【第2話】行って戻るだけのはずが異世界
第2話です。ここから話が始まるというか、本番です。
6月20日誤字を修正。
俺がこの異世界に来たのは今から2年前だ。
出張や旅行できたわけではないのだが、貴重な体験の連続ではあった。
大学で何をするわけでもなく無為に4年間を過ごし、就職をきっかけに遠距離恋愛になるということでその時に付き合っていた彼女とはあっさりとお終いになった。
押しかけ女房のようにやってきた彼女ではあったが、普段一緒にいられないと自信がないという。たぶん精神的に依存する相手が身近にいないといけないのだと思う。
俺はどうかというと、小学生のころに母親を病気で亡くし、高校生になるころには父親も病気で亡くしていたので、残してくれた少しばかりの遺産で学校を卒業するまで何不自由することもなく一人暮らしを堪能し、彼女が去ってからも一流でも何でもない商社に勤め、淡々とその日暮らしをしたものだった。
異世界に移り住むなんて貴重なイベントは、当然ながら希望してできるわけではないし、その方法を知る人もいないわけである。
事故にあった瞬間に異世界にいたとか、頭の中に直接語り掛けてくる名伏し難い者がいて、笑いながら召喚されたとか、扉を開いた瞬間にそこが異世界だったとか思い当たるような変化も何もなかった。
一言でいうと「迷子」になったようだった。
勤め始めて丸1年経った4月の初めごろに、有機栽培の野菜を都心の高級レストランへ卸してもらうために地方都市に出張になったのだが、畑を持つ農家を訪ねるために地方鉄道とバスを乗り継ぎ、北アルプスが目前に迫るような山間へとたどり着いた。
意外にも愛想の良い農家のご主人と取り引きの契約を済ませ、またバス停に戻るときにそこがもう、「異世界」だったのだ。
農家を辞して、バス停まで歩く道すがらはのどかの一言であった。
轍の続く道を歩き、夕方にも程遠い時間にもかかわらず終バスの時間だからと急かされるように帰路に着いたのだったが、バスを降りてから15分ほどしか歩かなかった往路と違い、すでに30分ほど歩いているのにバス停が判らない。
分岐するような脇道もなかったし、整備されていない道行の遥か下方を流れる河川はあの太平洋戦争の時の軽巡洋艦に命名された一級河川の源流にあたるという。
ブラウザゲームでそうした艦船を擬人化し、収集、育成して艦隊を編成して敵と戦うものが流行っていたので、「提督」として参加していたことから妙に感慨深いと思ったものだった。
いや、このままではどこまで歩いてもバスの通るような舗装路に行き当たりそうにないことと、軽トラでも走っていて出来た轍さえもなくなっていることに気づき、一先ずは農家に戻ってから道を確かめることにしたのだった。
そこから1時間。来た道を戻るだけの山間の一本道。歩き続けるが訪ねた農家に戻れるでもなく、山間道ではなく登山道のような有様になっていたのだ。
そしてしばらく前から気づいていたのだが、誰かがこちらをずっと監視しているような視線を感じているのだ。
それも一人、二人ではないようで、ざわざわとした気配も感じる。
これほどの山間地であれば猿や鹿もいるであろうし、熊などの危険な野生動物かもしれない。身を守るような武器もないうえに現代日本に暮らす23歳の若造が武芸に長けているはずもないわけで、心細さも深まってくるわけですよ。
足元に落ちている竹刀ほどの針葉樹の枝を拾い上げ、脇に生える細かな枝を手折り、少しでもの護身になればと体裁を整えた。
その時、低木の繁る藪の中から一匹のオオカミが姿を現し、あろうことか後ろ脚だけで立ち上がったのだ。
体長はいや、身長は2メートルになろうかという大きさのうえ、完全に二足歩行を行っていた。全身を銀色の体毛に覆われた人の形をしたオオカミは、低い唸りをあげながら近づいてくる。
「オマエの身なりは随分と変わっているのだな。」
喋った。
「見たことのない衣服だが、魔法使いかどこかの領主に仕える文官なのか?」
オオカミは問いかけながらずっと近づいてきている。彼我の距離はもう10メートルもないだろう。
この現状をだれか説明してくれ。
魔法使い?領主?いつのどこの世界の話だよ。
「どうした?口もきけないほどビビってるのか?ハハハ、まあエサには違いないわけだからどうでもいいか。」
俺を夕ご飯にすることを宣言した直立するオオカミの後ろから、これまた大きなオオカミが30匹ほど現れ、横に広がるように並んだ。
こいつらは立ち上がる様子はなく、ただただデカいオオカミのようだ。
だから安心というわけではないのだが、この状況というのは客観的におかしいのではないだろうか?
