#9-3.CROSS THE RUBICON
リーシアが全体的にもうどうしようもなくなり始めた頃、地下にある牢獄でも、変化が起き始めていた。
「おーいっ、手が足りないんだ、こっちにきてくれ!」
「む? 何か起きたのかヘンリー卿?」
「そ、それが、侵入者が現れてな。やたら腕の立つ奴で、次々に斬り捨てられてっ!」
「ほう……良かろう! 我が究極の風魔法でその侵入者とやら、切り裂いてくれるわ!」
看守たちが俄かに騒ぎ始め、牢の前に控えていた看守もまた、意気揚々とどこかへと走っていく。
「何やら騒がしいわね……」
「侵入者ですってよ? 怖いですわねえ奥様」
「一体何が起きてるんでござるか? 拙者不安でござるよ」
「看守が走っていったぜ? もしかしてチャンスなんじゃないか?」
囚われの身だったセシリアも、そんな変化を見落とさずに他の捕虜仲間に語り掛けるが……その返答の奇抜さに一瞬だけ間を置き、小さくため息。
「……本当ね」
「ああんノリ悪い~! どうせならお嬢様言葉でノッてよー!」
「暇ならそうするのだけれど……でも、ちょっと今はシリアスになりたいの」
「むむ、それなら仕方ないわね」
退屈になっていたので、と、牢屋内で『変な口調で話してみましょ』とお遊びが始まっていたのだが、丁度そのタイミングでこれである。
勝手に始まったのでノるべきか迷っていたが、セシリア的にはいいタイミングで邪魔が入った形になる。
「でもほんと、逃げるチャンスにはなりそうよね」
正面に座るエリカがぐぐ、と腕を伸ばす。
同じように他の女性プレイヤー達も、屈伸したり、身体をひねったりして準備運動を始めていた。
「まあ、問題は私達ではこの檻をどうにもできない事なのだけれど……」
試しに、と、立ち上がって近くの檻に手をかけ、ぐ、と力を入れてみる。
びくともしない。
セシリア自身は魔法職の女性プレイヤーとしてはかなり力のある方だったが、檻は悲鳴一つ上げずにその形を保っていた。
「見た目はちゃちぃ檻なのにねぇ。案外外部からだったら簡単に壊せたりして」
「それとも、鍵を開けないと開かないタイプなのかもしれないわね。看守を倒さないと無理ー的な」
「ああ、そういうタイプもあるわよねー」
他のゲームを体験した事のあるプレイヤーもいくらかいるらしく、「投獄された時の脱出パターン」なんかも話し合われたが、やはり自分達だけでの脱出は不可能。
誰かが助けに来ないといけない、という結論になっていた。
そして、その誰かが来たかもしれないのだ。
実際に助かるかはともかく、期待に湧くのも無理はない。
セシリア自身、もしもが起きた時の為に脱出の為のポイントを絞っていく。
(道が狭い場合、無理に全員を脱出させると混雑して逃げられなくなるわね……安全が確保できるまでは最低限度の人数に絞って、確実に退避できるルートを確保してから解放していくべきね)
牢獄そのものは広いが、通路の入り口は人一人分しか入れない。
ドアの立て付けもそんなに良くないし、見た感じ地下なので、場合によっては廃墟マップの様に階段の一部が破損している事もあるかもしれない。
そう考えれば、大人数での移動は危険。
まして看守やモンスターなどが数多く控えている可能性もあるのだから、無茶は禁物だった。
(全員が一度に脱出できるのが理想だけど、それが無理なら最優先はここに人が囚われている事を外部に伝える事よね。人がここに捕まってる事を、なんとしても広めないと)
情報を持って逃げる事。
これが現実的に考えた上での現状での最優先事項であると、セシリアは考えた。
何人囚われているのかも解らない。
無理に全員脱出を考えるよりは、その方がより目標達成が容易い。
一人でも生きて脱出し、助けを求められれば、それが結果的に大人数を救出する事の助けにもなりうる。
幸い、まだモンスターの餌にされるまでにはいくらかの時間があった。
それまでに全員が脱出できればいいのだ。
そこまで考え、セシリアは再び牢の中の他の仲間達を見る。
冒険職ではない者も混じっているが、腕利きのエリカも居た。
(これくらいの人数なら、連れたままでも脱出できそうね)
タウンワーカーも数人いるが、それを十分フォローし得るだけの人員が居る為、脱出は可能と考えられた。
自分達だけ逃げられればとは思っていなかったが、もしそうなった際に、逃げられる最小単位のように思えたのだ。
「……まずは情報を」
「そうね。外に知らせないとね」
「うんうん」
「誰かに知ってもらわないと、いつまでも助けが来ないかもだしねえ」
目的の共有もスムーズだった。
全員がそれを理解していた。
ただ逃げるのではない。全員が逃げるために、情報を持ち帰る。
これが今回、彼女たちが考えた目標だった。
『こっ、こっちに来るなっ、来るなぁぁぁぁぁっ!!』
《ドゴォンッ》
『ぐひゅっ――こ、こんな、狭い場所でなければ……私の、まほ……ぐはっ』
ほどなく、近場で戦闘が始まり、看守の悲痛な断末魔が聞こえた。
何者かが階段を下りてくる音。
すぐに鉄製のドアが蹴破られた。
「貴方は……楽第?」
