序章
序章 一〇年前
ぎぃと鉄が擦れる音がした。誰かが扉を開けた音だ。
もう何年もこの牢獄のような場所で生活しているのだ。僅かな音でも、食事を持ってきたのか、それとも実験のための呼び出しなのかがわかるようになっていた。
何重もの鉄格子は機械によって退けられて、開いた扉からは白衣を纏った男が現れる。
「出番だぞハル――いや、『四拾五番』」
「ああ、もうそんなに時間が経過したんだね」
白衣の男の声に、気怠い身体を起こして『四拾五番』は起き上がる。
「今日の相手は、強いのかな?」
その『四拾五番』、はっきりとした言葉にそれなりの態度、そこそこの語彙を持っている。しかしその割には幼い声で、幼すぎるがゆえに男女の区別すらもつけられない。
「……“アレ”の敵では、ないと思うよ」
歩きながらバインダーに目を向け、相手の細かいデータに目を通しつつ、男は言った。
男の後を追って、『四拾五番』は問いかける。
「そっか……。ねぇ、今度こそ死ねるかな」
悲しそうな表情で一度『四拾五番』は立ち止まったが、やはり気の進まない足取りで男を追った。
「今回も叶わないんじゃないかな。だからといって、この間みたいに貴重な検体をバラバラにするのはやめてくれよ」
男はこの間を思い出して、ため息をついた。
前回、『四拾五番』は『八拾壱番』と戦闘を行ったのだが、あまりに強すぎる『四拾五番』の“アレ”を恐れたため、『八拾壱番』は戦闘を放棄して助けを乞うた。それが『四拾五番』の“アレ”の気に障ったらしく、“アレ”は一切の容赦なく『八拾壱番』を攻撃した。「戦いで余を楽しませられぬのであれば、せめて断末魔で余を楽しませよ」と笑いながら、『八拾壱番』を殴り殺したのだ。
冷酷、かつ残忍。暴虐の化身と言っても差し支えないほどの非道な化物。それが、『四拾五番』と呼ばれる幼子に潜む『アレ』の本質である。
男とて、いくら研究のためとは言え、年端もいかない子供を殺し合わせるのには気が引ける。ましてこの『四拾五番』は、普段は虫も殺せないほど大人しい子供だ。
そんな子供にすら殺し合いをさせるなど、非人道的も大概だろう。けれど、ここではその非人道的行為が容認されている。
男程度の立場では、上の決定を覆すことなどはできない。どうにも、ならないのだ。
「『八拾壱番』を殺したのだって、ぼくの意志じゃないよ。あいつが、殺すんだ。壊すんだ。全部、全部。ぼくは、壊したくないのに」
ごめんね。男は呟いて、『四拾五番』の頭を優しく撫でた。
☆
『四拾五番、酒呑童子。準備完了』
男の声が響くと、パッと人工の明かりが『四拾五番』を照らす。
実際姿を見てみると、『四拾五番』はとても幼い容姿で、年齢は小学生の低学年、もしくは幼稚園児ほどであろうか。顔はまだまだ幼く、どこか女らしさを感じさせる。しかし『四拾五番』から感じられるオーラとでもいうべきものは異常なまでに醜悪で、とても人の子と呼べるような存在ではない。
また、その容姿も異形を意識させるモノである。
髪は、メッシュでも入れたかのように一部銀に染まっている。腕は、華奢ではあるものの鋭い爪が光る。口からは犬歯が覗き、額からはわずかとは言え人のモノとは思えない角が覗いている。
「……ん」
突然の光に顔をしかめた『四拾五番』は、自分に機械でも見るような視線を向ける研究員たちを睨んだ。数百メートル上のガラス窓の外から観察している研究員たちの中には、先ほど『四拾五番』を呼んだ男の姿はない。
あの男がいないのであれば、ガラス窓の向こうの研究員たちを殴ってやるのにと『四拾五番』は思う。
『四拾五番』ほどの身体能力であれば、あのガラス窓まで跳躍することも可能であったが、陰陽術により強化されたガラス窓を破壊することは不可能であると知っている。故、今すぐ彼らを直接攻撃する代わりに、いつかひどい目に合わせてやると胸に誓う。
『八拾弐番、牛鬼。準備完了』
対する相手――『八拾弐番』もまた、異形の子供であった。
彼は眼鏡をかけており、その点だけは人間らしいと思ったが、しかしそれ以外は明らかに人ならざるモノである。『四拾五番』同様、その容姿は小学生ほど。にもかかわらず、とても子供のものとは思えないほどの筋肉質。特に人とかけ離れていると思わせるのが、本来の二本の腕に加え、彼は更に四本の蜘蛛のような腕を持ち、身体からは得体の知れない気体を放っていることだ。
クンクンと『四拾五番』が匂いを嗅いでみれば、得体の知れない気体はどうやら、毒素であるらしかった。
『これより、四拾五番・酒呑童子及び八拾弐番・牛鬼の能力テストを開始する』
その声を皮切りに、子供同士の戦闘が始まった。
「我が息の根を止めてやろう、酒呑童子」
その声はとても子供から発せられた声とは思えないものだ。低く、地の底から這い上がるような声の主。それは紛れもなく『八拾弐番』に巣食う妖怪、牛鬼のものである。
『八拾弐番』の肉体は既に、牛鬼が支配していることが嫌でもわかった。
戦いたくない。
その思いから、『四拾五番』は「待って」と両腕を上げ、降参の意を示した。
けれど牛鬼は容赦せず、大きな蜘蛛の腕を『四拾五番』に振るった。
小さな子供の身体は、思い切り叩いただるま落としのように吹き飛んで、壁にぶつかった。あまりに牛鬼の力が強すぎたため、壁にべたりと血をつけた。『四拾五番』は、ピクリともしなくなる。
しかし、ここからが本番だ。牛鬼を除く総ての者が、それを知っている。
明らかに致命傷であったハズの牛鬼の一撃を受けた『四拾五番』が、ゆらりと起き上がったのだ。
初めは驚いた表情を見せた牛鬼だが、やがて納得したように、
「我の一撃を受けても砕けぬとは。なるほど、酒呑童子の寄り代だけはある」
と言う。
「なれば――」
牛鬼が再度、攻撃しようとした刹那。
「――『余』の名を、呼んだか」
心優しき『四拾五番』に巣食う悪魔――酒呑童子が目を覚ました。
「今更目覚めたとて、遅い!」
目覚めた酒呑童子を無視して牛鬼が蜘蛛のような腕を振るった時だった。
「――ッ!?」
メキメキと、己の頭蓋骨が砕ける音を牛鬼は聞いた。
勝負は、一瞬だった。
酒呑童子の拳が、牛鬼の顔面を容赦なく殴りつけたようだった。
あまりの速度。あまりの力。
牛鬼の意識は薄れ、その頭は酒呑童子によって床へと叩きつけられた。ばしゃりと牛鬼の頭から血液が飛び、ピクピクと痙攣している。誰の目から見ても勝敗は明らかだ。
――けれど、酒呑童子は止まらない。
倒れてピクリとしか動かない牛鬼を、更に殴りつけ始めた。
「――は」
足を潰し。
「――ははッ」
腕を潰し。
「――はははッ!」
指を、骨を、皮膚を――。
「ははははッ!はははははははははははははは――はははははははははッ!」
ありとあらゆるモノを、“アレ”は笑いながら潰していった。