#21-2.リアルサイド32―戻ってきたトラブルの種―
夕方。仕事帰りにスーパーで買い物をし、ゆったりとした気分で帰る。
車を車庫に入れ、玄関を開こうか、という所だった。
「あのっ」
不意に背後から声を掛けられ、振り返る。
……ミズホと一緒にいた、あの女の子が、そこに立っていた。
気の強そうな、キリっとした顔。
ミズホとは違った方向性で整った、綺麗な女の子だ。
マジマジと見る事は今までなかったけど、こうして一人でいるところに出くわすと、下層の制服を着た女の子と比べてかなり年が上に見えるから不思議だ。
まあ……あのミズホのメイドなんてやってるのだから、相応に老け込んでしまうのかもしれないが。
そんな女の子が、俺を見上げながら……いや、睨みつけるようにじっと見つめながら、何かを言おうとしていた。
「こんな事を、突然言うのは不躾だとは思うのですが」
「ちょっと待った」
何かの断りか。
雰囲気からしてミズホの時の礼を言うつもり、という訳ではなさそうなので、ちょっと身構えてしまう。
両手に持ったスーパーの袋を片手に集め、開いた手を前に出して、彼女がしゃべるのを止めようとした……つもりだった。
「待ちません」
「うぉっ」
ぐい、と前に来る。
止まる気がない。いや、切羽詰まっているようだった。
夕暮れの所為で今まで気づけなかったが、間近で見て初めて気づく。
頬や首筋が、汗ばんでいた。
「すみません。突然でほんとに悪いんですが、助けてください」
「本当に突然すぎるよ」
「すみません。とにかく来てください。今すぐ、すぐに!」
迫ってくるだけじゃない。
俺の腕を掴み、逃がさないように引き寄せようとする。
離れようとしても足が側面に回り込んでいた。
……体術の類か。意図的に俺の逃げ道を封じようとしているらしい。
「ミズホか?」
何が起きたのか考えてみる。
この子が一人で俺に用があるというなら、それはどのような事なのか。
恐らく、ミズホに関した事なのではないかと思ったのだ。
何せこの子個人が、俺に用事があるとは思えない。
俺はこの子に興味惹かれる様な何かをしたような事は無いだろうし、この子自身、工事にも興味はなさそうだったのだから。
嫌々工事を見るのに付き合っていたのだから、恐らくは用があるのはこの子ではなく、ミズホなのだろう。
「助けてくれって事は、何か――」
「――はい」
ミズホの名を出した途端、力の籠っていた手を止め、佇まいを正す。
俺が何かを察しようとしていたのに気づいたのだろう。
やや居心地悪そうに視線を逸らしながら、それでもやがて俺の眼を見つめ直し、力のこもった瞳で口を開く。
「――お嬢が……倒れました」
考え得る中で最悪とも言える展開だった。
快気して家を出たまま、健康に過ごしてくれればよかっただろうに。
よりにもよって、また倒れるとは。
「家に入ってくれ」
「あのっ、お嬢は酷く咳き込んだり、苦しんでいるようでっ――」
「このまま行っても何もできないだろ。支度もある。だから、家に入って。君にも手伝ってもらわないと」
ミズホは健康チェックが全くできない状態に陥っている。
恐らく今俺が見に行っても、できる事は精々が、この間の看病と大差ない事くらいだ。
それでも意味があるなら、そもそもこの子がそれをやればいいだけだろう。
それだけでは治らないと思っているから、この子は俺に助けを求めたのだろうし。
「あっ……はいっ、解りましたっ」
幸い、ミズホと違ってこの子は空気が読めるらしかった。
俺が言わんとしている事をすぐに察して、俺を掴んでいた手を放す。
「先に言っとくけど」
家のドアノブに手を掛けながら、振り返らずに背後のメイド少女に断りを入れる。
「俺は、病気に関しては詳しくないし、できる事はかなり少ないと思うよ。だから、勘違いしてるようなら悪いけど、俺が行ったからって助かるとは思わないでくれ」
「解ってます。それでも、来てほしいんです」
「……そっか」
俺の返答くらいは最初から予想していたんだろうか。
あるいは、突き放されるよりはいいと思ったのかもしれない。
この子がどういう経緯で俺を頼ろうと考えたのかは解らないが、ミズホから聞いたことが真実なら、ミズホは反逆者の娘という事になる。
