【第12話】フィアの気持ち(後)
後篇です。
こんな子、どこかにいませんかね。
どうしよう。
いざ、一晩を共にするとなったら早鐘を討つ心臓が加速をやめてくれない。
森に入り、湖で沐浴をして身ぎれいにしたつもりだが、大丈夫だろうか?
髪を梳いてきれいな下着を着け、これまで大事にとっておいたワンピースを荷物から引っ張り出した。
ああん、ちょっと皺になってる。
どんな風に事を進めたらいいのだろう?
おかしな子だと思われたくないし、でも一刻も早く会いたいとも思う。
不思議な安堵をもたらしてくれるあの男性はきっと自分にとって良い選択だったと思いたい。
もし、もしもこれから毎日一緒にいられたら命ある限り精を受けなければならない自分にとって得難いモノを与えてくれるような気がする。
ただ、気に入ってもらえなかったら…
気分が上向いたり、急降下したり、今までの自分にはなかった感情が激しく揺らめいている。
あ!手鏡でも用意しておけばよかった。
ちゃんと髪が整っているか、おかしな表情になっていないか判らない。
陽もとうに暮れ、そろそろソウタさんの部屋に行かなければならない時刻だろうか。
荷物を手早くまとめ、リュックにしまい込む。
風の剣の助けを借り、ソウタさんの部屋へと走った。
匂いを辿り、探し当てた邸宅はとても大きなお屋敷だった。
二階の角部屋がソウタさんの部屋なのだろう。そこから嗅ぎなれてしまった森の香りがする。
一息でテラスへと飛び移り、風を窓の隙間に滑り込ませる。
難なく窓の施錠を外すことができ、音をたてないように手前に引いた。
暗い部屋にソウタさんはまだ帰ってきてはいないようで、勝手にお邪魔することにした。
部屋の中を見渡すと、非常に物が少ないように感じた。
机、ベット、書棚、他には何もないことが判る。
机の上には書きかけの書類が置かれており、ちょっと後ろめたさもあったが、のぞき見をしてしまった。
「広島から来た迷い人の足跡」そうタイトルが付けられ、70年前にこの世界へ来た迷い人がどのような暮らしぶりだったかを調べていたようだ。
なぜそのようなことを?そう疑問に思った私はつい、他の書類にも目を通してしまった。
「トサンの特異点について」そう読める書類には驚くような記載があった。
ソウタさんも迷い人であること。
この世界へきて1年半ほどの期間が過ぎていること。
剣技についてはこちらの世界に来る前に「剣道」という剣技を極めるための修行をしていたという事。
魔法が相当のレベルで使えるようになっていること。
これについては面白い記述があった。元の世界(地球と言う場所の日本という島国)では誰も魔法が使えなかったこと。
こちらに来てからすぐに魔法が使えるようになったこと。冒険者として経験を積んでいくうちに魔法の種類と魔力量。魔法の威力がこちらの人達と比べて飛躍的に向上したことなどが私見と言う形でまとめられていた。
だからだろうか?僅かに舐めとった血液で、自分の魔力も信じられないほどの回復を見せていた。
空になりかけた魔力が体感的に半分は回復していたように思う。
窓枠に肘をつき、夜空を眺めながら今ほど知り得たソウタさんの秘密について考える。
70年前にこの世界にやってきた人は病を患っていたようで10年ほどで亡くなったと記されていたが、ソウタさんについては非常に健康そうに見えた。
今後、何十年も生きていけるとして、自分が側にいられればきっと、両親や祖父母のように幸せになれるかもしれない。
勝手な妄想かもしれないが、確かにそうなるといいと思ってしまうのも仕方がない。
部屋の入り口が開き、驚いた様子のソウタさんが入ってきた。
「フィア、いつからいた?」
優しかった。
私の期待したとおりにソウタさんは優しかった。
本当は恥ずかしくて泣きそうになりながらだったが、勇気を振り絞ってベットに飛び込んでみた。
