#2-1.アイドル視点でのゲームマスター(前)
――その日常は、突然私の目の前に現れた。
アイドルとしての活動が認められ、公社からの覚えも良くなってきたある日、突然目の前に、異世界が現れた。
そこは夢の中。
そう、眠りついた私の目の前に、見た事もない世界が広がっていたのだ。
それは、『えむえむおー』というゲームが誕生した瞬間だった。
初めこそ何も存在しない、ただの荒涼とした無色の世界があるだけだったそれは、やがて少しずつ色をなし、形作られ、変化していった。
荒唐無稽な、何のフラグも存在しないただの無茶苦茶な世界が、次第に順当に進化していき、やがて『生物』が生まれる。
それは、カオスに支配された原初の世界が、秩序によって象られてゆく原始への道。
『解らないわ』
私が初めて目にした知的な存在は、人の形をした無機質な少女だった。
現実世界で見た事のある、総合管制システム『NOOT.』に似た面持ちの少女。
造形こそは人そのもので、立体的で、システムとは思えないほど人間らしい出で立ちだというのに、致命的に生命らしさが欠けている、そんな色のない瞳をした少女だった。
『私は何故、何のためにここに居るの……?』
『気象変異システム』として生み出された第六の重要管制システム『ウェザーハーモニー』。
その初期の姿は、今とは大きく趣が異なっていた。
総合管制システム『NOOT.』は、手足となり世界を支配する重要管制システム『五人囃子』を生み出した。
ウェザーハーモニーはその流れをくむ、いわば同系統のシステムなのだけれど、彼女だけ、生み出された理由が根本から違っていた。
ウェザーハーモニーの生み出された理由は、『システムという存在の進化の為の検証』。
今まで人間を観測し、監視し、管理し、運用し、罰する為に存在していた従来の管制システム達と異なり、ウェザーハーモニーは『新たな生命』になるために生み出された、全く新種のシステムだった。
初期こそ、何も知らない、何も解らない少女だった。
実際、私の記憶に残る限り、彼女は頻繁に『解らない』『こんな事知らない』と困惑し、戸惑い、そして悩み、苦しんでいた。
人として生まれれば親なり組織なりによって最低限の『生の知識』は得られるだろうに、彼女にはそんなものは与えられず、ただただ、目にしたものから記憶し、習得していかなければいけなかったのだ。
拷問まがいの仕打ちだと思っていた。
見るに堪えない悪夢。
私は当初、『彼女』の視点になった時、いつもため息をついていた。
夢の中だというのに、なんで苦しまなくてはならないのか。
いいや、苦しむ人を見続けなくてはならないのか、と。
だけれど、彼女は愚かではなかった。
学習する速度は人よりも速く、経験は人以上の効率で積み上げられ、一つの知識で十も百も先まで関連事象を把握し、理解する。
サンプルとなる素材には事欠かなかった。
最初は、原初の生物たちがその参考にされた。
ペースト状の、ただ生きているだけの細胞生物。
魚の形はしているものの魂の存在しない、ただ無機質に反応を繰り返すだけの生物や、溶岩流の中でしか生きられない微生物。
そんなつまらないものでも、彼女には生きるという概念を理解するに十分で、そして彼らの死は、彼女の心に相応のカルチャーショックを与えたらしかった。
生物としての死は、彼女には備わっていないらしい。
当然と言えば当然だけれど、システムに過ぎない彼女は、殺しようもないし、殺されようもない存在だった。
概念的無敵、とでも言うべき存在だろうか。
設定上、この世界に限り彼女は滅ぼす事が出来ない存在となっているらしい。
なので、死の感覚も、恐怖も味わえない。
それを知らない彼女が、どうやってそれを理解したのか。
それは他者の死から疑問を抱き、やがてイメージする、という行為に至れたことが大きい。
そう、彼女は他者の生き死にの観測を繰り返す事で、自分以外の存在を認識し、やがて『自分以外の存在の死、消失』を想像によって理解したのだ。
そうして、自分がなぜそうなれないのか、なぜ自分は死なないのかを考え始めた。
自分が死ぬ方法、死ぬための条件、死ぬとどんな事になるのかなど、考えれば考えるほどに答えが出ず、悩み、苦しみ、やがて気付く。
――解らないなら、前提を変えて考えてみればいいのではないか、と。
彼女の特に賢いところは、余計な情報を持ちえない為、様々な可能性を考慮でき、そしてそれを無駄だと排除しない点。
人間なら自然としてしまう「これは可能性が低いから無視しよう」「こう考えるのは無駄だから省いた方が良いな」といった感じの効率や情緒優先の思考をせず、そのまま使用するのだ。
それによって思考に無駄なリソースを割く必要があるけれど、そんなものは気にするに値しないほど、ウェザーハーモニーの思考能力は群を抜いて優れていた。
とにかく、一瞬で考え、そして一瞬で思い至る。
悩んだかと思えばすぐに別の答えを出し、納得できなければ何度でも考え、結論に至るまでいつまでも考え続ける。
考え続けながら、並行して別の事案を考慮し、計算し、苦悩し、苦しみ、解を見出して喜ぶ。
