#7-2.リアルサイド3-誰よりも夢を愉しめる少女-
そうして気がつけば、そこは現実とは異なる異空間。
赤白紫。沢山の花乱れるお花畑と、遠くには真っ白な聖堂。
鐘がからん、と鳴り、優しげな風が直に身体をなでてゆく。
「――えっ」
「ここは――?」
「あれっ?」
鐘の音にあわせるように、生徒達がログインしてくる。
混乱させないように、ログインには教師と生徒とで時差が発生するように仕組まれていた。
生徒達の衣服も変更されている。
それまで着ていた黒のセーラー服やブレザーが、異世界風の村娘・村男の様相になっていた。
「ふわあ……」
「綺麗だね」
「なにこれ……」
足元一面の花畑に感嘆の声を上げたり、見た事の無い衣服にそわそわしている女子。
やはりというか、男子よりは女子の方が、この風景に対して揺らぐ感情は大きいらしい。
「――まず、これが『現実』とそんなに変わらない、という事を念頭に置いて欲しい。足元の花を触ってみてくれ」
そのまま生徒達を眺めていてもそれはそれで楽しいだろうが、それでは授業が進まない。
生徒達の興味をへし折らない程度に、話を進めていかなくてはいけないのだ。
幸い、生徒達は俺の言葉の通りその場にしゃがみこみ、色とりどりの花をその手で触っていた。
現実では中々直に触る事の無い生花だ。その触感に驚いたり、香りや花粉の飛び散る様にぽーっとしてしまう生徒もいる。
「現実と同じように、この世界にも君たちに『六感』がある。手で触る事、匂いをかぐことができ、口に入れば味を感じ、耳には音が入る。目に入るものは――全て存在しているものだ」
絵に描かれている訳でもなければ、立体映像を見ている訳でもない。
少なくとも俺達の脳は「そこにそれがある」と認識し、そこにあるものに関しては感触を受ける。
風が吹けば髪や服が揺れる。どこからか甘い香りが漂い、遠くの聖堂からカランコロン、と、鐘の鳴る音。
現実に存在しない風景のはずなのに、どこか懐かしさすら感じる、そんな世界。
「君達は今『もうひとつの現実の世界』に立っているといって良い。それ位、脳内ネットワーク世界は正しく、人の感覚に対してとても自然に構築されている」
無いものですら自然に生み出し受け入れられるのは、それがそもそも人間に初めから備わっている『想像力』を活かしたものであるから。
無機質に作られたものではなく、あくまで人間の無意識にマッチするように生み出されるこれら脳内ネットワーク世界は、人間の心に非常に高いリラックス効果を与えると言われている。
「まず、この風景が君たちの基本だ。三十分ほど……あの聖堂の鐘が鳴るまでの間、自由にしてくれて構わない。あの聖堂の鐘が鳴ったらここに集合だ。思うまま、何をしても構わない」
両手を広げながら、その場にぱたり、仰向けに寝転がる。
「――こうやってただ寝転がってるだけでも、結構気持ちよかったりする。する事が思い浮かばない奴は、こうやって横になっててもいい」
好きにしろ、と、生徒達に放り投げる。
倒れた俺には生徒達の顔は見えないが、足の方から「どうする?」とか、「あっちのほう気になるかも」とか、困惑したり好奇心が前に出ていたり、各々反応が変わり始めているのが解る。
きっと、三十分後には皆爽やかな顔をしているに違いない。
「では、解散だ。三十分経ったら引き戻すから、いつ呼び戻されても良いように、な」
目元に手をあて、そのままの姿勢でぱたり、手を落とす。
それを合図と見てか、生徒達はがやがやと動き始めた。
興味の向くまま走っていく音。
その場で雑談を始める声。
座り込んだのか、花のつぶれる音もする。
俺のすぐ近くにも女子が数名、座ったらしかった。
座り込んでいる後姿が横目にちらりと見える。
「まずはどうしよっか」
「私はこのままここでのんびりしていたいなあ」
「えー、サクラさんのんびり過ぎだよー」
「ウチはあっち! あの聖堂がすごく気になる!! ていうかどこまでいけるんだろ?」
「ナチはちょっとノリが良すぎんよー」
「なによー、あんた達だって気になって仕方ないんでしょ? さっきからチラチラみてる癖に!」
「だってー、こんなの見せられたら……ねえ?」
「そうだよ。ネトゲって言われて『どうせ絵本みたいな世界がちょちょっと書き割りみたいになってるだけでしょ』って思ってたのに……こんな世界が広がってるなんて、想像した事もなかった」
「だよなあ。ウチもそうだよ。なんか、食わず嫌いしてたのが馬鹿みたい」
「ほんとにねー」
きゃぴきゃぴとやかましくお喋りしているのはナチバラグループか。
ナチバラとサクラを中心にした女子のグループは、のんびりとした風景に感嘆しつつも、その視線はまだ見ぬその先へと向いている奴が多いらしかった。
「ていうか、この服結構良いねー」
「全体的にかわいいんだけど、胸が強調されてるのがちょっと納得行かない」
