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吉備の国の温羅の話

作者: 蒼汰

とある文学賞に投稿した作品ですが、恥ずかしながら結果は出ませんでしたので、こちらで供養しようと思います(合掌)。


岡山の郷土伝説=桃太郎を題材とした、どちらかと言えば児童文学に近いようなお話です。

岡山弁で書いていますので、多少読みにくい点があるかもしれません。ご注意下さい。


うらじゃ音頭の歌詞部分は、投稿の際、うらじゃ振興協会様より歌詞記載の許可を頂いたのですが、web投稿に関しては特に許可を頂いていないので、もし不都合が生じた場合、歌詞部分だけ削除するかもしれません。


 



  ぼっけぇ昔の話じゃが、神様たちがあっちこっちにまだぎょうさん住んどった頃、吉備の国いうて呼ばれようた所があって、そこにある時海の外から他国(よそ)(もん)がようけやって来たことがあった。吉備の(もん)が話を聞いたら、自分らの国で戦があってもう国にゃあ帰れんようになったと言う。吉備の(もん)らは困ってしもうたが他国(よそ)(もん)らはもっと困っとって、ほんで皆で話()うて吉備の(もん)使(つこ)うとらんかった辺の土地になら住んでもええでということになった。


 その他国(よそ)から来た(もん)の中で一番偉かった男の名前が()()と言うたから、他国(よそ)から来た奴みんなまとめて温羅の一族じゃと言うことになった。温羅たちは住まわしてもらう代わりに、強い鉄を作る為の製鉄(たたら)や米をようけ作る農作の仕方なんかを教えちゃったりしたから、吉備の国はどんどん豊かになっていった。


 温羅は身体が大きゅうて力があったから、自分の一族だけじゃ()うて吉備の(もん)にも困ったことがあったらいつも助けてやった。一族みんなで山賊退治に行ってやったこともあるし、海賊が出たと聞いたら大きい船を作って海賊退治もしてやった。それで吉備の(もん)も安心して生活が出来るようになって、温羅たちと吉備の(もん)はどんどん仲良うなっていった。


 温羅は力が強かったがその分気も強うて頼りになったから吉備の(もん)からもえらい信頼されるようになって、いつしかほんまの仲間みたいに一緒に祭りをやったり宴をやったりするような仲になった。

 温羅たちは山の上の方に城を建てて住むようになって、いつの間にか温羅が吉備の国を治めるまでになっとった。そうまでなったら吉備の(もん)の中にも温羅に不満を言う(もん)が出て来て、そういう奴が言うた悪口が、ついには大和を治める王の元にまで届くようになってしもうた。


 大和の王は見渡す限りの全てを自分(もん)にしたかったから、他所(よそ)の国から来て勝手に吉備の国を支配しとる温羅が気に食わん。じゃけぇこれはええ機会じゃと思うて、温羅を追い出す為に吉備に兵士を送って戦を起こすことにした。せぇが温羅の作った城は塀が(たこ)うて手が出せなんで、兵士らはそのまんま大和の国へ帰ってしもうた。そんで怒った大和の王は、今度はもっとぎょうさん兵士を吉備の国に送り込んだ。せぇでも温羅は大和の(もん)より強い鉄を作っとったし、吉備の国は鉄の元になる石がようけ出る所じゃったから、大和の兵士が持っとった武器じゃあどねんも敵わなんだ。そんで最後に送られたんが、大和の国で将軍(いくさのきみ)を努めとったイサセリヒコという男じゃった。


 イサセリヒコは大和の国で四道将軍(よんどうしょうぐん)と呼ばれていた内の一人で、他の国じゃあ敵う(もん)()らんじゃろうと言うくらいの強い武将じゃった。その噂の通り、イサセリヒコはそれまで敵う(もん)()らんかった温羅と対等に(たたこ)うて、矢を放っても剣を交わしても(おんな)じように跳ね返る。吉備の国で負け知らずじゃった温羅はそんなことは初めてで、そんでこれはいかんと思うた。


 イサセリヒコは強い強い武将じゃったけど、でもイサセリヒコの強いんはそれだけが理由じゃあ()かった。イサセリヒコには頼りになる家来が三人も()って、それが温羅には()かったんじゃ。温羅にも家来はようけようけ()ったけど、みんなみんな仲間じゃったから、こいつらだけは自分がどうやってでも守ってやらにゃあおえんと、そればかり思ようた。


 そいでついにイサセリヒコの放った矢が温羅の左眼に刺さってしもうて、温羅は慌てて仲間をみんなみんな逃がしてやった。それで自分も必死になって逃げたんじゃけど、最期にゃあイサセリヒコの家来に捕まって首を()ねられてしもうた。


 首が()うなって死んでしもうた温羅じゃったがイサセリヒコが憎うて憎うてならんで、その怨念が取り憑いた首は身体が()うなっても憎い憎いと唸り続けた。首を埋めて弔われても、温羅の首はずっとずうっと唸り続けた。


 けれどある日、憎い憎いと唸り続ける温羅の首塚の前にイサセリヒコがやってきて、残った(もん)は守ってやるから安心せぇよ、とぽつりと言うた。自分を殺した憎い男の言葉を信じられるはずも()うて、温羅はますますイサセリヒコに恨みを募らせた。


 温羅は取り憑いて呪い殺してやるつもりで、こっそりイサセリヒコの後を追っかけた。じゃけど、殺そう殺そうと思いながらじっとイサセリヒコを見続けるうちに、温羅はイサセリヒコという男のことがよう分からんようになっていった。


 イサセリヒコは強い男じゃったけど、周りには三人の家来以外あんまり人の寄らん奴じゃった。歯向かって来る(もん)には容赦をせんかったけども、城から逃げて吉備の(もん)に紛れて隠れとる温羅の仲間のことはそのまま知らん振りをしておった。そんで自分を(つか)わした大和の王に、温羅はすっかり退治したと言うたのだ。


