旅立ち
追いかけっこを済ませた後、ウォルトはキナの指示に従い旅の支度を始めた。
レイシア軍人養成学校はここから遥か東の副都レマジャンという都市にある、レイシアの首都であるガレッセに次ぐ規模の都市だ。
商業規模こそガレッセには劣るものの、軍事的規模は同等、工業規模は多少勝る程度の規模である。
ちなみにこのレイシアで一番の工業地帯はガレッセの南に位置する工業都市セバルである。
レマジャンまでは馬で三週間の距離である。
学校の入校式も丁度三週間後、間に合うか間に合わないかという距離なのだ。
ミスティおじさんは俺が断ったらどうするつもりだったのだろうか、ウォルトはそう考えながら身支度を進める。
着換えのシャツ、水筒、路銀などを鞄に入れて背負う。
そして腰にミスティからもらった剣を下げる、準備が整ったところでキナが家に入ってきた。
≪そろそろ旅の準備はできたかしら?≫
「丁度ね」
≪あら?その剣って…≫
キナが腰に垂らした剣に興味を持った。
「これは昨日ミスティおじさん、俺が世話になった人からもらった剣なんだ」
そう言って彼は剣を抜いた、するとキナは苦虫を噛み潰したような顔で後ずさる。
「どうしたの?」
≪そのおじさんてハマ族でしょ?退魔の鏡剣なんてあいつ等以外に持ってないものね…≫
「退魔の鏡剣?」
≪魔を退ける聖剣の一種よ。あまり人前では抜かない事ね、貴重っちゃ貴重なものだから≫
そう言って早くしまえと手でジェスチャーを送る。
「てことはこれ凄い剣なの?」
キナはまるで子供を見るような眼で彼を見る、それほどに彼の目はどこか輝いていたからである。
≪残念ながら聖剣の中では下の下よ、それは対象に触れれば魔法を打ち消したりできる、けれどもその剣に切れ味は無いしすべての魔法を打ち消せるわけじゃない。魔の者に対しても嫌がらせ程度の効果しかない、その脆弱さ故にあんまり世に出回らない。だから貴重なのよ、まぁお守りみたいに思っておきなさい≫
「…まぁいつか役に立つ日が来るだろう」
≪そうね、そんな日が来るといいわね…≫
そう言って二人は外に出た。
父と過ごし、父を看取った小屋に別れを告げる。
そのすぐ隣にいた牧羊犬にウォルトは最後の別れを告げた、もちろんまた会えるだろうから厳密に言えば最後という訳ではないのだろうが。
「心配するなよ?すぐにミスティおじさんが来るから」
≪いくんか?達者でな≫
歩みだす先にいる二人。
赤い鱗を体に纏う赤竜のオルドル。
小さな体と透き通った羽をもつ妖精のキナ。
二人の頼もしい友人。正直な話をすると、彼はつい昨日まで不安であった。
この山岳地帯は、ガレッセからはとても離れた位置にある。
つまりすこぶる田舎であり、こんなところに来るのは行商のミスティぐらいであった。
端的に言えば彼は同年代はおろか、父親とミスティ以外の人間と話したことがほとんど無いのだ。
故に彼にとっては、他の人間との出会いというものは未知との遭遇と言っても過言ではないのだ。
それが、自分の事を友と呼んでくれるオルドル、そして面倒見のよさそうなキナ。
二人に出会えたことでそんな不安もどこかへ行ってしまった。
もちろん二人が自分以外の人間と直接会話をするわけではないし、そもそもコミュニティのようなギフトでない限りは明確な意思の疎通は出来ないだろう。
しかし、それでも自らの友人がそばにいてくれるというのは実に心強いと彼は感じていた。
≪さぁ!行きましょうか!≫
意気揚々とした面持ちでオルドルの頭に乗る彼女、しかしここである一つの疑問が浮かんだ。
「ところで、移動手段はどうするの?」
