武器を探しに(3)
雲一つない澄み切った青空を目の前に、彼女は瞼の裏に自らの故郷を描いていた。
下にいる彼にはまだ話せない故郷の事、別にそのことに対して良心の呵責があるとかそう言うわけでは無かった。
ウォルト・クレスリー、彼を一言で言うならば素直という言葉が一番似合うだろう。
彼女より5cm位背が高く、黒い髪のどこかあどけない少年。
彼女も故郷の精霊仲間の中では幼い方である、故に故郷でなめられることもしばしばあった。
しかし彼は彼女を下に見ることは無い、稀に鼻につく発言も彼の純朴な性格から来る失言だろうと彼女は感じていた。
何せ生まれてから父親とハマ族のじじい以外との交流が皆無だったとか、それ故に不器用なのだろうと彼女は予想する。
思えばあの赤ん坊が大きくなったものだ、婆臭いと思うが何事もなく健康に育ってくれたことは彼女も嬉しく感じていた。
彼女が13の時だ、おもちのような彼の頬の感触を彼女は今でも覚えていた。
それ故に彼女はどこか彼に対してお姉さんぶりたがるところがある、先ほども年齢の事を聞かれそうになると大人げなく彼を威嚇してしまった。
だがしかし、事実私はお姉さんであり、弟はお姉ちゃんを敬うべきであると彼女は思っていた。
だから私は反省などしない、だって私は悪く無いもん。
彼女はいままでの自分の彼に対する行動をそう結論付けた。
そう言えば彼は如何にして生きてきたのだろうか?彼女は彼の生誕以降こちら側には来ていない、なので彼がこの世界で何を嬉しいと感じ、悲しいと思い、何を美しいと眺め、醜いと顔をしかめたのか。
彼女はまだ彼の人生についてよく知らなかった。
道中彼に自分を知ってほしい、だが自分からペラペラと話すのはなんだか品が無い。
なので彼にばかり話題の提供を求めたが、そのおかげでおのずと彼の性格も見えてきた。
今度は私から話しかけてみよう、そう決意して彼女は彼に声をかける。
「ねぇウォル、質問してもいいかしら?」
「んぅう?はい…なんでしょう」
彼女の発言に驚いたのか、彼は変な声を上げた。
情けないんだからと彼女は思ったが、彼女は変な声の理由の方が気になった。
「何よ」
「あっ、いや、半分寝てた」
「眠ると起きた後が辛いわよ、しょうがないからキナがお話してあげる」
「どうぞ…」
そうして彼女と彼の会話が始まった。
だがふたを開けてみると、よく言えば安穏、悪く言えば退屈な日常を送ってきたのだというのが彼女の正直な感想だった。
毎日羊や山羊を牧羊犬と追いかけ、それらの毛を刈ったり乳を搾ったり。
それらがただ続く日々…
「まったく伝説の竜騎士様が羊飼いなんて笑い話もいいところね」
「キナも羊飼いをやったらわかるよ、あれはあれで充実できるものだ」
「考えておくわ」
「何と言われようと、あの生活は俺にとって最高だ…」
ただ…彼が牧羊犬と走る姿は、自分の故郷でさぞ映えるだろうな。
犬のように走り回る彼がまぶたの裏に浮かぶ。
そんな姿を想像した彼女は、彼が何だかいっそう愛おしく思えた。
ただそのことを口にすればきっと自分の故郷の話になってしまう、だからそれは言わない。
だがそれを口にすれば、きっと彼ならこう言うだろう。
『いつか俺もキナの故郷に行ってみたいな』
と。
そのことが嬉しく思えた。
「…」
「キナ?」
「いつか、キナの故郷に連れて行ってあげる」
「お?なにそれ今行きたい」
彼は彼女のそんな言葉に食いついた。
最初の方で彼女の故郷については教えてくれなかった、それ故の食いつきなのだろう。
「ダメよ、貴方が立派な竜騎士になってからじゃないとダメ」
「なら、約束な」
「えぇ…約束してあげる」
何故彼女はこんな事を言ったのか、それはただの気まぐれであった。
気まぐれに連れて行きたいなと思い、ただ単純に彼が走り回る姿を見たいと思ったからだ。
それが本当に叶うかというのはまた別な話として、彼女はただつれていきたいと思ったのだ。
