#5-2.エンジェル・ソング
「――それでは皆さん、今日も私の歌、聞いてください」
不意に、若い女の声が酒場に響き、ぴた、と、賑わっていた酒場が静まり返る。
何事かと声のした方を見れば、カウンター脇に立つ若い娘さんが一人。
アコーディオンやギターを持った男もその脇に集まる。楽団だろうか。
紫の小さな花を飾った黒髪を小さく揺らし、控えめな胸の下で手を組みながら、眼を閉じ、すぅ、と、息を吸ったかと思えば――その唇は静かに歌を紡いでいった。
月明かり たくさんの星
暖かな世界 夢に浮かべ
詩 謡う 月の天使が
ただ眩しくて 愛しかった
星空に 輝ける月
明るい世界 たくさんの人
歌 歌う 私の声は
ただ貴方に聞かせたくて
星は月に 恋をした
何より 美しい その世界に
何より 輝く その優しさに
ただ 手を 伸ばし続け
ただ 歌を 歌い続け
天使の詩に 届かない私は
天使の詩を 謡いたかった
彼は 天使に 恋をした
何より美しい その黒い翼に
何より美しい その歌声に
真似る事の 出来ない詩
真似する事しか 出来ないメロディ
紛い物の 歌
それでも私は 天使と同じ詩を 謡いたかった
たくさんの人を たくさんの世界を たくさんの全てを
あの時の私のように 笑わせてあげたかった
哀しげなメロディに乗って流れる少女の歌が、しんみりと、その場に居た者達の心に焼き付いてゆく。
だんまり聞いている奴ばかりだったが、少女が歌い終わってにこりと笑うと、一斉に歓声が沸きあがった。
「……なんか、しんみりする歌だな」
「ええ、本当……でも、すごく伝わるというか……気持ちのこもった歌ですね」
「それに、リアルじゃそうそう聞けないような歌声だしね」
俺もドロシーも一浪も、その歌に驚かされ、飲み込まれ、そうして魅せられそうになっていた。
「すごいでしょう?」
俺達の感想を聞いてか、茜がどや顔で笑っている。
「ああ、すごいな」
――だが。確かにすごかったのだ。頷くしかなかった。
「ありがとうございます。次は、場が温まる楽しい歌ですから、皆さんも是非盛り上がってくださいね。アリア=ステラ『ぶどう酒の靴音』」
周囲を見渡し、微笑みながら小さく頷いた途端、後ろの楽団がテンポのいい曲を演奏し始める。
伴奏だけでも楽しげな曲だが、それにあわせ靴でテンポを取っていた娘さんが口を開くと、酒場は歓声に包まれた。
明るい歌だ。さっきとは違い、楽団がフル稼働で少女の歌を乗せていく。
酒場もいつしか賑やかな雰囲気に戻っていた。
「私達、この歌声に魅せられちゃいまして。あの娘さん、毎日ここでこの時間帯に歌ってるらしいんですよ」
「なるほどねー」
「確かにこれはいいわね……」
「でしょ~?」
楽しげな雑談が、もう目の前でも広がっていた。
なんとなく、大切な何かを見落としている気もしたが、少女の歌声が大きく、賑やかになっていくにつれそんな事はどうでもよくなり。
――ああ、そうか。これは公式イベントが開く前の、前夜祭のようなもの。ただのお祭り騒ぎだったのか。
「それで、実際どんなイベントなんだ?」
俺も他の奴ら同様、このイベント前の賑わいを楽しむように、雑談に混じっていった。
公式イベントの詳細は定かではないが、どうやらこの村に向けて襲撃系のイベントが起こるらしい事。
村の人間以外はイベント目当ての冒険職がほとんどだが、人手がまだ少し足りていないらしい事。
そして、歌を歌っていたあの女の子が、この酒場の――いや、村のアイドルとも言える存在らしい事。
そして冒険職も村人も、若い男連中の多くが、このアイドルに惹かれてしまっている事などが、茜たちから得た詳細な情報だった。
村自体の規模は結構広いのだが、広すぎるが故に全体を守るのは難しい事なども、課題としてはっきりしている。
……何か他にもあった気がするんだが、誰も気にしていないみたいだし、俺の勘違いだろうか? 何かがおかしい気がするのだが……
「――うわっと、いちちっ!?」
カウンターの奥で料理の材料を取り出そうとしていたバーテンが、素っ頓狂な声をあげて飛びあがる。
何事かと思ってみれば、指先から血を流して不機嫌そうな顔をしていた。
「大丈夫?」
丁度歌い終えた娘さんが駆け寄って声をかける。
俺達もそちらに目が行くが、大半の酒飲みどもは気にもせず騒いでいた。
「なんてことはねぇよ。ただのネズ公だ――ったく、最近やたら増えた気がするぜ! 気がつくと居やがる。しっしっ!!」
痛む指先をしゃぶりながら、空いた手で厨房の下に「あっちいけ」とばかりに手を振っていた。
「ネズミなあ……」
リアルでは考えられない状況だが、こんな不衛生な事もゲーム内ではそんなに珍しくもないのだ。