スーツ姿の俺が山道に迷い、二本足で歩く狼に食べられようとしているのだ。
額と背中に冷たい汗をかき、両足は今にも力を失ってカクリと折れてしまいそうだった。
何もできないまま枝を前に構えるのが精いっぱいだったのだが、その間に半包囲を終えたオオカミたちが今にも飛び掛からんとしていた。
「ギャン!?」
もう助からない、そう思った刹那、向かって左端のオオカミから叫びが上がり、見ると凶悪な面構えの眉間に弓矢のようなものが刺さっていた。
瞬時に絶命したオオカミの倒れこむドウという音と同時に、周囲が炎に包まれた。
「ファイヤーボール!」
声が聞こえたと同時にさらに炎が上がり、10匹ほどのオオカミが炎の餌食となった。
なんだ?なんだこれ!
「冒険者か?お前たち、散開しろ。」
いきなりな出来事にいきなりが重なり、俺は完全に置いてきぼりの状態だ。
オオカミたちは固まっていることで被害が拡大することを避けるように大きく後退し、お互いの距離を取ったうえで敵を確認しようと周囲をうかがっている。
「吶喊!」「「おお!!」」
号令に大勢の気勢を上げる叫びが続き、50人を超える騎士たちが大剣をかざしながら突入してきた。
統率された騎士たちは、ツーマンセルでオオカミと対峙し、次々と討ち取っていく。
「ギャアアア」「ギャン!」
「小賢しい!どこからやってきやがった!」
討ち取られるオオカミの鳴き声と、直立するオオカミの吠え声に騎士隊の隊長と思われる一際優美な鎧を纏った騎士が対峙する。
「我々はトサンの騎士団だ。魔物討伐遠征の帰りであったが、スノードラゴン一体では領主に面目が立たないところであった。ちょうどよい、土産にさせてもらうぞ。」
「しゃらくせぃ。ただでやられるとおもうなよ!」
直立していたオオカミは、瞬時に本来の四肢で歩くように伏せたかと思うと隊長と思われる騎士に突撃した。
「グオ?」騎士隊長の足元に迫ったその時、一閃された剣によりオオカミの顔面が斜めに切り飛ばされた。右の顎から左耳までを薙いだ剣により、頭蓋の半分が吹き飛び、あっけなく討たれた。
周りを見るとそのほかのオオカミも全部討ち取られたようで、ザワザワとした喧騒に満ちていた。
騎士たちは倒したオオカミたちを麻のような繊維でできている袋に回収しているようだ。
剣についた血のりを振り払い、鞘に納めてから騎士隊長は俺の元へと近づいてきた。
「お前はこんなところで何をしていたのだ。人族が一人でやってくるような場所ではないのだがな。」
いまだ茫然自失の体ではあったが、命の危機は回避されたようだ。
大きく息を吐き、枝を構えたままだったことに気づき、俺はそれを手放した。
「いや、助けてくださってありがとうございます。自分は道に迷ったようなのですが、この近くで農家を営む方のお宅に戻りたいのです。」
オオカミに襲われる前にしようとしていたことを騎士隊長にお礼と共に告げてみたのだが、果たしてここは俺の知っている日本なのだろうか。
直立して喋るオオカミが人を襲い、鎧に身を包んだ騎士団がスノードラゴンを討伐した遠征がえりだという。
統率のとれた剣を佩刀する騎士たちと、その傍には魔法使い然としたローブを羽織る三人の知性を感じさせる男女。
真ん中に立つ長い金髪をゆるくウェーブさせている20代前半だろう釣り目がちな女性。
右側には銀に近い髪のショートヘアに大きな目が特徴的な中学生ぐらいに見える背の低い女の子。
