#12-2.リアルサイド19-壊れた宝物からの解放-
「あら……?」
不意に、公園傍の道を往く少女に目が向く。
視線の隅にちら、とだけ見えた金色。
ミースのような染めた金髪ではなく、天然のそれとわかる不自然さの無いキラキラ。
陽の光に反射し、それがとても眩く見えて……そして、その少女の笑顔がとても愛らしくて、自然と「いいなあ」と思ってしまった。
綺麗な女の子には、憧れのようなものがあった。
子供の頃から、そうなりたいなあと思っていたし、そうなれればと希望も抱いていた。
そしてそれは、好きな人が出来てからより強くなったように思える。
私はずっと地味な子で、綺麗な人の引き立て役みたいな感じにひっそり生きていくような、そんなのがお似合いの女の子だと、自分では思っていたから。
いつまでも自信が持てなかったのは、好きな人が私と一緒に居ても素を出してくれないから。
二人きりで一緒に帰っても、二人だけでおしゃべりをしていても、彼はどこか緊張しているようで、私に本音で接してくれない。
一度だけ、本音っぽく夢なんかを語ってくれた時はすごく嬉しかったけれど……そんな喜びも、親友の女の子が彼と同じ進路に進むという話だけで見事に打ち砕かれたのだ。
異性の気持ちなんて全く分からなかった私は、当時は勝手に悩んで、そして勝手に破滅への道を走ってしまった。
皮肉なことに、その時彼が緊張していた本当の理由を知ったのも、夜街にきて沢山の『お客様』と接した結果だった。
今更過ぎるけれど。もう、二人とは全く会っていない。
だけれど、それはもう過ぎ去った日々。
今の私には取り戻す事すら不可能な、諦めの領域に詰め込まれた、失われた時間だった。
そう思えばこそ「そんな事もあったなあ」と、少しアンニュイながら過去として振り返る事が出来る。
私もようやく、大人らしく割り切る事が出来たんだと思う。
――あんな綺麗な娘が笑顔を向ける先は、一体何があるんだろう。
アンニュイな中にもそんな興味が湧いて、笑顔の先へと視線を向ける。
「……どこかで見たような顔ね」
眼鏡をかけた、背の高い男性だった。
少女と比べると明らかに歳の差を感じる、私と同年代くらいの男の人。
女の子の方が金髪なのと比べ、こちらは普通の黒髪。
背の高さ以外はどこにでもいそうな、そんな人が、少女に向けて「やれやれ」と穏やかな表情でその後を追う。
「――!?」
不意にズキン、と来る。
胸の締め付け。急激に鼓動が激しくなり……何が起きたのか解らないまま、視線が揺れてしまう。
(あれ……? あれ……っ?)
金髪の綺麗な女の子が見ているのは、何のこともない眼鏡の長身の男性。
眼鏡の男性。眼鏡の、長身の男性。
特徴なんてほとんどない、普通の人。だけれど、どこまでも夢を諦めない人で、とても強い人で、そして、私にとってはずっと――
なんてことない風景だった。
誰が見ても微笑まずにはいられない、のどかな世界がそこにはあった。
幸せを形にしたような光景だった。
それが兄妹とか親子ではなく、カップルと思えたのは、見知った人だったからか。
口元が震えて、思わず噛みしめてしまう。
そうすると、今度は涙が溢れてきて、止めどなく零れ落ちて、肩が震えて――縮こまってしまっていた。
とても恥ずかしかった。
その人の近くに居る事が。その人が見えてしまう場所に座っていたことが。
好きな人に好きとも言わず、勝手に破滅願望を抱いて勝手に他の人に抱かれた自分を見られるのが、とても恥ずかしい。
多分信じてくれていたであろう人に、自分を好きでいてくれた人にひどい仕打ちをしてしまった自分が、その人の前に立つ資格なんて、もうどこにもないのだから。
どうか私に気づかず、通り過ぎて欲しかった。
そのままの幸せを、幸せなままに、幸せに生きて欲しい。
私なんかに気づいてその幸せに汚れがついてしまうのは、私には耐えられない。
忘れ去ってくれていて欲しかった。忘れてくれてよかった。私なんて、そこにはいなかったのだ。
