#8-4.少女は心に自らを映し、姫君は心から己を捨てた
『――ほう。本当に来るとは、な。偽物の姫君の言う事も、あながちでたらめばかりではないという事、か』
2Fへの階段も間近という所で、不意に聞こえる不穏な声。
嫌な予感は的中してしまっていた。
白銀の鎧を身に着けた、巨躯の騎士。
「呪騎士バルバス・バウ……」
倒れたはずのそのボスモンスター。その異様に戦慄する。
『ククク……貴方にそのように呼ばれるのはいささか歯がゆいが……今は再会を喜ぶべき時ではないか』
「サクヤ、こいつ、もしかして――」
「エミリオさんっ、これはダメっ! 引き返しましょう!」
激戦の記憶が甦る。
トーマスさん達ナイツを壊滅させ、ミルフィーユ姫とも渡り合った白銀の騎士が……そこにいたのだ。
勝てるはずがなかった。戦いにすらならない力の差が、そこにある。
もう少し、もう少しというところで、絶望がまた、私達の前に立っていたのだ。
「駄目だよサクヤ」
「エミリオさんっ!?」
「引き返したら、姫様相手に戦う事になっちゃうじゃん。私、やだよ。サクヤと姫様が戦うのも見たくないし、私も、姫様と戦う勇気、まだないんだ」
やめてと、逃げてと思うのに、エミリオさんは前に立ってしまう。
私を庇うように。剣を手に、メイド服のままに。
「時間、稼ぐから。逃げ」
「そんなっ、ダメ――」
そんな格好いいことを言ったってエミリオさんでは、と、手を伸ばした矢先の事だった。
「――」
一瞬で、エミリオさんが消え去った。
何が起きたのかも解らず、声が止まる。
「何を……バルバス・バウ! エミリオさんはどこにっ!?」
『ククク……斯様に睨みなさるな真実の姫君よ。赤髪の娘は、我が仮の主殿の手の内にある。返して欲しくば玉座に向かうが良かろう』
「……玉座の、間? そこに、エミリオさんがいるの!?」
『おうともよ。だが、それも長くはなかろう。仮の主殿は、気づいてしまったのだ。自らの歪さに。自らの真実の姿に。おのれが築いたと思っていた親交が、その実ただの虚像に過ぎなかったのだと、今更になって理解してしまったのだ』
「虚像なんかじゃない。私たちは、間違いなくあの瞬間友達だった! 私は、あれが嘘だったなんて思ってない!」
怖いはずの相手なのに。勝てないはずの相手なのに。
私は一体、何を言っているのだろうか。
この白銀の騎士の気分次第で、この首この胸、いかようにでも圧し折り、斬り割き、壊すことができただろうに。
『ならばそれを証明してやればいいではないか。あの狂った偽者に。イカれた鏡に真実の貴方の姿を見せてやればよい。我は邪魔はせぬ。だが――アレはもう、いかぬと思うがなあ?』
にやりと、いやらしく口元を歪め、バルバス・バウは嗤う。
まるで、壊れてしまった私たちの関係をあざ笑うように。
それがどうにも悔しくて、歯を噛み、背を向ける。
「なんで、貴方は私に攻撃しないの?」
『必要がないからだ。今の我はあくまで門番。ここから逃げ出すモノと、ここに上がりし者を撃破せよと命じられているに過ぎぬ』
「……ミルフィーユ姫は、参加者の人を殺す気なの?」
『まさか。これはただのイベントよ。そう、イベントとかこつけて、自身を亡き者にしようとした、浅はかな姫君の策略。故に一般の参加者には何ら関わりはなく、恐らく多くの者にとってこれは、普通のイベントに過ぎぬだろうな』
言葉の節々から感じられる、妙な敬意めいた呼び方。
一々腹の立つ言い方だけれど、聞いたことに答えてはくれる辺り、本気で殺意はないのかもしれない。
「なんで、ミルフィーユ姫に従っているの? 憎んでいたのではないの?」
『我は一度殺され、そしてあの者に取り込まれた。その際に気づいたのだ。アレはただの愚か者であると。姫様が辿ったかもしれぬ、愚かな末路の一つであったと、そう気づいたが故。憎しむほどの価値も、殺すほどの意味もなくなってしまった』
「……」
バルバス・バウにとって、ミルフィーユ姫とは、殺す意味もない相手に成り下がってしまった、という事なのだろうか。
そうだとしたら、あんまり過ぎた。
あれだけ憎んできた相手にすら無関心になられるほど、今の彼女は希薄な存在だというのだろうか。
「それでも、私にとって、友達です」
『ククク……そう思うもよかろう。やはり貴方は、本物のようだ』
「……もう行きます」
