#3-2裏.認識の定義変革
何も見えなくなり、数秒。
無音の中、小さく息を吸い、吐き出し。
自分がまだ冷静さを保てている事を自覚しながら、口を開く。
「……暗いな」
「暗いかなあ? 私はとっても明るく感じるよ?」
言葉にしてみればそれははっきりと伝えられた。
それに対しての返答も、すぐ近くから聞こえる。
「何も見えんぞ」
「ドクさんは何を見ようとしているのかな?」
「プリエラの顔」
「……時々、ほんとにドキっとする事言うよねドクさんって」
「前も聞いたな、それ」
「前も言ったもん。ほんとにびっくりするから不意打ちはやめて」
顔は見えずとも声は変わらずに聞こえ。
それだけでなく、言葉の調子からプリエラが唇を尖らせている様子もイメージ出来てしまうから不思議だった。
これが『経験』によって強化されるイメージとやらなのかもしれない。
なるほど、何の意識もせずにプリエラを想像するより、その時その時のプリエラの顔をイメージするのは、そんなに難しくはなかった。
何せ、勝手に頭がやってくれている。
「それはそうとして――こういうイメージって、ドクさんは割と日常的にしてるはずなんだよね。ゲームだと特に」
「ああ……まあ、奇跡を使うのってつまりはそういう事だしな。イメージする事によってそれを発動させるわけだからな」
「うん、そうなんだよ。つまり、今のままだとドクさんは同じ段階のままなの。意識を、ぐるって変えちゃおうね」
「……その、意識を変えるってのが今一解らんのだよな。物事の表裏を理解するっていうのはなんとなくイメージできるんだが」
プリエラが俺に教えたい事というのが、つまりは今のままのモノの見え方ではいけないという事なのだろうから、それを変えさせようとしているのはなんとなく解るのだが。
具体的にそれが切り替わる瞬間というのが、俺にはまだイメージできないのだ。
「うーん、そこが問題なんだよねえ。逆に言えば、それを超える事が出来ればかなり簡単に覚えられるの」
暗闇の先のプリエラが、なんとなく困ったような顔をしているように感じられるのは、やはりこれも経験からなのか。
付き合いが多い分、口調や言葉の強弱だけでもう、どんな表情をしているのか想像がついてしまう。
仕草すらイメージに容易い。俺はプリエラマスターだったのか。
「はい、じゃあ、別のシーンに行こうか」
ぱん、と手を叩く音が聞こえ、一瞬で世界が切り替わる。
それはまさに映画のシーン切り替えと同じような、一瞬の出来事。
「……うん?」
不意に明るくなったからか、見えながらにそれが何なのか認識するのに一瞬の間が必要だったが。
今俺の前に立っていたのは、サングラスをかけたバトプリの姿だった。
……俺である。
「ねえドクさん。今ドクさんの目の前に立っているのは、誰かな?」
「……俺だ」
「本当に?」
「ああ」
プリエラの声は、なぜか俺の耳元から聞こえてくる。
そうして、目の前のサングラス男は、やはり俺そのものだった。
聞き返されても尚、一分の疑問も抱けない姿だ。
「私はドクさんじゃないと思うなあ」
だが、プリエラはそれを否定する。
「だって、ドクさんは貴方でしょう? ドクさんは二人もいないよね?」
何かの謎かけか。
それとも誘導尋問か何かなのか。
考えながらにまじまじとそいつを見直す。
しかし、そうだと言われても尚、そいつは俺自身だった。
どこかが違うとか、何かしら疑わしい部分がある訳でもない。
ただ一つ、俺が俺自身であるという現実のみが、この目の前のサングラス男を『俺以外の何かである』という発想の肯定に至らしめているのみ。
「……こいつが俺じゃなかったら、俺は俺になるのか?」
「うん?」
「俺がドクじゃなかったら、こいつはドクになるんじゃないのか?」
