#11-3.リアルサイド9-うたかたの日々-
『――さー、朝です。公社情報局が、社会人の皆様に起床時間のお知らせを致します』
まどろみの中から聞こえる声。
静かに脳に響くその少女の声は、一体誰のものか。
俺はその声を知っている気がしたが、目が覚めて起き上がると、もう、それが何だったのかもよく解らなくなっていた。
「朝、か……」
そろそろ起きなくてはいけない。
退屈な一日が、また始まってしまった。
塗り替えるだけの記憶の日々。上書きされ続ける過去。
一番最初に聞こえるその『声』に、俺は心底鬱陶しさを感じながら、ベッドから立ち上がる。
なんとも忌々しい人工の太陽。
面白みを微塵も感じさせてくれない鳥の鳴き声。
そうしてそんな中、いつもと同じ朝飯を作って食べる俺もまた、つまらない奴だった。
甘くない卵焼きに、甘くないほうれん草のソテー。甘くないパン。甘くない食卓である。
そんなものを何の感傷もなくもしゃもしゃと噛んで飲み下し、コップの中の牛乳を飲み干して完食するのだ。
片付けが終わればそのまま着替え、いつも通りの時間に出勤する。
「今年の学園祭、即興演劇のお題目は――『塔の魔女とお姫様』です!!」
朝に行われた最後の生徒総会では、翌日から始まる学園祭の、その詳細な説明を三時間ほど使って行われていた。
もう間もなく卒業という三年生の為に行われる学園祭では、毎年のように『即興演劇』と呼ばれる劇が行われる。
お題目は前日に発表され、その劇を、当日決められた配役に従って卒業生が行うというもの。
元々はいい進路に進む事の出来た生徒をやっかむ、そうなれなかった生徒たちの為にと作られた、ちょっとしたネガティブなイベントだったのだが、今の時代においてもその伝統は受け継がれていた。
「ふふふ、この演目は、かつてウメガハラが高等学校だった時代に行われた、最後の演目だったらしいですわ。卒業生の皆さん、どんな役になっても逃げない覚悟を持ってくださいまし。役を振られた方は、きっといい思い出になりますわ」
生徒会長のオガワラは、ちょっと悪い顔になりながらも卒業生らに笑いかける。
普段は楚々として真面目そうな奴だが、こんな時にはこんな顔もできるのだなと思うと、口元が緩んでしまう。
大人ぶっていても、まだまだ子供なのだ。
こういう子供っぽい場面があってもいい。
「なんか楽しそうだな?」
「……そうか?」
「ああ。笑ってたぜ」
隣の席に掛けるサトウが、ぽそぽそと俺にだけ聞こえるように耳打ちする。
こいつとも長い付き合いだが、「普段真面目な奴が子供っぽい仕草を見せるのが面白くて仕方ない」なんて気付かれるのはちょっと恥ずかしかった。
「別に、良いだろ」
「ああ、別にいいぜ」
見ると、サトウも楽しそうに笑っていた。
――こいつ、本当に子供好きだよなあ。
昔は疑問にも唐突にも思えたものだが、サトウの言う事に嘘はなかった。
微笑ましいというか、やんちゃだったこいつには不似合いな様な、それでもなりたい職につけてていいな、と、羨ましくもあった。
明日の開催に向け、学校中が学園祭の準備に慌ただしくなっている中の昼休み。
もうこの位になると、生徒達も自由に休憩を取っていいようになっていて、教室や外のベンチなど、思い思いのところで食事を取っている生徒たちの姿が見られた。
俺はというと、早めに食事を取って、いつものように中庭でのんびりする事にしていた。
この時期、教師たちは本当にやる事が無い。
ただ来て、不測の事態に備えるだけ。
生徒たちが多少馬鹿な事をしてようと、それを咎める事はしなかった。多少なら、だが。
「あ、先生」
そんなだらけた気分で中庭にきたら、いつものようにサクラがいた。
なんだかんだ、もう三年近くなるか。
この少女とここで会うのも、もうすぐ終わりとなる。
「よう」
「こんにちわ」
特に断りもなく、その隣に腰かける。
本当は、これでいいのだ。
サクラのように許可を取る必要なんてない。
生徒にとって、教師とはもうちょっと気安い存在であっていいと、俺は思う。
サカザキみたいに厳しい奴でも、本心ではもっと生徒達と打ち解けたいと、そう切に願っているくらいだ。
「コーヒー、買わないんですか?」
「無ぇだろ。朝見たぜ」
本当は生徒総会が終わって朝一でサボろうとここにきたのだが、その時には既にコーヒーはなかった。
昨日売り切れていた他の飲み物は補充されているあたり、朝には補充されていたはずなのに、である。
一体いつ消費されているのか。謎が深まるばかりだった。