『ああ。頑張って殺されてくるが良い。首尾よく殺し返せれば、無事友と帰る事もできるやもしれぬ』
「私は死にませんっ! エミリオさんだって、取り返しますっ」
『ククククク……』
何が楽しいのか解らず、苛立ちばかりが募る。
やっぱり、相手にしていたくはない人だった。
走り去ったその背後からも聞こえる笑い声が不気味で、耳を塞いだ。
玉座の間へは、そんなに遠くないはずだった。
なのに、途方もなく長く走っているように感じて……私の足が遅いだけなのだと気づく。
「はぁ……はぁっ」
お腹からは、まだ血が流れていた。
切り裂かれた際の傷が完治していない中、それでも急ぎだからと走った所為で、また血が溢れ始めたんだと思う。
幸いそこまで深い傷ではないらしく、キュアポットの効果もあって突然死ぬ事はなさそうだけれど。
強がってバルバス・バウから離れる為に走ってすぐに、足を動かす力が尽きそうになっていた。
(急がないと……)
信じたいと思っていた。
こんな目に遭っても、それでもエミリオさんには酷い事はしないと思いたかった。
それでも、信じた友達まで失うのは、辛すぎるから。
そんな光景眼にしたら絶対に立ち直れなくなるから、急がなくちゃいけなかった。
私が一人で向かって何かができるとは思えない。
さっきと同じように斬られるか刺されるかされて、今度こそ死んでしまうんだと思う。
何か対策がある訳でもなく、仮にエミリオさんを助けられても、そうしてうまく逃げられても、やっぱり同じようにバルバス・バスがいて、そこで終わりなのだから。
初めから、ゲームにすらなっていない勝負だったのだ。
「――来ましたよ」
それでも。私は来てしまった。
一人、玉座に腰かける姫君の元に。
手には長剣。美しい宝石に彩られたそれは、バルバス・バウと戦っていた時よりも刃が鋭くなっているように見えた。
エミリオさんは……見当たらない。
「ええ、待っていたわ。この時を、ずっと」
立ち上がり、嬉しそうに微笑むその顔は、もう私の顔ではなかった。
私は、こんな顔を知らない。
自分を殺そうとして、殺せることに楽しみを見いだせるこの顔を、私は知らない。
「エミリオさんを返して」
「エミリオさんは私のお友達だわ」
「私のお友達でもある」
「貴方はもういなくなるのよ? 友達なんていらないでしょう?」
「いなくなんてならないし、エミリオさんをいらないなんて、そんな事、口が裂けても言わない」
「……ずるいわ。やっぱり貴方、いらない」
「友達にそんな事を言うの?」
「友達なんかじゃないわ。貴方みたいな酷い人、友達なんかじゃない。死んでしまえばいいわ」
「……そう」
話し合いなんて無駄だと思ってはいたけれど。
どうやら私は、この途方もなく強い自分と、戦わなくてはならない様だった。
「ねえ、もう一人の私。戦う前に聞かせて。私が死んだら、エミリオさんは無事なまま?」
「当たり前よ。私だけのお友達だもの。私だけを大切にしてくれる、素敵なお友達になってもらうわ。貴方の事は忘れてもらう事になるだろうけど……些末な問題よね」
「同じことを自分が言われたらどう思うかも解らないなんて。子供なのね」
ここまできて。ようやく思ったのだ。「ああやっぱりこの子、現実の自分より年下だわ」と。
そう思うと不思議と、心に余裕が生まれてくるというか。
少しだけ、自分の心が落ち着いてくるのを感じていた。
「……」
もう一人の私は、唖然としていた。
このタイミングで、そんな事を言ってくるとは思わなかったのだろうか。
私としてもつい出てしまっただけで、何か意味がある訳でもないのだけれど。
「馬鹿にしてるの?」
それは思ったよりも本人には効果的だったらしく、目に見えて苛立っているのが解った。
「こんな事で怒っているの? このくらい、私の暮らす世界では毎日のように浴びせられる言葉だよ? 本当になり代われるの? 私になって、毎日こんな事を言われて、毎日怒り狂いながら過ごすの?」
どんなに強くたって、どんなに勝ち目がなくたって。
この子は所詮、私より年下の子なのだ。
この子がどんな人生を歩んだかなんて、本質的に私には解らないと思う。
だけどこの子は、きっと私より幸せな人生を歩んで、最後にすごく辛い目に遭っただけの、年下の子。
