#9-2.ゲームマスター様の人間観
しばし重苦しい空気だけが残っていたが、やがてココア色の髪を手で煽り、小さくため息。
また口を開く。
「貴方なら『あの人』も受け入れてくれると思ったんだけど」
「あの人って?」
「もう一人のゲームマスターよ。熾天使の力を誰の手にも触れさせないようにした張本人の」
「ああ、『箱』を作った人か」
「そうそう」
ゲームマスターというとこの人ばかり浮かぶが、実際にはこの人の力を制限していたゲームマスターがもう一人居るはずなのだ。
どんな人なのかもそうだが、何故この人の力を制限していたのかなど、謎が多い気がする。
「まあ、私なりに協調姿勢をーと思ったんだけどね。そんな事なくても、『今回の事』が原因でベースは私が勝ち取ったから、無視しちゃってもいいかなあ」
「無視すると何かあるのか?」
「私が自在に色々なことができるようになるわ」
「無視せずに協調した場合は?」
「いくらかはその人が望む結末も増えるかしらね。でも基本私が自在に世界を弄る」
どっちにしろこの天使様が全てを操るらしい。
実にゲームマスターである。怖い。
「でも貴方達プレイヤーは気にしなくてもいいわよ。私だってこのゲーム世界はできるだけ永らえさせたいし、プレイヤーを無意味に苦しめるつもりなんてないし」
「いくらかはプレイヤー寄りになるって事か」
「いくらかはね。完全じゃないわよ? 私たちゲームマスターは、別にプレイヤーをえこひいきしている訳じゃないから」
プレイヤーの為だけには微笑んではくれない。
それは、NPCやモンスターなどに対しても同様に微笑む事がある、という事だろうか。
あるいは、プレイヤーにとって苦しみとなる出来事も用意があるという事なのだろうか。
いずれにしても、全てのさじ加減がこの人により決められるというのは、ちょっとした恐怖ではあるが。
「人間は、何故だか神や天使が自分達だけを愛してくれると思い込んでいるけれど――実際にはそんな事は無いわ」
「敵対する事もあるって事か」
「敵対する者を愛する事もあるっていうのが近いかしらね。必ずしも人間にとって善の存在ではないの。どちらかというと、完璧な形で中立に近い。都合によってどちらにでも転びうるから」
それはつまり、人間と大差ないのではないだろうか。
神様とか天使様とか、とにかく人間の上位種のように感じるが、実際にはそんな事は無く、人間という存在の別の呼び方なのではないだろうか。
……これが不遜な考えという方向に進みそうになるのは、俺が聖職者プレイヤーだからだろうか。
ゲームマスターは、そんな俺の心を見透かすかのように口元をにやけさせ、微笑む。
「私も、同じよ? 私の都合に悪ければ、人間にとって不幸なアップデートも増えるかもしれない。逆に私にとって都合が良ければ、幸せいっぱいなアップデートが溢れるでしょうけど、ね」
「……どっちにしても、あんまりプレイヤー視点では知りたい事ではないな」
「そうでしょうね。だからこちらに来なさいな。運営サイド視点なら、そんな出来事すらも他人事で見られるわ。貴方は人間にしては特殊な思考で物事を見ている。『もう一人の人』だって、貴方の事は気に入っているみたいだし?」
「……もう一人のゲームマスターが?」
「そうよ? 人々の行動はゲームマスターからは筒抜けだわ。だからどんな悪事も許されないし、どんな性癖も隠せない。人間が行う秘め事の全てすら、私達には見て取れるもの」
「プライベートシステムの実装が望まれるな」
「上辺だけのもので良ければ?」
悪戯じみた笑顔を見せる熾天使様には、プレイヤーのプライベートなど存在しないのだろう。
人権などないのは慣れているが、それにしても……明け透けに言われてしまうのはちょっといやらしいというか。
ちょっと気に喰わないので反撃したい。
「つまりプレイヤー同士のやらしい事も見放題なのか」
「……いや、そういうのは見てないけど」
「秘め事すら見られるんだろう? 実際には夜ごとに――」
「そういうのは! そういうのは、見てないから……」
大声で反論しようとしてすぐ小声になるのはちょっと可愛い。
全力でマウント取りに来るけどこういう弱い部分があるのは人として魅力的だとは思う。
本心から「お前見てるからな」と脅しをかけているつもりはないんだろう。
悪気があってというよりは「それよりは私の部下の方がいいでしょう」と言いたいだけなのかもしれない。
不器用なのだこいつは。なんとなくそんな風に感じた。
あと顔を真っ赤にしてるのがすごく可愛い。
「ハラスにするからね? あんまりしつこいとハラスにするから」
「ゲームマスターにハラスした男ってすごい偉大だと思わんか」
「思わない思わない。全力で引くわそれ。熾天使様相手に何考えてるの貴方」
正気なの、と、全力で引かれたのでこれ以上はやめる事にする。