意外な面子だった。
スマイル仮面を顔の横につけたソードマスターと、その妻である花屋の娘。
これが、この牢獄を襲撃した者達である。
「あ……皆さん、ご無事でしたかっ」
「ちっ、死んだと思ってた奴らもこんなところに居たのか」
心配そうに急いで駆け寄るミクスに、油断なく周囲を警戒する楽第。
やがて楽第も牢に近寄り、檻に剣を向けた。
「――ふんっ」
そして一刀の元、檻を破壊する。
「悪いが敵が多すぎる。全員を連れてはいけねぇからな。ここの牢の奴らだけ逃がすぞ。他の奴らは……救援を期待して待ってな」
女ばかりの牢獄なのを見てか、楽第はやりにくそうに「ちっ」と舌打ちし、背を向けながらに大声で現状を伝えた。
幸い、それを聞き反発するような声も他の牢屋からは無く。その沈黙を以て、楽第は肯定とみなした。
壊れた檻は、セシリア達の牢。
「ありがとう。これでなんとか逃げられそうだわ」
「いや助かったわ。ありがとうねお客さん」
一番檻に近いところに居たセシリアとエリカが出て、それに続く形で他の者も脱出していく。
「出たな? 後ろは任せる。通路が入り組んでるからな。バックアタックの警戒だけしてくれりゃいい」
「ええ、任せて頂戴」
「道案内よろしくね。頼りにしてるわよ旦那さん!」
「……ケッ」
あほらしいとばかりにツカツカ先に進んでしまう楽第であったが、その後ろにつくミクスは「すみませんこういう人なので」と、ペコリ、頭を下げる。
しかし、セシリアもエリカも楽第がどんな人間なのかはミクスとの結婚のいきさつで聞いていたので、悪感情を持つことはなかった。
他の者も、自分達を救出してくれた彼を悪く言う者などいない。
皆自分の役割をよく理解し、止まる事なく、余計なことを言う事なく、黙ったまま小走りで移動していった。
リーシア襲撃イベントは今、大きな岐路へと立たされていた。
プレイヤー達が奮戦し、モンスターを倒し頑張って各地を解放しながら、それでも強すぎるボスモンスター達の前に理不尽にも倒され、囚われ、何人かは実際に魔物の餌にされてしまう。
その光景がリアルタイムに実況され、運営サイド、ひいては公社への怒りを募らせる。
それこそが実行者――ミズハシ プリンの目的だったというのに、その全てが難しくなっていた。
初日のリーシアの人口が激減するように、ウェザーハーモニーが実行しようとしていたセントアルバーナ襲撃イベントを利用し、リーシアへの増援の到着が遅くなるように仕向けた。
大所帯が多く、イベント実行の際には障害になりうるタクティクスギルドを参加させないために、総力戦をでっちあげた。
上位ボスモンスターのいくらかに「指示通り働いてくれたら願いを叶える」という約束で協力を取り付けた。
更に、新たに異世界の歴史上に名を遺す強力な黒竜族の王をコピーし、マジョラムと共にプレイヤーには絶対倒せない最終ボスとして君臨させるつもりだった。
そのすべてが崩壊していた。
今のリーシアは、地上部の全域が怪しげな黄色い霧にまみれ、モンスターも人も関係なしに笑い転げ幸せそうな顔をし、そして特別に呼び出した最終ボス達は役に立たず、更にアルケミスト達が暴走し、捕虜たちも脱走を開始。
タクティクスギルドだけでなく様々な場所からプレイヤーが集まり、リーシアの解放を画策し始める。
全てが瓦解している。カオス過ぎて収拾がつかない。
だから、プリンは諦め始めていた。
もうこのイベントは続かないのだと。自分の計画は破綻したのだと。
諦めを受け入れ……そして、腹をくくろうとしていた。
――計画が崩れたなら、私自身が脅威になればいいじゃない、と。
-Tips-
再生ボス(概念)
ゲームマスター専用のスキル『クリエイトボスモンスター』によって生み出されるボスモンスターの一種。
『えむえむおー』世界内では、三種類のボスモンスターが用意されている。
一つは1からゲーム専用に考案され生み出された『オリジナルボス』。
二つ目は他世界の魔族・神・精霊・魔獣などが運営サイドに協力する形でゲーム世界に参加する『ゲストボス』。
そして、三つ目が歴史的には既に死亡している、あるいは消失された存在を再現する『再生ボス』である。
再生ボスには、以下の特徴がある。
・歴史上既に死んでいるか、何らかの理由で消失されている。
・歴史上の、最も新しい記録の状態から再現される。
・何度死んでもゲーム内で記憶を維持したまま同一個体として甦るが、デリートされた場合二度と同じ記憶を持った個体にはならない。
・本人は死ぬまでの自分の記憶を持っているが、魂は全くの別物である(同じ記憶を持った別人扱い)。
これらの特徴、特に「最も新しい記録の状態から」になる為、ほとんどの歴史上の存在は死ぬ直前の弱り切った状態や、魔力が枯渇した状態、餓死寸前など、ボスモンスターとしては使い物にならない事が多い。
実際にボスモンスターとして選ばれるのは、これらの制限から外れた『死ぬ直前まで弱体化することなく強かった者』などが選ばれる事が多い。
主には死因が暗殺や急死による者が選ばれる傾向にある。