 首塚の前で言うた通り、イサセリヒコは生き残った温羅の仲間を吉備のもん(おんな)じように(あつこ)うて、いつしか吉備の国を治めるようになった。


 イサセリヒコは大和の王に言われりゃあ他所(よそ)の国へ行って戦を起こして、そこに()(もん)をぎょうさん殺すような奴じゃったけど、吉備の(もん)が不自由せんように、よう国を治める奴じゃった。


 温羅はますますイサセリヒコのことが分からんようになった。それでも温羅は、そんなイサセリヒコのことを段々嫌いでも()うなって来てしもうた。


 温羅はとうとうイサセリヒコの夢枕に立って、ちゃんと仲間を守ってくれるんなら吉備の為に力を貸してやってもええと言うてやった。そうしたらイサセリヒコは嬉しそうに(わろ)うて、温羅の首を丁寧に祀りなおして(やしろ)を建てて、温羅の一族も吉備も守ってやるぞとそう約束した。


 その約束の通り、イサセリヒコは吉備の国をしっかり治め、吉備に住む全ての(もん)を守ろうと力を尽くした。


 温羅はイサセリヒコが建ててくれた社の屋根の上から、ずぅっとそれを見ておった。温羅の首はもう唸らんようになっておったが、その首を埋めた場所の上で釜に火を焚くと、窯が唸るみたいにごうんごうんと鳴る。温羅が吉備の為に占いをしてやって、それを知らせる為に鳴らす音じゃった。


 温羅はそうやって、国と仲間を守ろうとイサセリヒコに力を貸してやった。それで国はまた少しずつ豊かになって、温羅の仲間たちもまた安心して暮らせるようになった。それでもイサセリヒコの周りにはあんまり人は寄って来ん。そんでいつしか温羅は、それはイサセリヒコがあんまり人と関わらんようにしとる所為(せい)じゃと気がついた。それが何でなんかは温羅には分からんかったが、大して気にもならなんだ。


 そんで何年も何十年も経って、イサセリヒコは大分長生きはしたんじゃけど普通の人間らしゅうあっさり死んでしもうた。そいでそのまま黄泉に行こうとするんを温羅は押し留めて、このまんまここで吉備の国を守れとイサセリヒコに言うた。イサセリヒコは驚いた顔をしょうたけど、昔温羅と約束したことを思い出して、そんならここに()ろうかと言うて吉備の国の神様になることにした。そん頃には生き残った一族の仲間が温羅を神様じゃと言うて祀っとったから、温羅はすっかり神様らしゅうなっとって、神様同士で酒でも呑もうとイサセリヒコに言うてみた。


 イサセリヒコと温羅は一緒に酒を呑んで、色んな話をして、さぁほんでこれから国をどうしようと話()うた。時々喧嘩して国が荒れそうになったこともあったけど、それでも二人はずっと吉備に()って、二人一緒に吉備の国を守ってやった。イサセリヒコの子やら孫やら曾孫やらも、ずぅっと一族みんなで吉備の国を守っとった。


 せぇじゃけど、イサセリヒコが死んで何百年か経った頃、また大和の方から兵士共がやって来て、イサセリヒコの子孫じゃった吉備の一族をみんな滅ぼしてしもうた。


 どうしてじゃ、どうしてそんなことになるんならと、温羅はイサセリヒコを問い詰めた。ずっとずぅっと国を守ってきてやったのに、なんでお前の一族は滅ぼされにゃあおえんのなら。なんぼ言うても、イサセリヒコは(なん)も言わなんだ。ただ悲しそうに、すまんなぁと言うただけだった。


 せぇでもイサセリヒコは吉備の神様をやめんかった。自分の一族が滅んでも、まだそこには元から住んどった(もん)る。これから来る(もん)()る言うて、温羅との約束を守ろうとした。温羅は(なん)も言うことが出来んで、ただイサセリヒコが何をするんかを、何にもせんで見とるだけじゃった。


 イサセリヒコは一人でも、温羅と一緒に国を守っとった時と(おんな)じように、疫病(えやみ)の神やら不作の神やらが吉備に来んように守っとったけど、生きとる人間にゃあやっぱり敵わんかった。吉備は豊かになる(たんび)に大和から何度も辛い目に合わされたし、吉備をそんな目に合わす奴らを追い出すことも出来なんだ。


 大和の王は、吉備の(もん)が辛い目に合うんは、昔温羅という鬼たちが()って、その(のろ)いがまだ吉備の国に残っとる所為(せい)じゃと言うた。


 そん頃にはもう温羅が生きとった時のことを知っとる(もん)は誰も()らんかったから、吉備の(もん)はそれをすっかり信じ込んでしもうて、温羅のことを鬼じゃと言うて恐れるようになった。


 温羅はそれが哀しゅうて哀しゅうて、大和の王を恨み、段々と吉備の(もん)まで憎むようになった。


 憎い憎い、恨めしい恨めしいと、何度も何度も思ううちに、温羅はとうとう祟り神になってしもうた。温羅の祟りの所為(せい)で吉備の国には雨が降らんようになって、山が枯れるようになって、飢えて死ぬ(もん)もようけ出るようになった。イサセリヒコはそれまでで一番哀しそうな顔をしながら、いつかと(おんな)じように、すまんなぁ、と一人でぽつりと呟いた。


 イサセリヒコはある時、昔温羅の左眼を貫いたのと(おんな)じ矢を持ってきて、今度は温羅の右眼に突き刺した。温羅は悲鳴を上げて、昔と(おんな)じように慌てて逃げ出した。


 力を貸してやったのに、共に酒を呑んだのに、一緒に国を守ってやったのに。イサセリヒコを憎い憎いと思いながら、見えん目を押さえて温羅は真っ暗な中をひたすらに走って逃げた。


 走れば走るほど、身体が段々(おも)うなる。身体のあっちこっちが悲鳴を上げる。痛い苦しいと叫びそうになる。右眼に刺さった矢を抜くことも出来ず、温羅はひたすら、走って逃げた。