左側に立つのは190㎝はあるだろう背の高い、黒髪を長髪にしている細面の線で描いたような目をしている20代か行っても30歳といったところの男性。
真ん中に立つ女性と、騎士隊長が目で確認しあったようで、女性のほうが口を開いた。
「あなたが言うような農家というのはこの辺りにはないと思います。先ほどのワーウルフが住み着いているほかにこのマウントティーの麓はコボルトやゴブリン、トロールなどが徘徊しており、田畑を開くようなことはできないのです。」
「そうなんですか?実は今日の午前中にこの辺りでその農家を訪ね、用を足して帰ろうというところで帰れなくなったというか、迷ってしまったというか、自分でも要領を得ないのは分かっているのですが、なんと説明したらよいのかわからないのです。」
情けないが自分で理解していないことを正しく伝えるなど不可能だと思う。今まで生きてきた中で経験し、獲得した常識を何もかもが斜め上に逸脱しているのだ。
魔法使いの女性にあやふやなことを言っている間に、騎士隊長が兜のようなフルフェイスの保護面を外していた。
「おまえ、もしかして“迷い人”なのではないか?王宮のあるトウトの都に70年ほど前にも迷い人が現れたという記録があったと聞いたことがある。」
短く刈り込まれた銀髪と精悍な顔立ちを持つ騎士隊長は偉丈夫の40歳ほどだろうか。
逞しさと安心感を与えるようないい男だった。
その発言を聞いた長身の魔法使いが一歩前へ出て話しかけてきた。
「確認させてもらえるだろうか?そなたが参られたのは“ニッポン”という国ではないのか?」
「はい、日本の東京という場所から本日は仕事でここに来ていたのです。」
「やはり。シュナイダー隊長のお見立て通りのようですな。」
魔法使いの男性は右手をあごに充て、考え込むような仕草だ。
「ええと?ここはどこなんでしょう?私は帰ることができるのでしょうか。」
そう、俺はこの異世界であることが確定したこの世界から自分の知る日本に帰ることができるか?湧き上がる不安はまさにその一点にある。
「ダイアン導師、その70年前に来たという迷い人は、その後どうなったかご存知でしょうか。」
シュナイダーと呼ばれた騎士隊長が俺の質問を受けて、男性の魔法使い、ダイアンに尋ねた。
「過去に現れたというその迷い人の方は、元の世界に帰る方法を見つけることができずにこの世界を彷徨い、10年もしないうちに亡くなられたと思う。」
な、なんだと。前にやってきた日本人は帰れないまま10年で死んじまったのか。
70年前というと戦後すぐという事か?日本が負けに負けた戦争から立ち直る前の、疲弊しきった状態だったろう。
健康状態が悪かったのか、異世界という極限状態のストレスが祟ったのか?
「わたしの御爺様から聞いた話では、その迷い人の方は日本のヒロシマというところからいらしたと。このヒロシマでは、戦で多くの人が一度に亡くなるような魔法が行使され、ヒュージエクスプロージョン(極大爆破魔法)の何倍もの炎が舞ったと迷い人の方がおっしゃっていたそうですわ。」
「おお、さすがはアリシア殿のご祖父殿ですな。」
金髪釣り目美女がアリシアさんで、広島からの迷い人は多分原爆症で亡くなったのだろう。
それにしては10年近くも存命とは、この世界では放射線病に対する有効な治療手段でもあるのだろうか?
