【第56話】カニとウニ
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ここ数話のうちにまた、ブクマ登録していただけた方が増えまして、とてもありがたいと思います。
最後までお付き合いくださいますようにお願いいたします。
フィア以外で初めて出会ったサキュバスはシルと言う名前だった。
黒に近い緑の髪をショートカットにした160㎝ほどの身長の凛とした気高さを持つ美しい女性だったのだが、契約者に恵まれずエイゾの領主であるエディンバラ公爵の元に身を寄せている居合抜きの達人だった。
俺たちは神国各地にある領主の治める各領地への、長年にわたって続けられた支援政策の終了と共に異議を唱えた領地の監査を実施することになったのだが、これは所謂示威行動の一つであった。
異議を唱えた領地の中から「生贄」として選ばれたのが地球で言うところの北海道。こちらでは「エイゾ」という領地であったのだが、その他にも同様に異議を唱えた領地は多々あった。
こうした領地を治める領主に対し、「今までが特別だったのだが、まだ欲しいのか?」という威圧的な意味を含んだ監査が今回の目的だったのだ。
領地の繁栄を真摯に願い、取り組んだ領主の手腕によって経済的に自立が十分に可能となった領地が多い中、私利私欲に走り、国から無尽蔵に金が転がり込むと勘違いしていた領主にしてみれば、懐に入れてしまった公金はもう二度と領民のために使うことはできず、今更支援が無くなるとこれまでの悪事が明るみに出るというのっぴきならない状況になる。
親王陛下の目論見としてはこの際に、使い物にならない貴族を廃嫡し、領主に仕えるしかなかった寄り子の中から埋もれた才能を引き出したい狙いがあった。
この国が神国と名乗るようになってから1000年を優に超え、幾多の試練を乗り越えて今がある訳だが、その中には張りと艶のあるリンゴだけが粒ぞろいで成り立っているわけでなく、腐ったリンゴもいくつかは混じっていたのだろう。
即位して10年の節目に親王陛下は俺たちと言う稀有な武力を手に入れ、有効に際立たせて利用するとすれば、自身の繁栄とこの国のためを思えばこその決断となったのだろう。
それは間違ってはいない。農耕に勤しみ、商工業の発展に苦労し、多くのサービスを提供する者たちが凌ぎを削って明日の安寧を夢見ているときに特権を振りかざし、労せずに身を立てられ、先達の苦労を思いもしないような貴族がいたとしたら、それはあらゆる国民に対して何の規範ともならない毒リンゴである。
干ばつに耐え、不作を乗り越えるように。不良品を廃棄し、より良い物を生産するように、誰からも愛されるおもてなしを提供できるように汗を掻き、涙をこらえた人たちに顔向けができないような者など陛下にとっては塵芥以下のゴミでしかないのだ。
それを聞かされた俺たちだからこそ、最初の血祭りとなったエイゾの領主、エディンバラ公爵に対してはそれこそ、1mmの同情も覚えはしなかった。
しかし、そこに居たのは塵芥やゴミ、毒リンゴばかりではなかったのではないか?
自身でどうにもならない理由があった者も居たのではないか。
そう言う事に気づかせてくれたのがサキュバスのシルだったのだ。
レベル6まで鍛え上げられた技量と、未契約のままに今日まで過ごさざるを得なかった身の上は俺の心の中に少なくない疑問を抱かせることになっている。
フィアにはその全てをどうにかできるわけがないと念を押されたが、それでもなお、心に引っ掛かりを覚えるしかなかった。フィアと相談しながらどうするのがいいかを今後考えていきたいと思う。
意外とシロップやアニエスの方がこう言う事には良い意見をくれるかもしれないな。
なにせ、三人も嫁がいるのだから、頼らないのももったいないだろう。
今は、取り敢えず今回はシルと言う心の棘を頂き、俺自身の土産とすることにしたのだ。
しかし、我が家と親王陛下の土産はそれで済ますわけにはいかなかった。
陛下の居城へのカニとウニ。一体どれほどの量があれば満足してもらえるのか?
