#2-3.赤眼のヘヴィラム
「……ふぅ」
やがて動かなくなった黒熊。
それでも尚一分ほどは様子を見て、それから近づき足で蹴りつける。
モンスターと違って死んでも即アイテムに変わる訳ではないので、自分自身で確実かどうかの確認を怠る訳にはいかない。
ピクリとも動かないのを確認し、ナイフを手に、剥ぎ取りを開始する。
獲物によって剥ぎ取りの時間は変わるけれど、ワイルドベアの剥ぎ取り時間は特に長い。
その間、周囲への警戒を密にして他の生物に襲われないように――そう思いながら、じと、と、背筋に嫌なものを感じた。
感じながらに、手はアイテム袋へと伸びていた。
(これ……この感覚……は)
見られている。
ワイルドベアと踊っていた時は感じなかった空気の違いが、また、私の周りに存在していた。
いや、さっきよりも濃密だった。
さっきよりも威圧的で、圧倒的で、そして、神秘的で。
「……あ、ああ……」
立ち上がれば、視線は自然とそちらへと向いていた。
居た。血のように赤く巨大な角。
ワイルドベアなど小動物だったのではないかと思わされるほどの白い巨躯。
(ヘヴィランサー……? 違う。違うわ、これは……)
外見こそは見慣れた大型狩猟対象動物。
だけれど、これはもう、そういったレベルではない。
身体もそうだけれど、角のサイズから言ってこれはもうヘヴィランサーの範疇ではなかった。
角など、騎兵槍どころか衝角にすら見える。
かつて見た、そう、『ヒメクイ』の時のような、そんな存在感。
人を矮小に感じさせる、人ではない方向性の知性を持った、別の生き物がそこにいたのだ。
『……』
「……は、ぁっ」
感嘆の息が漏れた。
視線が完全に合っていた。
かつてヒメクイに無視され、脇を通り抜けられた私は、今ではそれと同格と思える超大物を前に、ようやく同じステージに上がる事が出来たのだ。
それを感じられた。身をもって味わえた。
私は、この化け物と、戦う事が出来るのだ。
その権利を、ようやく得られた気がした。
何も語る事はない。
それが解っているのか、この白い化け物はわずかばかり頭を垂れ……そして、やがて前足をぐり、と地面に打ち付ける。
ヘヴィランサーの見せる突進。まさにその前触れ。
だけれど、この巨体がそれを行ったらどうなるのか。考えるまでもなかった。
「――そうっ、私と踊ってくれるのね!」
『ブフゥッ』
溜息のようないななきと共に暴進してくる白き壁。
まさしく人では逃げ切れない、そんな超高速。
「あぁっ!」
気が付けば目の前に居て、そしてなすすべもなく突きあげられ、空中へと跳ね飛ばされる。
右わき腹に激痛が走り、すぐに何も感じなくなった。
『ヴギョェァァァァァァァァァァァァァッ!!!!』
聴覚を破壊されるかのような鳴き声。
二本足で立ったその化け物が、落下してきた私に向け、的確に立ち上がって、角を向ける。
なるほど、どうやらこれが即死パターンのラッシュ攻撃らしい。
これは面白い。素敵だった。
こんな化け物に殺されるなら、きっと楽しいに違いない。死を楽しめる。
だけれど、私は別に死にたがりという訳じゃない。
死というものを感じたかった。死を味わい、死の中に見出せる何かが知りたかった。
だけれど、ここで死んではそれが味わえない。愉しくない。意味がない。
きりもみしながら落下する僅かな滞空時間中、やれることはいくつもあった。
この辺りは樹が多い。腕を突き出せば、枝にバシバシと当たり速度を落とせる。