 けれどついに走ることも出来んようになって、とうとうどこか分からん所でうずくまってしまうと、もうそっから少しも動けんようになってしもうた。


 せぇでもいっぺん神様になった温羅は、昔と(おんな)じようには死なんかった。哀しゅうて悔しゅうて、温羅はそこでわんわん泣いた。イサセリヒコを恨んだり呪ったりしながら、温羅はずぅっとそこでうずくまっとった。


 けれど時間が経てば経つだけ段々と力が戻って来て、やがて温羅は、ついに右眼に刺さった矢を自分で引っこ抜くことが出来た。手に持った矢を、温羅は憎しみを込めて放り捨てた。そしたら矢は、どこか知らん方に勝手にひゅうんと飛んで行った。


 どういうわけか、矢が抜けたら傷もすっかり癒えて右の眼も左の眼もまた見えるようになった。それで温羅は、ようやくどっこいせと起き上がった。


 ようよう動けるようになった温羅じゃったが、その身体はいつの間にか(ちい)せぇ子供ぐれぇの大きさになってしもうとった。


 自分の身体の小そうなった理由にすぐに気がついた温羅は、あぁ、こりゃあおえんと思うた。


 人に祀ってもろうて神様になった(もん)は、自分を神様じゃと言うて祀ってくれる(もん)()らんなったら神様の力を全部失くして消えてしまう。身体が小そうなったんは、温羅のことを神様じゃと言う(もん)が段々()らんようになって、神様の力が少のうなってきたからじゃった。


 これで消えてしまうんはあんまり惜しいと思うた温羅は、そうじゃ、最期にイサセリヒコに呪いをかけて消えてやろうと思い立った。自分が死んだんも鬼にされたんも、全部イサセリヒコの所為(せい)じゃと思うたからじゃ。


 温羅は立ち上がって、自分の立っとった周りをよう見回してみた。木がようけ生えとって、草もようけ生えとって、そこがどっかの山ん中じゃと言うのは分かるんじゃけど、真っ暗ん中を闇雲に走って逃げた所為で、そこがどこなんか温羅にはちいとも分からん。そんで仕方()う、温羅はとりあえず北に向かって歩くことにした。


 ちいとばっかし行った所で、目の前にでぇれぇ大きな山が見えた。あれに登りゃあイサセリヒコがどっちに()るか見えるかもしれんと、温羅は(ちい)そうなった子どもの足で、えっちらおっちら登って行った。ほいでようよう山の天辺に登ってみたら、そこにえろう身体の大きな神様が座っておって、温羅を見つけてぼっけぇ驚いた顔をした。そんで温羅は身体が(ちい)そうなっとったから、こりゃあ馬鹿にされたらおえんと思うて、目一杯胸を()らして身体の大きな神様に向かって偉そうに言うた。


「こりゃ、そこに()る身体のでっけぇ神。ワシの探しょうる奴がどこに()るか、お前は知らんのか」


 言うたら身体の大きい神様はもっと驚いた顔をしてこう言い返した。


「こりゃ、そこに()っこい童神(わらしがみ)。お前が探しとると言う奴をワシは知らんのじゃ。お前の探しとると言うんはどんな奴なら」


 大きい神にそう言われてそれもそうかと思うた温羅は、イサセリヒコが自分の眼を右も左も矢で貫いたことを思い出してこう言うた。


「ワシがこん世で一番憎いと思うとる奴じゃ」


「そうか、ほんならそいつは悪神(あくがみ)か。せぇじゃったらここには()らん。もっと西の方に行ってみい」


 大きい神がそう言うもんじゃから、ほんなら行ってみようかと、温羅は西に行くことにした。


 ほんでしばらく行ったら今度は田んぼが見えて来た。田んぼの真ん中に案山子(かかし)によう似た神様が立っとったから、今度はあいつに聞いてみようと思うてこう聞いてみた。


「こりゃ、そこの案山子神(かかしがみ)。ワシの探しとる憎い奴がどこに()るんか、お前は知っとらんか」


 そしたら案山子神は、風に揺られてあっちこっちに首を振ってこう言うた。


「そこな童神、お前の憎いと言う奴はこないだまでここに()った不作神(ふさくがみ)のことか」


 温羅はそれを聞いて、いいやいいやと首を振った。


「不作神じゃ()うて、昔ワシと一緒にその不作神を追い払ったことのある奴じゃ」


「そうか、そんなら知らんなぁ。もっと南の方に行ってみたらどうじゃ」


 案山子神がそう言うたから、温羅はそんなら南に行ってみるかとまた歩き出した。


 しばらく行くと、小さな丘の上に大きな杉の木が一本立っておった。そんでこの木の上に登れりゃ何か見えるかもしれんと思うて、温羅は小そうなった子供の手でえっちらおっちら登っていった。そんでようよう天辺まで登ったら、背中に羽を生やした神様がぐうすかぐうすか寝ておった。温羅はその神様を小突いて起こすと、また偉そうにこう聞いた。


「こりゃ、そこの鳥の神。昔ワシと一緒に不作神を追い払った奴がどこに()るんか、お前は知らんか」


 鳥の神は起こされたことに少し不機嫌にしとったけども、温羅の方に顔だけ向けて、寝そべったままでこう言うた。


「童神、お前の言う不作神をワシは知らんが、お前の探しとると言うんは、お前の家来なんか」


 温羅はイサセリヒコと一緒に国を守っとったことを思い出して、何となくむっとしながらこう言うた。


「そいつはワシの家来じゃ()うて、昔ワシと一緒に国を守っとった奴じゃ。家来じゃ()うて、ワシと肩を並べて一緒に酒を呑んだことがある奴じゃ」


「そうか、そんならそいつは酒好きの神か。じゃったらもっと東の方に、神やら(あやかし)やらが集まって祭りをしたり酒呑みをする場所があるけぇ、そこに行ってみたらええ」


 鳥の神がそう言うから、温羅は今度は東に行ってみることにした。


 歩いて歩いてだいぶ行った所で、温羅はとうとう疲れて座り込んでしもうた。そうしたら、温羅の座りこんだ足先の当たりに、いやに浮かれた小さな(あやかし)共が、長い長い列を作って歩きょうた。妖共はえろう派手な格好で、こりゃあもしかしたらこいつらは祭りに行くんかもしれんと思うた温羅は、座り込んだまま小さな妖共に聞いてみた。