「そうかもしれないね。じゃあ、この人はドクさんで、貴方は誰なのかな?」
「……解らん」
ぱちり、また指を鳴らす音が聞こえる。
一瞬で暗転し、しばしの無音。
「じゃあ、次に行こうか」
またパチリと音が鳴り、色が取り戻される。
次に目の前に立っていたのは、やけにでかいキノコ型モンスター。
この『えむえむおー』の看板キャラの一つである『まるキノコ』だった。妙にでかいが。
「今貴方の目の前に立っているのは、ドクさんです」
「いやいやいやまてまてまて」
突然のプリエラの言葉にツッコミを入れずにはいられなかった。
「いくら何でもそりゃないだろ。さっきのは俺じゃないと思ったのにこいつは俺なのかよ」
「うん。そうだよ? ドクさんだよ? ねー?」
『ギュッピー♪』
「ほら」
「何が『ほら』だよ」
どこからどう見てもまるキノコであった。
これで返答一つ俺らしい何がしかのセリフでも言えば「ああ中の人が」とか思えないでも……いや、流石に無理がある。
その納得の仕方がまず無理矢理すぎる。
そもそも見た目から鳴き声から全部まるキノコじゃねえか。
つまり、有り得ないのだ。
「でも、私はドクさんだって思ってるよ?」
「お前の中の俺って一体……うん?」
「どうかした?」
「つまり、皆からお前みたいに『俺の姿=まるキノコ』って認識されたら、まるキノコを指して『あードクさんだー』とか言われちまうって事か……?」
「うん、そうなるね。ようやく気付けた?」
俺の姿をした誰かを否定して見せたり、明らかに俺とは違うモンスターを指して俺だと決めつけたり。
それが何の意味を示すのか、ようやくそれが理解できた。
つまりは、存在の意味など、自分一人では決まらないという事。
「ドクさんをドクさんたらしめているのは、ドクさん本人の個性も勿論大切だけど、他にそれを客観的に見てそうだと認識してくれる『第三者』が存在しているからなんだよね。そして、その第三者が沢山存在しているからこそ、人間は自分という存在をおおよそながら客観視していく事が出来るんだよ。だけど、じゃあ、そうやって培った『常識』が崩れたら、すごいことになると思わない?」
「……俺が、俺じゃなくなるのか」
「違うよ。何もかもが、別の形に変わるんだよ」
ぱちり、また音が聞こえる。
まるで洗脳のようだな、とうっすら思いながら、今度は何を見せられるのかと、意識を前方へと集中させた。
「――おい、これは」
目の前に広がっていたのは、おどろおどろしい光景。
血みどろ。グロテスクな拷問部屋だった。
広大な部屋にいくつも置かれる拷問器具。
知識でだけ知っているギロチンや首吊り台、電気椅子。ご丁寧に落ちた首が入る為の赤い桶まで用意されていた。
「ここは、今までと同じ部屋だよ」
また、声が聞こえる。
耳を這うような声。
ぞくりと悪寒がして、声のする方を見る。誰もいない。
「……プリエラ、か?」
「さあ?」
その声は、俺のよく知るプリエラの、澄んだ声ではなかった。
とてもおぞましい、ノイズの混じった歪んだ声。
「貴方は、この声の持ち主をプリエラと認識するの?」
「それは」
「私は、この部屋を今まで貴方が居た場所と全く同じ場所だと定義したよ」
「いや、待て」
「ねえドクさん? 貴方はなんでこんな声をプリエラのモノと認識したの? こんな歪で、こんなひどい声をした人が、プリエラだと思った根拠はなに?」
「――耳元でしゃべるな!」
その声があまりに不快で。
耳裏から首筋を虫が伝ったような気色悪い感覚が走り、つい、声を荒げてしまう。
そう、気持ち悪い声だった。
俺は、この声をプリエラのモノと認識できなかった。
「……ふふふ、そうだよねえ?」
そうして、声はやがて離れていく。