そして我が家。
帰路についた俺たちは領主の館を執事に任せ、ただ放置したわけではない。
エディンバラ公爵と周辺の情報収集も怠ってはいない。と言うのも、青函トンネルをくぐった時の苦労を帰りにも味わいたくはなかったし、そこ此処で湧いて出たナッサウ家との繋がりがあったかなども知っておかなければならない事項だった。
執事から得られた情報はかなりの量に上り、エディンバラ公爵とナッサウ家の繋がりに関しては見えなかったが、ビルング男爵とナッサウ家との繋がりについては真っ黒と言うほどに深い繋がりがあった。
ビルング男爵の妻と言うのがナッサウ家縁の荘園を守る男爵家の出であり、しっかりとその意志を受け継いでいたのだった。
聞くところによるとビルング男爵よりの情報に踊らされ、エディンバラ公爵が行った数々の不正はその資金をナッサウ家に貢がされ、実際のところ公爵家にほとんどその財貨は残っていないのだという事だった。
見事と言うよりないそのタカリは一種の暴力団のような潔さであり、知るともう、爪の先までこの世に残らないように焼き尽くしてやりたいと思わせられる。
そんな中にあってもシルは公爵に可愛がられ、慎ましいながらも穏やかに暮らしていたのだと言う。
仲の良さは傍目からも微笑ましく、戦いの場においては怜悧な表情を見せるシルも、公爵と二人で過ごす時間は微笑ましくも暖かい表情を見せていたという事だった。
俺にはそちらの方を想像できていたために、剣を交えたことがしこりとなって拭うことのできない心の滓となっているのだった。
どこか晴れることのない気持ちを抱えたままハコタチまで戻り、漁港を中心に海産を探し求めて歩いた。
「ソウタさん。」
「ん?」
「またシルさんのことを考えていますね。」
フィアの表情は硬い。少し怒っているようだ。
鮮魚の卸問屋を巡りながら、今朝揚がったというまだ生きているカニを数百杯と言う勢いで買い付ける俺たちであったのだが、四人で巡りながらも俺は気も漫ろになっていたらしい。
「みんなすまない。自分でもこんなに引きずるとは思ってもなかったよ。」
「ソウタさん、私やアニエスさんではフィアさんほどソウタさんを守っては上げられません。でもですね、ソウタさんの考えていることは分かっているつもりです。
それでも言いますが、ソウタさんが背負うことのできる責任と言うのはどれほどの大きさまで大丈夫なのでしょうか?私やアニエスさんがどうしようもない理由で死ぬしかなかった時と、あの時のサキュバスさんとでも一緒なのでしょうか?」
シロップは俺の目を真正面から見つめながらそう問いかけてきた。
シルに対して感じた喪失感と、万が一にも考えたくはないがシロップやアニエスを失うことになった時。俺には考えが及ばない選択肢だった。
俯いた俺はシロップに明確に答えを出すことができそうになかった。
なぜなら、シロップやアニエスを失うという事が想像できなかったからだ。
考えても、想像を巡らせても、それが想像できなかった。
市場にいくつかある休憩用の椅子に掛けながら、想像を巡らすたびに悪寒と吐き気が訪れ、体に震えが走る。
「シロップを失う?アニエスが居なくなったとき?」
「そ、ソウタさん?」
フィアが慌てて覗き込んでくる。
顔面に噴出した汗が額を伝い、顎から鼻頭から滴り落ちる。
悪寒が収まらず、ガクガクと震える体を抑えることができない。
肩と背中をフィアが抱きしめてくれているが、それでも心と体の拒絶反応が収まろうとしない。
「アニエスちゃん、ソウタさんの上半身を支えてください。シロップちゃん、ソウタさんを背後から抱いてくれますか?」
それだけ言うと衆人環視の前にもかかわらず、フィアは跪き、俺に口づけをした。
「んん?」
フィアを凝視してしまった俺は、すべてを忘れて貪るようにフィアに抱き付いた。
アニエスとシロップも驚きを隠せない表情でその行為を見守っている。
3分ほども口づけを続けた俺たちだったが、蒼白だった顔色が戻り、体の震えも止まった。
荒い息を吐きながら俺はフィアを開放し、もう一度抱きしめた。
「怖かった。フィアやシロップ、アニエスを失うなんて考えても見なかった。た、多分それは俺には耐えられそうにない。気が狂うかと思ったよ。」
でも、この感覚はシルを死なせてしまったこととは全く別の意味を持っていたと言える。
「シロップの言いたいことが良く判った。俺は俺の大事なものと俺が大事にできたらいいと思っているものの違いに気が付いていなかったんだな。」
「ごめんなさい。私、そこまで考えていったわけではないんです。でも、アニエスさんやフィアちゃんのようにあのサキュバスについて悩むソウタさんを見てられませんでした。
