Dクラス精鋭部隊
――走る。
走る、走る、走る。ただ、走る。
宗正の作戦によれば、晴光はただ敵地に赴き神玉を手に入れるという簡単な行動を起こせばいいらしい。またそれ以外の行動も、ある程度自由にできるとか。
晴光に与えられた指示が作戦と呼べるものかどうか怪しいところであるが、宗正の頭の中では常に策略が張り巡らされていることを晴光は知っている。
確かに彼は女の子が大好きで、基本的にだらしがなく基本的に不真面目だ。その上、興味がないことに関しては驚く程無関心である。
けれど、そんな彼にも打ち込めるものがある。それが、勝負事だ。陰陽道だ。
それでありながら――これは晴光にも当てはまることであるが――彼ほどの負けず嫌いも、そうそういない。
故に、最大限の努力を惜しまない。
故に、最大限の才能を発揮する。
故に――。
「――故に、ぼくらに敗北はない」
許される、許されない。有り得る、有り得ない。勝負事に関して言っているのだとしても、もはや彼らにとってはそんな言葉に意味はない。
――ただ、勝利する。
敗北などない。存在しない。そもそも、敗北などという言葉は彼らの辞書に存在せず、その意味も、存在すらも彼らは知らない。彼らが持つのは勝利への飢え。ただひたすらに勝利への道を突き進む。常に全力を以て、勝利を掴む。運などではなく、己の力で。
勝利をその手に掴むため、晴光はただ走る。
「………ん」
森の穴とも言える開けた場所に出ると、太陽の光が目に入った。眩しくて、晴光は目を細める。
幸か不幸か、今日この日の空はとても明るく、雲は一つも見当たらない。まさに快晴と呼ぶに相応しい天候だ。
霞森という名に恥じないほど木が生い茂るこの森であるが、この晴れ空の下ではその暗闇すらも照らし出されてしまう。これだけ綺麗に森の中を見渡せるのだから、地図を事細かに書き記した宗正は徒労に終わったといえる。
そんなことを考えつつ、晴光は先へ先へと進んでいた。
目的場所は当然、敵地の擬似神社『紅星』である。
神玉『紅玉』の気配は『紅星』の方向より感じる。方向は間違いない。
「いや、場所がわかる神玉って全く素晴らしいよね。方向音痴のぼくでも迷わないもん」
一旦立ち止まり、一人呟いたところで、晴光は何かを察知した。この気配は陰陽力とはまた少し異なる気配。『気』と呼ばれるものだ。これにもっとも近い気を表すならば、殺気――それを察知して、意図しないところで半ば無意識的に右腕が動いた。
何かしらを払うかのように動いたその腕は、確かに何かを払っていた。
どこから飛んできた?その疑問から、飛んできた位置を探るために視線を振り回す片隅に、晴光が弾いたのであろう槍が目に入った。どう見ても人工物で、そこから推測される事実は一つだ。間違いない――敵方の陰陽師である。
おそらく、先程宗正が述べていた『敵影およそ十』。
十人といえば、およそ一クラスの四分の一にあたる人数であるが、立ち止まる晴光に焦りは見られない。
周りを軽く見渡し、敵の姿がないことを確認すると、晴光は左手を開く。
開いた晴光の左手には五芒星が浮かび、そこから棒状の金属物がその一部を現した。
長さは七寸、太さは一寸。円錐形で、その装飾からして、剣の柄であることが容易に想像できる。
右手で柄を握った晴光は、躊躇いなく剣を引き抜き、その刀身を空気に晒す。
剣を抜くさまは、晴光の腕から取り出しているようにも見えるが、実際は左手に作り出した五芒星――一時的な転移空間を目的とする陰陽陣より、彼の武器庫に保管されている剣を一本取り出しただけである。
けれど、彼に剣を抜かせた以上、何人たりとも油断してはならない。
「ぼくに剣を抜かせたね――」
ちなみにこの区間転移型の陰陽術、彼――晴光がもっとも得意とするもので、一度に多くのモノを転移させたり、ある物体より一部分だけを転移させるといったことも可能だ。
また、晴光はこの術を相当使い慣れているため祝詞なしでも使用できる。
「――いいよ、止められるならやってみるといい」