「こりゃ、そこの()っこい妖共。祭りをする場所いうんはどこにあるんならぁ」


 そしたら妖共は温羅に話かけられたことに驚いて、きあきあと鳴いて逃げ惑った。けどその内の一匹が温羅の前に進み出て、怖々と口を開いてこう言うた。


「小さな童神殿、祭りをするんはここらじゃ()ぇんです。もっと山の向こうの、人間共がようけ()る所です。山を下りて川を渡って、高い石の建物がようけようけ立っておる辺りです」


 小さな妖がそう言うもんじゃから、温羅はそんならそっちへ行ってみるかと、疲れた身体でどっこいせと立ち上がった。そんで言われた通り山を下り、川を渡ってえっちらおっちら歩いておると、どうも様子がおかしい。


「何じゃあ、こりゃあ」


 温羅は思わずそう声を上げた。


 山から下りてみたら、見たことも()ぇ形の建物(たてもん)が見たことも()ぇ程ぎょうさん建っとる。大きな黒い道の上には、人が入った箱みてぇな大きい(もん)がぼっけぇ速さでぎょうさん走っとる。細長い石の柱がそこら中に立っとって、天辺にゃあ黒い縄みてぇな(もん)が繋がっとる。そんで道を歩きょうる人も、温羅がそれまで見たことも()ぇ程ぎょうさん()った。昔大和からやってきた兵士共でもこんなにぎょうさんは()らんかった。


 驚きながら、温羅は人の()る方へ()る方へと歩いて行った。そうしたらどんどん人が増えて来て、とうとう前に歩けんくらい人で一杯になってしもうた。そんでも温羅は身体が小そうなっとったから、人の歩く隙を縫うては前へ前へと歩いて行った。


 そうしたら今度は顔に派手な化粧をした奴らがぎょうさん()って、そんで温羅は、なるほどここが妖共の言っとった祭りをする場所かと合点がいった。そう思えば色んな所から賑やかそうな歌やら音やらが聞こえてくる。


 こりゃあいよいよ祭りが(ちこ)うなったと思うた温羅じゃったが、その化粧をした奴らが歌ようるのを聞いて、今までで一番じゃと思うぐれぇにぼっけぇ驚いた。


 その派手な化粧をした奴みんな、派手な衣装で踊りながらこんな歌を歌ようた。



『今は昔の 吉備の冠者(かじゃ)

 真金(まがね)吹く吹く 吉備の国で

 今は昔の 吉備の冠者よ

 ぼっけ ぎょうさん

 宝を産んだ

 燃やせ 叩け 熱いうちに

 飲めや 踊れや 夜更けまで』



 大和の兵士共よりぎょうさん()る人が、みんなしてこんな歌を歌ようたもんじゃから、温羅は驚いて、近くに()った人間の男に聞いてみた。


「こりゃ、そこの人間のお前。こりゃあなんの祭りをしょうるんなら」


 言われた男はちょっと温羅を見下ろして、驚いたようにしゃがみ込んで温羅の顔を覗き込んできた。


「なんじゃあ、僕。迷子になったんか?」


 温羅は馬鹿にされたと思うて、むっとしながらこう言うた。


「迷子じゃあ()うて、探しょうる(もん)()るんじゃ。それよりこりゃあ、何の祭りをしょうるんなら」


「ありゃあ、今日がうらじゃ祭りじゃあて、僕は知らんかったんか」


 温羅はそいつが言うたことに驚いて、そりゃあどんな祭りならと聞いてみた。


「温羅いうのは鬼のことをそう言うんじゃ。桃太郎は知っとろうけど、その桃太郎が昔退治したんが、温羅いう鬼のことなんじゃ」


 桃太郎いう奴なんぞ温羅は知らんかったけど、自分が昔イサセリヒコに殺されたことと、鬼じゃと言われて祟り神になったことを思い出して、哀しゅうなった。


「そうか、ほんならこれは、その鬼を追い払う為の祭りなんか」


 そうじゃったらここに()る奴みんな喰い殺して祟ってやろうと思うて、男にそう聞いてみた。ところがそいつは温羅に(わろ)うてこう言うた。


「いやぁ、そりゃあ(ちゃ)うじゃろう。こりゃあ温羅の祭りじゃけぇな。温羅が主役で、温羅はすげぇなあ言うてみんなで踊る祭りなんで」


 そんで温羅はますます分からんようになってしもうた。


「何で、鬼が主役なんなら」


 ほんまに分からんで、温羅は素直にそう聞いた。そしたら男はちょっと困った風にしながら、優しい手つきで温羅の頭を撫でてこう言うた。


「さぁ、ワシはよう分からんけども、温羅のことが好きじゃあ言う人が始めたんじゃねぇじゃろうかな」


 そんなことを言うもんじゃから、温羅は何でかぼっけぇ切のうなって、派手な化粧をして踊りょうる人らに目をやった。



『ぼっけもんじゃ ぼっけもんじゃ

 ぼっけもんじゃ 温羅じゃあ

 ハレバレ大空 吉備の国

 歌え 踊れ 鬼祭り

 ハレバレ大空 吉備の国

 温羅じゃ 温羅じゃ 温羅じゃ』



「お前は、温羅が怖くねぇんか」


 温羅は男にそう聞いた。そしたら男は不思議そうな顔で温羅を見て、目元を細めてこう言うた。


「わしゃあ好きじゃあ。鬼でも何でも、格好えかろうが」


 男は小そうなった温羅の頭を撫でながら、ここに()る奴みんなそうじゃと思うで、と笑いながらそう言うた。昔の仲間が自分にそんな風に笑いかけてくれとったんを思い出して、温羅は何となく、目元が熱くなったような気になった。