誰かを助けられなかったたびにそんなじゃ、ソウタさんが壊れてしまいます。」
「ソウタさん、私昨日も言いましたよね。優しいのはいいですが、レベル10の私たちにだって出来ることは知れていますって。」
フィアに念を押すように言われてしまったが、俺には実感が伴っていなかったのだろう。
シロップに言われてようように気が付いた。
俺の額の汗を拭おうとアニエスが自分のスカートから取り出したハンカチで優しく慰めてくれた。
「アニエス、シロップ。どうやら俺は相当に己惚れていたらしいよ。フィアに言われていたのにな。」
「ソウタさん。フィアちゃんもシロップちゃんも夕べから困っていましたよ。ソウタさんが敵に涙を流しているって。誰にも心を通わせようとするのはソウタさんの良いところの一つですが、それですべてがうまくいくはずはありません。
ですが、そのお心を失われないようにして下さったら、例え敵であろうとも意に染まぬ結果に終わろうとも救えるモノがあるかも知れません。強い心をお持ちください。そして今の優しさを失くさないで下さい。
折れそうな心は私たちがお救いします。萎えそうな気力は私たちが励ましてご覧にいれます。泣きそうな心は私たちの抱擁で隠して見せますから、大いに泣いて結構です。
でも、ご自分を責めるのだけはやめていただけますか。私たちはソウタさんに守られ、愛していただき、抱いていただけるからこそソウタさんを支えて行けるのです。
私たちを見て、ご自分を知って下さい。」
一気に語ったアニエスは、恥ずかしかったのか俺の腕の中で固まってしまった。
胸に顔を埋め、小刻みに震えている。
背中にはシロップの体温を感じ、俺と一緒にアニエスを抱いているフィアもいる。
「そうか、俺は欲張りすぎたんだよな。アニエス。言いにくいことを言わせてしまったな。でも、ありがとう。自分がいかに頼りないくせに傲慢だったか良く判った。
シロップ。ありがとう。みんなと一緒によく俺を見ていてくれたね。もう心配は掛けないからな。
フィア、いつもすまない。フィアにはずっと心配ばかりさせてるんじゃないか?」
「いいえ、そんなことはありません。ですがソウタさんを想っているのは私だけじゃありませんよ。私たちはソウタさんを愛しているのであって、公爵だからじゃありませんって言いましたよね。忘れないでくださいね。」
そう言い、アニエスとシロップの肩を叩くフィアが眩しかった。
アニエスもシロップもいい笑顔で微笑んでくれた。この三人には相当に迷惑をかけたようだ。
シルのことを悔やむのはもうやめることにする。俺にはその資格はまだないようだからな。
「さぁ、三人とも陛下への土産は今日中に届けるぞ!」
「ほ、本気ですか?」
シロップのビックリ顔は可愛いな。
キスをしてやり、少しだけ伸びた髪をかき混ぜる。
アニエスのだいぶ伸びた髪もかき混ぜ、最後に背中の半分まで伸びたフィアの髪もかき混ぜて叱られた。
「もう、ここじゃ櫛を入れられないんですよ!」
膨らんだフィアが最も可愛かった。
そこからは怒涛の爆買いツアーが開始され、市場に流されたウニとタラバガニ、毛ガニ、ズワイガニが一杯残らず消えたという伝説を作ってしまった。
その全てが次元断層の彼方へと消え、俺とフィアだけではなく、シロップとアニエスもレネゲイドに乗り込んだ。
「マスター、搭乗者人数が既定の席数を超えています。戦闘時に安全を確保できませんが。」
「レネゲイド、今回戦闘はないよ。親王陛下の居城まで最速で移動して、荷物を降ろしたら我が家に寄ってくれ。」
「了解。トウトのセントラルキャッスルまで1時間です。」
「い、一時間?」
アニエスとシロップが驚きの表情だ。
フィーーーーーンというインパルスモーターの呼吸音の後に瞬時にして機体が高空に躍り上がる。
「きゃーーーーー?」
二人の叫び声と共にレネゲイドが高度3,000mほどを音速の数倍の速さで駆け抜ける。
「シロップ、アニエス、足元を見てごらん。」
「む、ムリでーーーーーーす。」
しっかりと目を閉じている二人は、俺とフィアの膝に座り、ただ弾道飛行に目を閉じて耐えているだけだ。この絶景を見ないとはもったいないじゃないか。
「フィア、シロップの手を握って。」
「シロップちゃん、私が手をつないでますから心配せずに目を開いてみて。」
俺はアニエスを膝に乗せ、手を握りながら耳元で語り掛ける。
「アニエス、見てごらん。これが俺たちが暮らす神国だよ。」
二人ともフィアと俺に励まされ、どうにか目を開いた。
「!す、すごい!」
高度は15,000mを超え、成層圏のエリアまで達している。
