#1-1.リアルサイド33―精神疲労困憊カップル―
「……タカシ、疲れたか?」
「割とな」
帰宅路にて。カエデと二人、軌道エレベータまでの道を歩く。
今日は仕事の後、イオリの所に二人で顔を出していた。
俺達にできる事なんて日常の事を話したり、ネトゲについて話したりするくらいなのだが、イオリはそんな事でも楽しそうに聞いてくれる。
それが嬉しくて、何か役に立っているような気がして、ついついのめり込んでしまうのだが。
……やはりというか、別れ際は辛かった。
「俺達は、無力だな」
「何言ってんだよ。話聞かせてあげられるだけでも、あの子には何かしらの救いになってるって」
毎度のことながら。イオリは、時間が来ると苦しそうに胸元を抑え、俺達に帰宅を促す。
俺達も慣れてきたのでそれっぽい仕草を見たらすぐに帰るようにしているが、その後のイオリがどうなるのかは、結局わからずじまいだ。
イオリに聞いても苦々しそうな顔をするだけで答えてはくれないし、教頭もその辺りは説明してくれない。
俺達が聞いてもどうしようもない事、という認識なのかもしれないが、それにしたって知らないままというのは中々に辛いものがある。
結果、俺達はこうしてとぼとぼと家に帰る事になる。
助けてやりたいのに、助ける方法が解らない。
俺もカエデも、なんとかしてイオリには幸せな日々を送らせてやりたいと思うのだが、本質的な解決には至れていない。
だから、できる限りイオリを楽しませてやれるように、少しでもその後の苦痛が和らぐようにと、耐えられるようにと、イオリに聞かせる話を集めるように意識するようになった。
カエデの方はどうか知らないが、ネトゲの話や、サクラと遊ぶようになった結果得られた話題などがあり、イオリに話すネタには困らなくなってきてはいたが、やはりというか、無力感が半端ない。
医者になりたかったはずの俺が、苦しみ呻く少女の声が後ろから聞こえていても、無視して帰らなくてはならなかったのだ。
では、その志は一体何のためにあったのか。
その日々が、俺にとってはあまりにも辛く苦しかった。
「なあタカシ」
そうして、そんな俺を見てか、カエデはためらいがちに声をかけてくる。
こいつにしては珍しい、気を遣ったような小声で。
「その……辛い時はよぉ!」
「……うん?」
一瞬、何か言おうとして口を開いたもののそのままは出さず、何か別の事を口に出したような気がした。
なんとなく、そんな風に感じたのだ。
「辛い時は、酒が一番だぜ!! 飲みに行こう!!」
本来何を言おうとしたのか。
それが気にはなったが、「結局酒かよ」という慣れた呆れが前に来てしまい、すぐに疑問が薄れていく。
まあ、大したことではないのだろう。
酒。酒を飲めば確かに嫌なことは忘れられるかもしれない。
だが、それは果たして、忘れてしまってもいい『嫌な事』なのだろうか?
「やめとくぜ。明日も仕事だろ?」
「うぐ……ノリが悪い奴だなあ。良い店見つけたから教えてやろうと思ったのに」
「酔いつぶれて遅刻なんてしたら目も当てられんからな」
こいつと酒を飲むと、ぐいぐい勧められていくうちにどんどん深酒になっていくから困る。
俺は自分のペースで酔いつぶれないように飲んでいるつもりなのに、気が付くと大量に飲んでしまっているのだ。
飲ませ方が上手いとも言える。
俺の性格を熟知しているのだから、腐れ縁の悪友という奴は性質が悪い。
「酔いつぶす気なんてないって! でも、そうか、まあ、無理に連れて行くのもアレだしなあ」
「飲みたきゃ一人で飲めよ」
「それは虚しいから嫌なんだよ……いや、その店なら、退屈せずに飲めるんだけどな」
こいつは酒好きではあるが、一人飲みはあまり好まないらしいのは知っていた。
知っていたが、そう言えばちゃんと諦めるのが解っているから敢えて言ったのだが……どうやら一人飲み用の店まで開拓してしまったらしい。
恐るべし酒好きの執念。
「はーああぁ……最近、付き合い悪いよなあタカシは」
深いため息をつきながら、恨みがましそうに俺の顔を見る。
しかし、こいつはそう言うが、俺は特別付き合いが悪い方だとは思っていない。
「今までが付き合いが良すぎたんだと思って欲しいな」
毎週とまではいかずとも、二週に一度は飲みまくり、休みの日には家に押し掛け遊びに連れ出す。
そんな付き合いが何年も続いたのだから、俺は相当付き合いがいい方なのではなかろうか。
その気になれば「もう社会人なんだからよ」ともっと付き合いを減らしてもいいぐらいだが、そうしなかった俺にも問題はあった気がする。
……多分、どこかでは誘ってくれるカエデに感謝に近い何かを感じていたのだろう。
実際こいつのおかげで、俺はどこにいても孤立する事は無かったし、一人ぼっちの辛さというのを味わった事は、今のところない。
「まあ、最近は休みの日に押しかけても家に居ない事多いしな。どこ行ってんだよお前?」
「お前の目の届かない所」
「ちぇっ、付き合い悪くなったよなあ」
「だから、今までの付き合いが良すぎただけだって」
こいつはこいつで、めげずに家に押し掛けてくるから大した根性だが。
俺の方も、月に一~二度サクラと遊ぶようになったので、恐らくその時とカエデが押しかけてくるタイミングが被っているのだろう。
というか家に居ても押しかけてこないでほしいんだが。
せめて事前確認してから来てほしい。
「……あのさあタカシ」