まあただのネズミ程度ならザコモンスター未満の存在でしかないが、世の中には十秒ほどで十倍くらいに数を増やす『百日ネズミ』やウィルス感染を引き起こす『ペスト』など、下手なモンスターより脅威になりうるのがいたりするのだから、ネズミといえど油断ならないのだが。
「なあミレニア、ちょっと話があるんだけどさ……」
やれやれ、と、席につこうとしたところで、今度は剣士系の優男が、アイドルちゃんにこそこそと耳打ちしていた。
そんなはっきりと見るつもりもないが、なんとなく目に入ってしまったのだ。そして気になった。
「それじゃ……ちょっと外に出ましょうか?」
ミレニアと呼ばれた娘は楽団に目配せして、男と一緒に酒場から出て行く。
「どうかしたのかいドクさん?」
一浪に声をかけられるも、なんとなく腰が浮いてしまい。
「――いや、なんでも。ちょっと暑いから、風にあたってくるぜ」
なんでこんな言い訳をしたのか自分でも解らないが、本当になんとなくで、二人を追いかけてしまった。
通路を抜けた先の階段を登って、松明のかざされた一階部分を抜けて、宿屋の外へと出る。
……そう、宿屋だったのだ、ここは。
そんな事解ってたはずなのだが、なんでこんな事で驚いているのか、自分でも解らない。
解らないが……夜風はなんともスッとする涼やかさで、そんな疑問はすぐに吹き飛んでしまっていた。
「ん――」
そうして、その裏手。薄暗くなってる陰で、二人が抱きしめあい、唇を合わせているのを見てしまった。
女の方が壁に押さえ付けられて、男にやや強引に唇を奪われる形で。
だが、ミレニアも抵抗はせず、されるがまま、数秒間すり合わせるようにゆっくりと付いて離してを繰り返し……やがてどちらからともなく離れる。
「――もう。こんな強引に……いけない人」
恥ずかしげに視線を逸らすミレニアに、優男は真面目な表情で抱きしめる。
「守るから。俺が、この村を守る。だからミレニア、君は――」
「ダメよアッシュ。私は、この村の村長の娘なのよ? 村の人たちに対しての責任だってあるわ。冒険者の人たちに協力までしてもらってるのに……私だけ逃げるなんて、できない」
男に最後まで言わせず、ミレニアはその唇に細い人差し指をあてがい、微笑んでいた。
「でも、公式のイベントって言ったって何が起きるか解らないんだぞ? 楽観してる人もいるけど、全く知らないモンスターが襲い掛かってくるかもしれないし――」
「そうだとしたら……尚の事、私は逃げられないじゃない。私の大好きな、あなたがそんな危険なところで戦っているのに。せめて、私にも応援させて?」
邪魔はしないから、と、ミレニアはじ、と、男の顔を見つめる。
重なり合う視線。やがて、顔が再び近づき――
(……何やってんだ俺は)
そして、我に返って二人から背を向けた。
こんな覗き魔じみた事をして、一体何の意味があるというのか。
趣味が悪いにも程がある。いい加減、気がつけてよかった。
(あのミレニアって娘は、きっとNPCなんだろう。アッシュの方は解らんが、いずれにしても悲恋めいたものを感じていけねぇな……)
まるで物語の悲恋の二人のように見えて心苦しかった。
襲撃イベントなんぞでそこまで没頭できるものかと思った反面、そこまで入れ込めるのは、それはそれで素晴らしい事なんじゃないかとも感じてしまう。
ともあれ、素敵な恋人同士には幸せになって欲しいものだった。
「……ドクさん?」
そうして、酒場へと戻ろうとした俺は、宿屋の前でドロシーと鉢合わせた。
同じように風に当たりに来たのだろうか?
地下にある所為か、あの酒場は妙に熱気がこもっていたというか、暑苦しかったのだ。
「よう、どうかしたのか?」
さっきの恋人同士を思い出し、なんとなしにバツが悪くなる。
さっさと酒場に戻ってしまいたかったが、ここでドロシーを置いて戻るのもいかがなものか、と。
「いえ、あの……ちょっと、疑問に思うことがあって。今、よろしいですか?」
ちら、と、周囲を見やってから俺に視線を向ける。
その固い雰囲気に、「どうやらただのお喋りでもなさそうだ」と察して、背を向けて歩き出す。
ここは宿の入り口だ。内緒の話かは解らないが、人に聞かれるのもあんまりいいものでもないだろう、と思ったのだが。
「あ……」
そのままの姿勢で軽く右手をあげてやると、ドロシーも俺の意図を理解したのか、一歩後ろから黙ってついてきた。
「――何かおかしいと思いませんか? その、私達、何か変なことになってるような気がするんです」
さっきは気付かなかったが、村の色んなところに冒険者らしい出で立ちのグループが集まっていた。
襲撃イベントはいつ起きるか解らないらしいから、寝ずの番でもしているのだろうか?