いや、俺が考えなければならないのはソコじゃない。
帰る方法がないことではないだろうか!
「あの、あの、アリシア様?日本に帰る方法がないというのは本当でしょうか?」
多分俺の顔は随分情けないことになっていただろう。中学生が憐憫の表情で話しかける。
「アーディはね、あなたが帰れなくて大変だと思うのだけれど、ワタクシのお兄様になればよろしいのよ。アーディのお兄様はワタクシが小さいうちに亡くなられてしまったの。今はダイアンとアリシアがいるから寂しくはないけど、あなたがワタクシのお兄様になってくれるならもっといいわ!」
何を言っているんだこの謎イキモノは?
「アーデルハイド、あなたは何を言っているの?この方は元居た世界へ帰らないといけないのよ。あー・・・」
「颯太だ。山野辺颯太といいます。助けていただいて、名乗りもしないまま大変申し訳ございません。」
「ソウタ様、堅苦しい物言いは必要ありませんよ。そう、アーデルハイド、ソウタ様はここではない世界からいらしたのですから、ここにずっといらっしゃるわけにはいかないの。」
「いやです。アーディのお兄さんになるのですわ。ソウタ兄様、お帰りになるときまでお兄様になっていただくのではいかがでしょう?ワタクシを元の世界にお連れになっていただいてもよろしいのですよ?」
あ?謎イキモノが何か言うてます。
「あのう、こちらのお嬢様は何をおっしゃっていらっしゃるのでしょうか!」
バカは嫌いだ。どこだかもわからないような世界に来て、帰れなかったらと思うと生きているのも辛くなろうというときに、お兄様に就任ってなんだ?
世を儚んで泣けてくるようなシチュエーションも台無しだわ!
「アーデルハイド・・・様?私を心配していただけているのでしょうか?」
台無しは台無しなんだが、お蔭でというかおバカ発言のせいで悲壮感まで台無しになったようだ。
「はい?ソウタお兄様はアーディを妹にしていただくことにどのような心配があるのですか?」
ああ、ワカッテマシタ。
この中学生は自分の思ったことがただ、ダダ漏れになっているに過ぎないのだ。
「アーデルハイド、あまり無体を言うものではないよ。ソウタ殿が困っておいでだ。」
ダイアンが至極まっとうな意見を述べ、騎士団はオオカミの回収が終わったようだった。
「隊長に報告。ワーウルフ始め上等な毛皮の回収が完了いたしました。分隊別に帰還に移ってよろしいでしょうか。」
「ああ、毛皮の元は輜重隊の荷車に積んだか?俺たちの馬をこちらに。お客人用にもう一頭馬を回してくれるか。」
「はっ!ただちに。」
「シュナイダー様、私はどのようになるのでしょうか。」
「ここに残ってもしょうがないだろう?領主館まで一緒においでいただく。領主に目通りいただき、よろしければこのトサンに留まっていただきたいと思う。その上でお帰りになる方法を模索するもよし、ここでの暮らしを全うするもよし。アーデルハイド様のお兄上をしていただくのも喜ばしいと思っております。」
「はぁ・・・」
その後、騎士団と共にトサンという領地の領主館を訪ね、領主に謁見を果たした。
アーディの兄をするというのは冗談ではなくなり、アーディの屋敷の一部屋を間借りさせてもらえることとなったのだ。
迷い人というのはその名の通り、地球人がこの世界「ウィアード・テイルズ・キングダム」という異世界に紛れ込んだ場合に呼ばれる名称のようなものだ。