 温羅はもういっぺん、踊っとるたくさんの人の方に目をやった。どの化粧した踊り子も、みんなみんな楽しそうに踊りょうる。豊作の時や、宴の時、祭りの時、吉備の(もん)や仲間と一緒になって、朝まで踊り明かしたことを思い出した。踊っとる(もん)の中に知っとる奴なんぞ一人も()らんかったけど、楽しそうに(わろ)うとるその顔は、昔と少しも違わん気がした。



『今は昔の 吉備の冠者よ

 真金吹く吹く 吉備の国で

 今は昔の 吉備の冠者よ

 ぼっけ ぎょうさん

 宝を産んだ

 燃やせ 叩け 熱いうちに

 飲めや 踊れや 夜更けまで

 ぼっけもんじゃ ぼっけもんじゃ

 ぼっけもんじゃ 温羅じゃあ

 ハレバレ大空 吉備の国

 歌え 踊れ 鬼祭り

 ハレバレ大空 吉備の国

 温羅じゃ 温羅じゃ 温羅じゃ』



 みんなみんな楽しそうに踊りょうるのを見よったら、温羅の目から、いつの間にか勝手に涙がぽろぽろ零れとった。


「ありゃあ、どうしたんならぁ急に泣き出して」


 言われても、温羅は自分が何で泣いとんか理由が分からん。せぇでも涙は後から後から勝手に出て来る。温羅は堪らんくなって、とうと声を上げて泣き出した。そしたら周りに段々人が集まって来て、どうにかこうにか温羅を笑わせようとする。それが可笑しゅうて、温羅はわんわん泣きながら、くすくす(わろ)うた。そしたらそれを見た周りの連中も、この子はどうしたんならぁと言うて(わろ)うた。


 男が温羅にも化粧をしてくれると言うから、ここらで一番派手にしてくれと温羅はせがんだ。祭りの時も戦の時も、こうしてみんなで(まじな)いの化粧をしたことを思い出した。


 周りに寄って来た連中が踊りを教えてくれると言うから、温羅も人に交じって一緒に踊った。吉備の(もん)と仲良うなって、初めて一緒に祭りをした時のことを思い出しながら、温羅は誰より一番派手に踊ってやった。


「あんまり踊りょうたら暑うて倒れてしまうでぇ」


 男がそう言うて紙で出来た杯に橙色の水を入れて渡してきたから、温羅は不思議に思いながらそれを一口飲んでみた。そしたらそりゃあ今まで飲んだことが()ぇぐれぇ(あも)うて(つめ)とうて、この世の(もん)とは思えん程に美味かった。


 温羅があんまり真剣な顔をして飲むもんじゃから、そんなに美味いならもう一杯飲むかと言うて、男はまた橙色の水を杯に入れてくれた。


 男が注いでくれた杯の中の橙色を覗き込んどると、温羅は不意に、イサセリヒコと昔酒を飲んだことを思い出した。あの時の酒は美味かったけども、今のこの橙色の水はもっと美味い。そう思ったら、温羅はイサセリヒコにもこの橙色の水を飲ませてみとうなった。そんでようやく、自分がイサセリヒコを探しょうたことを思い出した。


「なあ、イサセリヒコがどこに()るんか、お前は知っとらんか」


 男に聞いてみたが、男は困った顔をして知らんと言う。そんで他の奴に聞いてやると言うて、別の男の所に温羅を連れて行った。そこで何人かの男やら女やらに囲まれて、探しとる言うのはどんな格好をしとる人なら、と聞かれたから、温羅はイサセリヒコのことを思い出しながら教えてやった。そしたらみんな不思議そうな顔をしとったけど、温羅はそれが何でか分からんで、座っとられと言われた場所で大人しゅう待っとった。けど中々イサセリヒコがどこに()るんか分からんで、温羅はやっぱり自分で探しに行かにゃあおえんのうと思うて、誰にも何にも言わんまま、また一人で探しに行くことにした。


 けどどこに行けばいいのか分からんで、温羅は橙色の水が入った杯を手に持ったまんま、途方に暮れてしもうた。そんでもどっかに行かにゃあおえんと思うて顔を上げた時、人と同じ位の背格好をした妖が、真っ赤な化粧をして人間共に紛れて一緒に踊りょうるのを見つけた。


 そうじゃ、あいつに聞いてみたらええと思うて、温羅はその妖に、また偉そうに聞いてみた。


「こりゃ、そこで踊りょうる赤い妖。お前、イサセリヒコがどこに()るんか知っとらんか」


 言うたらその妖は驚いて、派手な化粧で真っ赤になった顔を歪めてにやりと(わろ)うた。


「お前、ワシが見えるんか。お前、人間じゃあねえんか。お前はどこの誰なんならぁ」


 妖にお前と言われてむっとした温羅は、胸を逸らしてまた偉そうに言うてやった。


「わしゃあ温羅じゃ。イサセリヒコと吉備の国を守ってやった、吉備の国で一番強かったあの温羅じゃ」


 温羅は赤い顔をしたその妖を脅かしたつもりじゃったけど、それを聞いた妖は突然けたけたと笑い出してしもうた。


「守ってやった! 呪ってやったの間違いじゃあねんか! それに温羅はもう大分(だいぶん)昔に吉備津彦(きびつひこ)に退治されたと聞いとるぞ! おめぇみてぇな()っこい奴が温羅じゃと! そりゃあ可笑しい! 笑い話じゃあ!」


 温羅は驚いて、(ちい)そうなった身体で精一杯叫んでこう言うた。


「違う、ワシは守ってやった! ワシを鬼にしたんは大和の(もん)じゃ! それにワシは吉備津彦じゃあ言う(もん)やこ知らんぞ! ワシを殺したんはイサセリヒコじゃ! ワシはほんまの温羅じゃあ!」


 精一杯叫んでも、赤い顔の妖はもっと笑うだけで、温羅の言うことをいっこも信じようとせん。


「嘘じゃあ言うんなら、吉備の(やしろ)に行ってみたらええ。吉備津彦に退治された温羅の首が社の下にまだ埋まっとると聞くぞ。行って自分で確かめてみたらええ」


 言うだけ言うて、赤い顔の妖はまた人に紛れて見えんようになってしもうた。そんで温羅は、いつかの日、首塚の前に一人でやって来たイサセリヒコのことを思い出した。温羅の首をちゃんと祀り直して、社を建ててくれたんを思い出した。