これで少しでも乗ってくるようなら「ノリのいい奴だな」と面白がりもするんだろうが。
真面目に嫌がる奴に繰り返すのは質の悪い嫌がらせに過ぎない。
というか、ハラス扱いはマジで怖いからやめる。
「……はぁ、こういう所はあの人もダメだって言ってるのよねえ。遠慮がないというか、女相手に物おじしないというか……そもそも相手が神だろうと熾天使だろうと女と見ちゃうのよね、貴方って」
「む? それはまあ、女の外見してりゃ大体は女として見るが」
「普通は人間以外の存在は人間じゃないから別枠って扱いにするのよ、普通はね」
そんな、人の事を普通じゃないみたいに言われるのは心外というか。
女の外見をしていれば女として扱うのは、別におかしくもないとは思うのだが。
ミッシーみたいにリアルで男な相手でもゲーム世界で女なら、という考えの奴だって少なくはあるまい。
いい女なら、何だっていいのだ別に。
「俺は可愛かったり綺麗だったりする女ならそれほど気にはしないが」
「そのうち女がらみで殺されそうよね貴方」
「マジかよ」
別にそんな、多方面にナンパしまくってるとか色んな女を抱きまくってるとかはしてないしそこまではいかないとは思うが。
だが、ゲームマスターは全力で引いていた。
顔を青ざめさせるほどの異常性癖でもあるまいに。
「だって、リアルが男でも下半身が蛇とか蜘蛛とか魚とかでも女として振舞ってる相手なら女扱いなんでしょう?」
「そりゃまあ、自分が女だと思ってるなら女として扱うべきだろう」
「それじゃ、私がこの外見で男として振舞ってたら?」
「女の外見の男として扱うぞ」
「……いやまあ、理想的ではあるんでしょうけどね。でも、それらと恋愛感情は別なんでしょう?」
「当たり前だ」
「……はぁ」
今度は全力でため息をつかれてしまう。
一体俺の返答のどこがこの天使様を疲れさせるというのか。
頭を押さえて俯いている辺り、本当に「どうしたらいいのこれ」といった感じなのかもしれんが。
そんな反応されてもされた方も困るのだ。
「貴方、おかしい」
「随分はっきり言うもんだな」
「いやだって……男って、普通は女を恋愛感情抜きで見られないでしょう? 綺麗な相手なら尚の事」
「そんな事は無いと思うが」
「えー……だって、このゲームでもPTメンバーの女に下心アリアリで接する男プレイヤーとか、女性客にデレデレになる商人とか、至る所でそんな感じじゃない? 綺麗な女とか見たら『恋人にしたい』とか思うでしょう?」
そういう奴もいるにはいるだろうが、それをすべてに当てはまる点だと指摘されても困るというか。
「別にそれ、全員に当てはまる事じゃないだろ?」
「間違いなく多数の男性プレイヤーに当てはまる傾向なんだけど。同性愛者とか異性嫌悪者なら別だけど」
「俺は異性愛者だが」
「それは疑ってないわよ。だから希少だって言ってるの」
すごく珍しい例なんだから、と、頬をポリポリ。
こういった仕草を見ると、大仰な天使の羽なんかを取っ払えば案外その辺に居るお姉さんなんじゃないかと思えてしまうくらい庶民的なのだが。
「恋人だと思った男性が、綺麗な女性なら誰でも表向き自分と同じ女性として扱い、しかもどんな人に自分と同じような性愛を向けるのか解らない。女性から見たらこれは相当な恐怖よ?」
「恐怖って……なんでそんな怖がるんだよ」
「だって、『この人が誰を好きになっちゃうか予想できない』。傍から見て『好き好きー』って言ってる分には良いけど、恋人にしたら間違いなく心労で苦しむと思う」
「いや、恋人にしたんだからそいつ以外は好きにはならんと思うが」
「あはは、ナイスジョーク」
「ジョーク扱いされるのか」
つまりこの熾天使様視点で、男とはそういう生き物という認識なのだろう。
しかもその判断基準は全プレイヤーの傾向判断。
確かに多数派を見れば間違いのない判別なのだろう。大味ではあるが『男とはそういうもの』という認識になってしまっているのだ。
これは中々に難しい。
俺のような男もいるのだと口で言う事は出来ても、実際には多数の男連中がそうではないのだと知っているのだから、ゲームマスター本人も受け入れがたいことだろう。
ではどうすべきなのか。
「人間の気持ちなんてその場その時で変わるものでしょう? 永遠の愛を誓った次の瞬間に間男が現れて修羅場の果てに離婚、なんてのもいくらか見たわ」
「それはそれでレアケースだと思うが」
「でも、実際その通りだと思わない? 人間って、すごく移り気よ?」
「……むう」
これに関しては否定しきれないというか。
確かに、結婚というものは必ずしも幸せな人生に繋がるものではないのは、リアルでもゲームでも解る話ではあるが。
解りたくないというか、そんな事言ってたら何も始まらないというか。
素直に聞き入れたくない気持ちがあるのも確かだった。