事実、これまでにも数人の迷い人がいた記録があり、不思議なことにいずれも日本人のようであった。ヨーロッパでもなく、アジアでもない純粋な日本人ばかりが迷い込んでくるというのも何か訳があるのかもしれない。
70年前に迷い込んだ広島出身の人というのは大工ではなく、建築士だったそうである。
産業革命ではないが、ウィアード・テイルズ・キングダムでもそれまでに主流であった木造建築に代わり、石造りの洋館風な建築物や、コンクリートを使用した多層構造のビルのようなものまで建築されるようになったとのことだった。
しがない商社マンである俺としては、そういう意味ではこの世界に大いに貢献するという事は難しいようである。
食材流通の商社であったから、この世界を旅すればどこにどのような食材があり、どのような流通を整備すれば手に入れられるかなどの基本を語ることは可能かもしれないが、豊かなこの国ではそうしたことに対するニーズも大きくはないように思われた。
アーディの屋敷はマウントティーから駆け降りるように下った処にある僅かばかりの平野のほぼ中心にあるうえ、領主の収める領地の領地もち貴族であった。
こうしてパトロンを得た俺は、アーディの兄としての役目を務めつつ、元の世界へ戻る方法を探る日々を過ごした。
当然一般市民であった俺としてはどこをどうしたらよいのかも判らなかったが、アーディのご両親や縁があって懇意にしてもらっているシュナイダー隊長やダイアン、アリシアの助けも借り、教会や国に連なる法院に収蔵されている図書などの拝覧許可を得、貴族としての身の振舞方や決まり事などを学びつつ、過去にここへとやってきた迷い人の記録を調べる日々が続いた。
そうして過ごすうちに月日もたち、あの日から1年半以上も時間が過ぎていた。
「ソウタお兄様、本日はどのようにお過ごしのご予定でしょうか?」
この世界が月曜日から始まり、日曜日が誰もが休息日としている不思議に気付いたのは実はつい最近のことで、休息日の今日をどう過ごすつもりかとアーディは訪ねているのである。
アーディは出合った時には13才であり、晩夏も過ぎた初秋ともいえるこの時期に15歳になった。
「これといってしなきゃいけないことはないんだが、アーディは私に用事があるのかい?」
「はい、ソウタお兄様がよろしければ領民の皆様の稲の収穫をお手伝いしたいと思っております。」
稲刈りか?「またどうして?」
「お父様が臣下の豪農様より早生の稲刈りに呼ばれておりまして、ひと鎌入れることになっておりますの。私たちも一株ずつ刈入れを行い、百姓の皆様をお励ましするお祭りがあるのですわ。この夏は気候も良く、お米がよく育ったそうです。収量が増えるようですので、特別に買い入れの金子以外にも褒賞をお出しすることになりましたので、ソウタお兄様にも良い案がないものかとお訊ねでしたわ。」
まったく面倒な用事であった。
領地はコメの有数の産地であり、領民は一百姓に至るまで比較的裕福な者たちが多いのだ。
また、工業も比較的盛んであり、繊維産業や農具をはじめとした金属加工業などもバランスよく栄えているようだ。
よく統治され、貧しいものもほとんどおらず、マウントティーからまれに降りてくる魔物の被害以外には治癒術師も暇を持て余すほどの呆れた平和都市であった。
稲刈りを始めるセレモニーのような企画に呼ばれているわけであるが、漫才の一つも披露すればよいというのだろうか?