「納得いかないよねぇ。ナチだけでかいとか納得いかねぇ!」
「うぉっ、ナイチチどもが嫉妬の視線を向けてるのを感じる! やめてっ、私の胸はまだ育ち盛りなのよ!?」
「今の発言、宣戦布告と見た!」
「待てぇこの妖怪一人だけCカップー!」
ちょっと眼を閉じてぼーっとしている間に話題が変わったのか、そのままやかましく走り去っていくような音。
少しはなれたところから雑談の声が聞こえるが、どうやら俺の周りからは人気がなくなったらしい、と、視線を戻す。
「――わ」
視線が合う。サクラだ。
何か気まずい気がしたのか、いそいそと視線を逸らしていた。
「……」
――サクラは一体、何を見ていたのか。
他にも見るべきものは沢山あるだろうに、わざわざ俺の顔を見ていたとでも言うのか。
いや、単に目が合っただけでそう考えるのは飛躍しすぎか。
もしかしたら虫か何か飛んでいたのかもしれない、と、考え直し、そのまま眼を閉じる。
「あ、あの……」
しかし、今度はサクラの方から声をかけてきた。
俺の方を見ていたのは気のせいではなかったのか、と、眼を閉じたまま次を待つ。
「先生は、こういう感じのゲーム世界で遊んだりしてるんですか?」
質問のつもりなのか、それとも雑談のつもりなのか。
サクラは真面目な生徒だし、きっと前者のつもりなのだろう。
それなら、答えてやるのは教師としての義務だ。無視するものでもあるまい。
眼を開き、再びサクラの顔を見る。
「……やってるぞ。ある日突然、夢がゲーム世界に変わった」
俺がやっているネトゲ『えむえむおー』は、公社がランダムに全市民の中から抽選し、強制的にプレイヤーとしてあてがうものだ。
当選した者はある日突然、俺と同じように夢がそのままそっくりゲーム世界になり、以降眠ったり意識が落ちたりする度に自動的にログインされるようになる。
そうして意識を取り戻すと同時にログアウトされる。あるいは、ログアウトする事により通常の夢に戻る。
本来夢を見ている時間を活用して、より脳が受け止め易い『脳内ネットワーク世界』に接続するので、脳自体の疲労も癒され、これにより睡眠不足に陥るという事はない。
むしろ安定した睡眠に繋がることが多く、ネトゲを医療的に利用して睡眠不足に陥った者を治療する事も検討されているほどだ。
「なるほどなるほど……」
うんうん、と頷きながら、サクラは小さく呟き、何かに納得する。
「やっぱり、ネトゲって楽しいですか?」
「ああ、すごく楽しいぞ。面倒くさい事ばかりだが、それがいい」
ただ楽しいばかりじゃないのが本当のところだが、それを知らないサクラにわざわざ教える事はあるまい。
実際問題やっていて楽しいのだ。ならば、それは楽しいものと認識させておいたほうがいいだろう。
ある日突然、ネトゲのプレイヤーになる事は、これからの時代、決して珍しい事ではないのだから。
「サクラも、もしネトゲをする事になったら、変に怯えたり、考えすぎたりせずに、よくその世界での生き方を学んで、自由に生きるといい」
どんな世界にだってチュートリアルはある。
きちんと基本を学んでおけば、大概はどうにかなったりするものだ。基本、すごく大事。
「ふふっ、もしその時がきたら、そうしますね」
何が楽しいのか、可愛らしく微笑みながら頷くサクラ。
――ああ、俺が教える生徒達が、今のこのサクラみたいに俺に笑顔を向けてくれたら、どれだけ楽しいだろうか。教師人生。
不意にそんな考えがよぎってしまい、また眼を閉じる。
ふと、ぱさり、という音がして、意識が向いてしまう。
何事か、と、思いながらもそのままでいたのだが。
「――草の上に寝転がるのって、新鮮」
さっきより低い位置から聞こえるサクラの声。それで大体察しがついた。
「それに――草の音がすごい。これはこれでいいかも……」
ぽそぽそと聞こえてくる教え子の声に、俺もどこか嬉しくなり、「そうだな」と、声には出さず同意していた。
-Tips-
簡易コマンド(概念)
本来その世界の創造者かそれに準じた存在にしか扱えない『世界』への命令権『コマンド』を元に、人間でも簡易的に扱えるように開発された言語。
レゼボアにおいては公社に所属する一部役人のみが、役人ではない市民に対して特定条件下でのみ使用する事が許されている。
『簡易コマンド』の名の通り、大元の『コマンド』と比べてかなり影響範囲が狭く、かつ限定的となっている。
主な簡易コマンドは以下の通りである。
・市民への強制沈黙命令
・市民への強制移動命令
・市民への強制睡眠命令
・市民への強制性交命令
・市民への強制自害命令
レゼボア人は基本的にこの命令に逆らうことが出来ないため、これを受けると意思に関係なく従ってしまう。
また、役人に対しての命令権は最上位にある『笑顔会』及び『NOOT.』が持っているが、基本的には『NOOT.』が命じることがほとんどである。




