#9-3.恋の顛末
「……その、すまねぇ。俺が呼んだのに、こんな。いつからいたんだ?」
「今さっきです。その……階段を上っていたら、何かが倒れるような音がして」
「そっか……ありがと」
優しい嘘が即座に出る辺り、ベニスも腹をくくったという事だろうか。
ミッシーも、顔を打ち付けた痛みで冷静さを取り戻したらしく、それほど緊張した様子もなくベニスの顔を見る事が出来ていた。
「ミッシー」
「ドクさん……ああ、すまん。来てたのに気づかなかったぜ」
「気にするな。それより、『ベニス』、確かに連れてきたからな?」
「ああ、感謝するぜ」
俺たちがいるのを確認して、ミッシーはようやく笑顔になる。
それと同時にいくらか緊張もあるように感じたが……椅子に座りながら、ベニスと正面から向き合い、じ、と、下からその瞳を見つめた。
見つめ始めた途端、ベニスも膝を折り、わざわざその視線が同じ高さになるように合わせる。
その時を、じ、と待つように。
「その……可愛い名前だよな。ベニスって。ずっと名前聞けなくて、なんか聞くタイミング逃しちゃってさ」
「私も、『ミッシ=グランツ』っていう名前も、『ミッシーさん』っていう呼び名も、素敵だと思っていました」
「俺さ、いつも君が俺と話してくれるの、嬉しくて。助けてくれた時もそうだけど、君の笑顔が気になっちゃってさ」
「私も、ミッシーさんが私とお話してくれるの、嬉しかったです。ミッシーさんがいつも話してくれた『昔の仲間との冒険の話』とか、すごく面白くって……『そんな風に、私もなりたいな』って、ずっと思ってました」
「そっか」
「そうなんです」
はは、と笑いながら、また間を作るミッシー。
ベニスも、それを静かに待つ。
「俺と、一緒になってくれないか。結婚したいんだ。妻になってほしい」
静かな室内。その音が聞こえるほどに喉を鳴らし、ミッシーは、ズボンのポケットから紅色の……ガーネットのついたネックレスを手に、プロポーズする。
「どうか、受け取ってほしい」
そうして、ここからはベニスの番だった。
少しの間迷ったようにミッシーの顔を見つめ……ネックレスに手を伸ばし、そして、伸ばした手を、また引っ込める。
「――ごめんなさい」
部屋が、その空気が、凍り付いた瞬間だった。
「いやー、まさかあんな事になるとはなあ」
「びっくりだったね! あんな展開になるなんて、思いもしなかったよ」
帰り道。プリエラと二人、夕暮れ時のアンチラを歩く。
口にするのは、驚きの真実と、二人の恋の顛末だった。
「ごめんなさいって……やっぱ、ダメっていう」
「そうじゃなくて! その……ずっと、隠していたことがあって。言うに、言えなくて」
まさかの「ごめんなさい」が出て、驚きながらベニスを見ていた俺たちとミッシーは、ベニスの口から出た「隠していた事」に驚愕する事になった。
「まさか、『男の人』だったなんてね」
「別のゲームで居たのは知ってたが、『えむえむおー』にもいたんだな、ネカマって」
そう、ベニスはリアル世界では男だったのだ。いや、正確には男の身体だった、というべきか。
そもそも『ミスターオレンジ』というギルドは、そういった、性の違和感によって心と体の食い違いに苦しんでいた奴が、せめてゲーム世界では望むままの性別で生きられるように、と集まった共同体だったらしい。
これにはその場に居合わせた俺達も、ミッシーも驚きを隠せなかったが……問題はそこからだった。
「ずっと、女性になりたくて……いいえ、心だけが女性だったんです。リアルが苦しくて……だから、せめてこの世界では、女性として暮らして、女性として、男性と恋をしたくて……ミッシーさんと親しくなって、なんとなく、そういう雰囲気になって、私、舞い上がっていて……」
「……ぇねぇ」
「だから、ずっとだましていたんです。ごめんなさい! 私みたいな男女、気持ち悪」
「関係ねぇよ! ベニスは、俺にとって、最高の女性だ!!」
「えっ……?」
「リアルでのことなんて知るもんか! 俺だって、現実じゃしがない50手前のおっさんだよ! でも、でもこの世界では違うだろ!? 俺は君の事が好きな隻脚のスナイパーだし、君は俺の事が……どうかは解らないけど、可愛い俺だけの女性になってほしい人なんだよ!」
「ミッシー、さん、私もです、私も――」
「リアルでのことなんて忘れちまえ! いいや、俺が忘れさせてやる!! リアルでの生活なんて忘れちまうくらい、俺の事が好きになるようにしてやる! だから、だから俺と一緒になってくれ!!」
「……はい。よろこんで!」
最後の1シーンは、涙をぬぐいながら笑顔で応えるベニスと、そんなベニスを抱きしめながら、首にネックレスをかけるミッシーという、ちょっと絵になる一幕であった。