「そういうサクラは、紅茶飲まねぇのか? いつも飲んでるだろ?」
「あ、いえ……なんとなく、飲む気がしなくって」
「ふぅん」
普段紅茶ばかり飲んでる、多分紅茶党らしいこいつがそれを手にしていないのは珍しいとも思ったが、よくよく考えればこいつが何を飲もうとこいつの勝手だし、飲まなくてもそれは自由である。
気にするのも悪いな、と、背もたれにもたれかかり、腕を伸ばす。
「……気持ちぃですか? それ」
「ああ、気持ちいいな。力が抜ける」
ぐ、と腕を伸ばすと、それまで身体にかかっていた力が一気に抜けていき……自然と、声が漏れる。
「ふぁぁ……」
「気持ちよさそう」
「気持ちいいぜ」
ただ身体を伸ばしただけで、心地よくてたまらない。
退屈な存在に思えた人工太陽ですら、その光に感謝してしまいそうなくらい、暖かで幸せな気持ちになった。
「う……んっ」
サクラも真似てか、腕を伸ばす。
小柄なサクラの声は、小さくかすれてよく聞こえなかったが。
それでもそれなりに、幸せそうな顔をしていた。
「気持ちぃです」
「それは何よりだ」
今まで見せなかったような、少し緊張から抜け出せたような顔。
まだまだこわばってはいたが、その笑顔は大分、少女らしさを取り戻しているように思える。
やはり、間近に迫る卒業というイベントは、人の心を解放的にさせるのかもしれない。
-Tips-
塔の魔女とお姫様(物語)
16世界の多くに古くから伝わるとされている童話、およびそれを元にした演劇。
世界ごとに様々なマイナーチェンジがされているが、多くの場合、以下のような流れの元話が進む。
1.ある日、誕生日を迎えたお姫様がいた。お姫様はお城のパーティーで見知らぬ少女と出会い、彼女を嫉んだ少女によって誘拐されてしまう。
2.少女の正体はお城から離れた塔で暮らす魔女で、お姫様を監禁して帰さないのだという。
3.日々の生活に疲れていたお姫様は、魔女を逆に手玉に取り、次第に親しくなっていく。楽しい生活。
4.ある日、お姫様を助けようと従者が現れるが、お姫様は帰る事を良しとせず、そのままとどまる事を従者に告げる。
5.魔女と二人、一つのベッドで横になるお姫様。お姫様は、魔女との生活の中、思い出したことを口にする。自身の母親の事と、その母親と同じ男性を愛し、恋に破れて去っていった双子の妹の事を。
6.魔女はあまりにも辛かった今までの事を思い出してしまい、取り乱しながら、泣きながらお姫様の言葉を否定する。
7.魔女の夢。お姫様になっていた魔女は、ここで初めてお姫様の孤独や苦労を理解する。自分がずっとなりたかったお姫様という存在が、その実自分と同じように苦しんでいたことを知り、お姫様を受け入れようとする。
8.目が覚めた魔女の前には、お姫様の姿はいなくなっていた。開かれていた窓。
ようやく受け入れる気になっていたお姫様が、もういないのだと思い込んだ魔女は、悲嘆に暮れる。
9.そんな彼女の前に、魔女の格好をしたお姫様が現れる。驚く魔女。
10.お姫様は自分も魔女になろうとしていたのだと語る。
魔女は「心底叶わないわ」と笑い、ハッピーエンド。
主な配役としては、
・主役でありヒロインでもあるお姫様
・主役でありヒロインでもある魔女
・コメディリリーフで、お姫様を助けようと奔走して空回りする従者
・国王
・過去の話における、お姫様の母親と魔女の母親
などがある。
演劇の規模によっては、お城での配役としてメイドや貴族の娘、騎士などが、塔での配役として村人などが追加される事もある。
演劇の場においては基本的には喜劇として演じられることが多く、ハッピーエンドで終わる為、古来より祝いの場や祭りなどで催されることが多い。
ただし、王侯・貴族にとっては様々な忌事(お姫様の誘拐や、物語の背景にある、お姫様と魔女の血縁的なつながりなど)から、これらの前で演ずる際には事前に伺いを立てるのがマナーとされている。
また、ヒーローが存在せずダブルヒロインとなる為、女性に対し差別的な文化の根強い世界では魔女が魔法使い(男性)に改変されたり、救出に現れる従者が勇猛果敢な騎士で、最後にお姫様と魔女を妻にするという話に改変されている事もある。
余談ではあるが、この物語において登場し、お姫様救出のために奔走する従者が『トーマス』という名前で、これが元で、各世界において従者や執事など、高貴な者に尽くす立場にある職業の男性が『トーマス』と名付けられたり、そう自称する事が多い。




