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【第114話】SS 10歳のワタシ。

いつもお読みくださって、ありがとうございます。

フィアの昔話です。生きている頃のフィアの両親も書いています。

 「返納の季節」前の月。(11月のこと。)

 月が替わって二日目がワタシの誕生日なんです。

 ワタシがサキュバスでなければ。普通の人種の子供であれば何でもない家族の、子供の誕生日を祝うささやかな一晩の出来事だったかもしれません。


 「あなた!フィアはサキュバスなんですよ!?15歳には他所の男性を求めなければならないのです。生きるか死ぬかの選択を迫るのが15歳なんです。

 あなたがそんな馬鹿な事をしていても、あと5年しないうちには誰かのモノになるんです。」

 ママがパパに対してとても怒っているようだ。

 パパはワタシを抱きしめてくれていて、とても嬉しいのですがそれはママにとっては譲れない何かがあったのかもしれない。

 「判ってるよ。そんなことは言われるまでもない。しかしお前。フィアは今日10歳になったばかりなんだぞ?いま、そんな話をして判るわけが無いじゃないか。」

 ワタシの誕生日の楽しいハズの夕餉ゆうげの席でパパとママがいさかいを始めてしまったの。

 「ママ!なんでワタシのお誕生日にケンカするの?」

 見たことのないほどに苦しそうに顔を歪めたママが、とても悲しそうにしてる。

 「ワタシがサキュバスに生まれなかったら、ママたちはケンカをしないで済んだの!?」

 楽しいはずの食卓が水を打ったように冷たい沈黙に包まれてしまった。これは私が悪いの?楽しく始まったはずのワタシの誕生を祝うはずの席が何が原因かは判らないけれど、悲しい場所に変わってしまったの。


 パパはワタシが5歳の時から剣の練習を始めさせた。

 ワタシの体格からしてその当時にとっても長くて重い剣を持つなんてことは到底できなかったの。

 それでも、パパは毎日|半刻(1じかん)はソレを持っていなさいと言い、重くて引きずるしかない様な剣をワタシに持たせ続けた。

 その時間はワタシにとって辛いモノでしかなくて、いつも泣いてばかりいたの。

 だって、それを持って庭を駆けまわったり、立ったり座ったりを繰り返すばっかりで、楽しいことなんて何にもなかったもの。

 今日も重い剣を引きずりながら庭を二周、三周と走らされていた。

 とにかくそうしなければ叱られるから。

 他に理由なんてなかったし、恐怖に駆られて走るしかなかった。

 庭を走ると、剣を持っていなくたって15分くらいも掛かるの。剣を引きずりながらだと歩いているか走っているか判らなくなるし、それでも30分かけて果樹園を通り過ぎ、麦畑を横目に見て、元の場所に戻る。

