コロノ山と魔獣のタマゴ――その三
「ぐおー……くおー……」
……俺の右隣がやたらうるさい。
現在、荒野を疾走している馬車の中に俺とルー、ロットが納まっているわけだが、その車内にはカラスだってもうちょい耳障りがいい声をしているだろうとぐらいに、雑音でしかない騒音が鳴り響いている。そのノイズを割かし耳元に近い位置で聞かされている俺は、たまったもんじゃない。俺の不快指数メーターはとっくに振り切れている。
当然のごとく、その音源はロット。
『アステル』を出てから三、四時間の間はロットもぱっちり起きていて、俺にやたらめったら話しかけてきていたのだが(それはそれでやかましかったが)、一時間くらい前からいよいよロットの方も飽きてきたようで(もちろん、興味のない話に無理矢理相槌を打たされていた俺の方が先に飽きていたのは言うまでもない)、こいつはとっくりと眠りについてしまったのである。言い換えれば、俺はこの一時間、ずっとこの騒音に耐え続けているということだ。…………ここは何地獄だろう?
「……まあ、いつものことだ」
俺は窓枠にひじをついて外の景色を眺めながら、もはや悟りに近いレベルに達した諦めのセリフを重たいため息と同時に吐いた――――吐いたところで、ふと、向かいに座っているルーが目に入った。
「ふんふん、ふふふんふ〜ん」
ルーは現在、ロットのいびきを意に介することもなく、まるでピクニックに出掛ける道中のようなこの上なく陽気な鼻歌を歌いながら、手元の銃のメンテナンスをしている。
車輪が石を噛むごとに車体がガタゴト揺れ、俺はいい加減腰が痛くなっているのだが、目の前のルーは全然動じていない。銃をいくつかのパーツに分解し、それぞれにブラシをかけたり油を差したり、さらにそれを紙でふき取ったりという作業をしているのである。これだけアンバランスな状況では手元が狂いそうなもんだが、表情を見る限りは余裕そうだ。何とも手際よく、楽しそうに機械いじりに興じている。
「ふんふふん、ふふふふ〜ん…………うふふ、でーきたっ。整備はばっちりだよ。今日はもう、あたしの銃が火を噴くよ」
「……火は噴かないんだろ」
毎度のことながら、ルーとの会話において七十パーセントの割合で俺に課せられているツッコミという義務を全うすべく、俺はちゃんとツッコンでやった。
ルーがいじくっている銃『サイキ』の動力は『青石』。つまり、冷気なのである。
その仕組みはルーから断片的に聞いただけだが、その冷気で空気を圧縮し、それを機構的になんやかんやして膨張させることで、弾を発射させるそうである。普通の銃よりも威力は落ちるが、しかしこのシステムによって通常は使えない『青石』を弾として発射させることができるのである。『青石』を発射できる銃は、世界中でもこの『サイキ』のみ――――まあ逆に、熱を生んでしまう『赤石』や『黄石』は使えないわけだ。
そんな理由で、この『サイキ』は炎は発射できないのである。
火を噴けるわけもない。
かような、ルーから教わった知識をもって俺はルーにツッコんでやったわけだが、ルーはぷっくりと頬を膨らませて、
「もうっ、言葉のあやだよ。まったく、ダルクは了見が狭いなー」
と、あからさまに気分を害されたというような反応をする。折角の上機嫌をつまんないことで台無しにしないでよ、という雰囲気が言葉の端々に見え隠れしている。
実は、今日はやたらとルーが調子付いているのも元々分かりきっていたことで、今回の仕事の障害が鳥の類だからである。つまり、鳥は飛ぶ――――飛ぶと、俺達と離れる――――離れると、俺のナイフやロットの大剣は届かない――――しかし、銃なら届く――――銃を装備しているのは、三人の中ではルーだけ――――いよいよルーの出番、ということである。分かりやすすぎるロジックだ。
俺は浮かれきったルーの表情をまじまじと眺めながら、
