図書館と思い出・前編
「わっわっ!」
後方から叫び声が聞こえたかと思うと、
――バサバサバサバサッ
今度は紙が散らばったような音。
振り返るとそこには、あから様につまづいて、抱えていた数冊の本を壮大に撒き散らしてしまったという状態のルーが、床に倒れて腰をさすっていた。ご丁寧にも、その青いセミロングの髪が上からぱっくり本に噛まれている。
「いったー……」
「……大丈夫か?」
一応気にかけているような声はかけておくが、別段駆け寄ったりはせず、俺は俺で抱えている本を隣の棚の方へ運んでいく。ルーがつまづくのも何かを落っことすのもいわば茶飯事で、そんなもんをいちいち気にしてたら、終わる仕事も終わらなくなってしまうのである。
ルーは周りの本を拾い集めながら、
「もーっ! 本って、何でこんなに重いのっ?」
「……大事な本なんだから、ぞんざいに扱うなよ」
言いながら、俺は運んできたハードカバーを一つ一つ棚に入れていく。
「ったく、いくら屋内だからって、そんなロングスカートはいてくるなよ」
「だってこれ、昨日買ったばっかで、早く着たかったんだもん」
「さっきから裾を踏んづけてばかりじゃないか。サイズ合ってんのか? 大体、そんな大人っぽい服、お前には似あわな――」
――ギランッ、と鋭い視線。
「――くもないよ?」
俺が愛想笑いをすると、ルーは表情を崩してにへらと笑う。
俺は嘆息しながら視線を前に戻し、再度仕事に集中した。そして本棚と睨めっこしつつ「やれやれ」と呟いた瞬間、
――バタンッ
入口の扉が勢い良く開かれ、そこから駆け入ってきたのは、赤い短髪のティーンネイジャー、ロット。息を弾ませながら、
「敵がこっちのこなかったか?」
俺たちに尋ねる。
「て、敵っ?」
「ああ、人類の敵だ」
世界を巻き込む大戦争の攻撃開始命令を下そうとする軍の最高司令官のような顔で頷くロット。しかしその右手に握られているのは、丸められた新聞紙。
「……ロット、お前今、何と死闘を繰り広げてるんだ?」
「決まってるじゃないか!」
ロットは仰々しく叫ぶ。
「ヤツだ、ヤツ! あの悪魔のような存在だ! 長年我々にあだなしてきた生命体! かつての《てくのろじー》ですら、やつらを滅ぼすことは叶わなかった! 女子供すら恐怖のどん底に陥れる諸悪の根源! 私がこの手で成敗してくれる!」
と、ロットの右側、壁際で黒い点がモソッと動いた。ロットは目を鋭く光らせ、
「そこかぁっ!」
叫びながら身を翻し、新聞紙でもって鉄をも切り裂きそうな斬撃を壁に食らわせる。
しかしその黒い点はひらりとその軌道をかわし、空中へ飛び上がってドアから廊下へ出て行ってしまった。
「おのれぇっ!」
体勢を立て直し、ロットはそれを追いかけいく。
「……まあ、ヤツのことはロットに任せよう」
「……そうだね」
身震いしながら言って、俺とルーはそれぞれの作業に戻った。
――今回、俺たちが請負ったのは『図書館の本整理』。
ここ、俺たちが住む町『アステル』にある国立図書館から、蔵書の整理を行う仕事の依頼がギルドに来たのである。
ギルドに登録している賞金稼ぎである俺たちは、当然ながらその仕事を請負う選択肢を十分なまでに持っていたわけで、仕事の時間と労力と賃金がなかなかに魅力的だったもんだから俺は嬉々として請負うことを提案したが、当初チームメンバーであるロットとルーは渋った。渋りやがった。
その反論は、
「地味だな」
「おもしろくなさそう」
というもの。
お前らは仕事を何だと思ってんだと怒鳴りたい衝動を懸命に押し殺しつつ、俺はこの仕事の利点をとくとくと語り聞かせ、次の仕事までのツナギという位置づけでようやく請負うに到ったのである。隣でキノコ狩りの仕事を賛成2、無回答1で難なく可決した知り合いのチームが何とも羨ましかったことは言うまでもない。
結局のところこいつらは、どんな仕事であれ必要以上に騒がしくしてしまうのだ。地味もつまらなさも、関係ないだろうに……。
本のカバーの埃を払いながらチラッと腕時計を見ると、現在時刻は午後三時。
朝の九時からこの建物にこもり、何万冊とある蔵書を番号順に並べ直しているわけだが、全十二部屋中、終わっているのは七部屋。今日の夜までに終わるかは微妙だが、終わらなかったら明日の午前中もまた来ればいいか、と思っていると、
――パタンッ
再び扉が開く音。
黒い生命体がまたこの部屋に紛れ込んできたのかと振り返ると、そこにあったのは赤い短髪ではなく、ぼさぼさの白髪頭。この図書館の館長であるジェスカさんが杖をつきながら、俺たちににっこり微笑みかけている。
「どうです? 順調ですかな?」
「少し時間がかかってますが、そこまで大幅に遅れてはいませんよ」
「そうですか、それはよかった」
孫の児戯を見守るような表情のジェスカ館長。
「……あれ? ロット君が見当たりませんが?」
「ああ、あいつは害虫駆除の方を担当してて、そこら辺を駆け回ってますよ」
「ああ、そうでしたか。だからさっき、いらない新聞紙はないかと聞いてきたんですな」
ジェスカさんは納得顔。白いローブを引きずりながらこっちへ歩み寄ってきて、
「ところで、もう三時ですし、どうです、おやつでも?」
「え? おやつ? そんな、悪いで――」
「食べる食べるっ」
俺の言葉を遮り、ルーがジェスカさんの方へぴょんぴょん駆け寄っていった。