そうかと思えば、ぐちゃ、ねちゃ、と、嫌な音が足元から聞こえ――見えもしないまま、笑うような声だけがこだまし、それが俺の前から聞こえたかと思った瞬間、真っ暗になる。
「――!?」
「ねえドクさん? 私は誰かな? 私は今、貴方の前に居るよ? 私は誰? 言い当ててみて?」
「お前は……お前は……」
乞われるままに言い当てようとして、思考して、その思考がまとまらない事に気づく。
何か、とても恐ろしい体験をしているような気がして、心が上手く定まらない。
――俺は一体、何を考え、何を言おうとしているのか。
それがまず、まとまってくれなかったのだ。
「――うん、もういいかな」
それだけ聞こえて、ノイズ混じりの嫌な声は、ぱちりという音と共に消え去った。
目の前には、見慣れたはずのプリエラの姿。
「……プリエラ?」
「うん。そう。正解です♪」
目の前に立っていたのは、いつもと変わらぬ、赤い法衣のプリエラだった。
声も同じまま。赤い瞳に金髪に。ああ、なんて安堵できるのだろう。
プリエラが前に立っているだけで、こうまで俺は安堵して――安堵して。
「――違うだろお前!」
安堵しそうになって、違いに気づいた。
なんなんだこの金髪赤眼は。プリエラじゃないじゃないか。
声を大にした瞬間、自称プリエラの誰かは目を丸くしながら――やがて、プリエラが絶対にしないような、歪んだ笑みを見せた。
ニタリと、水音でも聞こえてきそうないやらしい笑みである。
「あら、よく解ったね。ふふっ、ふふふふふふっ」
ぱちり、また指が鳴らされる。
何度目だろうか。もう条件反射のように、その音を受け入れてしまっていた。
ぱちり、ぱちり、ぱちり、ぱちり、幾度も鳴らされる。音に慣らされる。
当たり前のようにその音を聞き、場面が切り替わるのを受け入れ――それ自体が、おかしなことだと気づく。
「プリエラ、もういい、解った」
その音は、どこから聞こえていたのか。
暗転など必要としない。
初めから、俺はここに立っていたし、初めからきっと、俺はプリエラと対面して立っていたはずだった。
ここは試練の間。そして、部屋の隅っこに控えるように、今もアリスとエリスが立っている。
目の前のプリエラは、若干慎ましやかながら、にこりと微笑む。
……いつものプリエラだった。
-Tips-
まるキノコ(モンスター)
『始まりの森』を始め、様々な場所に分布している『えむえむおー』のマスコット的なモンスター。
サイズは人間の膝ほどから、大きいもので人間の腰ほどの高さまでなる。
赤い笠に白い水玉模様、太めの白いひだの部分に非常に愛らしい顔と短い手足がついており、ちょこちょこと動いたり飛び跳ねたり高い声で機嫌よさげに鳴いたりする。
初期から見る上に派生種も数多く各地に分布する為に愛着を抱くプレイヤーも多い。
基本的にはノンアクティブモンスターの為、プレイヤーを見かけても襲い掛かってくることはない。
襲われても初心者はおろか非武装のタウンワーカーですら一撃で倒せるほど弱く、攻撃能力も低い為、殺される心配はほぼない。
分布地では稀に大量発生するがそれほど苦労なく殲滅が可能である。
倒すと高確率でドロップする『赤きのこ胞子』は錬金術の材料として有用な為に低価格ながら安定して買い取りが行われている為、ゲーム開始直後のプレイヤーにとっては非常にありがたい換金アイテムである。
また、食用として美味なのか、ハウンドキメラや芋猫など多くのモンスターに捕食されている姿を見る事もできる。
派生種として『洞窟まるキノコ』『フリーズマッシュルーム』『バーニングトードス』『腐ったまるキノコ』『うみキノコ』などが存在し、多様である。
種族:植物 属性:地
備考:地耐性20%