恐らくはかなり厳しい状況に置かれてるんじゃないか。
そんな風に考えながら、ドアを開いた。
「あ、おかえりなさい……ハジメさん。何かあったんです?」
ドアの先にはサオリ。
恐らく家の前でのやり取りが聞こえていたのだろう。
本当なら笑顔で出迎えてくれるはずが、心配したように眉が下がっている。
「ちょっと困った事になった。ミズホが倒れたみたいなんだ」
「えっ……またですかっ? あの、それじゃすぐにお布団をっ」
「いや、ここには居ないみたいだから、とりあえずあの娘がいる場所に行くことになった。悪いけどサオリも手伝ってくれないか?」
「はいっ、解りましたっ!!」
こういう時はサオリでも重要な人手になる。
俺一人でできる事なんて本当に少ない。
だけど人が一人でも多く居れば、できる事の幅はかなり広がる。
家を空ける事にはなるけど、いつ戻れるか解らない家にサオリ一人で置いておくのも心配だし、連れて行く方が良いだろう。
「まずは替えの服を用意しよう。それと、食料も必要か?」
俺の後から家に入ってきた少女に確認するように顔を見る。
「あ、はい……何かあると、ありがたいかもしれません」
「解った……ああ、それと」
「?」
「俺、ハジメな。この子はサオリ。俺の娘みたいなもんだ」
「初めましてっ」
「……あっ、そうでした。すみません。私はミズホお嬢様のメイドをしている、『カズサ ミノリ』と言います」
今更ながら。
自己紹介すらしていない事に気づいたらしく、ミノリは姿勢正しくお辞儀した。
なるほど、メイドらしい仕草と言える。
……異世界の王宮に仕えるメイドなんかと比べると、大分雑だけども。
「とりあえず、何か食べ物、リュックサックに入れていきますねっ」
「頼んだ。俺は必要な機材を車に積み込むから」
サオリに衣類と食料を任せ、ミノリに促しながら奥の間に進む。
「……機材、ですか?」
「言っただろ。俺は病気には詳しくない。異世界とか、そっち系の病気ならいくらか対策も知ってるけど、レゼボアの病気の対処法なんてほとんど知らないんだ」
確実に治る薬さえ飲めば、あるいはコンソールから病気を削除すれば治るレゼボア一般人と違い、ミズホは恐らく異世界の様な、『レゼボアとは違う治療法』を行わなければならないはずだ。
薬一つ使うにしたって投薬される本人のデータに合わせる必要があるのだから、それがないミズホには、レゼボア的な治療法はできない。
だから、ミズホ本人の容態を可能な限り把握して、それが解りそうな人に聞くくらいしかできない。
必要な機材を積み込み、リュックを抱えたサオリとミノリを引き連れ、車に乗り込む。
工事にも使っているものなのでそれなりの幅はあるが、それでも積み込んだ機材がかさばり、座席はかなりかつかつ。
案内も兼ねて助手席に座ったミノリの肩の部分が、俺の横っ腹に当たった状態になる。
……ゲーム世界であんな風になってなければ、もしかしたらこれだけでドキドキしてしまっていたかもしれないが。
今はそんな気にもなれず、安全運転を心がける事にする。
「お嬢は、私達の借り部屋に……ここから役所を軸に真逆の地域に居ます」
「あのあたりっていうと……第二十地区か?」
「はいっ、確かそうだったと――すみません、地区の名前とか、あんまり覚えてなかったもんで」
第二十地区。商業地区を挟んで正反対に位置する住宅街のはずだ。
アパートメントやマンションの建っている、下層でも比較的富裕層が暮らす地域――金ばかりかさむので俺は避けたけど、ミズホ達はそれなりにいい場所に住んでいるらしかった。
「とりあえずそこに向かうから、細かい案内よろしくな」
「はいっ、お任せをっ」
きり、と頬を引き締めたその顔は、凛々しくもあり、危機感に満ちているようにも見えた。
よほどミズホの事が心配なのだろう。
できるだけ急いでやりたいが、だからと道路のルールを破る訳にもいかない。
安全運転。かつできるだけ信号で捕まらない様な道を頭に浮かべ、それに沿って進んでいく。
それほど慣れた道ではないが、工事で通った事はある。
驚きなのは、軽く30キロはある距離を俺の家までこれた事だろうか。
車か何かを使ったのかもしれないが、よく道に迷わなかったものだ。