「でも同時に、何を投げ捨ててでも守り抜きたいっていう愛情がある事も知っているわ。だから人間という生き物は不思議だと思うけど、それってその場の雰囲気でしょう? すごくおちゃらけた場面で『この子の為に死ぬわ』ってなれる?」
「いや……めっちゃシリアスな場面なら死ぬ事もあるかも知れんが、バカみたいな場面では死にたくないな」
「そうよね。つまり人間って、その時の場の空気によって気持ちが切り替わるのよ。だから、切り替えができない子は馬鹿扱いされる」
これに関してはある程度納得できる。
それこそ必要があれば、必要だと感じてしまうような状況なら、命一つ投げ出してでも守りたいものというのはある。
だが、それがそんな事しなくてもいいような場面でまでできるかというと、全く別になる。
前提によって変わる。その前提そのものが変わる。
「そういうのって人間特有なんだけどね。神々や天使はもっとさばさばしてるし、魔族はごく親しい身内や生涯を差し出した主を除けば自己犠牲意識とかは持たないから。人間だけは雰囲気で命を捨てちゃう。本気で愛しちゃう」
「全種族的に見ても、人間みたいなのは珍しいのか」
「そうね、とても珍しいわ。珍しいんだけど……そんな中でも、貴方みたいなのがいる」
その珍しい中の更にレアケース。
いったいどれほど低い確率なのか。
先ほどの宇宙の話より低かったら嫌なので聞く気もないが、そんなにまで珍しいと言われるのはちょっと気になってしまう。
「だって貴方、誰に惚れるのか自分でも解ってないでしょ? 好みのタイプとかそういうの全然なくて、『ただなんとなく気になったから』『ただなんとなく気に入ったから』で命差し出しちゃうの」
「いや、そこまでは流石にやらんと思うが」
「やっちゃうと思うわよ? だから女から見るとすごく怖いの。『え、なんでそこまで』ってなっちゃう」
「……そう思われてるのか」
「多分ね。少なくとも私はそう思ったわ。正確に言えば、貴方は『人間を平等な視点で愛せない』。視点そのものが人間と違ってしまっているのよね」
「なんだと?」
なんだそれは、と、ちょっとニュアンスの事なる意見を言われて意味が解らなくなったというか。
反応に困ってゲームマスターを見ると、「ほら気づいてない」と、したり顔になっていた。
「自分が何者なのかが解ってない。自分が何をしているのか解っていない。貴方は自分を他の人間と同じだと思い込んでいるだけで、既に普通の人間とは明らかに違ってしまっているのに」
「まるで人を化け物みたいに言いやがるな」
「化け物だって教えてあげたのよ? 感謝なさい?」
くす、と、口元に手を当て笑みを漏らす。
それはどこか悪意を感じさせるような、凛とした天使顔には似合わない表情だったが。
こいつの性格には似合っているように感じる、そんな笑い方だった。
-Tips-
階層別のレゼボア人の思想レベルの違いについて(概念)
現実世界レゼボアにおいては、各階層世界の住民ごとに、異なる思想レベル・視点を持っている。
以下はその例である。
最上層:
上位の神々と同様の思想レベル・視点。
大人になるにつれ次第に各世界の最上位の存在と遜色ない生命としての意識を持ち、公平平等平和第一の思考の元平穏に暮らすように努める。
自分すら世界を構成する一に過ぎないと自覚し、より大きな世界を認識・操作する事が可能。
上層:
下位の神々や天使の思想レベル・視点。
幼少期から一切の自由が存在せず、大人になるにつれ自身が上位存在の意のままに動くネジの一本に過ぎないという自覚を持ち、歯車としてできるだけ永らえる事が出来るように努める。
完全に自己を認識し、他者と比べての比較もほぼ矛盾なく行う事が出来る。
中層:
未来人の思想レベル・視点。
他世界の人類種族よりも一歩先を行く術を身に着け、よりよい生活・よりよい人生を歩めるように邁進し続ける事ができる。
自己をある程度認識し、省みる事が可能。
下層:
他世界の人類種族と大差ない思想レベルと視点を持つ。
ひたすらに上位存在に搾取され続けながらも、明日への人生にまだ希望を抱く事が出来る。
遠い後の未来にも望みが持てているが、絶望的な出来事によってそれらが失われる事も多い。
基本的に自分を顧みる心の余裕がない。
最下層(滅亡済み)
魔物や精神汚染された人間、魔獣などと同等かそれ以下の思想レベル・視点の人間がほとんどである。
極わずかな支配者層と罪を犯したことにより他階層から落とされた者だけはある程度の思想レベルと視点を持つ。
基本的には自己の認識はほとんどできず、他者との違いなども理解できない者ばかりである。
ただし、あまりにも異常な環境の為か突然変異的に最上層以上に神々に近い存在として適合した思想レベルを持つ個体が生まれる事もある。




