【第11話】フィアの気持ち(前)
出会う前からこれまでのフィアの内面をまとめてみました。
少しずつ季節が夏に向かっているようでもまだ、朝の冷え込みも感じられる。
今日も天気は上々なようで、木戸の隙間から明るい陽射しが入り込んでいる。
胸に感じる暖かさと重みに心が安堵していることが判るのだが、これはこれでずっと続いていく朝のスタイルなのだろうか。
いつフィアが俺の上に乗っているのか知らないが、その時に全く目が覚めるでもないという事が俺自身、不思議でしょうがないのだが。
野営の際などは周囲の気配が変わっただけでも目が覚めるし、こうした宿にいても部屋だからと言って扉の向こうに気を許すことなどない。
にもかかわらず、毎朝にはフィアが俺の上に乗っているのに、俺は全く気付いていない。
それだけフィアに気を許しているという事なのだと今は思うしかないだろう。
初めてこの人に会った時には、こんなにも離れがたい人になるなんて思いもしなかった。
13歳になるまでは里で両親と暮らし、年の近い友達は居なかったけれど暮らしは慎ましやかだったけれど、不自由もなく過ごしていた。
祖父母がその年に相次いで他界したことは寂しかったが、祖父が人族で90歳まで生きたことは私にとってはとてもありがたいことだった。
祖母はとても祖父のことを愛していたようで、晩年に足を悪くした祖父の手足となって甲斐甲斐しく世話を焼いていたことが思い出される。
自分たちサキュバスと言う種族にとってはまさに理想的な夫婦であったと思うのだ。
広い世界に出るとサキュバスと言う種族は色々な意味で忌避される種族であると聞いた。なぜそのような悲しい差別が存在するのか幼い私には到底わかり得るものではなかったし、目の前にあまりにも幸せそうな人族との夫婦を目の当たりにすると、信じがたいことでもあったのだ。
両親も父は人族であり、母はサキュバスであった。
この両親は少し変わっていたのだろうと今でなら思えるのだが、当時はそんなことを疑問に思う事もなかった。
どこかの領軍の騎士であったという父は物静かで厳格な人だった。
日常的に厳しく、幼い私にも剣を教え、修練を怠る人ではなかったので、少し近寄りがたく、少し怖いと感じていた。
しかし、そうしたこと以外ではひたすら穏やかな様子であり、かなりタガの外れた性格の母ともうまくやっていたと思う。
母はどちらかと言うとかなり明るい性格で誰彼かまわず友人にしてしまうような快活な性格の人であった。
それでも食料で自給できないものを町へ買い求めに行く時だけは母は必ず父を伴って出かけ、帰宅後にもいつもの元気な姿が見られないことが多かった。
幼かった私はそうしたことが繰り返されると、気遣いもなく訪ねたものだった。
「どうして町に行くと元気がなくなるの?」
それに母は一度も答えをくれたことはなく、儚げに微笑みを浮かべるだけだった。
あるとき、私が11歳か12歳になったころだったと思うが、同じ質問をしてしまい、母を泣かせたことがあった。
まさか母が泣くなんて思いもしなかった私は大いに取り乱し、母と一緒に大泣きしたものだった。
その時になってようやく父はその理由を聞かせてくれたのだが、人族の中ではサキュバスと言う種族はとても難しい扱いを受ける種族であり、吸血種と同じように人族に仇なす存在と信じられているために、町では時として迫害を受けることもあるのだと知った。
町に行くときには父も必ず一緒にいるので、実際にひどい目に合うことなどなかったという事だが、物が買えなかったり父に対して粗野な言葉を浴びせる者も居たのだという。
「サキュバスなど連れ歩いてお前はどのような病気を持っているのだ?」と。そのたびに父は母とのなれそめを説き、決して自分の伴侶がほかのサキュバスのように不安を与える存在ではないと訴え続けたという。
母の涙は自分たちの種族へ向けられる蔑みの目に対してだけではなく、最愛の伴侶に向けられるそうした心無い言葉に対する責任のようなものを感じての涙なのだと。
憤ることしかできなかった私であったが、父はその時に心からの笑顔でこう言った。
「そんなことを気にしてどうするというのだ?私は母さんを心から愛しているし、母さんがとても綺麗な心根を持っていることも、私の妻であることもとても誇らしい。周りからどう見られるかではなく、自分がどう思っているかこそが自分の信じられる唯一のことなんだよ。フィア、将来フィアにどのような運命が待っているのか判らないが、私もお母さんもフィアが幸せになってくれることだけを願っている。それと同じかそれ以上に母さんが幸せになることを自分が努力して実現するんだといつも思っている。」