「そうじゃあ。イサセリヒコは、まだ彼方(あすこ)()るんかもしれん」


 温羅はそう思うて、すっかり変わってしもうた吉備の国をあっちこっちと迷いながら、歩いて歩いてやっとその社にまで行くことが出来た。


 社のあった場所の周りはすっかり知らんように変わっとったけど、敷地の中には少しばっかり変わって()ぇ所もあって、温羅はそれでようやく少し安心した。


「おおい、イサセリヒコ。ワシじゃあ、温羅じゃあ。おおい、()らんのかあ」


 どこで名前を呼んでみても、イサセリヒコはどこにも()らん。名前を呼んでもちいとも出て来ん。


「イサセリヒコはどこに行ったんならあ」


 一人で言うてみても、誰も答えん。仕方なく、温羅は自分の首の埋まっとる所に行ってみることにし

た。


 昔、イサセリヒコが温羅の首を祀り直した時、温羅はその首を社の中の大きな釜の下に埋めさせた。そん時と(おんな)じように、社の中にはちゃんと今でも大きな釜が置かれてあった。


「おおい、ワシの首。お前、イサセリヒコがどこに()るんか知らんかぁ」


 そこの窯で火を焚いて、その鳴る音で占いをしてやっとったことを思い出して、何か答えんじゃろうかと思うて温羅は窯にそう言うた。でもそれに返事を返したんは窯のごうんごうんと鳴る音じゃ()うて、窯の下の方から聞こえて来た、小さな小さな声じゃった。


「そこに()るんは誰じゃろうかぁ」


 聞こえた声に驚いて、温羅は窯にまたこう聞いた。


「ワシは温羅じゃあ。声を出しょうるお前は誰ならぁ。ワシの首が話しょうるんか」


「なんと温羅様か!」


 声は驚いた風に大きくなって、それと一緒に窯の裏からひょっこり小さな女の妖が飛び出してきた。小さな妖は昔の吉備の、占いなんかをする(はふり)(もん)が着とったのと(おんな)じ着物を着ておって、小さな足で温羅の前まで歩いて来ると、ちょこんと座って温羅にぺっこり頭を下げた。


「温羅様、お帰んなさいまし。ようよう御戻り下さいました」


 頭を下げたまんまでそう言う小さな妖に驚いた温離は、しゃがみ込んで、お前は誰ならと聞いてみた。小さな妖は頭を上げて、にっこり(わろ)うてこう言うた。


「あたしはこの窯に()いとります付喪神(つくもがみ)阿曽女(あそめ)と申します。温羅様がまだここに()られた時からの(なら)いで、人は今でも時折この窯で占いをするんですが、そん時に、()らんなった温羅様の代わりに窯を鳴らしてやっておるんです」


 阿曽女と名乗ったその妖の言葉に、温羅は驚いた。人の()る所はすっかり知らんように変わってしもうとったから、今でも窯占(かまうら)をしょうるとはちいとも思うておらんかった。


「おい阿曽女、お前、イサセリヒコを知っとらんか」


 そう言うたら阿曽女はまた嬉しそうに、手を叩いてこう言うた。


「イサセリヒコ! なんと懐かしいお名前! ですがこの辺りの(もん)でその名を知っとる妖はほとんど()りませんでしょう。あたしが生まれたんは温羅様と五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)様とが一緒に国を御守りなさっとった頃んこと。あたしはまだ口も利けんような力の弱い妖でございました。今ではあたし程長く生きた妖はこの辺りにはほとんどおりません。ですが吉備津彦と言う名であれば、この辺りの妖誰もが知っておる名前です」


 さっき赤い妖が言うておった名前が出て来て、温羅はむっとしながら阿曽女に聞いた。


「その吉備津彦と言うんは、どこの誰ならぁ」


 温羅は吉備津彦なんぞ知らんかったから、きっとそいつがイサセリヒコをどうにかして吉備から追い出して、そんで自分が温羅を退治したと嘘を()いておるんじゃと思うた。じゃから社のどこにもイサセリヒコは()らんで、きっとどこかで迷子にでもなっとるんじゃろう。そうじゃったら早いとこ迎えに行ってやって、そんでこの橙色の水をイサセリヒコにも飲ませてやろうと、そう思うた。


「温羅様はお忘れでございますか。吉備津彦と言うんは、イサセリヒコ様のことでございますよ」


 温羅は阿曽女の言葉に驚いて、同時に頭をあっちこっちに傾けて、吉備津彦という名前を思い出そうとした。けれどやっぱり(なん)にも思い出せんで、温羅は頭を捻ったまんま阿曽女に言うた。


「吉備津彦いう奴なんぞ、ワシは知らん。ほんまにそれはイサセリヒコのことなんか」


「吉備津彦というんは、間違いなくイサセリヒコ様のことでございます。吉備に住むようになってから名前を変えられたんを覚えておられませんか。まあ温羅様が人でなくなった後の話で、イサセリヒコ様が生きとった頃はもう一千と五百年も昔のことでございますから、覚えとらんのもしょうがありませんが」


 一千と五百年、と言った阿曽女の言葉に、温羅は心底驚いた。


「もう、そんなに昔になっとるんか」


「我らの時の流れというんは人と違いますけぇそう思うんも仕方()うございますが、温羅様がこっから()らんようになってから千年以上は経っとられますよ。その間に人も国もすっかり変わってしまいまして、もうあたし以外、温羅様とイサセリヒコ様の御姿を覚えとる(もん)は、妖の中にもほとんど()りませんでしょう」


「……そうじゃったんか。ほんならもう、イサセリヒコはここには()らんのか」


 そんだけ時間が経っとって、今イサセリヒコがなんぼ呼んでも姿を見せんのは、もしかしたらもうイサセリヒコが神で()うなって消えてしもうたからじゃろうかと、温羅は思うた。けれど阿曽女はそこで少しばっかり哀しそうな顔をして、頭を俯けるとまた小さい声でこう言うた。


