#6-3.リアルサイド2-とある女子中等学生の場合(後)-
「起立、礼」
「ありがとうございました」
「着席」
四限目の科学の授業。が終わった。
これからお昼タイム。食堂にダッシュしようと男子達が我先にと教室を出ようとした、その時だった。
「ああすまん、言い忘れてた――」
スタートダッシュが大切なお昼の開幕。
それを制するように、教材を片付けていた先生がぽつり、呟いたのだ。
一堂、ぴたりと止まる。賑やかになりかけていた空気が、ここだけひんやりと冷たく、静かになった。
「明日のこの時間は、実験室での講義になる。各自白衣とマスク、手袋の準備を忘れないように。以上だ」
それは、とても大切なことかもしれないけれど。
でも、後でホームルームの時間にでも担任の先生に伝えてもらえばよかったんじゃないかなあと思うような内容で。
そんなだからか、男子達は一様に「ふざけんな」と、苛立ち募った顔でその白衣の先生――オオイ先生を見ていた。
「なんだお前たち。俺に用か? 解らないことがあるならいくらでも教えてやるぞ?」
しかし、オオイ先生は全く動じない。
むしろ睨みを利かせる位で、眼鏡の先からぎら、と、男子生徒達一人ひとりの顔を見ていく。
「お、おい急げ、買いそびれちまうぞ」
「そ、そうだった」
「ありぁとござっしたーっ」
一堂、退散。仕方ないと思う反面、うちのクラスの男子、情けないなあと思ってしまう。
「サクラー、食堂いこうぜー」
そうこうしてる内に、隣の席のナチが目を醒まして、私をお昼に誘う。
既にお弁当箱を持って。いつも寝てるのにこんな時だけは行動が早かった。
「はいはい。そんな急かさないで」
私はというと、先生の方ばかり見ていたので何も片付いていない。
ナチに言われて教科書とかをバッグに入れて、お弁当を取り出す。
勿論バッグには鍵をかける。忘れない。これすごく大切。
「教科書なんて机に入れちゃえば良いのに。サクラはいちいち真面目っていうか、よくやれるよなあ」
まだかまだかと私が支度を終えるのを待つナチは、時計とにらめっこしながらよくこんな事を言う。
「だって、悪戯とかされたら嫌だし。お待たせ、いこ」
私なりの経験則なのだ。気にしないで欲しかった。
「相変わらず混んでるなあ」
「相変わらず混んでるねえ」
食堂に到着。既に戦場と化していた。
主戦場は言うまでも無く券売機の前。
普段は直接注文だけど、忙しくなるとまずはこっちに並ばないといけなくなるらしい。
だけど、ある時誰かが列を乱して横入りしたりすると、そこから一気に乱戦となり地獄の様相へと変貌する。
俺も僕もと前に競り出て、自分好みのメニューチケットを誰よりも先に買おうとするのだ。
皆、必死。そしてほとんどが男子だった。
「あ、そこの席空いてる」
「ほんとだ、じゃあここでいいよね」
目聡くナチが空いてる席を見つけてくれたので、滑り込む。
すぐ隣に二年の男子が座っていたけれど、私は気にしない。
私の髪を見て一瞬ぎょっとしたのも見たけど、気にしないよ?