「私の日常は、たぶん貴方が思い描いてるほど救われるモノではないよ? 貴方にとって当たり前のその顔が、その眼が、沢山の人にとって、奇異で、奇妙で、不思議で……それだけで、笑われたり、からかわれたり、馬鹿にされたり。いじめられたり、変な目で見られて、性的な目で見られて、いやらしい事されそうになったり、勝手に恨まれたり……そんな毎日だよ? 世間知らずな貴方に、本当に私になれるの?」
「――だけど、貴方はそこにいるじゃない」
私の言葉に、だけれどこの子は狼狽せず、じ、と見つめる。
玉座から立ち上がりながら。
手に剣を持ちながら。まだ、構えもせず。
「貴方は、酷い人だわ。私が失ってしまったものを全部持っている。私が希っていたあの日々を、全部持っている。もうこの世界には存在しない『私』を、貴方は今も持っている!」
「貴方も持っていたわ。貴方だって、私になれた」
「今からでも遅くないわ。だって『あの方』は言っていたもの。このゲームで貴方さえ殺せれば、現実でも私が多数派になれるって……」
「貴方は、自分で求めてもいない事を、他人に言われて従ってしまったんだわ」
「そうよ! 言われでもしなければ、こんな事私だって――私だって!」
ああ、と。ここまで問答して、嫌な気持ちになった。
やっぱり、自分なのだ。
背は高いけれど。スタイルは全然違うけれど。お姫様だけれど。
やっぱり私はこんな子で、やっぱり私は、こんな風なんだなあ、と。
それが解ってしまって、自覚させられて、辛かった。
「――武器を構えなさいミルフィーユ! 私は、無防備な貴方を殺したくはない! 精一杯抵抗して! 私を敵と思って、殺す気で抗って見せなさい!!」
こんな、辛そうな顔で武器を構える自分に、『敵と思え』と言われるなんて、悲しすぎた。
理不尽で、だけれどそんな理不尽を飲まないと自分を保てないくらい追いつめられていて。
そんな必死な子が、そんな必死な顔になってしまうのが自分なんだと思うと、涙が出てくる。
この子はこんな子だけれど、結局は、私だったのだ。
「ねえ、最後にもう一つだけ聞かせて。もし私が死んだら、貴方は喜んでくれるの?」
「……」
「嬉しくない事、なんで自分でやってるのかなこの子は……はぁ」
……それでも。
心底嫌そうな顔で、私の質問から目を逸らしたこの子は、多分、今でも私のお友達だった。
もう一人の私は、やっぱり私と同じですごくひねくれていて、素直じゃなくて。
そうして、やっぱり自分が大好きなのだ。
自分という存在を肯定したくて、認めてほしくて、愛してほしくて、その為だけにこんなことになっていたのだ、きっと。
溜息が出る。きっと私は、どこの世界に生まれても、どんな親の元に育っても、こんな風にしかなれないのだろう。
だけど、やらなきゃいけない事はよく解っていた。
私は、この子の前で死ぬ事ができない。
この子を相手に、ただ無抵抗で殺されることもできない。
戦って勝つか、生き延びる。
そんな絶望的な勝利条件を満たさないといけない中で、私は戦う事を選ぶしかなかった。
それもこれも、弱い私の所為なのだけれど。
「……私は、絶対死なない。死んでなんてあげるもんか。やっとできた仲間と、沢山の友達の為にも、絶対に死なない!」
奇しくも姫である自分と同じように杖を構えながら。
私同士の戦いは、始まってしまった。
-Tips-
偽宝剣オーシェンメイグ(武器)
ミルフィーユ姫専用の宝石剣。
魔力の籠った宝石を使用した剣である『宝剣』と似て異なる為、『偽宝剣』と呼ばれる。
本来は戦闘用に用いられる事の無い、指揮官用の儀礼剣であったり、鍛錬の為用いられる武器である。
剣の柄に飾られている宝石は魔力などを持たず、ただ美しいだけのアクアサファイアであり、芸術品としては優れているものの、武器としての性能もあまり高くはないはずであった。
『えむえむおー』世界内でのこの武器はそういった『本来の性能』を凌駕した強武器として存在しており、非常に頑丈である。
また、宝石の力によって感情の影響を受け刀身が伸びたり幅が広まったり鋭利になったりする事もある。
いずれの形態であっても使用者であるミルフィーユ姫は全く重さが感じず、まるで紙の筒のように軽妙に振り回すことが可能である。
それでいて、受けた相手には普通の剣の何十倍もの重圧を与え、重さのみで相手を叩き潰すことも可能となっている。
このように非常に強力な剣となっているが、剣自体の属性は水属性の為、防御属性が水の敵には額面通りの効果を発揮しないという弱点も存在する。