 それを確かめてパパがまた手を叩くとワタシがもう一周走り出す。

 5周もするころには涙で前が見えなくなるし、手が痛くて剣を持ってられない。足は前に進もうとしないし、呼吸はもう、止まりそうになる。

 いつも6周目には吐きながら倒れちゃうのね。それでもパパは手を叩く。

 叫ぶように泣いた時だった。

 誰かが脳裏を通り過ぎたの。優しげな瞳で見たこともない様な黒い髪、黒い瞳の人だった。

 ワタシを抱き起し、ワタシの背中を押すようにしてくれた。そしてワタシの手を引いて一緒に走り出してくれたの。

 急に呼吸が楽になり、剣が重くなくなったわ。

 その日から毎日、ワタシが苦しくなるとその人が現れ、ワタシを助けてくれる。

 お顔がはっきりと見えないのだけれど、その人はいつも笑うようにしてて、ワタシの苦しいことを全部肩代わりしてくれたのね。

 「フィア、大丈夫?辛くないだろう?」

 いつからかその人はワタシに励ましの声さえもかけてくれるようになって、パパを驚かせる。

 ワタシが全然辛そうにしなくなり、剣を持っていても20分ほどで走るようになったことを信じられないという表情だ。

 それが嬉しくもあり、かと言ってそんな誰だかも判らないような人が励ましてくれて、辛くないと言ったところで信じても貰えないだろう。自分にだって信じられないんだから。


 静まり返った食卓のテーブルの上に乗る様々なお料理が冷めて、虚しくなるような、涙も出ないような時間が過ぎた。

 「フィア、ごめんなさいね。ママ、ちょっとおかしかったみたいなの。本当にごめんなさい。」

 「いや、パパが悪かったよ。ママは、フィアの将来をとっても心配していたんだ。フィアもママと同じサキュバスだからな。

 将来はパパじゃない人に大事にしてもらわないといけないのに、パパがフィアを大事にしすぎるからママが心配しちゃったんだ。

 フィアのことを誰よりも大事にしてくれる人がきっと現れるんだからな。」

 「知ってる!おめめの黒い人だもん。いつも一緒に居てくれるんだよ!」

 ギョッとしたような表情をするパパとママがワタシには不思議でしようがなかったが、自分を励ましてくれるアノ人にはいくら感謝してもし足りなかったの。

 「髪の毛がね、見たことないけど黒いのね。そんな人ってどんな人?」

 ワタシが自慢げに語るワタシの大事な人の特徴を告げると、二人が信じられないモノを見た。そんな顔でワタシを見たの。

 その時にはワタシは知らなかったが、黒目黒髪と言う人はこの世界には存在しないのだった。

 黒に近い髪をした人や、黒に近い瞳の色をした人はいるには居るが、どちらも黒の色を持つ人と言うのはこの世に存在しないなんて知らなかったし。

 その様な特徴を持つ人を「迷い人」と言うなんてことも知らなかった。

 「あなた、この子が言う事が本当だとしたらこの子は”迷い人”に惹かれているのよ。フィア、いつからその人のことを知ってるの?」

 「フィア、パパはその人のことを知らないけど、どこに居るんだい?」

 二人は優し気に訊ねるものの、有無を言わせないような威圧的な態度を取るの。

 このままじゃ、あの人がもう助けてくれなくなるかもしれない。そう直観的に悟ったワタシはそれを言おうとはしなかった。

 「フィア?」

 ママはワタシの髪を撫でながらそれでも答えを待っているようだった。

 言えない。言っちゃいけないとワタシの心が警鐘を鳴らす。

 「いや!パパにもママにも教えられないの。だって、その人が助けてくれなくなっちゃうもの!」

 両親にとって、ワタシの初めての反抗的な態度だったのだろうが、ワタシにとっては辛いだけのパパの剣の訓練を辛くないものにしてくれた大切な人なの。

 あの黒目黒髪の人が居なかったらまた、パパの訓練が辛いモノになってしまう。

 ただひたすらに、意固地ともいえるほどにワタシはその男性を守らなければ。それだけを脳裏に置き、考え、守り、口を閉ざした。

 「言わない。絶対に言わないの。だって、話してしまったらまたパパの訓練が辛くなるんだもの!」

 それは正しく心の叫びだった。

 父親が娘に課せる課題と言うにはあまりにも過酷なそれは、アノ人を抜きにはもう語れないほど辛く厳しいモノだったのだが、アノ人が現れてからそれは容易たやすいモノになり、全く大変なものではなくなったのだから。

 いつも、ワタシが持ちたくもない大きくて重いだけのあの人殺しの道具を持たされ、体を鍛えるためだけに小さなワタシがしなければならないこと。

 その辛くて何も面白いことのない時間以外は優しく、寡黙なパパがその時間だけは厳しく声を荒げ、何をおいても優先して剣を持たせるのだから、ワタシはただ泣くばかりだったが、その人が手伝ってくれるようになってからは自分にできることの種類が増えてそのどれもが辛くもなくなった。

 実際、その剣を振るうなんて今まで出来たことなんてなかったのに、アノ人が手伝ってくれるようになってからは自分の身長よりも長い剣を曲がりなりにも振り回して見せることができたのだから。

