#9-2.絶望の瞬間
「あっ――」
世界は切り替わる。
まるで私に、必要以上の情報を与えたくないと言わんばかりの仕打ち。
突然切り替わった視点は誰のものだったか。
深い思考に陥っていたために、一瞬の記憶の混濁に溺れそうになる。
激しい頭痛。狂ったように耳裏に残るノイズ。
視界が焼き焦げたかのように琥珀色に染まり、風景が切り替わった。
元の色に戻った時にはもう、全く別の風景が広がっていた。
そこは、リーシア南。『シルフィード』のたまり場。
いつものように彼女はそこで仲間達と語らい、そして、笑い合っていた。
ギルメン全員が集まった、平和なはずの風景。
だけれど、平和はそこまでだった。
「ところでさ、俺思ったんだけど、ドクさんとプ――」
それは、一浪さんが話している時に起きた。
話の流れからして、ドクさんとプリエラに何かを言おうとしてたんだと思う。
それが、突然消えたのだ。
話している最中に突然のログアウト。
「うん? どうしたんだ?」
「何か起きたんでしょうか?」
他の人はそのまま。
何が起きたのか解らず首を傾げている人も居たけれど、誰にもその答えは解らない。
「ログアウトかな?」
マスター・レナックスがそれらしい答えを口にするけれど、それにしては疑問も残る落ち方だった。
ログアウトする時というのは、大体プレイヤーが目を覚ます時。
よほど衝撃的な何かが無ければ、大体はプレイヤー本人が目覚めを自覚し、ログアウトする。
突然落ちるという事は、それだけ本体に何かしらのダメージが発生したか、あるいはよほど衝撃的な何かが起きたという事。
一瞬で覚醒したか……あるいは、一瞬で死んだかのどちらかしかないのだから。
「あの……これ……」
最初にその可能性に気付いたのは、ミルフィーユちゃんだった。
いや、正確にはプリエラもドクさんも気づいていたんだと思うけれど、言及しようとしたのは彼女だったのだ。
楽しい雰囲気だったたまり場に、にわかに流れる重い空気。
他のメンバーの沈黙が「それ以上は言わないでくれ」と暗に示しているようで、ミルフィーユちゃんもそれ以上は言えず、ただただ顔を青くしていた。
「――いやあすまねえ。なんか急に落とされたぜ」
沈黙が幾ばく続いた事か。
見ていながらに私自身も「どうなるのこれ」とハラハラしていたのだけれど、幸いと言うか、すぐに一浪さんは戻ってきた。
へらへらと笑いながら、特に変わった様子もなく。
「なんだ? 急に落ちたからびっくりしたぜ」
「突然落ちたから死んだのかと思ったわ」
「マ、マルタさん! そういう事はちょっと……」
安心したように胸をなでおろすドクさん。
直球で言っちゃいけない事を口にするマルタさん。
ミルフィーユちゃんは……珍しくマルタさんの言動を注意していた。
マスターも、とりあえずは安心したようで、息を付いていたけれど。
「本当に大丈夫なのかい? 何か、調子が悪いとかは……?」
「ああ、大丈夫だぜ。特に何も問題はないよ。ちょっと、リアルの方で小さい子がダイブしてきてさ」
「なるほど」
「寝てる時に何かあると、びくっとしますもんねえ」
「ホントだぜ。マジで焦ったよ」
特に何も問題ないと知るや、ギルメン達は元の楽しい雰囲気を戻そうと、口々に会話を続けようとする。
一浪さんも、一見何の変化もない様なので、本当にただログアウトしただけなのだろうと、みんなそう思ったのだ。
「――いやあ、参っちゃいました。皆さんの所に来ようと思ってたら突然ログアウトしちゃって~」
そうかと思えば、運営さんもいつもの線目顔のまま現れる。
「おや運営さん」
「こんにちは」
「運営さんも落とされたのかい? なんか奇遇だなあ」
「えへへ~、リアルでお世話になってる人がいるんですけど、その人が突然ダイブしてきたみたいで。ホントビックリしちゃいましたよ~」
「夜這い?」
「そういうんじゃないみたいです。まあ、寝相が悪かったんじゃないですかねえ」
「俺もそんな感じだったよ。変な偶然だな」
「変な偶然ですねえ」
運営さんも一浪さんと同じ理由。
これに疑問を覚えた人はどれくらいいただろうか。
私はそれ以上に、別の疑問を覚える。
「――プリエラ?」
ふと、こちらを見て声をかけてくるマルタさん。
そう、プリエラに関しては、彼女が誰よりも真っ先に気づく。
たまり場ではいつも饒舌に話していたプリエラが、今に限って、一言も喋らなかったのだ。
「あ……ご、ごめん、ね」
視界がにじむ。
何が起きているのか解らない。
ただ、下を向いてしまって、そして拳をきゅっと握りしめていた。
それだけでもう、何かが起きたのが解ってしまって、辛い。
「プリエラさん? どうしたんですか……?」
「何かあったのか? さっきまで普通に話してたと思ったんだが……」
「プリエラ? 顔色が――」
皆が寄ってきて、プリエラを囲むようにして心配する。
けれど、彼女は立ち上がろうとして――立ち上がれなかった。
足が震えてしまっていた。違う……身体中、震えていたのだ。
「ごめ……わた、し……ログアウト、する、ね……?」
無理矢理に笑おうとしたのだろうか。
滲んでいた世界が狭まり、そしてそれ以上に何かを言う間も無く、彼女はログアウトした。
-Tips-
下層世界終了のお報せ(告知)
下層世界はこれで終わりよ。
住民は避難する余裕もなかったから、最下層と違って生存者はいないわ。
データが消えてなくなって困ってしまう女の子はもういないの。良かったわね。