次第に考えることの楽しさに気づいた彼女は、しばしの間、ひたすら考える事に没頭し続け、計算の鬼となっていた。
「そろそろ、何か創ってみたらどうかしら?」
二人分の視点に変わるようになったのいつからだったか。
最初は彼女の視点だけだったのが、やがて二つの視点から『えむえむおー』の世界が作られていく様を見ていくことになった。
ウェザーハーモニーはあくまで一視点。
もう一人の視点は……よく解らない誰か。
そう、最初は解らなかったのだ。
顔も容姿のほとんどの特徴も声すらも、見えているはずなのに把握ができない。
ただ修道服姿の茶髪の女性、というところしか解らなかった。
「創る?」
「ええ、そうよ――こうやって」
その解らない人は、幼子に語り掛けるように静かに、それでいて柔らかい口調で説明を聞かせていた。
微笑みかけるように、時として実際に少女の手を握ったりしながら、ゲーム世界の創り方をレクチャーしているようだった。
最初こそおっかなびっくりだった少女に、その修道服の女性は、一通りの『操作方法』を教え、そして笑いかけたのだ。
「――これからは、一緒にこの世界を創っていきましょうね」
その笑顔がまぶしかったのは、ウェザーハーモニー視点だったからだろうか。
間違いなく、この子にとってそれは、大きな転換期だったのだと思う。
ただ考えるだけだった少女が、やがて実際に世界を創り上げてゆく。
原始の世界は、やがて古代の世界に育っていった。
人ならぬ上位存在によって形作られた秩序。
それはまさに、神々によって初期設定された世界そのままの姿だった。
ここにきて、ようやくウェザーハーモニーは生物の創造を始める。
これまで自然に『川』から零れ落ちてきた魂が生物化していた中で、ウェザーハーモニーという神によって生み出された生物たちは、より高等な知性を持つに至った。
その世界に生きる『人間』のひな型として、シャルムシャリーストークなどの異世界から直接模倣した生物『NPC』が生み出される。
けれど、生み出されたばかりのNPC達は、何をしたらいいのかが解らない。
確固たる自己を持たないNPC達は、ただ棒立ちして指示待ちするだけの人形と化していた。
苦悩の果てにウェザーハーモニーが導き出した解が、『特殊NPC』の生成だった。
自分達を『ゲーム世界の生物』として認識し、その上で自己の役割をも理解してゲームマスターに対して忠実に働ける存在。
神にとって最も大切な『下僕』が生まれた瞬間だった。
ゲームマスターにとって、自分の手足として自在に動き、お人形状態だったNPC達を統率し、役目を与えられる特殊NPC達は何よりも可愛い僕だった。
ウェザーハーモニーは彼らができる限り幸せに生きられるように配慮したし、修道服の人もまた、そんな彼女のする事を見守っていた。
少なくとも、納得はしていたんだと思う。
自分の教えた通りに世界を創り、生物を生み出し、その生物の統率の仕方も自分で考え、工夫する。
とても人間らしい思考ができるようになった教え子に、修道服の女性はいつも機嫌よさそうにニコニコと見守っていたのだから。
「しばらくの間、貴方一人に任せようと思うのだけれど」
修道服の人がそんな提案をしてきたのは、本当に突然の事だった。
聞かされたウェザーハーモニーは驚き戸惑ってしまったけれど……幸か不幸か理解が良い所為で、すぐに止められない事だと把握し、涙目になって頷いていた。
彼女には、大切な師であり、初めての友達であり、初めて自分を『知性ある存在』として扱ってくれた相手に、逆らう術が無かったのだ。
どれだけ賢くどれだけ学習が早く、どれだけ優秀であっても。
人をはるかに凌駕する、そんな相手には、彼女はまだ無力だった。
こうして、修道服の人はその立場からしばし離れ、『特殊NPC』の一人という体で『その世界を生きる側』の存在となった。
一人残されたゲームマスターとしては、なんとも寂しい出来事ではあったけれど。
それまで一方的に上から見下す事しかできなかった『ゲームマスターとしての職務』が、実際に実地で状況を見極める相棒の存在により、大きな進捗を生み出したのだ。
それは、視点の変異。
ただ上から見るだけでなく、同じ立ち位置から見るからこそ理解できる、問題点や疑問点。
これらの解決をするために、逐一NPCサイドから情報が提供され、ゲームマスターはそれを修正し続けた。
-Tips-
アルファテスト(概念)
『えむえむおー』世界における、ベータテスト以前のテスト環境。
基本的にプレイヤーは存在せず、テストは全てゲームマスターとNPC、特殊NPCが行っていた。
現在の運営サイド構成員に該当する存在もおらず、敵対生物としてモンスターは存在するものの、
魔族などの高等な思考ルーチンを持つ敵対者は存在せず、またプレイヤーが他のプレイヤーの障害となる状況も想定されていないなど、ベータテスト期と比べても想定が甘く、意味をなしていないテストも多かった。
だが、このようなテストが繰り返される事でベータテスト時の問題発生から即時修正に対してのノウハウが積み重ねられていったのは間違いようのない事実であり、実質ゲームマスターにとっては重要な試験運用期間であったと言われている。




