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後編

 それからは、自分で言うのも何だが圧巻であった。顧問による監視と、過酷な練習の強要は相変わらずだったが、俺の対応は以前と大きく異なっていた。

「もっと、もっときつい練習をお願いします。俺がこうしている間にもあいつは、あの女は夜中だって馬鹿みたいに練習してるんだ」

 顧問教師は呆気にとられてはいたものの、利己的な俺の向上心にとことん付き合ってくれた。顧問教師だけでなく上級生までもが俺を全力で支援してくれた。誰かが俺と小川のライバル関係について吹聴したらしい。部内はすっかり応援ムードへと変わっていた。

「何であいつはあんなに張り切ってるわけえ」

「あの小川って女に惚れちゃったんだろ──」

「どういうこと」

「良い所見せて惚れさせたいのちゃう」

 ずっと無視して練習していた俺だったが痺れを切らして──

「うるさいぞ、お前ら。誰があんな見かけだけの女に惚れるかよ」

 その夜も俺は小川を訪ねて勝負を挑んで、そして惨敗するのであった。そんなことを続けて二十日が過ぎた頃、部活内で俺に勝てる者はいなくなっていった。例え上級生であっても引けをとらない自信があった。この二十日間でそれが身についたのである。

「これなら勝てるんじゃあないか。後半一週間ほどはあの女子と戦っていないんだろ」

「いや、まだまだ。あと一週間、ギリギリまでやります」

 最後の一週間はさらに練習量を増した。身体が悲鳴を上げているのを確かに感じていたが、ここで引き下がるわけにはいかない。あの女と戦えるのは今だけかもしれない。この合宿が終わったら会うことすらなくなって──そして、それでおしまい。今あの女に勝たなければ俺は、二度と自分の足で立ち上がることが出来ないかもしれない。これは人生の試練なのだ。


「どうして私に勝ちたいの」

 ある夜のことだった。試合のためではない。外周を走っていたときにたまたま彼女に出くわしたのである。いつもとは異なり何だか神妙な面持ちをしている。

「強いて言うなら自尊心のためかな」

「そっかあ。それじゃあさ。例えば私が、いとも呆気なく負けちゃったらどう思うかな」

「いやだなあ。おかしな話だけど。負けたくないけど勝って終わりになるのも嫌になってきたんだよな。自分より強いライバルがいて、負けることなくそいつに挑み続けられる──それって凄い心地が良いと思うんだ」

 小川は小馬鹿にしたように笑う。以前の俺なら腹を立てていたかもしれないが、何だか今は悪くないように思えた。とんだ心境の変化である。俺はこの女のことをそこまで嫌いではないのではないか。そんなことを考えた。

「子供ねえ。楽しいことなんていつまでも続きはしないわよ」

「そうかな」

「そうよ」

 小川は俺に背を向けて去って行く。決戦が三日後に迫った、その夜のことであった。


「よろしくお願いします」

「お願いします」

 合宿最終日。ついに試合である。両校の顧問教師が気を利かせてくれて、合宿の最終日に練習試合を企画してくれたのだ。俺と小川の対決は、皆注目の最終試合であった。

「負けてあげないから」

「俺だってな」

 二人の間を打球が飛び交う。互いに速攻系の攻撃を繰り出しているわけだが、中々ミスがなくラリーは途切れなかった。彼女の動きに正確について行っても一か月前のような息切れはしない。努力の甲斐ありという感じだ。

──カン、カン

──キュッキュッキュッ

「おい、佐土原が一セット先取したぞ」

「すげえな。一か月前は点さえ取れなかったのに」

 小川を圧倒するぐらいの自信はあったのだが、実際に相対してみると実力は拮抗しているように思えた。彼女もまた、この対決に敗れまいと努力をしてきたのだろう。セット先制も勢いで押して何とか取れたという感じであった。

──カン、カン、パッカアン

「マジか。先に追い詰めたぞ」

 二セット目も獲得。自分でも信じられない躍進である。しかし、いくら持久力を鍛えたとは言え、練習と実戦では消耗が大違いであった。もう、相当きている。足が震えるし息も切れ切れであった。

「大したものだけど、こういった面では私に一日の長があるね」

「はは、いや全く。どうしてもっと早く頑張らなかったかなあ」

 三セット目、四セット目と続けて奪われる。互いにあと一セット取れば勝利というリーチ状態であった。所謂フルセットである。彼女の方も相当息が上がってきた。その反面俺は四セット目で相当セーブしたから──いけるはずだ。

「あと十一点とったらお前とオサラバか。滅茶苦茶寂しいぜ」

「かわいそうねえ。私に勝ち逃げされちゃうんだから」

「言っとけや」

 再び両者の間を打球が飛び交う。気迫だけは負けまいと何とか打球に食らいつく。呼吸は浅くなっていき視界は曇り、これ以上に身に辛いことはないだろうと思う。しかし、今ほど楽しく幸せな時もないだろう。ああ、この試合がいつまでも続けば良いのに、そんなことを思って、その間にも時間は嘘みたいに早く過ぎていった──


 相も変わらず朝の空気は爽やかであった。しかし因縁のライバルに負かされて、長い間バスに揺られて気分は最悪である。いつかそうしたみたいに、座席間の通路にひょっこり顔を出してみると、皆は疲れ果て眠りこけていた。それを眺めていたら何だか疲れを思い出してしまって、当の俺まで眠たくなってきた。そうだな。戦いは終わったのだ。このまま眠ってしまおう──


「努力が足りなかったね。佐土原くん」

 小川が言った。しかし、勝ち誇る気力はもうありそうになかった。

「うるせえ。これ以上努力したら死んでしまうわ」

「再戦だけど。また来てくれるよね」

「はあ」

 何だか照れ臭そうである。俺もつられて照れ臭くなる。

「何なに、年下をデートに誘うなんて、やるようになったねえ」

 大滝中学の女子生徒たちが小川を冷やかす。口が過ぎたから仕方ない。彼女たちは順番に小川に小突かれていった。恋愛対象か。考えたこともなかったな。

「待ってくれるのか」

「うん」

「すぐに負けちゃうのはなしだぞ」

「うん」

「ずっと強いままでいてくれよ」

「わかった」

 両校のチームメイトたちがニヤニヤしながらこちらを見ていたが、俺たちは気にせず続けた。俺はまだ負けていない。勝ち逃げされない限り負けではないのだ。そう思っている。こうして彼女に挑み続けること自体が、いつしか俺の本当の目的になってしまったから。

「女に見惚れて勝てない、か」

「なに」

「いや、なんでも」

 あながち間違いではなかったのかもしれないな。馬鹿げたことだと思っていたけれど、案外それも悪くはない。今になって考えるとそれが恋だったのかもしれな──


「おい、トランプやろうぜ。ずっと練習ばっかで、お前一度も参加していないだろ」

 声をかけられて目を覚ました。夢の中で、俺は大層衝撃的なことを考えていた気がするが、もう忘れてしまった。ゆっくり休むことは許されないみたいだ。あの女も今頃帰りのバスの中だろうか。妙に気になった。また早く戦いたいなあ。そして、その前に。もっともっと、いやそれよりももっと俺は頑張らなきゃあいけないし、許されるなら頑張りたいと思っている。バスは何だか行きの時よりも心地が良いように思えた。前を見てみるとアスファルトの道がどこまでもどこまでも続いていた。きっと俺の明日だってこんな風に、途方もなく幸せに違いない。

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