「……ルー。張り切るのはいいが、張り切りすぎるなよ? 今回はお前の腕に期待しているのも確かだけど、全部お前一人に任せるわけでもないんだから」
「ふふん。そんな心配しないで、どーんとあたしに任せときなって」
ルーは胸をドスンと叩き、鼻の頭を上に突き上げた。
俺はたしなめるつもりで言ったのだが、どうやらルーは『お前の腕に期待して』の部分をとかくポジティブに受け取ったようである。……かれこれ二年の付き合いになるが、こいつとの意思疎通はどうも難しい。
今回の障害物は、鳥の類とは言っても魔獣なのだ。危険も伴うし、そう簡単にこなせる仕事だとも思えない。銃一つで完遂できるなんて微塵も考えていない。
加えて、今回のタスクはタマゴの調達〈だけ〉なのである。
魔獣というのは、世界的に見ても希少な生物。赤雷鳥のようにタマゴが高級食材であるものならばなおさらなのである。できるだけ傷つけたくない。まして、殺すなんてもっての他なのだ。
レストランのお使いと言えど、ギルドの仕事。そんな簡単な話ではない。
しかし、こんな微妙でやっかいで難しそうな仕事を炎も雷も発射できない銃でこなせるのか疑問に思うかもしれないが、むしろ俺はこの仕事はルーに相性がいいと思っている。ルーの腕に期待しているというのも、本当のことなのである。
確かに、炎や電気に比べて、冷気は攻撃性が低い。だが、それは逆に対象を傷つける確率が限りなく小さいということ。冷気の弾ならば、赤雷鳥に対して何の恐れも躊躇もなく発射できるのである。判断に迷って隙を作るなんてことはない。
あるいは、これは他の仕事についても言えることである。
基本的に、俺達のような駆け出しの賞金稼ぎは、命の与奪に関わるような仕事に関わることはマレである。たとえ盗人を捕まえるような仕事でも、殺すことはもちろん、傷つけることすらほとんどしない。ただ〈確保〉して国なりなんなりに突き出すだけなのである。
だからこそ、俺達の仕事に『サイキ』は最適なのだ。
メジャーどころである『赤石』『黄石』『紫石』は殺傷能力があるし、『橙石』は幻覚を見せるだけで攻撃力は皆無。先の三つを使うなら、どれもこれも加減をしなければならないし、生物を狙うなら照準を合わせる必要がある。それだけ時間を要する。
しかし唯一、『青石』にはその制約も欠点もない。
だから、たとえどんな対象でもほとんど加減を考えないでいいし、おおよその狙いをつけただけで発射させても問題はない。この差は、咄嗟の判断が必要な場合ほど如実に現れてくる。ギルドの仕事をこなす上で、極めて重要なファクターである。
ルーの父親は果たしてそこまでの考えがあって娘に『サイキ』を託したのか、俺の知るところではないが、とりあえず感謝はしている。そして個人的にラッキーだとも思っている。ルーが『サイキ』を持っていること。そして俺がルーとチームを組んだこと。
……あとは、ルー本人がもうちょっと何とかしてくれれば。
俺は遺跡調査の時のルーのタチマワリを思い出しつつ、再度銃いじりを開始したルーの仕草を眺めながら、
「とりあえず今回は、赤雷鳥の巣を見つけたらお前が親鳥を追っ払って、その隙に俺とロットがタマゴを運ぶっていう段取りでいけると思うから。できるだけ親鳥を遠くに追いやってくれよ?」
「まーかせてっ」
ルーは鼻歌の延長みたいな声で答えた――――答えたところで、
「お客さーん、荒野を抜けましたよ」
ルーの後方、馬の手綱を引いていた御者のおじさんが、のぞき窓から顔を出して俺達に声をかけてきた。
言われて窓の外を見てみると、周囲はいまだに平地だが、緑が増えてきている。車体の振動も軽くなってきた。腰の痛みも少しばかり和らいだ。……もっとも、右隣の「ぐごー」という騒音は継続中だが。
俺は車外の御者さんに届く声量で、
「予定より、早いですね?」
「ええ、今日は調子がいいみたいです」
御者さんは手綱を握ったまま振り返り、俺に営業スマイルを三割ほど含んだ笑顔を向けてきて、
「この分なら、あと一時間で着きますよ」