「うん?」
「お前、彼女とかできたの?」
「なんだ藪から棒に」
話しているうちに嫌な気分は薄れて、大分いつもの雑談の雰囲気に戻ってきてはいたが。
それとは別に、ちょっと話しにくそうな様子で、カエデが問いかけてくる。
突然のこと過ぎて思わず顔を見てしまう。目が合うと、視線を逸らした。
「いや、彼女ができたら流石に家に押し掛けられないだろ? 鉢合わせたら気まずいってレベルじゃないからよ」
「お前はそんな気を遣える奴だったのか」
驚きである。
人が寝ているところにセキュリティ解除してまで押しかけてくるような奴が、彼女が居たくらいでそれをやめるとは思えなかったのだ。
こいつはそういう、親しい奴のプライバシーだとかは気にしない奴だと思っていたのだが。
「流石にそれは馬鹿にし過ぎだと思うぞタカシ」
「驚いてるんだよ」
むっとした表情になるカエデだが、それは全て自分のやった事の所為だと自覚してほしい。
「いいから答えろよ。できたのか?」
「居ないぞそんなの。俺に恋人が居た事なんて一度でもあったか?」
「ないけどさ……いや、今は居ないのか? ほんとに? その……年下の、子とかと付き合ったりしてないのか?」
しつこい奴だった。今までもそれとなく聞いて来たことはあったが、どんな時でもその答えは同じだっただろうに。
「嘘ついてどうするんだ。できたらできたって教えるよ。そうと知ってたら気を遣ってくれるらしいからな」
今までなら「どうせ教えても来るだろう」と思ってたから多分報告しなかっただろうが、教えて来なくなるなら教えた方がいいに決まってる。
だが、カエデはどうにも納得しない様子で「でもなー」とか「ううん」とか視線をうろうろさせながらぶつぶつ呟いていた。
「そういうお前はどうなんだ?」
ただ俺の事を聞かれただけでもつまらないので、こういう時は大体同じことを聞き返す。
だが、こういう時のこいつはいつも同じ反応で、そして今度も同じようだった。
「は? あたし? あたしは彼氏なんていねーよ」
あっけらかんと返してくる。そこに照れなどはないし、嘘をついた様子もない。
そもそもこいつは嘘が苦手なので、はっきりと返すという事はそういう事なのだろう。
「なんだ? あたしに彼氏がいるかどうか気になって来たのか?」
「いいや、微塵も」
「少しは気にしろよ……」
このやりとりもいつもの通りだ。
まあ、互いに今のところ恋人はおらず、そしてできる予定もない。
「前に言ってた『告白してきた男子』ってのはどうしたんだ?」
「どうもこうもねーよ。大体その時にした約束だって、高校卒業まで互いに恋人がいなかったらって話だからな」
流石にフライングでどうにか、という事は無かったらしい。
まあ、こいつもこれで恋愛にはあまり前向きじゃないようだから、当分恋人ができる事は無いだろう。
相手が心変わりを起こさない限り、約束は果たされるんじゃないだろうか。
……そう言う意味では、俺もカエデと同じ立場ではあるが。
「でも、そっか……じゃああれは、ほんとにただの偶然とかか」
「うん?」
「なんでもねーよ。なんでもねー」
何かぼそりと聞こえた気がしたんだが、手をワタワタさせながら「なんでもねー」と連呼する辺り、あまり気にしてほしくなかった事なのかもしれない。
無理に追及すると逆切れしてきて面倒くさいので、「そうか」とだけ放っておいて、黙りこくる。
それきり、二人とも話題が途切れ、静かに歩いた。
-Tips-
気管爆腫瘍(病気)
流行性気管腫瘍の悪化などによって発生する、免疫系異常疾患の一つ。
流動性気管腫瘍は呼吸器系の病気だが、これが悪化したり、本来できないはずの食道に発生してしまう事によって免疫系が過剰反応を示し、悪化した部位を粘膜ごと排斥しようとしてしまう。
この免疫の動きによって患部の症状がより悪化し、腫瘍が更に膨らみ、最終的には気管内部で爆発してしまう。
爆発するまでが助かる為のタイムリミットであるとされ、爆腫瘍になった瞬間から即座にコンソール操作で病気そのものを消すか、物理的に腫瘍を切除しなければ、腫瘍の爆発によって気管および食道が破壊され、大量の内出血によって血栓ができてしまい、そのまま呼吸困難と出血のショックによって死に至る。
このように恐ろしい病気ではあるが、コンソール操作や薬の投与によって容易に回復する流行性気管腫瘍が悪化しない限りほぼ発症する事は無く、仮に発症しても初期段階で対処さえ間違えなければ即座の治療が可能である為、同じ流行性気管腫瘍から派生する『悪性循環潰瘍膜』よりは治療・対処ともに容易な病気であると言える。
レゼボアにおいては下層住民の0.01%ほどが、最下層住民の0.0001%ほどが掛かる病気であるとされ、孤独な老人や身寄りのない子供などがこれによって死に至るケースを除けば、死病ではあってもこれにかかるほど放置される状況は極めて稀であるとされている。
異世界においては、特に悪辣な環境に置かれがちな性奴隷や人体実験用のモルモット、炭鉱夫などが掛かりやすい病気であるとされており、その際は薬草や魔法などによって治癒されるケースが多いが、やはり死病として一定の死者を出す病気とみなされている。
これには衛生面などの概念が異世界では乏しいというのも強い側面として存在し、レゼボアでは考えられないような病気が併発する事もあり、死のリスクは比較的高いとされている。




