#5-1.リアルサイド1-とある科学教師の場合(前)-
『――さー、朝です。公社情報局が、社会人の皆様に出勤時間のお知らせを致します』
俺のゲーム世界は、朝の人工的な光と街に響き渡る『公社』からの放送によって消え去った。
目を開けてから数分。ぼんやりとしながら放送を聞き流し、目を光に慣らす。
朝だった。なんとも退屈な一日が、また始まってしまった。
服装なんかを整え、家から出て、転送ターミナルまでの移動。
ゲーム世界とは異なり、現実の風景は酷く無機質で定形ばかりで、そして、つまらなかった。
空を見れば今日も雀が十匹、規則正しくいつもと同じコースを飛び、同じ場所で歌を謡う。
道には俺と同じようにつまらなさそうな顔をして歩く社会人ばかり。
誰も彼もが朝の放送によって出勤を促され、そのままに同じ時間に家を出て同じ道を往く。
大体皆同じ顔ぶれだ。
何かがあって死んだり職務上の都合でいなくなったりしない限り、恐らくはこのまま死ぬまで同じ顔ぶれの奴が同じ道を歩くのだろう。
転送ターミナルにつくや、所定の位置に立って目的地への転送が開始される。
身体は即座に数字的に分解され、0と1とに分かれて目的地で再構築される。
所有時間約5秒で目的地側のターミナルへ。
やはり、同じようにつまらなさそうな顔をした社会人達が俺の前に現れる。
俺たちとは逆の方向に向かう奴らなのだろう。
男も女も表情に変わりがないのは、何かを考えるだけ無意味だと解っているから。
そのようにしていくつかのターミナルを経由し、上階へと進む軌道エレベータに乗り込む。
一度に二万人が同時に上階へと移動できる巨大な物だが、平時ではその利用者はとても少ない。
俺と一緒に乗るのは五人だけで、そのいずれも名も知らん他人だが、その五人ともが、俺が今の仕事に就いてから毎日のようにここで顔を合わせる五人だった。多分、俺と同じく教職の類なのだと思うが。
このエレベータは量子化では移動することの出来ない上下の世界間を移動するために使うのだが、俺の職場は自分の暮らしている世界の二つ上の階層となる。
一つ上の階層はその全てが海とそれに接地する海岸や島となっており、夏場は上層のレジャー客などで賑わっているらしいが。
俺としては、エレベータで毎日のように景色として見る事の出来るこの青一色に、そこまで楽しげな気持ちを抱けないのが悲しいところであった。
そうして目的地に到着する。
最上階層第一層・リバーサイド。
このレゼボアにおける最上位1%の人間とその家族だけが暮らす事の許される理想郷である。
エレベータの扉が開放され、その街角が視界に入る。
一緒に乗っていた五人の、その五人ともが、ほう、と、頬を緩めながらに息をついていた。
多分、俺もそんな顔をしているはずだ。
「それでね――」
「へえ、そうなんだ。大変だねー」
「あのさぁ、今度のお休みに――」
「腹減ったなあ」
エレベータから降りた俺達の前には、沢山の学生の姿。
無邪気に笑い、友達や恋人とおしゃべりをしながら通学路を歩く、そんな『彼らにとっての当たり前』がそこにあった。
なんとも楽しげで、幸せそうで、そして、自由っぽくて。
それを感じさせる『楽園』にきたのだと、それより下の層の俺達は安堵するのだ。
実際にはここですら『公社』の決定が全てな監視社会なのだが、形だけでも自由に見えるだけ大分違う。
生まれた時からそんな世界で、社会の構造がそういうものなのだと頭では解っていても、人間は心までそう機械的にはできていないのだ。
いや『そういう風にはついぞなれなかった』と言うべきか。
学生たちの中に混じりながら、俺と五人はやはり同じ道を進む。
学生と言っても下は初等部から上は大学院まで様々なのだが、俺達の進む道はどちらかというと中等部と高等部の生徒に偏っている。