「イサセリヒコ様は、今でも吉備の国を守りょうられます。ですが今は、ずっと寝たきりで、もう一歩も動くことも出来んでおられます」


「イサセリヒコは病に憑かれたんか!? 疫病(えやみ)でさえも追っ払った奴が、なんで病なんぞに憑かれたんなら」


 温羅は驚いてそう言うたけど、阿曽女はそれにふるふると首を振った。


「いいえ、いいえ。病なんぞじゃあありません。百年も二百年も前に、どこぞから一本の矢がひゅうんと飛んできて、イサセリヒコ様の御胸に刺さってしもうたのです。それまでにもイサセリヒコ様は(のろ)いを受けた所為(せい)で身体が(ちい)そうなっとられましたから、どうやってもその矢を抜くことが出来ませんで、それきりずっと、寝たきりになってしもうたのです」


 阿曽女の言葉に、温羅は石かなんかで頭をがあんとど突かれたような気になった。だって温羅は、イサセリヒコを憎いと思うて、呪いを吐いたことがあった。右眼に刺さった矢を引っこ抜いて放り投げたら、ひゅうんとどこかに飛んで行った。ほんならその矢は、ワシが投げた物じゃあねんか。イサセリヒコが小そうなったんは、ワシが呪いを吐いた所為(せい)じゃあねんか。


 考えりゃあ考えるだけ頭が(いと)うなって、温羅は頭を床にぶっつけた。何べんも何べんもぶっつけた。持っとった紙の杯が潰れて、中の橙色の水が全部()けてしもうたけど、それでも温羅は、何べんも何べんも頭を床にぶっつけた。阿曽女は驚いて、床が抜けてしまいますと温羅に向かって悲鳴を上げた。


「……おい阿曽女、イサセリヒコは、今どこに()るんなら」


 ようやく少し気を落ちつけて、温羅は頭を床にくっつけたまま阿曽女に聞いた。


「……温羅様が行かれると言うんならお供しますけど、温羅様は、まだイサセリヒコ様をお怨みで?」


 まるでイサセリヒコが寝たきりになったんが全部温羅の所為じゃと知っとるような口ぶりで、阿曽女は温羅に哀しそうに目をやった。


 温羅は顔を上げて、いいや、いいやと首を振った。


「……話がしたいんじゃ」


 温羅はイサセリヒコと話をせんといけんと思うた。何を話しゃあえんかはよう分からんかったけど、それでも温羅は、イサセリヒコに会わんといけんと思うた。


 温羅は阿曽女に頭を下げて、小さな声でこう言うた。


「頼むから、ワシをイサセリヒコん所まで連れてってくれんか」


 それを聞いた阿曽女は少し驚いて、けれどすぐに(わろ)うて、小さい身体で温羅の肩に飛び乗った。


「ほんなら温羅様、犬も猿も雉もおりませんが、あたしがお供を致します。イサセリヒコ様ん所へ参りましょう」


「その犬やら猿やら言うんは何のことなら」


「人の作った作り(もん)の昔話ですよ。それよりほら温羅様、あっちの方です。行きましょう」


 そうやって温羅を()き立てて、阿曽女は温羅を近くの山の上の方まで連れて行った。そこで阿曽女はひょいっと温羅の肩から飛び降りて、森の奥の方を指さしてこう言うた。


「この森の先に、人の入れん場所がございます。イサセリヒコ様は、そこでずうっと、人も妖も近づけんようにして眠っとられます。でも温羅様ならきっと……きっとイサセリヒコ様にお会いできると思うのです」


「そうか、分かった。ほんならちょっと行ってくらあ」


 一歩二歩と歩いてから、温羅はくるっと後を向いて、そこでまだ手を振っとった阿曽女に向かい、世話んなったなぁ、と頭を下げた。そんなことをするんはもしかしたら初めてかも知れんで、温羅は何でか、胸ん中がちいっとこそばゆい気になった。


「おおい、イサセリヒコぉ。どこに()るんならぁ」


 呼びながら、温羅はどんどん森の奥の方へ歩いていった。そうしたら阿曽女の言った通り、段々人の住む所とは違う場所を歩くようになって、そんでようやく、木々の(ひら)けた場所に出ることが出来た。


 広い原っぱの真ん中に、見たことも()ぇぐれぇ大きな古木が一本生えとって、その太い幹にぐるっと一周、大きなしめ縄が巻かれとる。その古木の根元の方の、これまた太い根っこの隙間に、幹を背にして小さく座り込んどる子供が()った。


 見たことのない子供じゃあと思うたけど、よく見りゃあそれは小そうなったイサセリヒコで、死んどるみたいに目を(つぶ)って、少しも動いたりせんかった。


「イサセリヒコ!」


 名前を呼んで、温羅はイサセリヒコに駆け寄った。小そうなったイサセリヒコは、小そうなった温羅よりもっと子供になっとって、小さな胸にはいつかの日、温羅の右眼を貫いとったのと(おんな)じ矢が刺さっとった。


「イサセリヒコ、イサセリヒコ」


 何べん呼んでも、イサセリヒコは返事をせん。何べん呼んでも、ちいとも動かん。そのうち温羅はどうしようもなく哀しゅうなって、眠ったまんまのイサセリヒコの胸元に、床にぶつけて真っ赤になった額をくっつけて、わんわん泣いた。


「……すまなんだなぁ」


 温羅がポツリとそう言うたら、温羅の零した涙がイサセリヒコの胸の矢に(したた)って、そしたらその涙があんまり重たかった所為(せい)で、矢がぽっきり折れてしもうた。イサセリヒコの胸の方に残った矢は、温羅の涙があんまり熱かった所為(せい)で、全部すっかり()けて消えてしもうた。