実のところはそうではなく、思いつくままに披露している現代日本の商工業に関するアイディアを寄こせという事なのだ。
この世界は亜人や魔物、魔法や魔術などが存在し、日常の生活から国家紛争、治安に関してまでが現代日本をはるかに凌駕して強力なのだが、商工業などのあちらの世界では当たり前の技術や仕組みがひどく未発達なのである。
これに気づいた俺は恩返しでもないのだが、自分の持っている知識の中からちゃんと理解できているものや、この世界の人たちとディスカッションすることで完成できそうなものだけを披露して仕組みとして取り組むような仕事をしていた。
アーディはこの春から高校生となり、といってもこの世界に高校にあたるような教育機関があり、そこに1年生として通い始めたという事なのだが。ここでも俺の提供した「生徒会活動」と「クラブ活動」にいそしんでいるようだ。
そのせいもあって日曜もなかなか屋敷にはおらず、俺と遊ぶ時間もとれないおかしなジレンマに陥っているらしいのだ。
それもあって自分の出席しなければならないイベントに同行させ、お父様の頼みについても満足できれば俺の株が上がると考えたのだろう。
実際のところ、このアイディア提供だけでもご両親には大変感謝してもらえており、家の中でも特別肩身の狭い思いもない。今回披露するのは「農協」だ。
すでに詳細は詰めてあって、初代の農協組合長はお父様が就任することになっている。
このセレモニーが今日あるので、元々俺は出席者なのであったが。
「そうだったの。それでは馬車の準備もできました様ですので、お兄様もお出かけになるご準備をなさってくださいな。」
「おっとっと、もうそんな時間だったか。アーディ、そのドレスとても似合っているのだが田畑に入って泥をつけてしまうとお母様にきっとお叱りを受けるだろう。」
「え~!?、今日はアリシア様もいらっしゃるのでドレスがいいと思ったのですわ。アーディが稲を刈るときにソウタお兄様がドレスの裾をお持ちになってくださればいいのですわ。ソウタお兄様でしたらワタクシちっとも恥ずかしくはないのです。」
淡い若草色のドレス姿のアーディはこのところ身長も伸びているようだが、女らしさも増しているようで時々ハッとさせられるときもあるくらいだ。
そんなことはどうでもいいのだが、二人して乗り込んだ馬車は御者の操車によって優雅にも走り出したのだった。
車内ではアーディが進行方向を向いて座り、俺は御者に背中を向け、アーディに向かって座る格好だ。
「ソウタお兄様、アーディはお兄様が冒険者を始められてとても心配しております。なぜ今になってそのように危険なことを始められたのでしょうか。」
そう、俺は今冒険者として魔物や亜人の害をなす者を狩ることが日常となっている。
アーディは今といったが、実は始めてから1年がたち、ソロとして活動しているのがここ最近というわけだ。
「アーディには心配をかけるな。でも、冒険者として魔物を狩ることが目的ではなくてな、私がこの世界に来たきっかけを探るために魔物がいるところへ行くから、冒険者としての技量が必要になっただけなんだよ。魔の深いところへ行こうとか種族の長を討伐しようとか考えているわけではないのだよ。」
「わかっています。それでも心配するのはしようがありませんの。そしていつかアーディを置いて元の世界へ戻っておしまいになるのではないかと。置いて行かれるのは嫌です。」
「アーディ、私はこの世界の人間ではないが、兄としての務めはとても大事だと思っている。お父様やお母様に良くしていただいていることも深く感謝しているのだよ?だから勝手に帰ろうなんて考えてもいないし、少なくともアーディがウェディングドレスをお父様、お母様や私に見せてくれるまではしっかりと兄として見守っていくつもりだ。」
そう、俺としては今はもう日本に戻ろうという気がなくなっていた。こちらの世界に自分の知識を形にし、冒険者登録の後、あるパーティーに世話になることができた。
戦闘のイロハから魔物の知識など貴重なものを学ぶことができたのだ。そして、冒険者としての経験が増えるとそれに反比例して帰巣本能ともいうものが薄れていった。