 パパにはここ最近のワタシの変化にどこか納得する物もあったのらしく、腕を組んだまま考え込むようにしている。

 ママには想像のつかないことらしく、ひたすらにどこの男性が私に近づこうとしているのかと勘ぐるばかりなのだった。

 実際にその男性が私の側に居るわけではなくて、訓練の時に脳裏に居てくれて手伝ってくれるだけなのだが、二人はそうは思っていないらしく、いつ会っているのか、どこで会っているのかと。しきりにそれだけを確認しようとするのだ。

 それにさえもワタシが答えようとしないことがママにはとっても我慢ができなかったらしく、段々に声色が厳しくなってきている。

 頑としてワタシが口を開かないことにママは段々と声が大きくなるばかりだったが、パパは全く問い質そうとはしなかった。

 「フィア、その人はいつも優しいのかい?」

 パパのその言葉にさえも誘導尋問に引っかかるまいとするワタシの心は「騙されない。」その考えしか浮かばなかったのだ。

 また数分の沈黙が過ぎ、誰もが居た堪れなくなったころにパパが口を開いた。

 「今までフィアに辛く当たって悪かったな。パパはそれがフィアの為になると信じて続けてきたんだが、必ずしもフィアの為になるわけではなかったんだと今日初めて知ることができたよ。

 フィア、毎日やって来た訓練も今日で終わりだよ。

 このまま続けるときっと、フィアにとって良くないことになると判ったんだ。」

 パパは、明日からは今日までのような訓練はしないと言う。

 その代わり、ワタシが必要だと思えば好きな様に運動するといいと言うのだ。

 ウチの周りで駆けまわったり、花や虫を求めて走り回るのは好きなの。

 でも、それでいいのだろうか?

 「もう、あの重いのを持たなくてもいいの?」

 パパを見ながら聞いてみたのだが、パパは優し気な微笑みと共に頷いてくれた。

 「そしたら、黒目黒髪の人に助けてもらわなくても辛くないだろう?」

 確かにパパの言うとおりだ。

 あんな事をしなくていいなら助けてもらわなくても全然辛くない。

 パパを見ながら頷くとパパは満足そうに微笑んでくれたものだったの。

 「あなた、それでいいのですか?フィアを強くしなければ15歳になった時に独り立ちにつまづくかもしれないと言っていたじゃないの。」

 「判ってるよ。でもフィアは今私の訓練を辛いと感じていて、自分の脳裏に迷い人を呼び込もうとしているんだ。

 このままフィアに訓練を続けさせると多分だが、本当に自分のためだけに迷い人を呼ぶと思うんだ。今は遠い世界に居る迷い人を本当に連れてきてしまうような気がしてならないんだよ。」

 「あなたはフィアが会っている人はここには居ないと考えているのですか?」

 それからはワタシを交えずにパパとママが二人で話し合いを続けていて、ワタシを助けてくれるその人のことを誰かと考える話ばかりをしていた。

 次の日から本当にパパはワタシを剣の訓練に呼ばなくなった。

 お昼前から時間が空いてしまったワタシは何だか判らない解放感と、後ろめたさに苛まれ、自分の部屋に置かれている風の剣をチラチラとみる。

 手に取ろうとは全く思わなかったが、それでも昨夜のパパとママの話の中から「あの人」はこの世界の人ではないという事が判った。

 それでもワタシが今までのように訓練の時に手伝わせてばかりいると、本当にこっちの世界に来てしまうに違いないと。そしてワタシを連れて行ってしまうのではないかと考えたパパが訓練をやめてしまったのだった。