当然の疑問であった、ここからレマジャンまでは馬で三週間はかかるのだ。しかしその馬は何処にもいない、いてもウォルトに乗馬の経験は無かった。
≪何を言っているの?オルドルに乗っていくに決まっているじゃない?≫
彼女はさもあたりまえじゃないか、というよりもバカじゃないの?と訴えかける瞳で彼にそう言う。
「待った、それは目立つから」
≪いけない事なの?≫
ウォルトは困った。いけない事なのか、そうストレートに聞かれるとどうしても言葉に詰まってしまう。
端的に言えばいけない事ではない、オルドルに乗って移動したところで誰かに迷惑がかかるわけではないのだ。
しかしそういう問題では無かった。
「キナ・・・この国で竜に乗る人なんていないんだよ?」
≪だから?≫
「その、万が一見つかれば大変なことになるよ?」
キナはそんなこと位わかってるわよといいたげに溜息をついた、彼女自身ドラグーンでない限り竜に乗る者などいないだろう。
ただそれとはまた別の問題なのだ、彼女は頬を膨らました。
≪人間は面倒ね、物事には寛容で柔軟でそれでいて好意的でなくちゃ大変なのよ?心配しなくても人目につかない様に迂回していくわよ≫
あくまでオルドルに乗ると言い張る彼女、そんな彼女にウォルトは昨日のキナの発言を思い出す。
「待った!昨日俺が竜騎士であることは秘密にする、君は賢明な判断と言ったじゃないか!」
キナは呆れたと言わんばかりの顔で俺を見上げる。いや実際に彼女は呆れていた、少しは自覚しろと言いたかったのかもしれない。
ただ昨日まで羊飼いであった少年にそこまで求めるのは酷だろう、そんな思いからあえて口にはしなかった。
≪でもね、いつオルドルに乗ることになるかもわからないのよ?今ここでキナもオルドルも勝てないような敵に出会ったらどうやって逃げるの?最悪の事態を想定して早めに慣らしておいた方がいいと思わない?≫
≪それとも何か?我では力不足とでも言うのか?≫
「いや、そういうわけではないんだけど…」
≪決まりね、ほら乗った乗った!≫
有無を言わさないキナ。
ウォルトはしゃがんだオルドルの上によじ登り彼に抱き着く、そこには今まで見た事の無い光景が広がっていた。
「うわぁ高い…」
いつもより風は強く、そして冷たく感じた。それは紛れもなく今までのものとは違う感覚。
自分はこれから間違いなく別のウォルト・クレスリーになる、この光景はそう確信させるのに十分なものであった。
≪ね?これだけでも乗ったかいがあるってもんでしょ?心配しなくても人間の気配がする場所に近づいたら降りるわよ。キナは戦闘は苦手だけどそう言った補助は得意なんだから≫
「うん、ありがとう」
満足そうにうなずく彼女、そしてオルドルの頭をぺしぺしと叩いて出発を促す。
≪まずは武器の調達ね、南に行くわよ≫
彼女はそう言うとオルドルの頭から俺の肩に移る。
同時にオルドルは翼を動かし、徐々に垂直に上昇していく。
「武器って…買うんじゃないの?」
彼が家で練習に使っていた槍は戦闘で使えるようなものではなく、ただの少し重めの木の棒であった。
だからまずは武器を調達しなければならない、そのことは十分に理解していた。
≪取りに行くのよ、一流の武器をね≫
「一流っ!!!」
キナに聞き返そうとした時、オルドルが一気に加速を始めた。
≪さて、行くとするかウォルト・クレスリー≫
その声と共に、彼は今まで感じた事の無い風圧を体に受けた。
(落ちる!?)
そう思った瞬間、彼は後ろから誰かの手によって頭をオルドルに叩きつけられた。
竜のバカみたいに堅い鱗、この時凄まじいほどの痛みが顔に走ったのを彼は瞬時に記憶した。
その後の記憶は無い。
再開します