姿勢はまだ無茶苦茶だったけれど、強く足を蹴ればどこかの樹に当たったのか、大きく落下位置をずらすことができた。
「ぐっ――うっ、かはっ」
そうして、辛うじて衝角の追撃を回避できた中、地べたへと叩き付けられる。
かなり高くまで吹き飛ばされたはずだけれど、落葉が多めに積もっていたのが救いだったらしい。
肺から一気に酸素が抜けていく感覚と、胃の中から内容物がせりあがってくるような感覚が同時に襲い掛かり、えずきそうになる。それでも視線はそらさない。
一瞬自分の視線から外れた獲物を求め、化け物は私の姿を捜し、そして捕捉していた。
ヤギのような眼が細まり、今度は走ることなく私へと近づいてくる。
のっそりとした、威厳を感じさせる移動。
まだ立ち上がれない私を前に、ズシリと目の前に見える脚。
近すぎて、この距離だと見上げても顎辺りまでしか見えない。
だけれど、何をしようとしているのかは、なんとなく解る。
トドメ。確実なトドメを刺そうとしていた。
弱っている相手を殺すのなら、先ほどのようにわざわざ駆けて突き飛ばして串刺しに、なんてする必要はない。
この巨体の圧倒的な重量を使えば、人間などは訳もなく圧し折れ砕け動かなくなるのだから。
片足をあげ、軽く私の背中に乗せる。
ただそれだけ。
「――あっ、ああ……」
動こうとした腕が、それだけで動かなくなった。
激痛が背筋に走り、それを凌駕した重圧が、全身に襲い掛かる。
軽く押されただけで、全身が地面に埋め込まれていくような、押しつぶされる感覚。
大量の落ち葉がその重圧の一部を吸収してくれているけれど、それですら意味をなさなくなるほどの重しに、全身がぎちぎちと悲鳴をあげ始める。
これはそう、骨が砕け折れる寸前の音。
リアルで聞いたから解る。人間が、重量物に押しつぶされて壊れる寸前に出す音だった。
「ぎっ、ぎぃっ……がっ」
惨めすぎる悲鳴をあげながら、動かなくなった腕が無理矢理に動き始める。
これは本能の躍動。死の寸前「なんとかして抵抗しろ」と身体に命令し続けた結果の反応に過ぎない。
なるほど、先ほどの熊は、きっとこんな感じで抵抗していたのだろう。
勝てない相手に、殺されない為に。
だけれど、死ぬのだ。
満足過ぎる。最高だった。
内臓はもう間もなく破壊し尽くされ、骨は砕け、そのまま惨めに色んなものをぶちまけながら死ぬのだろう。
私というプレイヤーはここで死に、そうして誰にも知られる事なく消え去る。
私という存在の証はどこにもなくて、だからきっと、誰もが私の事なんて忘れ去るに違いなかった。
それでいい。それでよかった。私は、それで、いい。
肉は潰れ、骨は圧し折れ、内臓ははじけ飛び。
足が退いた後も、息すら吸えず、視界も壊れた。
いや、即死しなかっただけでも異常なほどで、なんでこんなに意識がはっきりしているのかと思うほどで。
だけれど、満足だった。
圧倒的過ぎる生き物だった。
それは人ではなくて、人なんかよりずっとすごくて。
私は、そんな生き物に負けた。
人間は、人間以上の存在に敗れたのだ。
まともな戦いにすらならないほど圧倒的な存在。
これと対峙し、そうして、わずかなりとも見つめ合う事が出来た。
同じステージに立ち、そして、少しでも私という存在を認識してもらえて、そして、殺してもらえた。
つまらない存在ではない。私という存在は、その圧倒的な存在から見ても、殺さなくてはならない相手に移ったはずなのだから。
ただ通り過ぎるだけの路傍の石ころではない。
殺さなくてはならないと、そう感じさせられたのだから。
――本当にいいの?