 剣を持たずに庭に出て、ワタシはいつもと同じ通り道を走り出したの。

 重い荷物を持っていないんだから、どんなに早く走ってみても息も切れなかったし、辛くもなかった。

 けれど5周も走るといつものようにあの人はワタシの横を一緒に走り出して、ワタシを先導するように駆ける。

 「今日は剣を持たないのかい?」

 後ろを見もせずにワタシがいつもと違う様子で走っていることに疑問を持ったのか、軽い調子で聞いてきた。

 「うん。あなたがね、ワタシの訓練を手伝うのがパパとママには嬉しくなかったみたいなの。どうしてなのかな?」

 しばらくお互いに無言のまま走り続け、ウチの前まで戻ってくると答えをくれた。

 「フィアが俺と親しくするとパパが焼き餅を焼いちゃうんじゃないかな。」

 「ええ~?そんなことないよ。だって、パパにはあなたが見えないのよ。」

 「そうかぁ、じゃ、フィアが俺をこの世界に呼んじゃうから。そしたら俺がフィアのことを貰っていっちゃうからじゃないかな。」

 夕べパパたちもおんなじことを言っていた気がする。

 でも、ママは15歳にはワタシは誰かに貰われなくっちゃいけないって言っていたはずだから、それでもいいのではないかと思う。

 「あなただったらワタシ、貰われてもいいよ。だってワタシはサキュバスなんだから、15歳には誰かと結婚しないといけないのよ?

 あなたは優しいし、ワタシのことを手伝ってくれるじゃない。どうせ誰かと結婚するんならあなたがいいわ。」

 なんとも上から目線で、相手の選択肢もあると言うのにワタシはワタシの結婚相手をこの人で良いと勝手に決めていた。

 「そうか、俺を選んでくれるなんて嬉しいよな。」

 でも、この人もワタシで良かったらしく、子供の言う事に付き合ってくれる。

 「あなたはワタシでいいの?」

 「ああ、フィアがいいよ。それまで待ってるから。」

 「あなたどこかの世界の人なんでしょ?迎えに来てくれるの?」

 「きっとフィアが見つけてくれるさ。俺はこの世界の人じゃないからね、いつかこの世界に来た時に迷子になってるだろう。

 フィアが探し出してくれなきゃ、どこかでウロウロしてると思うよ。」

 いつもここに来てるのに、迷子になるのかしら?

 どうやって毎日ここまで来てるのかしらね。

 「あなたはそちらで何してる人なの?」

 「・・・なんだろ?」

 変なことを言うのね。そう思ったのだが、この人はこちらに来ていることを向こうでは覚えていないって。

 目が覚めるとワタシと会っていたことを覚えていないっていうのよ。

 でも、毎晩向こうで眠るとこちらに来られて、こちらは朝なんだって。

 もう庭を何周回ったか覚えてられなくなったけど、この人と一緒に走っていると不思議と疲れない。

 明日は剣も持って走ってみようかな。

 どうせ一緒に走ってくれるなら辛いことなんてないしね。


 次の日からもこの人はワタシが走り始めるといつの間にか隣に並んでくれて、他愛もないことを話しながら訓練に付き合ってくれるのだ。

 一度、パパが走るのをやめるようにと言ってきたのだったが、その時もこの人はワタシの隣に並んで立っていてくれて、パパに一緒に小言を言われていたのだが、やっぱりパパには見えてはいないようだった。

 息一つ乱さずに走り続ける私を見ると、パパはワタシがあの人に手伝ってもらっていることを理解するらしく、それを良しとはしていないようだった。

 雨の日以外はそれでもワタシは走ることをやめなかった。

 あの人と話すうちにそれが必要な訳が分かってきたような気がするの。この世界はとても広いという事。

 その中で暮らしていくにはいろいろな生き方があるという事。

 全く体力の要らない生き方もあって、それをワタシが選ぶことも出来るって。

 でも、多分ワタシがあの人と一緒に暮らすには剣を使う機会もあるだろうし、とても体力が大事な時もあるって言ってた。

 今こうしていることがちっとも無駄になんてならないって言われると、パパがどうとかママがどうとかは全く気にならなくなった。

 毎日あの人と話して、走る。

 剣を振るう練習もしたの。

 あの人は少し前まで剣の練習もしていたって。

 鉄の剣を使うことは無かったけど、人と討ちあったり、一人で練習したりを続けていたって。

 ワタシが15歳になってあの人を見つけた時には二人とも剣が使えてワクワクするような冒険をすることになるんだわ。


 「あなた、あの子また走っているわよ。」

 「ああ、かれこれ一刻は走り続けてるみたいだ。ここ10日ばかりフィアの行動をずっと見ていたんだけどね、フィアの言う黒目黒髪の青年はやはりこの辺には居ないようだ。それなのにあの変化はやはりフィアが迷い人と交感を始めているんだとしか考えられない。」