本当は痛かった。恥ずかしさとあまりの痛さで逃げ出したかった。
でもソウタさんは始終私のことを気遣い、無理をさせずに私を壊れ物のように扱ってくれた。
こんな風に私のことを見てくれる人なら、ずっとそばに居たいと思っても仕方がないと思うの。
事が済んで私はソウタさんに縋り付いたまま眠ってしまった。
明け方近く、目が覚めた私は自分の体に変化が起こっていることを実感した。
昨日までの焦燥感が完全に治まっていた。
たった一晩でこうも違うものだとは自分でも驚きです。
ソウタさんが目を覚ますまでこうして居たかったのですが、それではソウタさんも困るというもの。
静かにベットを抜け出し、身づくろいをし、窓から木立へと飛び移った。
お屋敷の裏庭に当たる木立の中に身を隠し、大変なことに気が付いた。
自分自身の身体ステータスが更新されている。
トロールとの戦闘後には少しステータスが上がっていたことは確認していたが、ソウタさんの部屋に行くまでにはその後に戦闘などはなかった。
しかし、ステータスレベルがひとランク上がるほどに一晩で何があったというのだろうか。
翌日。
ソウタさんがクエストを受領し、蜂を狩りに行くことになった時、ソウタさんは私の同行を求めてくれた。
素直に嬉しかったのと、ちゃんと実力を認めてもらい一緒にいられるようにしなければいけないという気負いがあった。
自分一人でやれると言ってはみたものの、グレートビーはとにかく数が多くて切っても切っても尽きることがなかった。
段々に足元が自分で切った蜂で埋まるにつれて足場が狭くなって戦いにくくなったのだが、その死体に躓いたのは失態だった。
しかし、蜂に取り囲まれ警戒対象が増えたと思ったのも束の間で、ソウタさんの魔法によって背後の蜂はあっという間に燃やされてしまった。
魔法とはすごいものだ。
自分に食事が必要ないことはソウタさんも承知しているのだが、ご自分の食事の際には必ず私を同席させる。
食べることに必然性はないのだが、ソウタさんはそれさえも私に必要なことのように言われ、自分と同じものを食べさせるのだ。
時にはソウタさんがご自分で料理を作り、食べさせてくれる。
何族であろうとも、食事をとり、会話を楽しみ、一つの時間を共有することはとても大事なことなのだとソウタさんに教えられた。
確かにこんな時間を過ごすと、お互いに何を考えているのか図るのも容易だし、美味しいものを頂けるとやはり、嬉しい。
今まで森で生きるために口に入れていた食べ物とは全く別物のようであった。
「心配には及びません。くすぐったいのでやめてください。」
蜂との戦闘が終了したときのことだった。
ソウタさんは私の体を蜂に刺されていないか、毒を吸ったりしていないかが心配だと少しの見逃しもないように触って確かめる。
本当にくすぐったかったのは間違いないのだが、こんな風に心配されることがとにかく恥ずかしかったのだ。
ソウタさんも数度にわたって魔法を発動していたし、群がる蜂を切り飛ばしてもいた。
自分だって危険な場面があったはずなのに先ずは私の心配をしてくれる。
蜂の討伐が済んだ夜、ソウタさんがお屋敷に戻り、私は裏庭の木立に休む場所を求めた。
ソウタさんが部屋に戻られればまた、情けを受けたいとは思うが、今夜は様子が違うようだった。
お屋敷のご主人と、その奥様がソウタさんの帰りを見計らいなにやら話し合っておられるようだ。
最初の晩にソウタさんに体をあげて以来、ソウタさんの動向やいらっしゃる場所、会話の内容などが大まかに伝わるようになっている。気持ちが通じるというよりソウタさんの存在が常に意識下にあるようで感情の変化や思考の一部が流れ込んでくるような感じだ。
そのうち、ソウタさんの思念のようなものが私を呼び出してきた。
ソウタさんの居場所を思い、風によって飛んだ。