この高度では日本列島(=神国)は、全体が見通せるほどの島国になっている。
想像もできない高度に居るにもかかわらず、キャノピーで守られたコクピットに居る限りは快適そのものでパノラマ映像はドキュメンタリー映像のようだ。
「シロップ、さっきまでいたエイゾはあそこだ。アニエス、トウトはちょうどあそこだな。レネゲイドが守られていたクノエはあんなに離れているんだ。この国も結構広いだろう?」
「ソウタさんとフィアちゃんの暮らしていたというトサンはどこですか?」
「アニエスちゃん、トサンはあの半島の付け根右側です。クルッと凹んで海になっている部分がお魚が一杯で、とってもおいしいんですよ。」
「二人は長い時間をかけられ、この綺麗な国の色々を見てこられたのですね。」
「アニエスもこれから色々なところを尋ねるだろう。シロップも俺たち全員であちらこちらを尋ねるのは楽しみかな?」
「はい。とても楽しみです。みんなと行くところならどこでも楽しそうです。この景色忘れません。」
「いや、いつでも見に来れるから。二人ともフィアと一緒で俺の嫁だからな。」
「ふふ、そうでした。今回限りじゃないんでしたね。」
「マスター、そろそろ降下を開始します。」
「おう、勢いよく頼むよ!」
「ぎゃぁーーーーーー!」
二人の絶叫とフィアと俺の爆笑で成層圏からレネゲイドがダイブした。レネゲイドなりのサービスだったらしい。
きっかり一時間で俺たちはセントラルキャッスルの前庭に到着した。
先触れもなく轟音と共に降り立ったレネゲイドに何事かと集まった衛兵や近衛兵も、その姿を見るなり解散し、散っていった。
「ソウタさん、私たちの扱いがぞんざいになってませんか?」
「うむ。フィアの意見に心から賛成するぞ。あいつら全く警戒もしてないじゃないか。」
「いえ、あれは自然な反応だと思います。」
シロップの意見には解せないぞ。
「まぁ、このレネゲイドさんを見て誰が心配するっていうんですか。ソウタさん以外が載っているわけがありませんから。」
「だ、だってさ。」
肩をすくめて肯定を示すフィアが可愛かった。
ユンカーさんからたいそうなお礼を言われ、カニとウニの代金として使った以上の金貨を頂いた。
自分の屋敷にもカニを置いていきたかったのだが、シロップとアニエスのお披露目もあったので今は遠慮した。二人には良く判っていなかったようだが、カニは悪くならないので、みんなと戻ってから賞味するとしよう。
エイゾまでの帰り道は成層圏を抜け、地上からの高度を800kmまで上げた外気圏に寄り道した。
ここまでくるとすぐそこが宇宙空間で、足元の惑星は完全に丸い。
フィアを始め、三人は食い入るように足元を見つめ、自分たちが暮らす世界を知ることになった。
「私たちが住んでいる神国はこの丸い地面の一部なのですね。」
「そう、この丸い塊は地球という星だ。」
「夜空の星と一緒なのですか?」
「夜空に見える星はアレと同じものだよ。」
地球の公転軌道の中心に燦燦と輝く恒星がある。
「あれは太陽なのですか?あれも丸いです。」
「そう、この星空に浮かぶほとんどの星は丸いんだよ。地面に立っていると丸いかどうかわからないのにね。太陽のような輝く星の周りには俺たちが暮らすような星が回っていて、見る場所によって陽が上ったり沈んだりして見えるんだ。俺たちの暮らす地球はどう?」
「宝石のように見えます。青いところ、緑のところ、白いところ、色とりどりの場所があってとってもきれいです。」
「よく見ておくといいよ。限られた広さの星の上に暮らしてるんだから、みんな仲良くできるといいのにね。隣の星までは限りなく遠い。レネゲイドでも移動できるかは判らないよ。」
「マスター、私は恒星間航行の能力を持っていません。一番近い隣の惑星はアレースですが、光の速さで移動しても4分必要です。」
「ソウタさん?レネゲイドさんは何を言っているんですか。」
「隣の星まで光の速さでも4分掛かるってさ。光はピカッとなったら一秒間にこの星を7回半まわるほどの距離を進む。その240倍も遠くにあるんだって。」
「なんだかわかりませんね。」
「うん。言ってても判らなくなりそうだ。」
三人それぞれの反応を聞きながらゆっくりと高度を下げ、仲間たちが待つエイゾへと降りていった。
俺がいた地球と寸分たがわぬ大地がこの惑星の表面を覆い、この星が地球と何ら変わらないことが改めて思い知らされた。
一つ気が付いたことと言えば、俺のいた地球より「緑のところ」が多いように思う。
今回、カニとウニを配達する道すがらに宇宙に出てみましたが、どうやら私たちの地球と同じような星に居るようです。
異世界とは近くにあるようにも思えてきました。