 「本当に誰とも会ってないの?」

 「間違いないよ。これまでも実際に誰かと会ってはいなかったんだろう。そうするとやはり異世界人に交感しているんだろうとしか思えないじゃないか。」

 「そんなこと。本当にあるのかしら。フィアは将来どうなってしまうんでしょう。」

 見るからに楽しそうに走る我が子を見る二人の表情は複雑を極めた様子だった。

 父親の目から見てもある時を境にフィアの体力がいきなり向上した瞬間があって、訝しんだものだ。

 あれだけ辛そうにしていたはずが、どれだけ走り込みをさせても根を上げることが無くなったのだから、不思議でないはずがない。

 子供の体の成長に併せて運動量をいつも少し過剰に設定してついてこれなくなるポイントを見極め、それを乗り越える達成感をフィアに教えながら鍛えてきたつもりだったし、嫌でも15歳になれば私たちの手元から離れて行かなければならない宿命を持つのだから。

 そしてサキュバスは一般に市井しせいに暮らす者と契約を交わすことは叶わない。

 生きるために毎日得なければならない精と魔力は農民や商人に賄えるものではないからだ。

 冒険者であれば魔法使いや魔法剣士。私たちのような領軍に籍を置く者でも魔法障壁ぐらいは使える前衛部隊を任されるような者でなければならないだろう。

 軍属とサキュバスが知り合う機会など殆どありはしないのだから、私が妻と出会ったことさえも偶然と言えばいいか、とても稀な部類だったと思う。

 だからという訳ではないが、前例も多くはないがサキュバスの伴侶となる者と言うのは殆どが冒険者であり、魔法使いがその大部分を占めるのだ。

 確率の問題だと考えればいいのだ。

 フィアの伴侶となる者は魔法使いだと。そんな風に仮説を立てるとその魔法使いの魔法詠唱を助ける前衛としての立ち位置が15歳のフィアを想像するにもっともあり得そうだと思えたのだった。

 だからこそ剣を磨かせ、速度を生かした攻撃もできる剣士になれれば道が開けるのではないかと考えた。

 契約者も持たず、その日暮らしに人からの精を受け、若くして病で倒れてしまうサキュバスも非常に多いのだと聞くが、フィアをそうさせるわけにはいかない。

 そんな人生などあっていいはずがないと思うし、そうさせるつもりもないが、いまフィアはこの世にさえいない者とえにしを結ぼうとし始めている。

 それを止める手立てもなく、手をこまねくしかないのが今の状態なのだが、その前は私がフィアを溺愛するばかりに妻と諍いをしてしまった。その日にフィアに知らされた異世界人との交感。

 異世界から呼び込まれる「迷い人」はこれまでにも居たと聞くが、特別な存在だった者は居なかったと思う。記憶にある分ではこちらの世界にやってきた後に行方が判らなくなった者や寺院に籠っている者しか聞いていない。

 そのような者がフィアの伴侶になるとは思えないし、そのような者を求めているのでは将来が望めもしない。

 しかしフィアは姿の見えない異世界の青年と今一緒に居るのだろう。

 楽しそうに会話している様子が見えるが、その先に私たちに見える者などいないのだ。

 が、確かにフィアの目の前には誰かが居て、その者に励まされるように体を鍛えている。

 最近気が付いたが、剣の腕前も明らかに向上し始めている。

 の者に剣の手ほどきさえ受けているのだろうか、直線的な剣の速度が目に見えて早くなっている。それと周囲への気の配り方。

 絶えず訓練中は視界を広くとることに注意している。視界ではなく気配を捕えようとしているかのようにも見える。

 軍の剣士でもこれだけの気配を漂わせるものは見たことが無い。

 よほどに指導が上手いのだろうか、フィアが纏うようになった剣士としてのオーラはとても10歳の子供の者とは思えないレベルのモノだ。

 独学で出来るモノではないことも判る。しかし私たちの目には見えない青年に師事し、体力を向上させ、剣技を磨き、剣士としての風格を備えつつあることに不安を抱かずにはいられなかった。