本来両手で扱われて然るべき大きさの剣だが、それを片手で軽々と振り回した晴光は、見えない敵を挑発する。
「舐めるなよ、推薦組風情がァアアッ!」
突如、晴光の足元の地面が盛り上がり、槍が晴光に向けて突き出された。
どうやら敵陰陽師の一人が地面に紛れ、隠れ潜んでいたらしい。が、見下していた相手に下に見られることが我慢できなかったようだ。晴光の狙い通り、まんまと姿を現した。
晴光にとって想定外であったハズのその奇襲だが、涼しい顔で身体を逸らし、回避する。
その反射神経と運動能力には目を見張るものがあった。
晴光の肉体を捉えそこなった矛先は、彼の薄皮一枚すらも傷付けることかなわず、狩衣を僅かに引き裂いて終わった。当然、致命傷にはなりえない。また、仮に毒を矛先に塗っていたとしても、引き裂いたのが服だけでは意味がない。
「キミ、凄いね。地面に潜っていたなんて驚いたよ」
大して驚いた素振りもみせず、晴光は握った剣で相手方の陰陽師を盛り上がった地面ごと――薙ぎ払った。
比喩などではなく。文字通り、薙ぎ払った。
同時に、激しい破裂音。
ギリギリまで膨らんだ風船が爆発するような音がその区間に弾け、その衝撃が周りの木々を揺らす。
無論、今の一撃は音を出し木々を揺らすためのものであるわけがなく――。
晴光の一撃により、敵陰陽師が盛り上げた地面が爆発したかのようにぶちまけられ、弾丸のごとくばらまかれた土は僅かとは言え木々の幹を抉る。当然ながら、攻撃をモロに受けた敵陰陽師は遥か後方で項垂れている。
彼は晴光の動きに付いて行くどころか攻撃されたことも、そもそも自分がどうなったのかもわからないまま、気絶した。
晴光のばら撒いた木々の幹を抉るほどの土砂が偶然にも散弾の役割を果たしたのか、その場には陰陽壁と呼ばれる特殊障壁がいくつか展開しており、そこには他の陰陽師が存在していることが明らかになった。
陰陽壁を展開してしまったことから、存在がバレてしまったと悟ったのだろう。晴光の前に次々と陰陽師の姿が現れていく。……その数は九人。なるほど、先ほどの一人を合わせれば十人で、宗正の言っていた数と一致する。
「……あなた、何者ですか」
九人のうちの一人――リーダーと思しき男が晴光に問う。
「ぼくかい?」
敢えて聞き返し、可愛らしい顔に小悪魔のような笑顔を浮かべて晴光は答えた。
「ぼくは酒呑晴光。あそこで気を失っている彼が言ったように、推薦組風情の陰陽師さ」
彼がいうのならその通りなのだろうが――しかしそれにしては強すぎる。
リーダーと思しき男――Dクラス前衛指揮官、望月右京は考える。
本来、推薦組――Xクラスにはこれほどの実力者は存在しないはずなのだ。それなりの実力、及び名家の生徒たちは一般試験により己のランクを分けるのが当然だ。何故なら、少しでも上のクラスに所属したいと誰もが考え、Xクラスなどという実力もやる気もないクラスに所属したいなどとは誰も思わないからである。
否、誰も――ではないか。ここに一人、かなりの実力を持ちながらもXクラスに所属している生徒がいるのだから。
「皆さん、油断はしないで下さい」
右京が警告すると、残り八人のDクラス生徒たちは次々と印を結ぶ為の構えを取った。
けれど晴光は動じない。それどころか、気にすらしていない様子でロクに剣を構えもせず口を開いた。
「最初に言っておくよ。ぼくは戦闘になると加減ができない。痛いのが嫌な人、あと女の子も、今のうちに逃げたほうがいいよ」
余程の実力を秘めているのか、それとも驚くべきほどバカなのか。彼はへらへらとしながらDクラスの面々を見回した。
「舐めないでよ、推薦組が!」
へらへらした晴光の様子に苛立ったのか、それとも馬鹿にされることが尺に触ったのか。Dクラスの女子生徒が一人飛び出し、印を結ぶ。
「待ちなさい!」
右京の制止も、彼女の耳には届かなかった。
「陽・陰・陽。陽のち少陽より八卦が『離』たる炎の具現――『焔之蛇』!」
――暴!