「イサセリヒコ、起きてくれんか。話したいことがようけあるんじゃ」


 驚いた温羅がイサセリヒコの肩を揺すってそう言うたら、イサセリヒコはようやっと、小さな目をうっすら開けた。


「……なんじゃあ、温羅の声がする思うたんは、気の所為かぁ」


 そう言うてまた目を(つぶ)ろうとしたから、温羅はイサセリヒコの肩をさっきよりもっと(つよ)う揺さぶってやった。


「イサセリヒコ、ワシじゃあ。温羅はここに()るぞ。眼ぇ覚ませ。起きれ。そんでワシと一緒に話をせぇ」


 必死になって揺さぶってやったら、イサセリヒコは今度こそしっかり目を開けて、目の前で泣いている温羅をびっくりしたように見返した。せぇでもすぐに嬉しそうにして、ゆっくり起き上がってこう言うた。


「……ほんまじゃあ、温羅が()る」


 その(わろ)うた顔が昔と何も変わっとらんで、温羅は嬉しいような哀しいような、何とも言えん気持ちになった。


「イサセリヒコ、お前、ワシの左眼を矢で突いたんを覚えとるか」


 そう聞いたら、イサセリヒコは一つ大きく頷いた。


「あぁ、よう覚えとる」


「ほんなら、ワシと一緒に酒を呑んだんも覚えとるか」


「あぁ、あん時の酒は美味かった」


「そんなら大和の大王が、お前の一族みんな滅ぼしたんも覚えとるか」


「あぁ、そんな事もあったのお」


「……そんで、ワシの右眼も矢で突いたんを、覚えとるか」


 イサセリヒコは、そこでいっぺん目を閉じた。そんで辛そうな顔をして、それでも小さく、笑ろうて言うた。


「忘れるものか」


 イサセリヒコはもう一度、忘れるものか、と呟いた。


 温羅は次に何を聞こうかと口を開いて、そんでも結局何も聞けんで、とうとう最後にこう言うた。


「……すまんかったなぁ」


 言うたらイサセリヒコは驚いて、謝るな、と困った顔で(わろ)うた。


「ワシはなぁ、温羅よ。まだ生きとった時、人と言うのんが嫌いじゃったんじゃ」


 イサセリヒコが突然言い出したことに驚いて、温羅は涙を拭いながら首を傾げた。


「でもお前は吉備の(もん)を守ったろう。温羅の(もん)も、守ってくれたじゃねぇか」


「お前と(たた)こうた時に、お前が仲間を守ろうとするんを見たから、ちいと真似をしてみとうなったんじゃ」


 そう言うイサセリヒコは何でか少し寂しそうで、イサセリヒコが人じゃった時に人に近づかんかったんはそう言う理由があったんかと、温羅はその時初めて知った。


「ワシが死んで、お前と酒を呑んだ時、人じゃあ()うなってから初めて人を好きじゃと思うようになった。心の底から守ってやらにゃあと思うようになった。それが何でか、お前に分かるか」


「ワシにゃあ分からん。教えてくれ」


 温羅が素直にそう言うたら、イサセリヒコは苦笑して、ワシにも分からん、とそう言うた。


「ワシにも分からんのよ。でもなぁ、お前と酒を呑んだ時、仲間と言うんがほんまはどんな(もん)なんか、ワシは初めて知ったような気ぃになったんじゃ。せぇでもお前は段々、お前が死んでも守ろうとした吉備の(もん)たちまで憎むようになったろう。それがわしゃあ哀しゅうて、哀しゅうてなぁ」


 言いながら、イサセリヒコはぽろぽろ泣いた。イサセリヒコが泣くんを見たのは、温羅はそん時が初めてじゃった。


「すまんかったなぁ、温羅」


 ぽろぽろぽろぽろ泣きながら、イサセリヒコはそう言うた。


「何で、イサセリヒコが謝るんなら」


 言いながら、温羅も一緒にぽろぽろ泣いた。


「ワシの方こそ、すまんかったなぁ」


 そう言い合って、しばらく二人でわんわん泣いた。泣いて泣いて、目ん玉が融けるんじゃねえかと思うぐれぇにわんわん泣いて、それから二人で顔を突き合わせて、少しだけ(わろ)うた。


 (わろ)うたら、温羅はさっき全部()かしてしもうた橙色の水のことを思い出した。


「そうじゃ、イサセリヒコ。祭りに行こう」


 何の祭りに行くんなら、とイサセリヒコが聞いたから、ワシの祭りに行くんじゃあと、温羅は教えてやった。そこではみんなで化粧して、みんなで一緒に踊りをやって、そんで橙色の水を貰うんじゃ。そしたらそれを、一緒に呑もう。昔の酒より、ずうっと美味い。もし撒かしてしもうたらワシのを半分呑ましちゃるけん、そんで一緒に踊りをしよう。そう言うたら、イサセリヒコは嬉しそうに、そりゃあ楽しみじゃあと笑ってくれた。


 温羅はイサセリヒコの手を取って立ち上がった。まだ身体がよう動かんとイサセリヒコが言うたから、温羅は自分より()っこいイサセリヒコをよっこいせと背に担いで、えっちらおっちら歩いてやった。


 森の出口のとこまで来たら、阿曽女がずっとそこで待っとって、イサセリヒコを担いだ温羅を見つけたら二人に負けんぐらいにわんわん泣いて喜んだ。だから心配かけた阿曽女も一緒に三人で、夜も遅くに祭りに行った。


 みんなみんなで化粧して、人に紛れて一緒に踊った。一年先も十年先も、百年先でもまた踊ろうと約束を交わして、温羅もイサセリヒコも阿曽女も、疲れて眠ってしまうまで、人に紛れてずうっと踊った。夢の中まで、ずうっと踊った。





 そっから先は、だぁれも知らん。







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[一言] 岡山弁サイコー\(^ー^)/です
[良い点] ハッピーエンドで読後感がよいです。 [気になる点] 特徴の一つでもあるので悪い点と言い切れるわけではないのですが。私のように岡山弁を理解している人は問題なく読めるが、他地方民は理解しながら…
2013/04/02 20:46 退会済み
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