 「フィア、お前の先生はとても優秀なんだな。私が教えるより余程上達が早いじゃないか。俺が逆に教えを受けなければならないほどだと思うよ。」

 夕食時にフィアにそう伝えると満面の笑みを私に見せてくれた。

 「うん。どこを見て戦うか、その時に周りがどうなっているかいつも気にするのが大事なんだって。でね、それをうんと高いところから観察しているつもりになるの。」

 驚いた。

 戦場を常に俯瞰して見ろと言っているのだ。

 まだ10歳のこの子にそこまで意識させるとは恐れ入る。相手が向こうでどのような立場にある者かは判らないが、戦場に身を置き、戦いを強いられるような者なのだろうか。

 そこはフィアに聞いても判らないらしいのだ。本人が睡眠中にしかこちらに来ていないらしいし、その記憶も持っていないと言っていたらしい。

 今はまだいい。

 しかし、フィアが15歳になった時にその者がフィアを迎えてくれるのだろうか。

 その一点だけが不安でならないのだ。

 妻はもう、気味の悪さしか言わず、私に何とかしろというのだが、私にもどうすることも出来そうになかった。

 それからもフィアの元にその青年は毎日訪れているらしく、体力づくりと剣の訓練が続けられているようだった。

 すでに私に引けを取らないほどの剣を見せるようになっているフィアは正面からの正攻法では全く歯が立たないほどの冴えを見せ、余程うまくフェイントを加えなければその懐に近づくことさえできなくなっている。