側に着いてみればそこにはこのお屋敷の主人とその奥様がソウタさんと向かい合い、良くない雰囲気に囚われていた。
私を見るなり、奥様は顔をしかめ、ご主人は目つきを鋭くした。
サキュバスを見る目と言うのはこういうものだと知識では理解していたが、実際に態度で示されるとさすがに堪えるものがある。
しかし、ソウタさんの言葉を聞くと他の方々とは違うのだなと気付かされる。
迷い人であることや種族特性を理解することとは違う信念のようなものを感じた。
「フィア、俺はこの屋敷のお館様とそのご家族に対し、お前の存在を話した。また、それに対するお考えはお前自身も知ったことだと思う。しかし、俺はお前と冒険を続け、自信を高め、お前の必要とする実力をつけようと思っている。フィア、お前はどうするべきだと考える?」
現状を的確に伝え、かつ、疑問形で問いかけるという事は私に対し、覚悟を求められているのかもしれない。
優しいこの人は今、私と共にあることを望んでいてくれる。
私はこの人と一緒にいられることを望んでいる。
主従契約は確かに結んでいないので、ソウタさんは私と距離を置き、このお屋敷の人達と今までと変わらない生活を営むことも可能であっただろうに、最初からそれを考慮していないことが判る。
胸が温かくなった。
この人がご主人様になってくれれば私はきっと幸せになれる。
「我が主人の思うがままになさるのがよろしいかと。私は主人に仕え、主人の望むままに生き、主人の望むときに死にます。」
口をついて出たのは自然とこのような言葉になった。
きっと契約を結んでくれる。
そんな気がしたのだ。
そうでないとしても、一日でも長くこの人と一緒にいられたなら私は幸せを感じられるのではないか?
それくらい、ほんの僅か一緒に過ごしただけでそう思わせるに十分な人だったのだ。
蜂の討伐の時、報酬を私と分け合ってくれた。
サキュバスと言う種族が隷属による契約でしか命を長らえられない。
人に仇なす存在である種族は、人の忌み嫌う行いしかしないのかもしれない。
そんなことがどうでもよくなるくらいにソウタさんは私に対し接してくれるのだ。この人を逃したら、私は伝え聞くサキュバスのように人に仇なし、短い人生を終えてしまうとしか思えなかった。
そんな考えが独りよがりであろうと、今はこの想いを大事にしたいと思う。
私の我儘かも知れなかった。でも、ソウタさんはそんなことなど全くなかったというように今ある地位をすべて投げ打ち、私と旅に出ることを選択した。
性急としか言いようがないのだが、ソウタさんはその日のうちにこのお屋敷を出てしまわれた。
私が一方的に接近を試み、私がソウタさんに求め、私がソウタさんの人生を変えてしまったはずなのに、ソウタさんは自分で決断し、自分で行動を起こした。
私が気に病む必要のないように。
ただ、ソウタさんは本当にそれが良かったと思っているようで、それだけが私の救いとなっている。
せっかくお館様に進むべき道を示していただいたにもかかわらず、簡単に国境を越えることができなかった時には申し訳なさで一杯だったが。
冒険者ギルドでギルドカードを作らなければならないなんて、一人で暮らしていた私には知りようもないことだったのだが、ソウタさんのご迷惑になったことは確かだったはずだ。
しかし、この時もソウタさんはそれが迷惑と言う考えは全くなかったようだったし、ついでと言いながら私のことを引き立てるようにパーティーの名前まで決めてしまわれた。
そして私のことを「風姫」と、恥ずかしいやら誇らしいやら。
ウィンドソードは、ソウタさんによって正式な私たち二人だけのパーティーの名前となり、これまでの15年間と全く違うただただ暖かい幸福を感じていた。
ギルドカード。冒険者である私たちの場合には冒険者カード。これの審査を受けるための力試しだったクエストも、魔法を使うゴブリンに苦戦しながらソウタさんの魔法によって無事に生還することができた。