囁くような声が聞こえて、抵抗すら諦めてしまった腕が三度、動く。
全く、迷惑な話だった。
全部受け入れて、やっと満足して死ねたと思ったのに。
ただその一言が引っかかって、死にきる事ができやしない。
なんでこんな時に、ギルドの人達の顔が浮かんでしまったのか。未練とでも言うのだろうか。馬鹿らしい。
意識を向ければ、まだ化け物は私の近くに居座っているらしかった。
私の挙動を窺っているのかもしれない。
見る事は出来ずとも、その存在感は依然、重く伝わってくる。
ただ見ていたのだ。死体蹴りをするような性質ではないのかもしれない。
だけれど、油断なく見ているように、そう思えた。
「ふっ、くっ……くくくっ」
笑いが堪えられない。
痛い。苦しい。苦い。不味い。空気が足らない。だけれど、笑える。
指が動く。潰れたはずの肉がいつの間にか戻っていた。
破裂した筈の内臓が機能しているのは、呼吸できているから把握済み。何より心臓が動いている。脈動がうるさい。
立ち上がれば、立ち上がれた。自力で立ち上がる事が出来た。体力も回復している。謎い。
何が起きたのか解らないけれど、どうやら死なずに済んだのか、生き返る事が出来たかしたらしい。
『……グゥ』
化け物と目が合う。
ヘヴィランサーには見られない赤眼。それが「何故生きている?」という疑問に染まっていた。
あるいは、彼なりに私の中に化け物を感じたのかもしれない。
普通、死ねば死ぬのが生き物なのだから。
死んだはずなのに生き返る生き物は、それはちょっと異常すぎる。
そういった常識が彼の中にもあるなら、確かに殺して死んだはずの私がこうやって立ち上がって見せたのは、驚きに値する事なのかもしれない。
だから、ためらいを感じる。
「まだ、続けてくれるのかしら?」
死の先にすら立った私に、死の前にある彼は何を感じたのだろう。
一瞬首をひねり「なんだと」といった面持ちで私を見つめていたけれど、やがて首を強く振り、背を向けてしまった。
残念なことに、ダンスは終わりらしい。
いや、私を殺したことで終わったのだから、彼としては盤外戦のように感じられたのかもしれない。それを断っただけなのだろう。
「帰るのね。また会いましょうね?」
その時の私はどんな顔をしていたのだろうか。
いつもの私の顔なのか。それとも愉しんでいる時の顔なのか。
あるいは、全く違う顔をしていたのかもしれない。
最期に一瞬私の方を見た化け物は、私の顔を見て、見てはいけないモノをみたような顔をしていた、ように感じた。
なんて知性的な生き物。大変すばらしかった。
「……私も、戻ろうかしらね」
化け物の去った後の世界に、私の居残る理由はない。
幸いにして黒熊の死体はそのままになっている為、適当にはぎ取って素材を確保し、聖域に戻る事にした。
-Tips-
見守り守り(アイテム)
持っているだけで様々な効果が発揮されると言われるアイテム。
手製オンリーの品の為量産が不可能で市販されておらず、高い効果のものは特別な力を持ったプレイヤーにしか制作する事が出来ない為に存在そのものもほとんど広まっていない。
主な効果としては、以下のようになっている。
効果が低い物:
体力がわずかに回復する・受けるダメージが少しだけ減少する・致命傷になっても死ぬまでの時間がちょっとだけ伸びる・モンスターに遭遇しにくくなる などの中から一つ
ほどほどの効果の物:
体力の回復速度が上がる・受けるダメージが半減する・確率で致命傷を重傷程度に減衰できる・モンスターが避ける・意中の相手から告白されやすくなる などの中から一つ
高い効果の物:
確率で体力が全快する・確率で受けるダメージが無効化される・確率で致命傷が軽傷に減衰できる・モンスターが加勢してくれる・意中の相手が告白してくる などの中から二つ
神業的な効果の物:
一度だけ死んでも生き返れる・一度だけ絶対に倒せない敵を倒せるようになる(ただしこれが発動すると持ち主は死ぬ)・モンスターが仲間になる・意中の相手がプロポーズしてくる などの中から一つ