 それもその手が使えるのはその時限り。次にはもうその手は使えなくなっており、舌を巻くよりない。


 畑が荒らされるようになった。

 手口から猪ではないかと思うのだが、規模からすると数頭の群れで行動しているようで、夜の外出を妻には厳重に止めるように伝えた。

 妻も私と契約してから十分な障壁魔法を使いこなすが、私が攻撃魔法を取得していなかったから守る専門の力しか持ち合わせていない。

 攻撃手段が私の剣だけという片手落ちなパーティーになっており、良い夫とは言えないのかもしれない。

 妻は冒険者稼業ではないのだからそれで必要十分だと考えているようだが、こうした問題の際には攻撃魔法がないことが悔やまれる。

 次の晩にも相当に広範囲に畑がやられた。このままでは私たちの冬を越えるための食料が心配になる。

 相談したところで手伝ってくれる者もいないようなここでは、自分たちで何とかするしかないのだ。そう妻と話し合い、次の晩には数頭でも数を減らそうと決めた。

 自然の獣を相手に剣でできることはその程度なのだ。

 日が暮れてフィアがベットに入る頃に私たちは鎧を着け、妻の障壁魔法に守られながら畑の巡回を始める。

 山間地に開墾した場所だし、獣除けの柵を巡らしているわけでもないのでどこが侵入路かも判らないしな。

 二人で周囲に目を配り、気配を探しながら巡回を続ける。

 遠目に見える麦畑の様子がおかしいことが判り、妻が魔法障壁を展開する。

 するとすぐにも一頭の猪が体当たりをかまして来た。大きい。

 見ると、7~8頭ほどの群れだろうことが判る。どの個体も体格が大きく、障壁が無ければひとたまりもなかっただろう。

 こちらに目がけてくる猪にタイミングを合わせ、剣を突き出すとどうにか固い体毛を突き、手傷を負わせられる。が、その反動は大きく、こちらの身が持ちそうになかった。

 「あなた!大丈夫なの!?」

 「けっこうキツイな!次が来るぞ!」

 数に任せて体当たりを交代で繰り返すつもりか?妻もレベル10の意地があるがいつまでも障壁を維持できるわけではないだろう。

 撤退も視野に入れながら退路を確保しなければいけないだろう。そう思うのだが四方から体当たりを喰らうと簡単には家に戻れそうもなかった。

 少しばかりの焦りを覚えるが、妻の障壁維持できる時間はまだ余裕がある。

 慌てずに体当たりを剣でいなしながら少しずつ後退を試みる。

 そんな時だった。

 「パパ!ママ!大丈夫なの!?」

 騒ぎを聞きつけたのだろうフィアが風の剣を振りかざしながら走って来るのが見える。

 「フィア!逃げなさい。近づくんじゃない!」

 聞こえているのかいないのか、猪の群れを視界にとらえただろうに返す様子もなく切り込んでくるようだ。

 「あなた!フィアが危ないわ!」

 脇から一直線にフィアに体当たりしようと猪が突っ込んでくる。

 フィアは冷静に対処したようで、自分よりはるかに大きな剣をひと当てして見せた。

 前足二本をしっかりと刈り取り、初めて攻撃力を奪うことに成功した。前のめりに倒れ込んだ猪は自分で移動する手段を失い、もんどりを打っているようだ。

 そのまま走ることを止めずにフィアは次の獲物に切りかかる。

 また前足を刈り取り、行動不能にした。見事な剣捌きとしか言いようがない。

 妻はハラハラと見ていられないとばかりにしているが、私はその見事な剣技に見惚れてしまっていた。

 数頭に囲まれても状況を冷静に判断しており、囲みを抜け出して手近の個体の前足を奪う攻撃を繰り返している。それでも数が多く、フィアの視界の外から突撃してくる猪がある。

 危ない!そう思った瞬間に私は見た。

 フィアの左後ろから飛び掛かるようにした猪が「何か」に阻まれたのだ。

 その何かは一瞬だけだったが実体化したように見えた。輪郭だけを捉えるように薄く人の姿が現れ、無造作に右手を差し出して猪の鼻先を押さえたのだ。

 行き先を反らされた猪はフィアの脇を通りすぎるような形になり、フィアによって後ろ脚を刈り取られた。

 その後も度々たびたびその青年を見ることができた。

 フィアの背後を守り、不意を突いた攻撃を押さえつけるようにしてくれていたのだ。

 その行為自身をフィアは気が付いていないようだったが、死角を突く猪のことごとくがその青年にいなされ、フィアの前に無防備な姿をさらす。

 それをいとも簡単に狩り、次の獲物を狙っていた。フィアの剣技も大したものだが、その青年がフィアの背中を守っていることが判り、私は意味もなく安堵を覚えた。

 彼ならばフィアを任せられるのではないかと。

 いつの間にか全ての猪がフィアによって狩られ、妻は障壁を解除している。

 私も剣を鞘に納め、フィアの元へと走った。

 ほんの瞬間だったが、フィアの背後に立つ青年が私に頭を下げたのだ。その行為を見てしまい、私も反射的に頭を下げてしまった。

 次の瞬間にはその姿を視界に治めることはできなかったが、肩で息をするフィアを抱きしめることができた。

 「よくやった!大したものだな。」

 「うん。頑張ったでしょ?」

 妻はフィアの無茶を叱りつけたが、それでもフィアを私から奪うように取り上げて抱きしめていたのだ。よほど心配したのだろう。

 しかし、私よりもすでに剣による攻撃力は高くなっており、先祖から受け継がれているフィアの身長よりも長い剣が緑色の燐光を纏っていたことから、風の加護を持つというこの大剣から認められたのだろうとも思うのだ。

 今まで一度も風の加護を発動できなかったフィアだったが、今夜の戦闘では最初から剣の加護が発動していた。

 今はあの青年に感謝するしかないだろう。

 明日もまたフィアの訓練に付き合ってくれるのであれば、いつか迎えに来てほしいと伝えてやりたい。

 私がフィアを任せられるとしたら、今はこの青年しか考えられなくなっている。

 フィアの実力をみるみる向上させ、それを楽しそうに成す。フィアが信頼を寄せるのであれば、いつかフィアを迎えに来てほしいと。

 それをかなえることができるモノかは判らないが、もういくらもしないうちにフィアは成人してしまうのだ。

 私たちの手を離れて。

前半はフィア視点で。

後半はフィアのお父さんの視点で書きました。

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