「いつ見ても酷いよなあ、パン屋はまだ買えるけど、こんなの毎日なんて面倒くさくて仕方ないだろうなあ」
「ほんとだねえ」
お弁当を広げながら、二人、のんきに戦場の推移を見守りながら食べる。
本日の一番人気はA定食。これだけデザートがついてくるのでお得感があるのだと思う。
次が焼肉定食。値段はともかく量が多いので男子に人気。
そうしてそれらを買えなかった人がB定食、カレー、ラーメン、などに集まって、奪い合っていく。
食堂のおばさんはこれを少数精鋭で迎え撃つ。
歴戦のおばさん達はこの位の人数では動じない。
あっという間に捌いて、次の注文を受け取って、というルーチンワークに精を出していた。
「……あれ、女子がいる」
ほとんど男子、の中に、一人だけ女子が居た。栗色の髪の女の子。
それも、周りの男子に押され潰され揉みしだかれ、涙目になっているのだ。
紺色のスカーフなので一年の子だと思うけれど。あんまりにあんまりな有様につい、同情してしまう。
「お弁当、忘れちゃったんだね」
「可哀想になー」
私達は動じない。たまにいるのだ。
同情はするけど、でもだからってどうする事もできないし、諦めるしかない。
「でも懐かしいな、ああいうの」
「初めての時はびっくりしたもんねー」
中等部に入学したばかりの頃、食堂というものに憧れを持っていた私とナチは、意気揚々とこの食堂を訪れ、そして夢が壊されていくのを実感した。
お洒落な、ちょっと大人びたランチタイムを、と思って訪れた私達の前に広がっていたのは、やはり今目の前に広がっているのと同じ戦場。
男子ばかりの地獄絵図。女子、一人も居ない。
幸い私はお弁当持参だったからこの渦の中に飛び込むのは免れたけれど、ナチは注文して食べるつもりだったので、この中に突入せざるを得なくなっていた。
「ま、私はゲットしたけどね」
ナチ、自慢げに胸を張る。
まな板じゃないその胸がどこか恨めしい。
でもまあ、確かにナチはすごいのだ。
男子まみれの中、もみくちゃにされながらも目当ての食事を獲得して、ふらふらになりながらも私の元に戻ってきたのだから。
あの時のナチは、ちょっとだけ格好良かった。私目線ではそう映った。
今、男子たちの中に埋もれ、身動きも取れなくなって私達からも見えなくなっていくあの女子とは、明らかにレベルが違う動きだった。
女の子らしさを求めるなら、あんまりしないほうがいい動きだったけど。
「サクラ、食べ足りないんだけど」
お喋りしながらのお弁当だけど、ナチは食べるのも早いので、大体私より先に食べ終わって、そして物足りずに私のお弁当にちょっかいを出す。
今もまた、箸先を私のウィンナーに突き刺そうとしていた。
「……サンドイッチ、食べる?」
だから、私は予防線を張る。
普通の量だとナチのつまみ食いで半分は消えるので、あらかじめ多めに用意するのだ。
今日はサンドイッチを多めにしたので、それを差し出す。どうぞお納めください、と。
「いいの? なんか悪いなあ! 代わりと言っちゃなんだけどあたしの嫁になってください!!」
「丁重にお断りだよ」
何が代わりなのか解らないくらいにはっちゃけてるけど、スルーしておく。
ナチは時々、こうやって訳の解らない事を言うのだ。深く気にしてはいけない。
「ちぇっ、フラれたー」
それほど残念そうでも無く、サンドイッチにかぶりつく。
「ほいひーっ」
「飲み込んでから話しなよ……お行儀悪い」
ニコニコ顔で満足してくれている親友。悪い気はしないけど、照れくさいから一言言ってしまうのも、いつもの事だった。
「そいじゃねーサクラ。また放課後なー」
「うん、またね」
食べ終わって、ちょっとのんびりしてから教室に戻り、ナチと別れる。
今日の五限目と六限目は芸術の時間。
ナチは音楽で、私は絵画。教室が違うのでこの時点でお別れになった。
手を振りながら楽器片手に走っていくナチをちょっと心配しながら見送って、私は中庭へと歩いた。
「こんにちは」
「む……おぉ」
中庭。これも私の日課なのだけれど、食後には必ずここにきて、飲み物を買う。
すぐ近くのベンチには見慣れた白衣の――オオイ先生が一人、黄昏ていた。
自販機を見ると、コーヒーは売り切れ。残念。
他のジュースは、と見ると、やっぱり売り切れで。
水とか、お味噌汁とか、あんまり需要なさそうなものも売り切れてるのに何故か売れ残ってるのが……紅茶。
紅茶だけが残っている。いつもの事だけど、なんでこれだけ残ってるのかは解らない。学園七不思議だった。
「むむ……」
仕方ないので、紅茶を買う。
本当は食後はコーヒーにするのが我がサクラ家の伝統だったのだけれど。
コーヒー党の私には嬉しいような悲しいような、我が校はコーヒー党の生徒ばかりのようで、すぐに売り切れてしまうのだ。
やっぱり悲しい。いっぱい悲しい。
「隣、失礼しますね」
ベンチは一つしかないので、先生の隣に腰掛ける。
「ああ」