魔物と対峙し、自分の判断で剣を振るい、屠ることで覚えた達成感は日本に暮らす全ての人が経験しえないものだと思う。研鑽に励むこと半年を過ぎたころだったと思うがステータスが更新され、自分にも魔法が使えることが判った。
属性魔法では火魔法の初級と風魔法の初級を習得していた。無属性魔法では聖光と治癒だ。
一番ありがたかったのは治癒魔法だろう。
接敵中でも負わされた怪我を自分で治療できる。俺は無詠唱なので呪文を唱えることもなく魔法を発動できるし、剣を合わせている最中にも無詠唱を利用して回復できるのだ。
とにかく、自分から帰ろうという気はもう、まったくなくなっていた。
「う!うぇ、ででででで!ボッ!」
何を言っているのかわからないが我が家の妹様は茹で上がったタコになっていた(笑)
商家が立ち並ぶ繁華街を過ぎ、普通の家屋が街道に集まる住宅街も通り過ぎたころ、広大な穀倉地帯が開けてくる。
黄金色に実った稲穂はこうべを垂れ、豊作を知らせている。今は早生の品種の借り入れが始まるところで、あと少しすればまたおいしい米が収穫されるだろう。晩秋にはもち米も収穫され、この国一番の餅を消費するというこの領地ではどこでも餅つきがみられるようになる。
農協として建築がはじまった建物が見え始めるころ、刈入れた米を貯蔵するための巨大な倉庫が棟上げまで終わった工事現場からなにやら煙が立ち上がっている様子がうかがえる。
「おかしいな。今日はイベントもあるから工事はお休みのはずなんだが。」
独り言を言ったつもりであったが、アーディも気が付いたようだ。
「なんでしょう?魔物でも里に下りてきたのでしょうか。」
そう言うのにもわけがある。煙の立ち上る根元にあたる場所から何度か火花のようなものが見えるのだ。
剣を打ち合わせてでもいるのかもしれない。
「アーディ、少し急ごうか。」
御者に今日のイベント会場へ急ぐように指示し、アーディの隣へと席を移した。
田んぼの中を通る道は舗装がされていないために揺れるのだ。
急がせたものだから車内は一層踊るような激しい揺れとなっている。肩を抱き寄せて支えていなければ、バッスルの入った膨らんだドレススカートのせいで浅くしか腰かけられないアーディなど転げ落ちてしまうだろう。
理由が分かっているくせに俯いて真っ赤になっている妹様には首をかしげてしまうが、今はどうでもいい。
お父様のところへ一刻も早くたどり着き、最悪この馬車に押し込めてアーディと共に逃げてもらわなければならない。
会場に着くと騒然としており、お父様は皆を街へと逃がすように大声をあげていた。
「お父様、これはいったいどうしたことです?」
「ああ、ソウタ、アーディ。10分ほど前に倉庫の山側からオログ=ハイが現れた。何かと戦闘状態のようなのだが、あの上位種が狂乱状態になっているので手が付けられん。」
トロールの上位種オログ=ハイが何かと戦っている?
普通の冒険者ではないだろう。オログ=ハイは脳筋ではあるが恵まれた腕力、膂力、強靭な足腰と多少の傷なら短時間で再生する表皮を持ち、狂乱状態になると自分の腕がなくなっても相手を殴り殺そうとする。
そんな奴と渡り合うバカはどこのどいつだろうか?
「グウォーーーーーーーン!」地の底から湧き上がるような叫びが聞こえる。この辺りが更地に変わるまでそう時間もないようだ。
「お父様、馬車にお乗りください。参加者の皆様はどうやら町のほうへと逃げることができたようです。ここにいてはいつどうなるやも判りませんのでアーディと町のほうに向かってもらえますか。できれば騎士団のシュナイダー隊長にもお話を!」
「ソウタお兄様はいかがされるおつもりですか?ご一緒に逃げませんか?」
「そうだぞ、ソウタ、お前が残る必要はない。さあ、一緒に来なさい。」
「ズゴォーン」こちらが揉めている最中にも大きな音が聞こえてくる。せっかく上棟式まで漕ぎ着けたというのに倉庫のいたるところから煙が立ち上り、ついにはオログ=ハイがこちらに見える位置まで逃げ出してきた?
「っ!?時間がありません。私はここで奴の足止めを。お父様は騎士団に連絡を。このまま町にでも行くようであれば足止めがなければ大きな被害が出てしまいます!」
「うむ。だが命を粗末にするものではないぞ。」
それだけ言い置いて父は御者に命じ馬車を急発進させた。