冬山と女の子
一般的に、登山と言うのは敷居の高いものである。あの有名な日本一高い富士山でさえも、山に慣れているはずの熟練者が予想だにしない高山病や突然の怪我の危険性があるのに、身体を動かすことが苦手な普通の女性が挑んでみようとは露にも思わないのは自然な流れなのだ。現に、世界遺産ブームで流行とやらに乗って登山を甘く見た初心者たちが、大怪我や遭難ををして山岳救助隊に運ばれている様はTVニュースで報道され続け、お茶の間に話題を提供するほどだ。さらに、それが極寒の雪が吹雪く冬場ならば自殺をしに行くものと同意義なのだと言ったところだ。しかし、彼女にとってしてみれば例えどのような死地であろうとも、そこに希望があるのならば迷わず向かって行っただろう・・・
栃木県日光市鉛ノ岳。群馬県との境にある標高2,400mのこの山は四方を高い山々で囲まれてはいるが、積雪期以外では登山としての難易度としてはある程度経験者なら数時間で登頂できるほどである。しかし、猛吹雪のなかで地図や地元の住民でさえも知りえない場所へ向かうなど自殺行為であり、現に途中まで車で運んでくれたカップルのスキー客も死んでしまうからと私を止めて身を案じてくれたほどだ。そのような危険な場所へ、ネットで聞きかじった知識や書籍、装備を買った登山専門店の店長の忠告のみで入山するのは最もやってはいけないことだったのを実際に体感したのはそれから三時間後のことであった。
「きゃあ!!」
そんな素頓狂な声を挙げて、私は硬い地面に大きく尻餅を着くはめになってしまった。もう、入山してから数時間も経過して体力が無くなり、集中力が切れ掛かってしまい目の前の樹にぶつかってしまったのだ。そのことを自覚すると私は段々と身の危険をヒシヒシと感じ始めてしまい、思わず涙が出そうになる。すぐさま手から離れたストックを手に急いで立ち上がると、防寒用の防止とゴーグルを整えて不安を打ち払うように震える手足を使って前へ前へと進んでゆく。単純に鉛ノ岳の頂上を目指すのなら、もうすでに目的地に到着しているのだろう。しかし、今回目指すのは古くから暮らしている地元の住民でさえもその存在を知らない山中に存在するらしい神社である。その、神社への地図を渡してくれた聞いたこともない心霊課なる特殊な部署に所属しているらしい曽根村という刑事自体が、もしや私を謀殺するための罠だったのではと思い始めるほど私は山中を彷徨っていたのだ。しかし、実際に登山の最中に目印のダムや沢に掛かっている鉄骨で出来た小さな橋があるのだからこれは本物なのだといった妙な確証が私の中には存在していた。そうでなければ、私は今のようにもくもくと進んではなく頭の中でごちゃ混ぜになった得体の知れないモノに押しつぶされていただろう。そして、樹にぶつかってから滑り止め用に靴に縛り付けてあるアイゼン(靴につける登山用の装備)をカチャカチャと踏み鳴らし地図とGPSを睨み付けること数十分、不意に足元の感覚が変わっていることに気がついた。あわてて、足元を確認するとそれは確かに石畳であった。もしやと思い歩を進めてみると、すぐにかなり古ぼけたボロボロな有様の門が目の前に見えてきた。逸る心と体を抑えつつ近づいてみると、その門の横に大きな看板が立てかけてあったのが目に入ってきた。
「奥日光稲荷神社」
書かれている文字を確認すると、私は恥ずかしげもなく大きな歓声を挙げながら思わずガッツポーズをとっていた。ようやくここまで辿り着いたのだという気持ちからだけでなく、ついに殺されていった大切な親友の無念を晴らすことを果たせるかもしれないといった感情もあったからだった。
こうして、私は奥日光稲荷神社の門を叩く事と成る。しかし、私は自身の将来が劇的に変わる出会いを果たすこととなろうとは、この時の私にとって予想だにしないことであった。
そう、圧倒的な武力という出会いに