そして女子が多い。途中にいくつか女学院があるのでその影響なのだろう。
男子も居るにはいるがどこか居心地悪そうで、俺も当然、女子の群れの中を歩く際には色々気を遣う。
気がつくと、一緒にこの階層に来た五人の姿は生徒達に埋もれ、見えなくなっていた。
「おはようございます。風紀委員会の荷物・服装チェックです。ご協力おねがいしまーす」
勤務先の中等学園に到着するや、門では左腕に緑の腕章をつけた生徒達が、入ろうとする生徒のチェックをしていた。
「あっ、駄目ですよ貴方っ、こんな短いスカートっ」
「えー、いいじゃんこれ位~」
勤勉なもんだと感心しながら通り過ぎるが、聞き慣れた声に、ふと視線を向ける。
「駄目です。それに、こんなに短いと……その、見えますよ? というか見えてましたよ?」
「えっ? マジで!? うわ、うわーっ」
見えた先には金髪碧眼の生徒と、慌しげにスカート後ろを押さえる茶髪の生徒。どっちも女子だ。
茶髪はともかくとして、レゼボアにおいてまず滅多にお目にかかれない金髪碧眼は、この生徒達が押し寄せる時間帯でも遠目ではっきりと解る位に目立つ。
本人は真面目な表情でボードになにやら書き込んでいて気づかないようだが、通り過ぎる生徒達の視線をかなり惹き寄せていた。特に男子の視線を。
(……まあ、風紀委員長殿は今日も頑張ってるようで何よりだ)
もう少しすると委員会顧問のサトウが来るはずなので、やかましくなる前にさっさと職員室へと逃げ込む事にした。
「――という訳で、化学物質xに対し、加熱しながら加える事で酸となり、逆に冷却しながら加える事によってアルカリ的な作用を起こす、こういった反応を起こす物質を『信号感溶体』と呼ぶ。ここは試験に出るので覚えておくと良い。『錬金学』の基礎知識だ」
授業中は静かなものであった。
普段きゃぴきゃぴと賑やかな生徒達も、この時ばかりは水を打ったようにシン、としている。
なんとも落ち着く時間であった。
俺一人が声を発する。響く音は教鞭を黒板に当てる音、それから黒板をこするチョークの音だけだ。
生徒達はそれを聞き、ノートに要点をメモしていく。
どれだけ技術が発達しようと、この一連の流れは決して消え去る事はない。
生徒は教師の言う事を直に耳に入れ、そして、目に入れ記憶するためにメモを取る。
この実感・実体験の繰り返しこそが人類の叡智を身につける最高にして最適な方法なのは、既に公社でも実証されている。
「この『信号感溶体』に光を加える事によって王水へと変化する作用を『光酸化流動形変』と呼ぶが、これは何故そうなるのか、サガワ、説明してみろ」
だが、俺一人が話すばかりでは趣がない。
やはり、生徒は時として試練を受けるべきなのだ。試験であったり、こうした不意の問いであったり。まあ、色々と。
「あ、はいっ――えっと、その――」
人の授業中にこっくり転寝をこいていた愚かなその短髪の男子は、助けを乞う様に周りに視線を向けながらあたふたとしていた。
「――解りません」
そして考えるのをやめ、諦めた。いや、考えるつもりすらなかったのだろうか。
なんとも腹立たしく、そしてなんとも虚しくなる瞬間であった。
「ではサクラ、君は解るか?」
教室の左隅。先ほどのやり取りなどお構いなしに寝ている馬鹿者の丁度右隣に、その金髪碧眼は座っていた。
「はい。えっと――信号感溶体は、もともとの物質に対して1と0の構造そのものを変化させる『数字化』の処理が成されているものですから、処理後の性質の変化によって光に反応した結果、物質を構成するアルカリ性質体が酸性質体に変異して強力な酸である王水に変化する為です」
さらりと席を立った彼女は、さらさらと流れるように説明する。その様、まるで謡うようである。
「OK、満点だ。座って良い。サガワも座れ。サクラに感謝しながらな」