「ああいうのもアリだと思う」
恋の先生も納得のラストだったらしい。
しきりに頷いている。
「でも、レゼボアにもいるもんなんだな、そういう、心と体が食い違っちまう奴って」
レゼボアにおいてはその存在すら公になっていないが、性の食い違いに苦しむというのは、世界によってはそんなに珍しい事でもないのだというのは知っていた。
だが、今回の件を考える限り、それはあくまで俺が知らなかっただけで、実際にはそう少なくない数、自分の性に苦しむ奴はいるのではないかと思えたのだ。
身近に感じたからこそそう思えた、というだけなのかもしれないが。
「うん、まあ、今回は私も驚いちゃったけど。でも、案外身近な人にもそういうのがあるかもよ? もしそうだったら、ドクさんはミッシーさんみたいに『関係ねぇ』って言えるかな?」
試すようにによによ笑って俺の顔を見るプリエラ。
解ってるくせに、わざわざ聞いてくるのだから、今日のプリエラは意地が悪い。
「気にする訳ねぇだろ。驚くは驚くかもしんないけどな。仮にお前が男だったって、俺は気にしないぜ?」
「私は女の子だもん! だけどまあ、それを聞いて安心したかな? ドクさん女の子好きだから、モンスターとかでも気にしなさそうだけど」
「まあ、気にしないかもな」
だが、プリエラの理解には一部誤解がある。
女の子ならだれでもいいと思っているようだが、それは違う。
俺は俺が気に入った女にしか手を出そうとは思わないし、隣にいつもいていいと思う女は、それなりに選ぶ。
選べるような相手がいなければ誰も傍には置かない。
「ドクさんならそう言うと思ってた。それにしても楽しみだねー二人の結婚式! ね、ウチのギルドの皆も誘うんでしょ?」
「そりゃそうさ。結婚式は盛大にやった方が楽しいに決まってるからな。かけられるだけたくさんの奴に声を掛けて、関係ないその場に居合わせただけの奴らも巻き込んで大騒ぎだぜ!」
「うんうん! いいねー結婚式って、ああ、白いドレスに白いタキシード! 飾りのついたブーケをこう、ぽいって投げるんだよね?」
「そのブーケを受け取った奴が次の花嫁っていうアレな」
「うんうん! 誰が最初に考えたんだろうねー? でも、たのしみだなー!」
プリエラにとっても結婚式というのは気になるイベントらしく、今からワクワクが止まらないらしい。
ミッシーのプロポーズ、そしてそれをベニスが受けた後は、すぐに「いつ頃結婚式を挙げようか」という話が始まっていたのだ。
俺たちはそれに付き合っていたのでこんな時間になってしまったが、その間に教会に行ってたギルメン連中が戻ってきたから大騒ぎである。
だが、ああいう風に自分の為にお祭り騒ぎになってくれるメンバーがいるのだから、あいつもいい仲間に囲まれたものだと思える。
プリエラだけでなく、俺もまた、あいつの結婚式が楽しみで仕方なかった。
先を越されたのだけがちょっとだけ癪ではあったが。
それくらいの癪なら、旧友のよしみという奴だ。ちゃらにしてやってもよかった。
「私も、いつかはドレスを着たいなあ」
ぽそっと聞こえたプリエラのつぶやきを、俺は聞こえないふりをしながら「何か言ったか?」と聞き返す。
プリエラは「ううん、なんでもないよ?」と、ちょっとだけ頬が赤く染まっていたように見えたのは、夕陽の所為だろうか。
それからはもう、二人、リーシアへの帰路の中、のんびりと歩きながら、ミッシーたちの結婚式のあれやこれやを語り合っていた。
-Tips-
現実世界とゲーム世界における性別の不一致について(概念)
『えむえむおー』世界内においては、現実世界での性別如何に関わらず、『プレイヤーが本来望んでいる性別』によってプレイヤーの性別が決定される。
この為、本心から望んで異性になりたがっていたプレイヤーや、無意識ながら自分の性別に疑問を抱いているプレイヤー、自分では異なる性別だと強く思い込んでいるプレイヤーなどは、現実世界とは異なる性別になる事もある。
これはプレイヤー本人の心を守る為、最初のログイン時に本人の希望や心の状態がゲーム世界にフィードバックされる為であり、ゲーム世界に降り立つことによって本心から救われた気持ちになる者も少なくない。
反面、これによって自らの本来の性別を自覚してしまい、現実世界で苦しむ者も居る為、非常にデリケートな問題となっている。
現実世界レゼボアにおいては、最上層では約0.1%、それ以外の層ではそれぞれ約5%程度そういった『自身の性別の違和感』を感じる者がいると言われており、その全てを公社は把握している。
特別隠蔽されている訳ではないが、これらに該当する者は特殊なケースとしてより強い監視体制に置かれており、その行動は常に注目されている。




