#4-1.リアルサイド21-最下層から上層へ-
最下層からの軌道エレベータでいけるのは、下層まで。
この下層世界『アンダーグラウンド』は、一般にレゼボア人がレゼボア人らしく暮らしていける最低限の世界であると言われている。
ここでの主な交通手段は車。
最下層と比べると圧倒的に車の数が多く、至る所に車が走っている。
空気の汚れは目に見えていて、車自体の性能も微妙な為に排ガスが至る所から排出されていた。
(ここだけは、車がほとんど走らない最下層よりも悪いところかしら、ね)
毒ガスが噴出したり人間には苛烈過ぎる気候変動が日常的に起きるので一概にマシとは言えないけれど、質の悪い車が多い下層の空気は、車がほとんど存在しない最下層と比べるとかなり酷い。
軽く軌道エレベータから見渡すだけでもマスクを着けていたり、むせながら歩く人が見えるほどで、この悪意ある大気汚染から公害が発生している地域も少なからずあるのだとか。
正直、このような環境で生活するのは最下層で狂いながら生きるよりも辛いのではないかと思ってしまう。
「ミズホちゃん、外の景色見るの好きだよね~」
「……?」
ぼんやりと眺めていた中、不意にルリハのつぶやきが聞こえ、意識がそちらに向く。
特に何か意味があって見ていた訳でもないのだけれど、そう言われて見れば確かに見ているような気もする。
折角親友といるのに。わざわざ外の景色なんかに意識を奪われるのは、もったいない。
「構って欲しいならそう言いなさい?」
「えー、ミズホちゃんが寂しそうにしてるから話しかけてあげたんだよ?」
「それなら余計なお世話だわ。私は貴方と一緒に居る限り、寂しいと思う事なんてないはずだから」
「あらあら、そんなこと言っちゃっていいんですかお嬢様? 私、嬉しくなると鼻が高くなっちゃうんですよ?」
「どこまでも高くなって良いのよ? すくすくと伸びなさい?」
「実はもう伸びてるんですよ。伸びすぎてミズホちゃんには解らなくなっちゃってるの」
「それは中々にパラドクス的な……」
正直ルリハとのやりとりはノリでやってるだけなので意味なんて求めてないけれど、相変わらず意味不明な返しばかりしてくる子だった。
だけど楽しい。この子はこんな風に私に話しかけてくれる。私に笑いかけてくれる。私に悪態をついてくれる。
それが当たり前なのに、誰もやってくれないから、この子と会うまではつまらなかったのだ。
こんなの、他にはミノリくらいしか望めない事だったのに、ルリハと出会ってからは大分、世界が明るく変わったように思える。
「あ、もう下層世界終わっちゃうね。ここからは私の世界だよー」
「ふふっ、まるで自分が暮らしてるかのように言うのね」
「暮らしてますからっ、私ここの住民ですからっ」
下層世界は412層で終了。
そこからは、中層への軌道エレベータを乗り継ぐ事になる。
外に出てみれば、それまで見た汚染された空気は大分薄れ、目に見えるほどではなくなっていた。
同じ層でも階層が高ければそれだけまともな世界になるというのは、中々に面白い物。
最下層のように一層しかないと比べようもないけれど、この中層のように住む階層が違えば常識も違う、なんてこともあるのかもしれない。
「あっ、私が一番乗りーっ」
「私達しかいないじゃない」
「ふふふっ、そだねー」
戯れながらも乗り継ぎのエレベータに乗り、中層世界『リトルワールド』へ。
ここからは大分世界の景色も変わり、色も変わってくる。
まず、明度からして違う。ここからは気象を管理する管制システム『ディザスター』も、人間に対し温情を感じさせる気象管理を行うようになるのだ。
陽の光が当たり前のように届き、雨が有毒ではない世界。
家屋だけでなく高いビルが並び、多くの人々が文化的に過ごせる。
こんなもの、上の層へ出られる私のような一部の人を除けば、皆「そんなのありえない」と思うはず。それがあるのだから。