とても幸せそうに語りかける父を見ると、自分がサキュバスだという事にも落ち込まずに済んだものだ。
しかし、それから一年もしたころに父は病に倒れ、ほどなく他界してしまった。
契約を交わし、婚姻も結んだ母も同じ日の夜には逝ってしまった。
サキュバスと言う種族の生き難い人生は伴侶に恵まれれば、祖父母のように、両親のように尊厳を保ち、楽しげに、幸せそうに生涯を閉じることができる。
自分もそうでありたいと願ってはいるのだが、このような里にいては理想とする男性に巡り合う機会もないし、15歳になろうとしている自分の理想も全然はっきりとしているわけではない。
サキュバスに定められた運命ともいうべき15歳が刻一刻と私自身に選択を迫ってくるようだった。
庇護のもとに成長していけなくなった私は14歳から冒険者となり。
いや、冒険者にならざるを得ず、魔物を狩り、食らう事で生きるしかなかった。
里を出て、山間部を彷徨い、狩り、生きる。こうした生活を一年近くつづけたころ、いよいよ15歳の誕生日を迎えてしまった。
最初に現れた変化は満たされない食事。
いくら食べても、何を食べてもお腹が膨れるという事がなくなった。
満腹感が消失し、空腹感に苛まれる。
魔物を食べ、山に生える植物を貪り、谷間の清涼な水をどれだけ飲んでもお腹が満たされることがなかった。
次に肥大化する性欲。
何の経験もない処女の私にはそれは恐怖にも似た感情だった。
どうやって慰めればよいかもわからず、火照る体が自分ではどうにもできなかった。
心細く、不安に押しつぶされそうになりながら森を彷徨い、空腹にあえぎながら、気が狂いそうだった。
誕生日を迎え、四日ほどが過ぎたと思う。
その日も目覚めと共に襲い来る不安におびえながら森の中を当てもなく歩いていたのだが、木の葉に邪魔され視界の利かない向こうに大きな魔物の気配を感じることができた。
本能的に危険なものだと察知することはできたが、鍛えられた剣技に裏付けられた自分の感覚では「やれる」相手だと分析もできていた。
万全の体調とは程遠いが、勝利しなければ死しかないこの世界では接敵したからには戦うしかないのである。
向こうもこちらの殺気に気づいたようで、けたたましい物音をたてながらこちらにやってくる。
周囲の状況を確認し、迎撃態勢を整えた。
バキバキという木々の折れる音と共にオログ=ハイが目の前に現れる。
代々受け継いできたという大剣を振りかざし、トロールめがけて走り出した。
剣に籠められているという風の守護を最大限に活用し挑んだのだが、上位種のトロールは並外れた体力、膂力、速度を持ち、一昼夜に及ぶ戦闘となってしまった。
私自身の体力はまだ尽きるではないが、勝負のつかない戦いは徐々にその戦いの場を森から降りるように変えて行く。
翌日の朝、いよいよ人族の里に下りてしまいそうになり、正直焦っていた。
今倒せなければ数瞬ののちには人里に出てしまう。
しかし、焦りとは裏腹にトロールに致命的なダメージを与えられないまま戦いの場は開けた田園地帯へと移動していった。
「どうして剣が届かないの?」
焦る。焦る。
トロールが森を抜ける間際に一撃を入れることができた。
目の前には大きな建物があり、逃げ惑うトロールは闇雲にその建物に逃げ込もうとでもしたのか、山側の壁面をぶち破った。
「ああ!?人の作ったものが!」
ダメージが浅かったのかトロールの勢いは衰えず、建物の壁面は紙細工のように打ち破られた。
奥歯を食いしばり私は後を追う。
建物の中はがらんとしており、人が住むために建てられたものではないことが判る。
中に人気がないことに少し安堵したが、私が仕留め損なったばかりにこの建物の持ち主はきっと困るだろう。
カッと熱くなる身体から力を振り絞り、さらに加速する。
風の力のこもった剣から力を借り、速度を増すこのスタイルは体内魔力を著しく消耗するため、連続で行使することができない。
二日目になろうとしている戦闘でもう、いくらも魔力が残っていないので加速できるのも僅かな時間だろう。
「ちっ!」
建物の中を暴れまわり、反対側の壁や窓も打ち壊され、それでも勢いを緩めようとしないトロールは逃げることに懸命になっているようだ。
残された壁には大きな引き扉が両側に開くようになっていて、この建物はたくさんの荷物を入れるためのものだと判る。
その大扉に向かいトロールが突進する。
ズガーン!!
