#3-1.熾天使の見る夢
夢は記憶のデフラグ。メモリに残された情報は、眠る事によって最適化されてゆく。
『えむえむおー』が生まれたばかりの頃、レゼボアにて。
階層世界と階層世界の狭間にある、自然あふれる風景を模写したある層で、若い娘が一人、木の枝に腰かけて小鳥と戯れていた。
「ふふ……貴方達はね、こういう風に鳴けるのよ? 真似してみて?」
手や肩、腿の上に無防備に止まった小鳥らに、娘は慈愛溢れる笑顔を見せながら、小さく「ちちち」とさえずって見せる。
まるで小鳥達の母鳥かのように。
まるで彼らに歌を教える教師かのように、娘は鳥達の歌を歌っていたのだ。
「こんなところで何やってるの?」
不意に、声が響き。
小鳥達がば、と、一斉に飛び立ち、娘の視線が下へと向く。
白く大きな日傘が見えた。
「小鳥達に鳴き方を教えてあげていたのよ」
す、と音もなく枝から地面へと降り立ち、日傘を差した相手の前に立つ。
正面から見ると、銀髪が特徴的な、白い純白のワンピースを着た、天使のような少女だった。
彼女の知り合いで、そしてこの世界を支配する自称悪の管制システム。
「鳴き声ですって?」
日傘を肩口にかけるようにして、気だるげにジト目になりながら。
銀髪少女は自分よりずっと背の高い娘を見上げる。
「そんな事に何の意味があるの?」
意味が解らない、と、心底不思議そうにその真意を探ろうとしているらしかったが。
娘は娘で「いやいやいや」と少し困ったように眉を下げ、苦笑いしていた。
「鳥は鳴き声でコミュニケーションを取るものでしょう? 貴方がその辺りの設定省いたせいで、あの子達、自分達がどう鳴けばいいのかも解らなかったのよ?」
「鳥が鳴かなくても何も困らないと思うけれど」
「貴方が困る困らないじゃなく、鳥達が困っちゃうの。生物としておかしくなっちゃうでしょう?」
「……生物、ねえ」
空いた手を顎にやりながら、考える素振りをし。
しかし、銀髪少女は「だけど」と再び娘を見やる。
「私にしてみれば、実験に関係のある人間以外はかなりどうでもいい要素でしかないし」
「そんな事ないと思うけれど……人間の生って、結構人間や社会以外にも影響受けると思うわよ?」
「動植物なんて誤差の範囲内よ」
「誤差だと思っていたものが、案外バカにならない結末になる事だってあるじゃない」
「レアケース過ぎて参考にならないわ」
彼女としては、生命の尊さだとか、生きとし生けるもの全てが人間の生に影響するものなのだと説いていたつもりなのだが。
銀髪少女はそんな事解った上でそれでも敢えて無視しようとする為、話は平行線のままであった。
生命倫理の欠片もない自称管制システムには、確かに生命の尊さなど理解できるはずもないのだが。
それでも、娘はこの少女にそれを理解させたかったのだ。
「この前も最上層でカラスに鳴き方を教えてたわね」
「ええ。鳴き方も解らなかった子達が自分達だけが奏でられる歌を歌えるようになったの。すごく素敵だったわ♪ お友達もできたって言ってたし」
「私にはガーガー耳障りな鳴き声をあげてるようにしか思えなかったけど」
「それがあの子達の奏でる『歌』なのです」
「はあ、そうですか」
「そうなのです♪」
理解に苦しむわ、と、ジト目のままに娘を見上げていた銀髪少女だが。
やがて何かを諦めたのか、ため息とともに視線を逸らし、背を向けてしまう。
「どうせ消えちゃう世界なのにね」
「どうしても消しちゃうの?」
「どうしても消えちゃうわね。カラスも小鳥も人間も絶滅よ」
途方もなくスケールが大きく、だからこそ逃れ得るものも居らず。
解り切った滅亡に、娘も少女の隣に並び、傘を手に取る。
自然な様子で傘の主導権が変わり、二人は並び歩いた。
歩くのは、人工物一つない静かな森の中の道。
他に誰かがいる訳でもなく、植物の匂いを感じながら、二人は歩いていた。
「世界の滅亡かあ。できればあんまり見たくないわね」
「見たくなければ見なければいいわ」
「そうはいかないわよ。世界が滅びるのなら、そこに生まれる絶望を司るのが私の役目だし」
「そう思うなら黙って見ていればいいわ」
「そうは思っても黙っていられないのが私の性分なのよ」
「面倒くさい女ねえ」
「貴方に言われるのはショックね……」
話題は繋がってはいるものの、口調は会話内容とは裏腹にさほど深刻さは感じさせず。
のんびりと歩く二人は、しかし互いを目配せしながら、ふわ、と吹き始めた風を感じていた。
強くはない、それでいて髪を浮かせるような、暖かな風。
娘は手で押さえ、銀髪少女は不自然に揺れぬその髪を、そのままにさせていた。
「……ここはここで悪い世界ではないと思うのに」
「世界に良いも悪いもないわ。そこに住む住民にだって、良いも悪いもない」
「でも、消しちゃうんでしょう?」
「消える運命にあるとでも思えばいいわ」
「貴方の口にする運命は世界で二番目に信用ならないと思う」
「一番目は?」
「ファズ・ルシアが口にする運命」
「納得」
あいつはそういう事するわよね、などと口元をにやつかせながら、銀髪少女は三度、娘の顔を見た。
娘もまた、微笑みを湛えていた。
-Tips-
ファズ・ルシア=リーシア(人名)
かつての16世界最強の『魔王』。通称『知識の魔王』。
知識の女神リーシアと同位体で、同様の力を扱える事から長らく最強の『魔王』として君臨していた。
基礎の能力はリーシアに大きく劣り、更に圧倒的なチート能力を展開できる『魔法使いの魔法』や属性『完全なる無』などを圧倒できるほどの力は持たず、あくまでリーシアの持つ『全知全能モード』を同様に扱えることで最強扱いされていたにすぎない為、リーシアの力の大半が失われた現在では全『魔王』中四位と大きく落ち込んでしまっている。
かつては様々な世界に赴き現地の『魔王』と交流したり、いじめてからかったり、気まぐれで侵略したりしていたが、現在はそのような面はなりをひそめ、自らの居城に引きこもり友人と共に平穏な日々を送っているとされている。
性格は残虐非道、冷酷無比、怠惰で気まぐれで我が侭。
自らの世界を気分一つで滅ぼしたり人々を虐殺して回る外道というのが一般的なイメージであるが、それはあくまで自世界で魔王としてのロールプレイを行っている時が元となり広まったイメージで、本来の人格的には怠惰ではあるもののある程度優しさのようなものも存在し、気まぐれではあるが気が向きさえすればたとえそれが格下であろうとも好意的に接する事もある。
同位体であるリーシアとは基本的に不和だったが、想う所があるらしく、消失に関してもその行動に対してある程度理解している。
現状で最も『16世界が生まれる前の世界』を知っている存在で、世界の起源についても深い見識があると言われている。