「うーん、でも、私から見るとあんまりおもしろいところないんだよなー。ミズホちゃん、見てて面白い?」
「ええ、とても面白いわ。人間が犬と一緒に歩いているし」
「普通にペットなんだよなあ」
「そう、それよ。犬をペットとして扱うという考えが、最下層にはそもそもないもの。ペットって何状態よ」
「犬好きな人が聞いたら卒倒しちゃいそうだよね、ミズホちゃんの世界って」
「そうね、そうかもしれないわ」
最下層では、犬なんて野良犬くらいしかいない。
それも、大体は病に侵されていて凶暴になっている。
最下層住民の死亡原因トップ5の5番目に位置するくらいには、人間にとって脅威となる存在のはずだった。
そんな生きている不幸とでも言うべき存在が人間と仲良くお散歩できているのが、中層世界の日常。
初めて見た時は我が目を疑ったくらいだけれど、実際に中層の住民であるルリハが言ってるのだから嘘ではないはず。
流石に今ではこれも見慣れたけれど、それでも見るたびに「つくづく私の世界は悪夢のようね」とため息が漏れる。
だけれど、楽しい。自分が暮らす世界とは違う世界が見ることができるというのは、私にとっていくらかある幸せの一つだった。
「空気も大分いいわよね」
「そうだね。下層と比べるとかなり綺麗なはずだよ。一応、排気ガスとかは出ない車しかないし」
「ガスが出ない車……未来の世界のようだわ」
「うーん、ここが未来かあ。そうなると、上層は……」
「未知の世界ね」
「うん、私から見ても大体そんな感じだった」
あれはレベルが違うよねー、と、二人して頷き合う。
私から見て次元が違う世界のはずの中層ですら、これから見る事になる上層とは比べ物にならないくらい技術で劣るというのだから「この世界の先端は人の身ではたどり着けないのでは」と思えてしまう。
そして私達は、そんな世界の学校に通う身という。
100層まで続く中層が終わりを迎えると、ここからはまた乗り継ぎ、上層世界『エントランス』へ向かう事になる。
ここまで来ると車すら見られなくなる。
住民の主な移動手段が大規模転移・転送装置になっているのだ。
一か所に人が集まり、それが瞬時に消え、全く別の場所に現れる。
そんな光景が当たり前のように広がり、道路が『人が歩く為にあるだけの道』となっているのも特徴的。
建物も階段やスロープ、駐車場といった無駄が省かれていくのだけれど、それとは別に緑が全くない、という印象も強い。
「ほんと、全く知らない世界って感じ」
「同じ人間が暮らしているはずなのにね。効率を追求すると、こうなるのかしらね?」
「どうなんだろうね。私はちょっと息苦しく感じちゃうかも? 学校の周りはそんなでもないけどね」
「確かに、学校の周りだけは緑があるわね」
「ミズホちゃんは緑が好きだよね。私はそこまで気にした事はないけど」
「……そうね。緑は好きよ」
この層とは別の意味で、最下層には緑と呼べるものが全くないから。
だから私にとって、夜眠った後に戻る事が出来る『緑あふれる世界』は理想郷のようなものだった。
美しい緑。ただそれだけで心惹かれてしまう。
人間との関わりは現実世界で十分満足しているから、それ以外のものを楽しみたい。
そんな風に考えてしまうのだ。
だけれど、現実で楽しめる緑も、また希少な分だけ尊いと思う。
学校に残る数少ない緑は、私にとっては大切な癒やし要素。
「園芸部とか、作っちゃう?」
「部活動には興味がないわね……というより、部活で帰りが遅くなったら、後が大変だろうから」
「そっかー……家が厳しいと大変だねえ」
「厳しいというか……お父様がアレなだけだから。変に刺激して関わってこられると嫌だから、今のままでいいわ」
「うーん、ちょっと残念」
今更な提案過ぎるけれど、そんなネタに乗ってあげられるような状況でもないのが残念だった。
冗談抜きで、部活は私にはハードルが高すぎる。