ソウタさんは常に私のことを心配され、自分のことよりも私のことを気に掛けようとする。
ソウタさんがお酒を嗜んだりすることを楽しみにされているのは知っているのだが、トサンを出て早々の酒場で私のせいでトラブルになった時以来、それも我慢しておられる。
私がサキュバスであったばかりに余計なトラブルをしょい込んだのだ。
でも、ソウタさんは「私のせい」と謝罪を伝えようとしたら、それを遮り「違う」と。
「俺のフィアに」と。
ありがたいとしか言いようがない。
サキュバスなのに、迷惑しか掛けないはずなのにソウタさんにはそのような考えは全くないようで、ひたすら過保護なほどに私を大事にしてくれる。
こんな日々がずっと続くなら、どれだけ幸せだろうか。
両親にも負けないほどに幸せを感じている。
私はまだ幼い。
祖父母のように、両親のようにお互いを認め、尊厳をもって添い遂げられるような関係になるまでにはまだまだ時間がかかるだろうが、そのために必要な大事に思わなければならない人にはこんなにも早くに出合うことができた。
自分の幸せが、誰かの恨みを買うなんて今まで考えたことさえなかった。
一人の男の襲撃をきっかけに今まで知り得なかった他人の感情に驚愕した。
恐ろしかった。
人と関わることがなかった私には、私に向けられる憎悪の感情が避け得ないもので、対処の仕方もわからないのだ。こんなに無力感に襲われることもない。
目の前に起こりうることには対処もしようがあるが、相手が見えず、相手から向けられる害意のすべてが底が知れない。
夜眠るとき、ソウタさんは必ず私に情けをかけてくださる。
最初の時と変わらず、大事にしてくださっていることが判る。とても広い暖かさで包み込まれるような安心感があるのだが、ソウタさんが眠りにつき、ソウタさんの腕を取って眠ることができるのだが、ふと、襲われる闇の中に存在するのではないかと言う悪意。
誰かが私を退けようとしている。
誰かに私は恨まれている。
周囲の気温が下がるかのような錯覚を覚えるのだが、辺りを見回しても実際にそのような気配は存在はしない。
それでも言いようのない不安に押しつぶされるような不安は簡単には拭えない。
どうしようもない心細さを解決しようと私はソウタさんになるべくくっつくようにした。
体温を感じられるほど。呼吸が判るほどに近づき、安心を得ようとする。
すると、ソウタさんは無意識なのか起きていらっしゃるのかわからないのだが、私を抱き上げ、自分は仰向けになり、その胸板に私を抱えるようにしてくれたのである。
完全に上に乗るような形。
恥ずかしさの反面、腕で守られた安堵感は寄り添うよりも確かで、ソウタさんの胸に顔を埋め、肩と背を抱かれて抱擁感が半端ない。
ソウタさんの心音を聞きながらだと、少しの間も起きていることが難しかった。
毎晩、ソウタさんが眠りにつくと、自然と私を抱き上げ、同じようにしてくれる。
甘えていることは分かっているのだが、こうされることによって感じていた不安と恐れが霧散するのだ。
いつだってこの人は私の尊厳を守ってくれる。
自分がサキュバスだからと後ろめたく思う事をソウタさんは意にも介さず、側にいることを許し、大事にしてくれる。
祖父母がそうであったように、両親がそうであったように。
私もそうで有れるのかもしれないという希望を抱かせるこの人と、もっと、ずっと。
あわよくばこの人の寿命が尽きるまで同じ道を歩めたならと思わずにはいられない。
どのような出会い方であったとしても、私にとってはこの上もない出会いであった。
私の15歳の誕生日は一生の思い出になるだろう。
私は頑張れる。この人の隣に立ち続けられるように努力することは私にとって、生きる目標のようなものだ。
今日と同じ明日。明日と同じ将来のために私は頑張れる。