「……っ」
あれだけ好きだった人が、自分よりはるかに年下の女の子と歩いているのを見ているだけで、なんでこんなに惨めな気持ちにならなくてはいけないのだろう。
そうして辛いままに目元を必死に拭って、そうしてまた、大きな波に襲われる。
ただ通り過ぎていくだけの二人が、私にとってあまりにも遠い場所にいるように見えて――あまりに空虚で、辛かったのだ。
結局、彼は私には気づくことなく、少女と二人、どこぞへと向かっていった。
時間的にも場所的にも、普通のデートか遊びに行っているだけかなんだろうけれど。
ただその瞬間が、あまりにも長く感じて……そして、私の今までが一気に崩れていくのも感じられた。
辛かったけれど、だけれど清々しくもあった。
私は所詮、過去に縛られただけの女だったのだ。
彼は、そんな私の事などものともせず、今に生きている。
たった今起きたすれ違いが、私の人生を縛り付けていた『壊れていた宝物』から解放してくれたのだ。
そう、あの日々は、私が壊してしまったのだから。
私は、自分で壊した幸せをいつまでも直したいと願いながら忘れられず、そして悲劇ぶっていただけの、ただの脇役だったのだ。
「はぁ……あら? あそこを歩いているのは……」
通り過ぎてくれて、ようやく息をつけて。
尚も涙目ながらなんとか周りを見る事が出来た私は、次に、こそこそと建物影に隠れながら歩く不審人物を発見した。
これもまた、見覚えのある顔だった。
他ならぬかつての親友である。
私が夜街送りになる直前、最後に話した人でもあった。
そんな元親友殿が、すごく不審な様子でこそこそと二人の歩いていった先を窺っている。
怪しいというか、犯罪一歩手前というか。
ストーキング行為は、度が過ぎると重度の犯罪扱いになると聞いた事があるのだけれど。
「……うーん」
すごく迷っている自分が居た。
普通に考えたら彼と同じで彼女も私にとって会うのも恥ずかしい、かつての事を知っている人に違いないはずなのだけれど。
それ以上に「放っておくとよくない気がする」という気持ちもあって、じっとしているのもどうかと思ってしまったのだ。
そうして、迷った末、公園を通り過ぎ見えなくなってから、ようやく覚悟が決まり、立ち上がった。
「ちくしょう、よく見えねぇなあ……あああ、タカシ、なんでサクラと一緒に歩いてやがるんだ……?」
私の親友殿は、今も置き看板の後ろに隠れてタカ君達を見つめている。
よほど不安なのか、歯を噛みながら何度もちらちら見たり隠れたり忙しない。
「何やってるのカエデちゃん?」
なので、できるだけ驚かせないように声を掛けたつもりなのだけれど。
「――きゃぁっ!?」
「わっ」
声を掛けた事自体がまずかったらしく、カエデちゃんはすごく可愛らしい悲鳴を上げて飛び上がってしまう。
心底驚いたらしい。変わりないというか、変わらなさ過ぎるというか。
カエデちゃんは、タカ君が関わるとすごく無防備になるのだ。
そしてそんな時、いつも隠している『素』が出る。
お嬢様育ちの不良ちゃんは、いつもこの素を隠しているのだけれど、こんな時ばかりは露わになってしまうのだ。
「あっ、はーっ……だ、誰だおま――って、お前、ユヅキか!? ユヅキだよな!?」
「え、あ、うん、そうだけど……」
「……はっ、と、とにかくこっちに!」
「うぇっ!? あっ、ちょっ――」
驚きながら振り向いたカエデちゃんは、そのまま私を引っ張って建物影に入り込む。
何てことないお店の路地裏。
人影はなく、そして静かだった。
「あー、びっくりした……まさかこんなところでユヅキと会うなんて」
「うん、私もびっくりしたけど……」
胸を抑えてドキドキを鎮めようとするカエデちゃん。
確かにタカ君関係だと無防備になりやすいけど、こんなに焦っているのは初めて見る気がする。
だけど、そんな珍しい瞬間もすぐ終わり、幾分落ち着いた様子で正面から見つめ合っていた。
「とにかく、久しぶりだなユヅキ。その……元気でやってるか?」