彼女の腕からは五芒星の陰陽陣が現れ、その中心より鞭のような細長い炎が飛び出した。否、鞭ではないか。彼女の言葉通り、炎の蛇。
「へぇ、『焔之蛇』か。基礎陰陽術ではあるけれど、炎の術の中では結構難しいよね。ぼくなんかじゃあ、実践で使用できるほど使いこなせないよ」
先程地面に潜り込んでいた彼や、この『焔之蛇』を使用する彼女を見ると、相手方はそこそこ優秀らしい。おそらく、Dクラスの精鋭と偶然にも遭遇したのだろう。
何はともあれ、晴光のすることに変わりはない。立ちふさがるのであれば、誰であろうとなんであろうと――倒すだけだ。
すぅ、息を吸った晴光は、表情を微塵も変えずに口だけを動かして呟いた。
「――斬空」
刹那――。
晴光の腕が、音速にも匹敵するのではないかという勢いで剣を振るう。
轟!
剣が振るわれたことによって発生したソニックブームとも言えるものが『焔之蛇』をたちまち切り刻む。あっという間に切り刻まれた『焔之蛇』はその欠片の一つ一つがマッチの炎程度のものになってしまった。此処までバラバラにされてしまっては、再構成するのは難しい。新しい炎を具現化したほうが何倍も早いほどだ。
「な――」
しかし、ただ剣を振るうだけでは此処までバラバラになることはない。そもそも、炎を剣という物理武器によって攻撃することは難しいし、なにより陰陽師の作り出した炎だ。そうやすやすと風で切り裂けるものではない。
ならば、どのようにあの炎を切り裂いた――?
簡単なことだ――否、簡単といっても、それはあくまで説明することであったり、仮説を立てることに限っての話だ。実行することはとてつもなく難しい――あのように炎を分解できるのは、炎同士を接続している彼女の術式を破壊するか、単純に並々ならぬ風圧で術式を切り裂くか、その二つに限られる。
けれど前者であるのなら、炎そのものも彼女の術式であるため、炎が空気中に残るとは思えない。つまり、後者――単純に並々ならぬ風圧で術式を切り裂く以外に有り得ない。
あの華奢な身体のどこに、それだけの力があるというのか。
驚きの声を彼女があげようとした瞬間だった。
彼女の瞳には、剣を既に振りかざしている晴光が映った。
それはつまり、彼女の眼前に晴光が存在していることを意味している。
いつの間に此処まで移動していたのか――。
その『いつの間』がいつであったのかを知るのは、晴光を置いてこの場にはいない。
彼女の目が、視覚情報として脳にその映像を届け、晴光が目の前にいると認知する前に、彼女の身体は吹き飛んだ。しかし、晴光の動きは止まらない。
次の標的を見定め、次々とその剣でなぎ払う。
一人、二人、三人、四人――。
「な、なんですか、これは――」
一人、二人と自分の味方が消えていくのを見て、右京は絶句する。
実際はDクラスの生徒たちは晴光の剣撃によって吹き飛び遠くで気絶しているだけであるため、消えているという表現はいささか間違っていると言えるが、右京からしてみればそう大差はなかった。
あまりに圧倒的な力の差。
右京らはDクラス屈指の精鋭であり、その実力もCクラスに僅かに及ばず、といったところである。Bクラス程度の力量では、此処まで差は広がらない。これほどの差を開くには、Aクラス、もしくは――。
驚愕に言葉を失っていると、右京の眼前にも晴光の姿が現れた。
「最後、キミだ」