トロールが扉に当たると爆音が響き、いよいよ建物が建っていられなくなってきたようだ。
天井から梁や屋根材が降り注いでくる。
ここに居ては危ない。
そう判断した私は破れた壁から外へ先回りし、トロールが出てくるタイミングを計った。
再度、大きな破壊音が響き、トロールが躍り出てきた時。
もうこれで最後、と、渾身の加速を掛ける。
右側から接近し、トロールの太い脚に切りつける。
筋まで達した手応えを感じたが、速度を緩めずに続けざまに左足にも剣を突き入れる。
足の付け根に強引に突き入れた剣をねじり取るように振り回し、左足の切断に成功した。
絶叫を上げてトロールが倒れる。
やった!これでもう動けないはず。
回り込んで、背後で様子を見ると周囲に人が集まっていた気配があり、上手く逃げ出せたのだろうが、私は緊張を新たにする。
周囲を警戒し、様子を探ると少し離れた位置に一人の男性がトロールに対し注意深く近づこうとしているようだった。
まだ息絶えてはいないので万が一という事もある。
警告をする意味で男性の側へと飛んだ。
「あのぅ、ちょっとよろしいでしょうか?」
「うぁあ!?」
こちらを凝視し、固まってしまったこの男性は驚いた表情のまま私を見つめている。
私もこの男性を見つめ返してしまったのだが、何とも言えない森の香りのする男性だった。
相手が男性だと意識すると、今まで意識の外にあった性欲の方が突然に私を支配し始める。
異性と意識し始めると、そうしたものの見方でしかこの人を見れなくなり、注意深く観察する。
こぎれいな服装をしていることから身分のそれなりにある人だろうと思われる。
体格もしっかりしており、冒険者のようだ。
今は驚いた顔で固まっているが、その瞳は優しそうな黒い瞳で整った黒い髪と相まって人柄が良いのではないかと思う。
自分が経験する最初は、こんな優しそうな人がいい。
解凍が済んだ男性と、必死な会話を交わしながら自分でも信じられないほど恥ずかしいことを考えていた。
「ソウタさんは今夜お暇でしょうか?」
「は?」
この時、私は初めてがこの人だったらという考えしか頭になかったのだと思う。
必死で自分の素性や種族のことを話して聞かせていた。
それでもソウタさんはなかなか首を縦には振ろうとしてくれなかった。
自分を大切にしろと。慎重になった方が良いというのだが、なぜか自分の中ではこの男性に初めてをもらってほしいという気持ちが溢れており、少し強引だったかもしれない。
「少し屈んでいただけますか。」
律儀に言うとおりにしてくれる彼に確信した。
この人は優しい人だ。
素早くキスをして、唇を少し噛み、血液をもらうことに成功した。
「つ!?」
ソウタさんは体を一瞬固くしたが、驚いたのは私の方だった。
なに、これ!?
ソウタさんの血液を舐めた瞬間、体がしびれたようになった。
「随分変わった血をお持ちなんですね。」
舐めとったのは僅かな血液だったが、その瞬間に湧き上がるように熱を帯びたエネルギーが全身に漲る感じがした。
そして、やはり森の香りがする血に心が高鳴るようだった。
身ぎれいにしないといけない。
理由もなくだが、そうすることを避けてはいけないような強迫観念にも似た次のための準備を覚悟させられたのだった。
はやる気持ちを抑え、身支度をするためにその場を急いで立ち去った。
前後二回に分けて投稿します。
後編は少しお待ちください。