せめて私が中層とかで普通に生まれた女の子なら違ったのだろうけれど……
こんな時、マフィアの家に生まれたのが、悲しいというほどではないけれど、もったいなく思えてしまう。
生まれる家が違ったなら、生まれる層が違ったなら、また違う生き方もできたはずなのに。
ルリハ達と部活動を楽しむ高校生活があっても良かったのに、それが残念だった。
「そもそも、もう私達、三年生よ? 部活動をやるには遅すぎると思うわ」
「そういえばそうだったね。ミズホちゃんあったまいい!」
「バカにされてるようにしか思えないわ」
「バカにはしてないけどね。ていうか、人様をバカにできるほど私には余裕なんてないよー!」
こないだも赤点ギリ回避だったし、と、目をぎゅっとつむって抱き着いてくる。
赤点ギリ回避と聞けば残念な人のように思えるかもしれないけれど、ルリハの場合はむしろ健闘している方。
元々幼少の頃から上層の勉強についていけるように教育された私と違い、ルリハは中層で生まれ中層で育った、上層の勉強なんて微塵も教わっていなかった子なのだから。
それでも辛うじてでもついてこれているのは、ルリハが中層トップの天才だから。
中層の天才が、上層ではかなり苦しい状況に追い込まれている、というのが階層間の住民ごとの学力・知能指数の差を表すのにとても解りやすいのではないかと私は思う。
指定されて上層の学校に通う事にでもならなければ、ルリハは多分、中層で何一つ不自由ない、天才としての日々を送る事が出来たはずなのだ。
それが、一つ上の階層世界では何一つ通用しない。
普通なら腐っても仕方ないくらいの絶望の中、ルリハはいつも屈託なく笑っている。強い子だった。
多分、私なんかよりずっと強いはず。
時折こうやって甘えてくるけど、私よりずっと大人なはずだった。
だけど、この子の頭を撫でるのもそれはそれで癒しになる。役得。
「ねーミズホちゃん、また今度異世界史教えてね……?」
「教えるのはいいけれど、またお姫様の部屋を物色しようとしてはダメよ……?」
「し、しないよー、私、友達が嫌がる事はしないもん!」
「それならいいけれど。あの人はあまり、そういう風にからかわれるのが好きではないようだから……」
「うん、そうなんだよねー、だから、普通に抱き着いたり普通に髪の毛弄らせてもらったりする方向でスキンシップする事にしたよ」
「その方が良いかも知れないわね」
私はあまり相手によって態度を変えたりしないのだけれど、それでも『お姫様』相手は色々と気を遣う事が多い。
ルリハのように精神的にタフネスを誇る訳でもなく、意外と繊細で簡単なことで落ち込んだりしてしまうナイーブな人なので、迂闊な一言が深く傷つけてしまいそうで怖いのだ。
優しく在れ、と思っている訳でもないのだけれど、ある程度の気遣いは必要な相手だった。
いつかは気兼ねなく付き合えればいいのだけれど。少しばかり、時間が足りないかもしれない。
「スキンシップ……」
「ふぇ?」
「ルリハのようにスキンシップをすれば、私ももっと人と打ち解けやすくなるかしら……?」
「それは……うーん、どうだろう?」
ふとした思い付きだけれど、親友は首を傾げてしまう。
あまり良くないのかもしれない。
まあ、所詮その場の思い付きだから粗があったとしても仕方ないのだけれど。
「ミズホちゃんは、どちらかというと一歩引いたところから助けてくれたり、見守ってくれたりする枠だと思うの」
「枠……?」
「役割みたいな。あんまり積極的に前に出ちゃうと、かえって周りを委縮させちゃうというか。たまに前に出るからこそ印象強くなるというか」
「つまり、ルリハと同じようにはできないという事かしら?」
「できない訳じゃないけど、やっちゃうと今までのミズホちゃんのイメージは崩れるかなあ」
「イメージ……」
つまりルリハのような行動はあまり似合わない女、という事だろうか。