それからしばらく、道案内を頼みながらもミノリに事情を聞き、ミズホから俺に世話になった事を聞かされたこと、ミズホが倒れた時にその事を思い出し、俺に頼ることにした事などを聞くことができた。
ついでに、ミズホ自身が置かれた今の状況も。
元々は最下層のお嬢様だったらしいが、父親がNOOT.の求めた何がしかの要求を満たせなかったことにより失脚。
発狂した父親はそのまま捕らえられ、『反逆者の身内』という扱いにされたミズホは、公社に関わるあらゆる権限をはく奪された。
ここでいう公社の権限とは、つまり『レゼボア人として生きるためのあらゆる権利』。
人権の存在しない世界で、わずかに残された『医療に始まるあらゆる福利厚生を自由に受けられる』という拠り所を失い、ミズホは学校に通う事によって得られていたわずかな個人収入によって、日々を過ごす事を余儀なくされたのだという。
わずかと言っても上層の学校に通っているらしく、その収入は下層の一般的な大人の収入よりもはるかに高いらしいが。
それでも物価の高い中層で暮らすのはかなり厳しく、やむなく下層で暮らすことになっているそうだ。
多分、二人暮らしであっても、普通に一般人として暮らす分には生活費は事足りるはずだが、ミノリは主人であるミズホにお嬢様らしさを保たせるため、アルバイトなどをしているのだという。
ミズホはその間一人きりになってしまうのだが、その為の暇つぶしが、工事の見学だった訳だ。
そうして時間を潰し、バイトが終わった後に合流し、家まで帰るのが毎日の過ごし方だったらしい。
ミズホに聞いた話とあわせれば、そこまで聞いていて驚かされるような事実はそんなにはなかったが、それでも「そんな事になっていたとは」とトラブルの種を感じずにはいられなかった。
だからと捨て置く事もできないのが悲しいところというか、頼られたからと助けに行ってしまうのは、自分でも浅はかに思える。
-Tips-
ハーニュート(世界)
『詩人の泉』より流れ出でる『川』により形成された世界の一つ。
全世界最優最強の人類平均値を誇るハーニュート人の支配する『時の支配する世界』である。
上流にある世界『ヴァーリエ』からの川の流れの分岐点に存在する世界で、『サウスフィールド』とは横並びになっている。
一見すると温感な、悪く言えば特徴に乏しい古めかしい文化が色濃く残る世界で、文明も技術力も育っていないように見えるが、これらは全てハーニュート人の趣味である。
主要人種のハーニュート人は、『川』より生まれ出でし存在『人間』から派生した直系種で、全世界に存在するあらゆる人種の中で『魔法使い』同様最も古いとされている。
ハーニュートの特異な点は二つ存在し、一つは『時間・時空管理がそこに住まう人種任せである事』がある。
これはハーニュート人が生来持つ『時間と時空を操る』という特殊能力が関わっており、個々人が自在に時間と時空を操る為、基本的にハーニュートの時間と時空は常に歪み続けていると言われている。
もう一つの特異な点として、本来その世界を支配する『魔王』が不在となっている事がある。
これは、その世界出身の『魔王』であるレーズン=アルトリオンが世界の支配を拒絶し、自由を求め異世界へと旅立ってしまった事にある。
同じように『魔王』が旅に出ている『在る世界』は間接的ながら『魔王』の意向を受けた元配下が代行していたが、ハーニュートに関しては全く彼女の意思が関わることなく、基本的にハーニュート人が好きなように運営している。
また、これに関連する訳ではないが、ハーニュート人の能力平均値が上位魔王と大差ない為、全世界中最もその世界の『魔王』と一般市民の能力差が少ない世界であると言われている。
他世界と比べてのハーニュートは、全世界中でもレゼボアに次いで科学技術が高く、教育水準に関しては全世界トップである。
文学・文芸・芸術などあらゆるサブカルチャー面においても高い水準を誇る。
ただしハーニュート人は定期的に『ロールプレイ』を基礎とした人生経験の変異を計る為、農業以外の産業は完全にその時代、酷ければその年ごとに発展するものが異なってくるし、巻き戻しも頻繁に行われる為、しばしば歴史そのものが変化していく。
ハーニュート人は自由を好み、平穏な日々を送る事を愛し、そしてストイックである。