「うん、なんとか。カエデちゃんは?」
「私はその……タカシとおんなじ学校で先生やってるぜ。教師になったんだ、あたしら」
すごいだろ、と、にっと笑うカエデちゃん。
すごく立派だった。『子供達に何か教えられるような仕事をしたい』っていう夢を叶えられたのだから、かっこいい。
「すごいね。その時にいなかった私が言うのもなんだけど、おめでとう」
「ああ、ありがとうな。ほんとは、お前に一番に言いたかったんだけどな……連絡もできねーし」
「あはは、流石に環境が環境だったから、ね……」
「あ、そうか……」
夜街送りになった時に、私の全ての生活環境はリセットされた。
それまで当たり前のように持っていた通信手段も失くし、0からのリスタート。
とは言っても、お店で働いているうちにすぐにお金は貯まり、必要なものからどんどん買い揃えていけたのだけれど。
だから、そんな理由で「今までお話しできなかったの」と言い訳するのは、ちょっと卑怯かとも思った。
思いながら、それを口にできてしまえる、そんな人間だったのだ、私は。
「それはそうとカエデちゃん。今前を歩いてたのって、タカ君だよね?」
「う……ああ、そうなんだ。実はさっきまで、タカシを追いかけててさ」
「それでストーキング?」
「す、ストーキングじゃねーよ! ただ気になって……あ、いやっ、教師としてだなっ!」
「教師としてなら仕方ないねー」
「そうなんだよ、仕方ないのっ、仕方ないんだよこれはっ」
相変わらずカエデちゃんは自分を隠すのが下手というか。
タカ君周りになると途端にダメな人になっている気がする。
解りやすく可愛いのだけれど、それにしたってストーキングはどうかと思う。
「綺麗な娘と歩いてたよね? 彼女さん?」
「ち、違う……と思うぞ? だってあの娘は……去年まで教え子だった娘だし。接点なんてほとんどなかったはずだし……」
「ふぅん、そうなんだ?」
「多分な……タカシに限って、わざわざ自分からそんな危険な事に手を出すとは思えねーし……」
「……そうだね」
私は単純にタカ君に彼女が出来たか浮気されてるかで心配して追いかけていたのかと思ったのだけれど、実際にはそれより深そうな問題があったらしい。
去年まで、というと、見た目に反してあの娘は高校は卒業したのかもしれないけれど。
それで『危険』っていうのは、それはそれで何か別の事情があるのかな、なんて思う。
「……あーあ、いなくなっちまった」
「あ……ごめんね、私が話しかけた所為で、邪魔になっちゃって」
「いや、話しかけてくれてよかったよ。こうやってユヅキの無事を確認できたし……ここで話してても仕方ないし、とりあえず場所を移そうぜ?」
「うん、そうだね。解ったわ」
私の所為でタカ君を見失ってしまったらしくて、そこは申し訳なく思うけれど。
でも、カエデちゃんも惜しくは思っても、そこまで未練ではないらしく、むしろ私の方を見てくれていた。
親友との再会。私は二度と会う事はないと思っていたけれど、思った以上にあっさりとしていて、そして、当たり前のように話せていた。
呼び方も以前と同じ。それが嬉しいというより、ホッとできてしまう。
-Tips-
紅茶専門店シャルズベリィ(店舗)
中央繁華街ミルセラの一角に在る小さな紅茶専門店。
店主一人の古びた店で、いつからそこにあるのかは誰も知らないが、いつの間にか建っていた。
時間を忘れられる静かな癒しの空間の中、カウンターでミステリアスな雰囲気を漂わせる女店主との雑談を楽しむもよし、窓辺の席から通りを歩く人を眺めるもよし、自由な時間を過ごせる。
あくまで隠れ家的な店の為に人気はまだまだだが、偶然見つけられた人などが客として訪れ、少しずつではあるが、雰囲気や店主の人柄、そして珍しい紅茶の味を気に入った人が常連となっている。
尚、常連の中には、カウンターの人形が日によって表情が違う事を問う者もいるが、多く「気のせいよ」とスルーされる。