座ってから返答が返ってくる。いつもの事だけど、反応が鈍いのがちょっと寂しい。
そんな先生の手には、私と同じ紅茶。
先生もコーヒー党らしいのだけれど、私と同じでいつも買えてないらしい。いつも愚痴ってる。
「先生、今日も買えなかったんですね?」
そして、今日も聞くのだ。同じ質問を毎日して。
だけど、先生はいつも私の方をちら、とだけ見て、視線を戻す。
「ああ、また買えなかった。いつ来ても買えねぇんだ」
ちくしょうが、と、さほど感情もなく呟く。どこか哀愁が漂っていた。
「でも、先生たちって、職員室に私物を置けるんですよね? コーヒーとか、持ち込まないんですか?」
用事があって職員室に行くと、結構いろんなものが置かれているのだ。
クッションだとか、お菓子だとか、漫画本だとか。
勿論、生徒から没収したものもあるんだろうけど、それだけでは説明できないものも結構あったりする。
「あー、職員室はダメだ。あの教師ども、人が置いたものを勝手に飲みやがるからな」
冗談じゃねえ、と、皮肉げに口元を歪めながらの返答。
なるほど、先生たちも結構、好き放題しているらしかった。
「職員室に置いてあるものは皆で好きにしていいとでも思ってるんだぜきっと。こないだもサトウが生徒達の為に用意した飴玉を教頭に勝手に食われてぶちきれてたしな」
「あはは……サトウ先生、いつも怒ってますね」
「普段はそうでもないんだけどな。生徒が絡むと途端に沸点が下がるんだよ」
困ったもんだぜ、と、苦笑ながらに、どこか悪い気はしてないような、そんな笑顔を見せてくれていた。
大人の男の人にこんな事を言うときっと怒られるけど、どこか子供っぽいような、悪戯っぽい顔で。
「……へぇ」
そんな顔をじーっと見ながら、ちょっと適当な返事をしてしまう。
「今日は、早いんですね。もしかして、ご飯食べてない?」
「ああ。『飯食わずに早く来ればコーヒー飲めるんじゃね?』と淡い期待を抱いてきたのに結局紅茶しかなくてな。絶望のあまり、動く気力をなくしたんだ」
ほうっておいてくれ、と、アンニュイな返事。どうやらお疲れらしかった。
「ふふっ」
そんな様がおかしくって、つい、笑ってしまう。
「笑うなよ。恥ずかしくなっちまう」
気だるげだけど、先生もにや、と口元を緩めていたのが見えた。
「――早く戻れよ。そろそろ、午後の授業始まるぞ」
「大丈夫ですよ。次は芸術ですから」
芸術の時間。絵画の先生はいつも遅れてやってくる。
無理に急いで行く必要は無かった。予鈴が鳴る位までは、余裕があるのだ。
「ああ、そうか。クオンの授業か。それじゃ、別に遅れてもいいわな」
問題ねぇ問題ねぇ、と、手をひらひら。
「まあ、予鈴が鳴ったら行きますけど」
サボるつもりはない。ちゃんと鐘が鳴ったら戻るつもり。
だけど今は。
「もうちょっと、ぼーっとしていたいかなあ、なんて」
ゆったりと、背もたれに体重を預けて。
力を抜いて、空を見る。いつもと同じ人工太陽。
だけど、それは朝見たそれとは違う暖かさを振りまいている。
「……」
すぐ隣に座る、白衣を着た人工太陽。あったかい。もうちょっと温まっても良いかなあ、なんて、そんな些細な我侭だった。
のんびりと、一日が過ぎていく。全部の授業が終わって、放課後に。
曜日によっては委員会で校内の見回りもあるけど、今日はそれもお休み。
ナチと二人、お喋りしながら帰って。
家で、ご飯を食べて、お風呂に入って。姉さんの他愛の無いおしゃべりに付き合わされて、予習して。
それから――
――また、ログインするのだ。
夢の中へ。あの、日常とは違う楽しさに溢れた世界に。
-Tips-
学校(組織)
公社の運営する教育組織。
教員や準教員として従事する職員は全てが公社の下級役人扱いである為、非常に厳しい労働規則が定められている。
生徒は教師ほどがんじがらめにされている訳ではないが、教育を受ける義務と、提示されたノルマ(一定以上の出席と中・期末テストでの成績)を達成することが義務付けられており、これを満たせない生徒はより下位のランクの学校への『転校処分』となる。
基本的に転校は同一層内の学校で行われるが、それ以上同じ層に下がない学校や、生徒に著しい問題があった場合、更に下の層の世界に存在する学校へと転校させられる(下層転住処分)。
学校であっても公社の支配は厳格に行われており、学生の本分に定められている『学ぶ事』に極端に反する行為、とりわけ中等部以下の学生による過剰な異性交遊、高等部以下の学生による教師などの役人との性交または著しい身体的接触などは対象者を厳しく取り締まる傾向が強い。
主な学科として
主要科目:倫理学・言語・異世界史・数学・数字学・科学・生物・物理・異世界生物・体育
補助科目:芸術(音楽・美術・文学・サブカルチャー)・保健(医学・産学・生物学補助・恋愛学)・家庭科(調理・裁縫・掃除・洗濯)
などがあり、これらは初等部~大学院に至るまで、全ての年齢層の対象学校で学ぶこととなる。