確かに自分ではあまりそういう事はしないし、ルリハと話していてもどちらかといえば受け身の方だから、積極的にスキンシップを、というキャラクターではないのは間違いない。
ここは親友の忠告を素直に聞いておくべきだと思える。
「……やはり、そういうのはルリハに任せておくわ。私には似合わないみたい」
「でもでも、変わろうとするのはすごくいい事だと思うよ? 私、皆に積極的に抱き着くミズホちゃんとか見たい見たい」
「それは……あまり人には見せたくないわね」
「えー、きっとすごく可愛いと思うけどな? ミズホちゃんは綺麗系だけど、可愛い系もいけるはず!」
「それはちょっと無理よ。私のキャラクターではないわ」
可愛いというのは、このルリハのような女の子を指すもの。
小動物的にコロコロと表情がよく変わり、コミカルに動き回り、そして、傍に居るだけで癒される。
絵的に見ても可愛らしく映り、そして動的に見れば飽きさせず、そこに居る事が誰にとってでも幸せに繋がる、そんな存在。
とてもではないけれど、私にはなれそうになかった。
ある意味オンリーワンというか。真似ようと思って真似られるものでもなさそう。
「ちょっと見てみたかったなあ……あ、もうすぐ着くよ?」
「そのようね……ルリハ、時間は?」
「ん、オッケー。今日も間に合いそうだよー」
「それはよかったわ」
第三層。ここが上層の最上階層となる。
私達の目的地。通うべき学校がある場所で、そして、私達の集合場所。
軌道エレベータから出ると、まだ人口太陽がほのかに明るくなり始めたばかり。
ほどよい気候に調節されたこの階層の大気は、寒さやピリピリとした痛みを感じたりする事もなく、柔らかな風を私達に吹きかけてくる。
それが心地よい。髪が揺れるのも、その一本一本にこの新しい空気が触れていくようで、うっとりしてしまう。
ただそこに立っているだけで、この世界はこんなにも人間に優しい。
「ふふっ、今日も気持ちよさそう」
「ええ、いつも気持ちいいのよ。緑はなくとも、この世界の環境に、人への悪意は一切ないもの」
「そうだね。十分優しい世界だよね」
「本当、そう」
ただ風を受けただけで幸せになれるなんて、私はなんて安い女なのだろう。
だけれど、安いだけならばこれから先は更に安くなる。
ゆったりとした心持ち。のんびりとその時を二人して待つのだ。
-Tips-
下層世界『アンダーグラウンド』(概念)
レゼボアの中で、412層から757層までで構成される階層世界。
中層世界『リトルワールド』と繋がっている下層世界であり、最下層世界『ネザー』に繋がっている上層世界となっている。
レゼボア人がレゼボア人らしく暮らす事の出来る最低限の世界であり、気象管制システム『ディザスター』は半ば放置に近い状態で管理している。
技術水準はレゼボアの中でもかなり低く、多くの他の世界よりは科学的に進歩しているが、それが故苦しみの中暮らさねばならないという『科学の進歩の末のデメリット』がそのまま残ってしまっている。
特に車や工場が多く、この為人体にとって有毒な排ガスや廃液が垂れ流しになっており、大気汚染や公害が各地で広がっている。
この層の公社の役人たちもこれらを解決しようと努力しているが、明らかに対策の規模と汚染の規模がかみ合っていない為、被害は留まる事がない。
住民の多くはそのような中でも逞しく暮らしている為、レゼボア人の中では比較的大柄で力持ちな者が多いが、そのほとんどは中等部教育から直に働きに出る為、学に乏しい。
日々の暮らしの中肉体的・精神的に追い詰められながらも、それでも娯楽を求める程度の精神的な余裕は残っており、苦しい生活の中だからこそ多くを想像できる為か、サブカルチャー的な思考を持つ者も多い。
そのような状況からか、度々ストライキやデモが発生しているものの犯罪率は意外と低いが、そのような中起きる犯罪は時として凶悪な集団ヒステリーに発展する事もあり、危険である。