ゲームだからそれは無理にしても、できるかぎり上手く交代して守りを固めたいのだろう、と思ったが。
そのおかげで二人きりで話せる場所、というのが中々見つからず、結局民家と民家の間の隙間にもぐりこむ形になってしまった。
「確かに、なんか違和感みたいなのは感じてるんだが……それが何なのかが解らん」
「やっぱり……ドクさんも、そうなんですね。私も……何かがおかしいのは間違いないと思うんですけど、それが何なのかが……確証もないことだからあまり騒ぎにできませんし……」
ドロシーも同じだったらしい。もしかしたら一浪や茜達も同じなのだろうか?
だが、やはりその原因、根源が何であるかは解らないのだ。困ってしまう。
「プレイヤーらしい人たちを沢山見かけますけど……ほとんどが下位職の人ばかりなんですよね。その辺りが珍しいのかも、なんて思ったのですが……でも、これって新規層向けのイベントなら何もおかしなことはないんですよね……」
「そうだな。それに少ないとはいえ上位職っぽいのもちらほらいるしな。装備を見ると型落ちした二線級未満のが多いけど、難易度の低いイベントなら問題ないんだろうな」
初心者ばかりでは不安定だが、こういう場所に来る上位職なら安定して抑えに回れるかもしれない。
大切なのは装備の質ではなく、戦う本人の経験の量。そして積み上げた場数の差だ。
そういう意味では、ちらほらデキる奴がいるのは大変助かる。
「……ドクさんは、どうして私を助けてくれたんですか?」
家屋の隙間という狭い空間の中。
ドロシーは、やや迷った後に、そんな事を聞いてきた。
「どうしてって。お前が困ってたからだろう?」
助けたいから助けた、としか言いようがないのだが、ドロシー的には別の返答を期待していたのだろうか。
俺の言葉に、眉を下げながら「そうですか」とだけ答え、俯いてしまう。
そうして、しばし嫌な沈黙が流れた。
「――あ、あの。私っ、ドクさんが私のこと――」
「――敵襲だぁぁぁぁっ!! 村の北側、モンスターの集団が攻めて来たぞぉぉぉ!!!」
ドロシーが何か言おうとしたのと、村の外側からの怒声が聞こえたのは、ほぼ同じタイミングだった。
おかげでドロシーが何を言っていたのか解らないし、中断されてしまった。
「……始まったか」
だが、今はそれどころではなかった。
モンスターの襲撃が始まった。ならば、俺達の取る行動はひとつだ。
「行きましょうドクさん!」
ドロシーも既に気持ちが切り替わっていたのか、俺の顔を見てこくりと頷いた。
勇ましい顔だった。タクティクスギルドのマスターらしい、いつものドロシーの顔だ。
「よし――酒場に戻って他のやつと合流したら、暴れまわるぞ!」
「はいっ」
襲撃してきたモンスターの種類こそはっきりしないが、今は急がなくてはならない。
二人、酒場まで全力ダッシュした。
-Tips-
百日ネズミ(モンスター)
街や村などのタウンマップ、森や林、平原などあらゆる場所に生息している小さなネズミ。
モンスター扱いではあるものの扱いが小さく、情報サイトなどにもわざわざ記載される事はなく省略されることが多い。
一匹一匹の力は非常に非力で、小石の一つもぶつければ即死するほどか弱いが、二匹以上いれば瞬く間に増殖してゆく『高速増殖』の特性を持っている。
このネズミの最たる脅威はこの増殖による数の暴力であり、数百匹の群れに一度に襲い掛かられ巨大な熊が一瞬で骨だけにされたという逸話もあるほどである。
基本的に人間には攻撃的ではないが、中には攻撃的な個体もいて、これにより周囲のネズミが一斉に攻撃的になる現象も起こりうるため、注意が必要である。
ネズミ捕りにはとことん弱いほか、強い光などで一網打尽にする事も可能である。
種族:動物 属性:毒
備考:特殊能力(高速増殖)、リンク
光耐性-180%、聖耐性-100%、炎耐性-80%
ペスト(モンスター)
百日ネズミとは別系統のネズミ型モンスター。
片耳の欠けた黒い小さなネズミだが、凶悪なウィルスを牙に宿しており、これに噛みつかれると即座に感染してしまう。
感染するウィルスは人体にとって脅威とも言える毒性を持ち、その日のうちに発症、特効薬なしには一週間~一月の間苦しむ事となる。
その間感染者は強烈な吐き気、眠気、意識の混濁、幻覚、トラウマ増大などの症状が続き、完治後も強烈な喪失感により欝状態になりやすい。
ウィルスの凶悪さ故に脅威ではあるがペスト自身は普通のネズミと大差ない程度の力しかなく、モンスターとしては最弱クラスである。
ただし非常に厄介な事に他のネズミ種と一緒になって行動しているため、百日ネズミの群れに襲われたと思ったらペストが混ざっていた、という事もままあり危険である。
種族:動物 属性:毒
備考:特殊能力(感染毒)
光耐性-200%、聖耐性-120%、炎耐性-100%