「サクラさん、ありがとうっ」
いかつい顔を変な風にひきつらせながら、サクラの席に向けてお辞儀するサガワ。
「あはは……」
困った様子で眉を下げながら半笑いし、サクラも席に着く。
「ではナチバラ、『数字化』の結果性質変異し、水と反応してバース液化作用を起こすようになる物質は何か答えろ」
そしてその隣で気持ちよさそうに寝息を立てている黒髪の女子に問題を投げつけてやった。暴投的に。
「ナチ、ナチ、呼ばれてるよっ」
「――ん……? なぁにサクラ?」
サクラに揺すられて声を掛けられ、ようやく目を醒ましたのか、ぼんやりと頭を揺すっていた。長い黒髪が揺れる。
「ほら、順番」
隣り合ってる友達を起こしてやるのは悪い事ではないが、どうせなら居眠りをこく前に起こしてやって欲しいものである。
というか、男子はともかく女子で居眠りこく奴は今までの教師生活でこいつが初めてだった。
こいつが居眠りこくのは今に始まった事ではないが。
「あ……うわ、え、えっと、何でしたっけ?」
「……サクラから聞け」
気まずそうな顔をしながら聞いてくるが、居眠りをした馬鹿に向ける慈悲はなかった。
「じゃあおせーてサクラ」
しかしナチバラはさほど気にする様子もなく隣に聞く。
「あのね――ごにょごにょ」
そして素直に教えてしまうサクラ。ちょっと悔しくなる。少しは困らせろよと思ってしまう。俺も性格が悪い。
「なるほどなるほど――こほん」
説明を聞いてか、わざとらしく堰をしながら席を立つナチバラ。
「水と反応してバース液化作用を起こすという事は、少なくとも放射性物質、それもセレン化プルトロンやジステア酸イットプリウムを含んでいる事から、『虹鉄化合ピヒロース鋼』であると思われます」
「ではその含まれている物質の内、セレン化プルトロンが異常増幅した状態を何と呼ぶ?」
「虹鉄大爆発ですね」
「ジステア酸イットプリウムだった場合は?」
「虹鉄鋼冷却大爆発です」
「……座れ」
悔しい事にこれ以上なく完璧な返答であった。しかもほぼ即答。
どれも授業中説明した事なので真面目に受けていれば答えられる程度のものだが、居眠りしながら聞いていたのか、それとも聞くまでもなく知っていたのか、どちらにしても敗北感を感じてしまう。
不真面目なのに頭が良いとか何の冗談だと文句を言いたいくらいだが、結果として優秀な以上教師としてはそれ以上は何も言えなかった。
「すごいねえナチ」
「……えへへっ」
サクラに褒められ「どんなもんよ」と、笑顔振りまくナチバラ。
そうして鐘がガラン、と鳴り始める。授業の終わりだった。
-Tips-
レゼボア(世界)
『詩人の泉』より流れ出でる『川』により形成された世界の一つ。
『公社』と呼ばれる支配組織を中心に、管制システム『NOOT.』が全生物・全環境のコントロールを行っている『科学と数字の支配する世界』。
主な支配生物は人間(レゼボア人)。
全758層に分かれ形成されているタワー型の世界で、大きく見て最上層・上層・中層・下層・最下層に分かれている。
それぞれの層の間には海や地質、銀河や無の空間などが特に意味も無く配置されており、階層間の移動には巨大な軌道エレベータ(という名の時空移動装置)が用意されている。
75兆人いる住民のほぼ全ての意思決定は『公社』に左右され、基本的にレゼボア人に人権や自由は存在していないが、この環境が当たり前であるため疑問に思う者はいても抵抗感を抱く者は少ない。
また、罪罰に関しての判定・監視体制は厳しく、特に公社の職(公職)についている者はわずかな罪や思想、性質の歪みが直結して死刑や尊厳の喪失につながりかねない。
この為、どの階層においても見た目上は非常に平和であり、平穏な世界が広がっている。
レゼボア人は働き蟻である。




