? なんだか、すごく人が増えてますよね」
病院は変わった。
かつてホムンクルスを実験台にしたり、ハーフの調査の為に使われていた研究施設としての病院は形を変え、今は市民が交流する為に使われたり、ちょっとした休憩所として、憩いの場として使われるようになっていた。
かつての重苦しい、不気味にすら感じられた雰囲気はもうどこにも残っていない。
「私も実験から解放されちゃいましたし……これからどう生きようかなって、毎日サカザキ先生とお話してるんですよ!」
「ははは、まあ、若者の将来の夢を聞くのは、年寄りにとっては中々楽しい物だしね」
ホムンクルスも解放されていた。
かつては非道な実験に使われていたイオリも、今では立派に一人の人として扱われるようになり、衣食住も『公社』のバックアップの下、不自由なく過ごせているのだとオオイは聞いていた。
何より、暗い影を背負っていたこの少女が、その苦悩から解放されたのはこの場の誰にとってもこの上ない僥倖であった。