≪ふむ…何やら楽しげな雰囲気であるな…≫
出たよ体力バカ、彼女は心の中でそう毒づいた。
人が弟と楽しくお話してるんだから自重しろよと、彼を煙たく思った。
「うあぁ!オルドル!?呼んでないのに!?」
「ふぎゃ!」
「あぁ!キナごめん」
途端彼が起きる、あんまりにも勢いよく起きるものだから彼女は横に転がってしまった。
折角の温もりは冷たい岩に瞬時に変わってしまった。
彼女はそのままの体勢でオルドルを見上げ、ささやかな抗議を行う。
「…何しに来たのよオルドル…姉弟の語らいを邪魔しようっての?」
実際に煙たかった、つまりいろいろ話したいというのはウォルトだけでなくキナもそうであったのだ。
その心を見透かしたようにオルドルはおどけた。
≪そう邪険にするものではないぞビリキナータ、我とてうぬらとお話がしたいのだ≫
「俺はキナの弟じゃないんだけどな…」
「お黙りウォル、今後はキナがお姉ちゃんなのよ」
「そんな横暴な…」
困り顔のウォルを無視して彼女は立ち上がる。
オルドルの方を見ると、どこか穏やかに笑っているようで腹が立った。
腹が立ったのでオルドルの足を蹴ってやる、しかしいかんせんオルドルの体は堅牢な城塞のように固い。
被害をこうむったのは彼女で、なお慈愛の表情の奴に尚更腹が立った。
「もう少しで出発するんだからお話は短めにしなさいよ、あんた話し出すと長いんだから」
「それでどうやって出てきたの?」
≪ウォルト・クレスリーよ、我ぐらいになるとそりゃもう凄いのだ≫
「何が?」
≪ふむ…例えばあの森を半日で平野にできるのも我はたやすいのだ≫
「えぇ!?オルドルすげえ!」
≪ヌハハ!大いに尊敬し敬うがよい!≫
「聞きなさいよあんた等!」
ホントこいつは自分のペースを狂わすんだから、と彼女は心の中で少しだけ怒った。
もう自分一人でも準備を始めよう、そう思い投げ出されたナイフを拾い腰の鞘に納め、体の埃を払って、固まった体を動かす。
「どうすんのさ、キナ怒っちゃったじゃん」
≪案ずるな、奴めはああ見えて甘えん坊でな、それでいて背伸びしたがるのだ≫
≪故に我を蹴って鬱憤をぶつけたり、うぬを弟扱いしたがったりしたいのだ≫
≪なんでも一人でできると言い張る子供のようなもの、そう思えばどうだ?愛しいだろう?≫
「キナ…なんだか可愛いね」
≪フッ…中々話の分かる奴ではないか≫
「全部聞こえてんのよ!!覚えておきなさいよあんた等!!」
彼女は自分の頭の血管が切れそうなのを感じた、彼女自身も自覚はしているがあまり気の長い方では無かったからだ。
彼女はそのストレスの原因に対して無視を決め込んだ。
自分の方を見てにやにやと笑う二人を余所に、心を落ち着けて彼女は地図に目を落とした。
目的の洞窟はあと数キロ先にある、どうにか日が落ちるまでには辿り着けそうだ。
空はまだ赤みかかってはいないが、日は徐々に傾きかけている。
急がなくてはならない、彼女はいまだに後ろでオルドルと話しているウォルに声をかける。
「ウォル!行くわよ!オルドルはもう帰りなさい!」
そう言って急かす彼女、二人は一言二言の言葉を交わしてオルドルは戻って行った。
その時彼女たちが元の世界に戻るための魔方陣の展開を、おそらく初めて見たであろう彼はとても驚いていた。
彼は駆け足で彼女に近づいてくる。
「ねぇキナ!今の何!魔法!」
「知ーらない」
そう言って彼女は歩き出す。
「え?キナ?もしかして怒ってる?」
彼女は別に怒っているわけでは無かった。
だが正直に怒ってませんなんて言うのも彼女にとって面白くは無かった。
彼女は振り返り舌を出して彼を小ばかにする。
「やっぱり!怒ってるんだ!」
彼女は理解した。
彼にはもう少し教育をしなければならない、姉は敬わなければないという事。
そして私はウォルト・クレスリーの姉であるという事を。
彼女は彼女追いついてきて弁解する不出来な弟を横目に、彼を立派な弟にするための武器の在り処に足を速めて向かった。